憧れのどっち側?

清文となーちゃんのお初物語

最終回




「あれ? おばちゃんは?」

 当たり前のように連れ込まれた清文の家。

 それこそもう何回も通っていて、勝手知ったる…だけど、家の中には灯りがなくて人気も全然なかった。

 それに、いつもならおばちゃんが『理く〜ん! いらっしゃ〜い!』って思いっきり抱きしめてくれるんだ。

 毎度のことで俺は慣れたけど、清文は毎回『何すんだよっ』って、マジでおばちゃんに食ってかかってるし。

 それにしても、時間的におじさんはまだ帰ってないとして、おばちゃんの姿もないってどういうことだろう。

「ああ。実家に帰ってるんだ」
「あ、そうなんだ」
「あの人さ、再婚して初めて専業主婦になったろ? だから父さんの世話とか家のことに全力を注いでるんだよな。で、今日はその父さんが出張でいないから、息抜きでもしてきたら…って、送り出したわけだ。なにしろ三月にこっちへ越してきてから一度も帰ってないからな」

 そっか。そう言えばいつ来ても家の中はピカピカだし、突然夕飯をご馳走になることになってもいつも豪華なメニューだし。
 うちと大違いだなって思ってたんだ。

 うちなんて、大和にいちゃんが来る日でないと、牛肉とかでてこないもんな。
 父さんが大和にいちゃんが来る日には残業せずに帰ってくるのは絶対その所為だと思う。

「まったく『情けは人のためならず』ってヤツだよな。母さんに息抜きして欲しくて実家行きをすすめたんだけど、よく考えたらこんな絶好のシチュエーションってそうそうないもんな」

 清文が俺の手を引いて、階段を上がりながら言った。

 …ええと、それはどういう……。 

「俺、今回のことでわかったよ。なーちゃんの気持ちが熟すまで待つって言ったけど、前言撤回」

 部屋のドアを開けて俺を中に入れた後、後ろ手にドアを閉めて俺を真っ直ぐに見つめてきた清文は、なんだか危険な目をしていた。

 前言撤回って…。

「なーちゃんを放しておくと、ろくなことがないってわかった」
「ちょっと待てよ。それ、どういう意味だよ」

『放しておくと』ってのも引っかかるし、『ろくなことがない』ってはもっと引っかかる。

「だってそうだろ? …まあ、俺に内緒でバイトしてたってのは、俺の為だって、それはもう凄く嬉しいけど、でも、その『内緒』がどんな結果になるかわかんないだろう? 今回はたまたま笹島が相手だからよかったけど、そうでなかったら、なーちゃんが危ない目にあったかもしれないんだ」

 呆れた。開いた口が塞がらない。

「まだそんなこと言ってる。清文が思うほど、俺は狙われたりしないってば。お前のは単なる『惚れた欲目』『あばたもえくぼ』だっ!」

 いい加減この認識を改めてやらないと、こいつはずっといらない心配をし続けることになるじゃないか。まったくもう。

「何言ってんだよ。俺、今日クラスメイトから、なーちゃん紹介してくれって言われたんだぞ?」

「へ?」

「へ、じゃない。一緒に通学してるところを見られたんだ。まあ、それは仕方がないとしても、なーちゃんが俺の幼なじみで、しかも男子生徒だってわかっててもそれだ」

 …ちょっと待てよ。もしかして今日のアレって…。

 実は俺、貴樹くんちへ向かう電車の中で、数人に取り囲まれたんだ。
 等綾院の制服を着て、一年の学年章を着けた背の高いヤツら。

『名前教えてよ』とか『今、帰り? どっか行かない?』とか、かなりしつこく話しかけられた。
 もちろん身体に触られたりはしなかったんだけど、下手に喋って清文に迷惑がかかってもまずいと思って逃げたんだ。
 幸い人の目が多かったから、追い掛けてはこなかったけど。

「え、ええとぉ…」
「恋人に立候補しようかな…だとさ」

 吐き捨てるように言った清文に、俺は思わずビクッと震えてしまった。

 そんな俺の反応に気付き、清文は小さく『ごめん』と言うと、俺をギュッと抱きしめてきた。

 今日の話、絶対清文には言えない…。

 俺が清文の腕の中で縮こまっていると、一つため息をついてから、また清文が言った。

「それに、もう一つあるだろう? 『彼女がいる』って疑ったこと」
「や、だってそれは…」

 慌ててもがいたんだけど、離してもらえない。

 でも、でも俺だって悩んだんだぞっ。
 どうやって確かめよう…とか、確かめて本当だったらどうしよう…とか。

「人の言うことなんか信じるなよ。なーちゃんの目で見たこととか、なーちゃんの耳で聞いたことを信じろよ。俺は絶対になーちゃんを裏切ったりしない。今までも、これからもなーちゃん一人だけだ。なーちゃんしかいらない」

 …清文…。

「だから、頼むから…俺だけのなーちゃんだって、安心させて…」

 さらにきつく抱きしめてくる清文の腕が、少しだけ震えているような気がした。


『なーちゃん、待って』
『早く来いよ、清文』
『待って、置いていかないで』
『大丈夫だってば。俺が清文を置いていったりするもんか』


 置いていかれまいと必死になる清文の様子に、堪らなく愛しさが募ったあのチビの頃。
 もしかしたら、清文はあの頃から変わってないのかもしれない。

 ずっとずっと、一途に俺だけを追い掛けて来てくれたんだ。
 あの頃も、今も。


「…大丈夫だよ、清文。俺たちずっと、一緒だから」

 少し伸び上がって抱きしめ返すと、これ以上ないくらい熱いキスが降ってきた。

 息も継げないくらいに激しいキス。
 苦しいけれど、でもそれがなんだか嬉しくて…。

「俺だって、清文しかいらない」

 漸く唇を解放された俺がそう告げた瞬間、俺はあっと言う間に横抱きに抱き上げられた。

「き、清文っ?」
「ごめん。もう限界」

 いつになく切羽詰まった声でそう言うと、俺はそのままベッドに下ろされた。
 すかさず清文が覆い被さってくる。

 その時。  

 Rurururururu…。

 柔らかい音で、清文の部屋の子機が鳴った。
 電話を取った清文の話し方からすると、相手は多分おばちゃんだ。

「うん、わかった。ゆっくりしておいでよ。…大丈夫、今、なーちゃんが来てるから」

 そう言ってさらに二言三言交わすと、清文は通話を切った。

「ってわけで」

 そしてそのまま子機を俺につきだしてきた。

「何?」
「なーちゃん、家に電話して。今夜は泊まってくからって」
「え? 泊まり?」
「そう。今夜、俺一人なんだ。可哀相だろう?」

 そっか、もしかしておばちゃん、帰ってこないんだ。

「さ、早く」

 って言いながら、清文の指はすでに俺んちの電話番号をプッシュしてるし。

「はい」

 渡されて、拒めないままに受話器を耳に当てるとすでに呼び出し音が鳴っている。

「あ、俺」

 電話にでた母さんに、清文んちに来てることとか、おばちゃんが実家に帰ってて今夜はいないこととかを手短に話す。

 母さんは、大のお気に入りの清文が一人きりだと聞いて、一も二もなく俺が泊まることにOKを出した。
 ついでに宿題見てもらいなさい…なんて言われちゃったけど。


「明日は早起きしなくちゃ」

 話を終えて、子機をホルダーに戻しながらそう言うと、清文がふわっと俺の肩を抱いてきた。

「ああ…教科書取りに帰らなきゃいけないか」
「うん」
「ついてくよ」

 そう言うと思った。

「うん。あのさ、清文の分も朝ご飯つくって待ってるから、うちで食べて行きなさいって」
「ほんと? 嬉しいな」

 そう言って笑顔を見せた清文は、起きあがっていた俺の肩をトンッと押した。

「じゃあ、ちゃんと起きられるようにしないとな」

 あっさりと、またベッドに転がされてしまった俺は清文を見上げる格好になって…。

「大丈夫だよ、俺、朝ってそんなに弱くないし」

 もちろん強い方でもないけど。でも、一回起こされたら目が覚める。

「さあ、どうだろうね」

 意味深な笑みを浮かべて、清文の顔が近づいてきた。
 また、触れる唇。

 そして、いつもなら俺をしっかりと抱きしめるばかりだった手が、首に触れ、やがて胸へと降りてきて、清文は片手で器用に俺のネクタイを抜き取って、シャツのボタンを外し始めていた。

「き、清文っ」
「…ん? 何?」

 何?…って聞きはするものの、清文の手は止まる様子なく俺の身体をはい回る。

「あ、あのさっ…」

 そして俺は、声を掛けたのはいいものの、だからって何を言っていいものかわからなくて口を噤んでしまう。

「シャツ、皺になったらまずいから、脱いでおこうな」

 優しく言って、清文は俺の腕からするりとシャツを抜き取った。
 そして、俺の身体に乗り上げたまま、自分もさっさと制服を脱ぎ、まとめてベッドの下へと放ってしまう。

「あ、皺になるって…」

 慌てて俺がベッドの下に目をやって手を伸ばそうとしたら、その手をやんわりと絡め取られた。

「アイロン当てたら済むことだろ?」

 …さっき言ったことと矛盾してるじゃん。

 俺が呆れていると、今度はベルトに手が掛かった。
 カチャカチャと、僅かな金属音を立ててそれが外されていくのを感じて、俺はさすがに狼狽えた。

「き、清文っ。ほ、ほんとに…」

 やるのか?…とはなかなか口にし難くて、思わず清文の手を止めるように、その腕を掴んでしまった。

 視線が、ぶつかる。

「なーちゃんを…抱くよ」

 真っ直ぐに見つめられて、この上なく真剣な声で告げられて。

 思わず息を飲んでしまった俺に、清文はまた優しく笑いかけてきて、『大丈夫。怖くなんかないから』と、頬を撫でてくれた。

 その堪らなく優しい仕草に、俺は身体の力を抜いた。

 俺だって、ずっとずっと清文と一緒にいたい。一緒に歩いていきたい。
 今これから起ころうとしていることが、『これからずっと』を実現するために、大切なことなんだってことが、漸く俺にもわかりかけてきた。

 好きだから、一つになりたい。
 それはきっと、俺も同じ…だ。



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 結局、清文の誕生日に内緒でプレゼントを用意する計画は見事挫折してしまった訳なんだけど、清文が俺に『これが欲しい』と要求したのはなんと、『なーちゃんを一日自由にする権利』という信じられないものだった。

 ったく、小学生じゃあるまいし。

 清文曰く、これから先も自分に何かを贈るためにバイトをされては困るから…ってことで、まったく資金のいらないプレゼントにしたらしい。

『バイトなんてとんでもない。俺と過ごす時間が減るじゃないか』

 真顔で言う清文に、俺は反論する気も起こらない。
 しかも、生徒会もきっちり断っちゃってさ。

 そうそう、貴樹くんのうちに通うのは続けてるんだ。

 清文とのことがあったから、もうダメかなって覚悟はしてたんだけど、『絶対やめないで。せっかく友達になれたのに』って貴樹くんに言われて、俺も感激しちゃったり。

 ただし。清文がしっかりついてくるんだよな。

 それはそれで、貴樹くんが喜んでるから、まあいいか…って気がしないでもないけど、清文ってば、貴樹くんの前でもお構いなしに嫉妬むき出しとか独占欲丸出しとかやらかすから、俺としては恥ずかしくて仕方がないところなんだけど、それをまた貴樹くんが喜んだりするもんだから、わけわかんない。

 そして、俺たちは今日も平和に通学電車に乗っている。

「なあ。清文」
「なに? なーちゃん」
「中学の時、バスケ部だったんだって?」

 そう、これも気になっていたことの一つだ。

「あー…まあね」
「どうして黙ってたんだよ」

 ちょっと責め口調の俺に、清文はバツが悪そうに頭を掻いた。

「いや、だってさ、バスケ部に入った動機が不純だったから、あんまり言いたくなかったんだ」
「動機?」

 動機が不純って、まるで俺みたいだな。
 俺の場合、目的は達成できなかったけど。

「うん。身長伸ばしたかったんだ」

 …あらま。

「絶対身長伸ばして、格好良くなって、それでなーちゃんに会いに行こうと決めてたから」

 く…悔しい。俺は目的を達成できず、こいつはこうも見事に達成ってか。

「でも、なーちゃんも中学でバスケやってたって聞いて、やっぱり俺たちって赤い糸で結ばれてるんだなーって思った」

 …変なヤツ。何でバスケごときで赤い糸だよ。
 もう。そんなこと言い出したら、バスケ部のヤツ全員赤い糸繋がりになっちゃうじゃん。

「どうした? なーちゃん、顔が赤いぞ」
「う、うるさいってばっ」
「変ななーちゃん」

 そう言った清文の声は笑っていて。

 …そうだ。気になっていたことはもう一つあった。

 先週、高校に入って初めての『進路調査』ってのがあって、否応なく進路ってものを考えなくちゃいけなくなったんだ。


「なあ。清文のとこってもう進路調査ってあった?」
「うち? うちは入学式の次の日に最初の調査票が配られたよ」

 げ。さすが別格の進学校は違う…。

「なあ…もしかして清文、T大志望…とかいう?」

 同じ大学に行きたいな…って漠然とは思ってたけど、もし清文の志望校がそうだったら、俺、がんばっても絶対ムリ、ついていけない。

「いや、全然」

 けれど、俺に配慮してるとかそんな風では全然なくて、清文はあっさり否定した。

「えと、じゃあ、どこ?」
「K大とか、どう?」

 へ? なんでK大? 
 や、どうって言われても、俺的にはK大もT大も無理なことには違いないし。でもさ…。

「どうしてK大なんだよ。T大だったら自宅通学できるのに」

 結構遠いけど、でも通えない距離ではない。
 交通費もかなりかかると思うけど、下宿するより絶対マシなはずだし。
 いや、俺はどのみち無理だけどさ。

「何言ってんの、なーちゃん。せっかくのなーちゃんとの楽しい大学生活をどうして自宅通学しなきゃならないんだよ」

 は、はいぃ? 意味わかんないんですけど。

「遠く離れた大学に行けば当然下宿だろ? で、両方の親には『なーちゃんと二人で一部屋シェアするから下宿代もお得』って、説得力あるだろ? それに何より『なーちゃんに変な虫がつかないように俺が監視しておきます』って言えば、なーちゃんのお母さんも安心だし。いいこと尽くめだ」

 こ…こいつ、そんなこと考えてたのかっ。

 それにしもて、変な虫ってさ…それを清文が言う?…って感じだよな…。

「どう? 楽しい二人暮らし、してみたくない?」

 う…。そりゃあ…。

「して、みたい、けど」
「だろ?」

 俺の返事に清文はそれは嬉しそうに笑うと、妙に浮かれた声で『二人の部屋は立地条件より防音優先かなー』なんて一人で計画を練っている。

『防音』ってなんだろ? まあ、学生のアパートとかマンションってきっと安普請だろうし、隣や上にやかましいヤツがいたら困るしなあ。

 いずれにしても、まだ先のことだし、その前に『受験』って難関を突破しなきゃなんない。

 K大ってのは無理としても、ま、せいぜいしっかり家庭教師をしてもらうことにしよう。

 一緒に住みたいならね……なーんて。
 


 ちなみに。

『防音優先』と言った清文の言葉の真意に俺が気付くのは、二年半後、俺たちが無事に(というか、清文の思惑通り? 俺には地獄の受験生活だったけど)京都の地で新生活を始めた初日のことだった…。




憧れのどっち側? END

2006年同人誌書き下ろし掲載
2013年7月〜9月サイト掲載


後日談:憧れのあっち側へ

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