恋・爛漫

〜秋の章〜




 うー。何だか頭が痛い…。

 変だなぁ、二日酔いになるほど飲んだ覚えはないし、昨日のおばあちゃんのトラブルだって、あんなのトラブルのうちに入らないし…。
 やっぱ疲れ溜まってっかなぁ…。

 今朝はトラブルなしに、昨日の団体さんをお迎えに行った。
 その後も順調。今、おじいちゃんおばあちゃんたちはおみやげ選びに余念がない。
 あと15分後の集合時間をクリアすれば、あとはバスに乗っけて無事お見送りだ。 



「あのー」

 は?

「あっ、はいっ!」

 昨日、水路閣で迷子になったおばあちゃんだ。    
「昨日は本当にごめんなさいね」
「いえ、そんな。とんでもないです」

 俺がそう言うとあばあちゃんはニコッと笑った。

「あの、これね、もらってもらえないかしら?」

 そう言って差し出されたのは小さな紙袋。
 いや、中身はどうあれ、お客さんからおいそれとものをもらうわけには…。

「そんな…あの、お気遣いはご無用に…」 

 俺がやんわりと断ると、おばあちゃんは寂しそうな顔をした。

「私にも、あなたくらいの孫がいるんですけどね、ずっと外国にいるもんだから、話もあんまり通じないし、何を送っても「ありがとう」って言うカードが一枚来るだけで…」

 あわわ…。そんな顔しないでくださいよぉ。

「つい、背格好が似てるものだから…ごめんなさい…やっぱりご迷惑よね…」

 …で、俺は泣き落とされたのだ。

「すみません、じゃ、遠慮なく」

 受け取って開けてみれば、中身は携帯ストラップだった。

 俺のような仕事には携帯電話は必需品。
 昨日も何度となく電話で支店や、提携先や旅館なんかとやり取りしていたのを、おばあちゃんはみていたのかもしれない。

 ストラップは京都の主な手工芸品の一つ、『組み紐』で作られたものだった。
 色は、少しブルーがかったシルバーの俺の携帯によく合う水色で、よく見ると細く金糸が入れてある。 
 平たく編んだ紐を組んで、直径1cmくらいの手まりの様なものを作り、そこから持ち手側は丸く編んだ『組み紐』を使ってしっかりとした作りにしてある。携帯に繋ぐ側は、どんなストラップとも同じで、細い紐になってる。 

 結構可愛いんだけど、男がつけててもあんまり違和感はない。
 もしかしたら『彼女からもらったもの』くらいには見えるかも…。

「素敵ですね…。ありがとうございます」

 そう言って俺はおばあちゃんの目の前でストラップをつけた。
 おばあちゃんはそりゃあ喜んでくれて、最後にバスに乗るときは思いっきり別れを惜しんでくれた。

 こんなお客さんに出会えると、ほんとに日頃の疲れも吹っ飛ぶんだよな。
 おじいちゃんおばあちゃんのお世話は、健康面とか怪我の面で結構気を遣ったりするけれど、俺自身に祖父母がもういないせいか、なんだか余計に頑張ってしまう。




 みたことのない祖父母…。
 実は俺のこの『千里』って言う名は、父方のおばあちゃんの名前なんだ。
 おばあちゃんは同じ漢字で『せんり』って名前だった。

 うちの母は、親父と結婚して8年間子供に恵まれなかった。
 だけど、そんな母を、姑であるおばあちゃんはすごく可愛がって大切にしてくれたそうだ。
 でも、おばあちゃんはある日、交通事故に巻き込まれて呆気なく死んでしまった。
 そして、その少し後に、俺が母親のお腹に居着いたらしい。

 そんなわけで、俺はおばあちゃんの生まれ変わりと思われて、産まれてくる子は「女の子」だと信じて疑わなかった両親は、同じ漢字で『ちさと』と名付けようとしたんだ。

 そしたら、出てきたのが俺。
 困った両親は、それでもおばあちゃんの名が付けたくて『千里』と書いて出生届を出し、住民票の方には「ゆきのり」って仮名を振ったんだ。

 おかげで俺は中学まで周りから『ちさとちゃん』って呼ばれてた。
 さすがに高校では、みんな『ゆきのり』って呼んでくれたけどね。





「ちさとちゃーん!」

 なのに…なぜ社会人にもなって、しかも年下の女の子に『ちさと』呼ばわりされなきゃならんのだっ!!

「あのね、淑子ちゃん。俺は『ゆきのり』なの」
「いいじゃない、そんなことどうでも」
「どうでもよくないっ」

 俺が拳を震わせて訴えているのに、このミニスカバスガイドはどこ吹く風…だ。

「そんなことより、昨日笠永くんと話できた?」

 あ?

「あ、うん。結構遅くまで飲んで、いろんな話したよ」

 俺がそう言うと、淑子ちゃんは嬉しそうにぴょんと跳ねた。

「よかったー」

 そっか、やっぱり淑子ちゃんって笠永くんの彼女なのかもな。

「かっこいいよね、彼」

 俺がそう言うと、淑子ちゃんは『でしょー』と相づちを打った。

「お似合いじゃない」

 もう一言ヨイショを言うと…淑子ちゃんはちょっと怪訝そうな顔をした。なんでだろ?    



 そんなこんなで毎日が過ぎ、それから2週間ほどの間に俺は、仕事中に何度となく、観光客をガイドしている笠永くんを見かけたりしたんだけど、お互い忙しくて遠くから会釈を交わす程度のことしか出来なかった。

 彼らもいつも同じ場所にいるわけでなく、ローテーションであちこちの寺院をまわっているし、俺はもちろん、その日のツアーの中身によって行き先は全然違うから、チラッとでも会える方が不思議ではあったんだけど。




 そしてある日の夕方、俺は彼と鉢合わせをした。
 場所は初めて会った南禅寺だ。

 俺はその前日から添乗していた団体を、南禅寺から直接帰路に送り出し、支店からも直帰していいと言われていたときだった。

「ちさとさん」
 笠永くんは、嬉しげに声をかけてきた。

「笠永くん…」
「直帰でしょ?」

 なぜ知ってる?

「そうだけど…」
「ちょっとデートしましょう」

 は?俺が?君と?

「やだな、そんな顔しないでくださいよ」
「変なヤツだな、君って」

 俺がそう言うと、笠永くんは首をちょっと竦めた。

「そうかなぁ?」

 ふふっ、と笑うと、笠永くんは俺の肩を抱いてきた。

「あのね、男の肩抱いて何が楽しい?」
「楽しいですよ、ちさとさんだから」
「ちさと、言うなって」
「…じゃ、ちさとさんが僕のこと『ゆきのり』って呼んでくれたら、やめます」

 …それは、勘弁して欲しい…。

 ジッと上目遣いに見上げた俺を、笠永くんは目を見開いて見おろしてきた。

「…あの…」
「なに?」
「いえ、何でもありません」

 はきはきしている印象の笠永くんにしては、それは似合わない態度だった。

 それからなんだかんだと丸め込まれて、俺は2週間ほど前のあの店へ、また連れ込まれた。

 でも、店の子たちも、なぜか俺のことを覚えていてくれて、結構楽しい時間が過ぎた。

 そして、お互いにちょっと気分が高揚してきたところで…。

「ちさとさん…そのストラップ、この前つけてませんでしたよね」

 へ?よく見てるな〜。

「うん、もらったんだ〜。可愛いだろ?」

 俺が上機嫌で、ストラップを『ほれほれ』と笠永くんの目の前で振り回すと、彼はムッとしてプイッっと顔を背けた。

 なんだよ〜。

「誰からもらったんですか」

 顔背けたまま、そんなこと聞くかよ、普通。

 別に正直言ってもよかったんだけど、何だか釈然としない笠永くんの態度に、俺はちょっと悪戯心を起こしてしまった。

「彼女に決まってんじゃん。か・の・じょ」

 すると、彼はあからさまに嫌悪の表情を見せた。

「彼女いるって聞いてませんけど」

 何だよ、そのいい方、その態度。
 誰が何言ったか知らないけど、俺に彼女がいちゃいけないのかよっ。

「誰がそんなこと言ったんだよ」

 俺もぶすくれた態度で応える。

「…淑子ちゃんがそう言って…」 

 最後は消え入るそうな語尾で…。


 そうだ、こいつは淑子ちゃんと付きあってんだ。
 なのに、何で俺に彼女がいちゃいけないんだよっ。

「あのな、自分だって可愛い彼女がいるクセに、俺にどうしてそう言うことゆーわけ?」
「彼女…?誰にですか」
「君にだよ…き・み」
「ゆきのりって呼んで下さい」
「やだね」

 即答してやると、彼はグッと唇を噛んだ。

「言っておきますけど、僕には彼女なんていませんからっ」

 そう言っていきなり立ち上がると、さっさと店を出ていってしまった。
 しかも、俺の分までぜ〜んぶ支払って。
 くっそー、社会人に恥かかすなよっ!   





 翌日、どう言うわけだか、また会った。
 もちろん、彼、笠永行範にだ。

 場所は南禅寺から西南へ1キロほどのところにある、大寺院『知恩院』。

 目があったんだけど、彼はスッとその視線を逸らした。

 な…なんだってんだっ!俺が何したって言うんだよっ。
 怒りに燃えていると、後ろから俺のスーツを引っ張る手が…。

「ちさとちゃ〜ん」
「ちさと、言うなっ!」

 淑子ちゃんに当たってもしようがないんだけど、これが当たらずにいられるかってんだ。

「あのな、淑子ちゃん、彼氏の躾くらいちゃんとしとけよな」

 そう言うと、淑子ちゃんは目を丸くした。

「あ〜、やっぱりぃ…」

 何がやっぱりだ。

「あのね、ちさとちゃん。それ誤解だってば」

 なに?

「誤解ってどういうこと」

 淑子ちゃんはバスガイドの必需品、『三角手旗』をひらひらさせて、口を尖らせた。

「わたし、笠永くんとつき合ってなんかいないよ」

 へ?そうなの?

「な、なんだ。仲良さそうだったし、俺との橋渡しするくらいだからてっきり…」
「うーん、仲が良いのも事実だし、橋渡しを頼まれたのも事実だけどね…」

 そう言いながら淑子ちゃんは境内の小石をコンッとけっ飛ばした。

「ね、ちさとちゃんって、彼女いたんだ…」

 俯いたまま言う。
 何で俺の話になるんだよ。

「もう、なんだよ。淑子ちゃんと言い、笠永くんと言い…。残念ながら俺、彼女なんかいないよっ。思いっきり独り身、これでもかってくらいフリー!地元に置いてきたってこともナシ!」

 あー、もう、なんでこんな情けないこと力説しなきゃいけないんだよ。

「これで満足した?そんなに俺に彼女がいるってこと、気にくわないのかなぁ…」
「ホントっ?」

 …淑子ちゃんはどうやら俺の言葉の後半は聞いてないようだ。

「じゃ、このストラップは?」

 淑子ちゃんは俺が手にしていた携帯をひょいと取り上げた。

 どーしてストラップの話知ってんだよっ。

「これはねっ、お客さんにもらったのっ。ほら、水路閣で迷子になったおばあちゃん!」

 携帯を奪い返しながらそう怒鳴る。

 淑子ちゃんは一瞬キョトンとしたけど、すぐにぎゃあぎゃあ笑い出した。

「な…なんだ…そうだったんだ。あははははははははっ」

 いつまで笑ってんだ、こいつ。

「そんなことよりっ、そろそろ集合時間だろっ」

 俺は腕時計を淑子ちゃんに突きつける。

「あ、は〜い。でもね、1分だけちょうだい」

 そう言って彼女は駈けだした。
 駈けだした先には…笠永くんがジッとこっちを見て立っていた。







「ちさとさん…」
「わーーーーーーーーーーーっ!」

 支店の通用口。
 一日の仕事を終えて帰ろうとしていた俺は、いきなり背後の暗がりから声をかけられて、思いっきりビビッた。

「な、なんだよ、おどかすなよ…」

 めっちゃ息が上がってる。ああ、もう、心臓止まるかと思った…。

「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんですが」 

 暗がりから現れたのは、光が当たってなくても自力で光れそうな男前、笠永行範だ。

「昨日のこと、謝ろうと思って…」

 謝るって…。

「そ、そんなたいしたこと何もないよ…。別に俺、怒ってないし」

 ま、昨日はちょっと腹も立ったけど、別にどってことないし。

「ホントに…?」

 ああ、もう、なんでそんな弱気な声出すかな。

「ホントだってば」
「でも、ちさとさん、僕のこと『ゆきのり』って呼んでくれないし…」

 何でその話になるわけ?

「あのさ、どしてそう言うことにこだわるんだ?別にいいじゃんか、『笠永くん』で」
「僕のこと嫌いですか?」

 …おいっ、マジな顔をして何を聞く。

「嫌いなわけないじゃんか」

 それどころか結構気になってるってば。

「じゃ、『ゆきのり』って呼んで下さい」

 それは…。

「やだ」
「どうして?!」
「どうしても!」

 って、俺が叫んだとたんに…。

「ちさとっ」

 …?れ?れれ?れれれ?

 俺って今、笠永くんの腕の中にいちゃったりするわけ…?

「かさ…」

 声がくぐもったまま、彼の胸に吸い込まれていく。

 俺は…このシチュエーションをどう理解すればいいんだ…。

「ごめんなさい…」

 俺がこの異常事態の対応に苦慮しているうちに、笠永くんはいつの間にか力を緩めて、おれを解放してくれた。

「あ…あのさ、笠永くん…何かあった?」

 どう考えてもおかしい。
 きっと何か悩みを抱えているに違いないと踏んだ俺は、もう一度訊ねてみた。

「何かあったんなら…俺でよかったら話してみないか?」

 そう言うと、彼はチラッと顔をあげた。

「…いいんですか?」
「うん…。俺でよければ…だけど」

 実はこの点では自信があった。だって、通用口で俺を待っててくれたぐらいなんだから。

「たださぁ、俺、今夜飲みに行くのちょっとキツイんだ」

 正直にそう言うと、彼は『え?』と言う表情を見せた。

「具合、悪いんですか?」

 そんなに心配そうにしてくれなくってもいいってば。

「ううん、そんな大層なもんじゃないよ。ちょっと疲れが溜まってんのかも…ってぐらいかな」
「じゃ、早く帰って休まないと」

「そうだ」
 俺は思いつきを簡単に口にした。

「狭いけど、うちに来る?」

 何の気なしに口にした提案だけど、これってちょうどいいかもしれない。相談事なら、人のいないところの方がいいだろうし。

「あ…」

 ん?…なんで俯くわけ?

「でも、ちさとさん、具合が…」
「だからそれはいいってば。俺だってうちならゆっくり出来るし、帰る心配もいらないし」

 そう言うと、笠永くんは心なしか表情を緩めて、ほんの少し、笑ったようにも見えた。





「さ、どうぞ」

 よく考えてみれば、彼がここへ来るのは2度目だ。
 最初の時は、いいって言ってるのに送られて、いつの間にか彼はいなくなっていたんだ。

 もっとも俺の目が覚めたときはもう、朝だったけどね。

 6畳相当のフローリング一部屋っていう小さな俺の城は、長身の笠永くんが入ってくるとグッと狭くなる。

「ごめん、その辺に適当に座って」

 いいながら、俺はグラスを出す。
 帰り道のコンビニで、ビールや何かを買って来たんだ。

「すみません、お手数おかけして」

 彼も、いいながら買ってきたものを小さなテーブルに並べている。

 そういえば、ホント、笠永くんって礼儀正しいよな。
 ま、学生ガイドの子たちはだいたいそうなんだけど、彼は特別言葉遣いも綺麗だし…あ、そうか、声も綺麗なんだ…。だから余計に…。

「笠永くんっていい声してるよな」

 何の気なしに俺が言うと、彼はなぜか顔をほんのりと紅くした。

「ちさとさんの方がいい声ですよ」

 へ?俺?

「俺、そんなこと言われたことないよ」

 今まで声なんか誉められたことないし。

「僕、ちさとさんの声、好きです」
「あ…ありがと…」

 力説されてしまい、こっちも照れくさくなる。
 そっか、男が男に誉められたって、照れくさいだけだよな。
 彼がほんのりと紅くなってもしょうがないな。

「でさ」

 ちょっと気まずくなったので、俺は慌てて話題を振った。

「どうしたんだ?笠永くんは」

 缶ビールのプルトップを開け、彼のグラスにビールを入れようとする。

 すると…。

 俺は、グラスを持つ彼の手が、微妙に震えていることに気づいた。 

 思わず顔をあげ、目を見てしまう。

 すると、ぶつかったのは、思っていた以上に真剣な眼差し…。

 そのまま、数十秒…ううん、たった数秒だったのかもしれないけど、俺は目を離せないまま固まっていた。

 息をするのも忘れていたんだろうか。

 彼がスッと視線を外すと、俺の身体に、急に新鮮な空気が流れ込んできた。

 どうやら完全に息を止めていたらしい…。
 年下の視線に飲み込まれるなんて、格好悪いよな。

「ごめんなさい…。何でもないんです」

 何でもないことはないだろー!

「…何だよ。俺じゃ頼りになんないか?」

 思わず不機嫌な声が出てしまう。

「違いますっ!そうじゃありません!」

 慌てて訂正をはさむ彼。
 またしても見つめ合う俺たち。

 いったいどういうシチュエーションなんだ、これは。

 笠永くんは、一度キュッと唇を噛みしめると絞り出すように言った。

「…いじめないで下さい」

 は?はぁぁぁぁぁぁ?

「何で?いつ俺が君のこといじめ…」

 そこまで言って俺はハタと気がついた。
 もしかして、彼の悩みとは…。


 そうか、そうだったのか。
 ここまで来れば、いくら鈍い俺だって気づく。

 断言しよう!彼の悩みは『恋の悩み』だっ。


「笠永くん…恋…してるんだ」

 口に出すと、彼はちょっとばつの悪そうな顔を見せた。
 ふふふ、図星ってヤツだ。ビンゴとも言うな。

「ごめん、俺鈍いから気づかなかったよ」

 そう言うと彼はパッと顔を輝かせた。
 うんうん、可愛いヤツ。

「で、いつから?」

 なるべく優しく聞いてあげなくちゃな。こう言うのはデリケートな問題だからな。

「3ヶ月…前です」

 俺が京都にやって来た頃か。

「俺、笠永くんはてっきり淑子ちゃんとつき合ってるものだとばっかり思ってたよ」
「違いますっ、それは…彼女にもずいぶん世話になりましたけど」

 あ、やっぱりいろいろと相談してたんだな。

「そうだと思った。彼女からいろいろ情報集めたりしたんだな」

 彼は素直にコクンと頷いた。
 大人びた綺麗な顔の彼が、ちょっと幼く見えて可愛らしい。

「知りたかったんです。何でもいいから。だから、名前も出身も聞き出しました。それに勤務シフトを教えてもらったりもしました。今日はどの団体に添乗して何処へ行くとか…」

 やっぱり俺の…。

「だから僕のシフトもそれにあわせて、なるべく会えるようにって」

 会社の…。

「…こんな気持ち、受け入れてもらえますか?」
「え?!まだ告白してないの?!」
 
 ちょっと妬けるよなー、こんないい男に惚れてもらえるなんて。
 いったいどの子だろう?絶対うちの会社の子に決まってるし。
 俺に近づいて来たってことは…。

 もしかして同期の華子ちゃんか?それとも聡美ちゃん…。

 俺が上げたその声に驚いたのか、彼は目をまん丸にした。

「ちさとさん…な…なに言って…」
「さっさと告白しなよ。君みたいないい男に告白されてなびかない子なんて絶対いないって」

 彼のまん丸目玉はしばらく見開かれたまんまだったけど、やがて、ビールを一息に流し込むと、気持ちよさそうに大笑いを始めた。

「あははっ、あーもうっ、ちさとさんって可愛いっ」

 そう言いながら俺に、がばちょと抱きついてくる。

「あ、こらっ、なにすんだよっ。重いってば」
「ちさとさん、可愛すぎー」

 こらっ、ビール一杯で酔うんじゃないっ。

「ちさと、ちさとってなぁっ」

 俺がのしかかってくる彼の身体を押しのけようとしているのに、彼はかまわず体重をかけてくる。

「ちさとちゃ〜ん」
「ちさと、言うなっ」
「僕のこと、行範って呼んでくれたら、ちさとちゃんの呼び方も変えてあげる」

 なにおう〜。なんで俺がお前のこと、『ゆきのり』だなんて呼ばなきゃいけないんだよっ。

「絶対ヤダ」
「どうしても?」
「どうしてもだっ」

 そう言うと、彼は急にシュンとした顔になった。
 雨に打たれた子犬みたいだ。

「だからさぁ、な、なんでそんなことにこだわるんだよ」

 そうだ、俺が『ちさと』って呼ばれることの方が、よっぽど重大かつ可哀相な話なのに。

「そんなに僕のこと嫌いですか…」

 だーかーらー。

「どうしてそう言う話になるんだよ」

 話が振り出しに戻っちまったじゃないか。

「も、いいです」

 言うなり彼は立ち上がり、『ごちそうさまでした』と言って、出ていってしまった…。

 わけわからん…。



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