恋・爛漫
〜冬の章〜
1
「千里さんはお砂糖二つでしたよね」 上機嫌で行利がシュガーポットに手を伸ばす。 「あ、ちょっと…」 俺が少し声を出すと、いきなり隣から笠永くんが偉そうな態度で口を挟んだ。 「ふっ…、行利、情報が遅いぞ。最近ちさとさんの好みは砂糖抜き・ミルクのみ…だ」 それはそうなんだけど…。 俺はちらっと行利を伺う。 「え?ホントなの?千里さん!」 「あ、うん、まあ…」 いい年して砂糖入りもないだろうと思って、最近俺はコーヒーに砂糖を入れるのをやめた。 …って、会社では言ってるんだけど、本当のところのきっかけは、笠永くんのうちでご馳走になる美味しいコーヒーなんだ。 彼やお母さんが丁寧に淹れてくれるコーヒーは何も入れなくても美味くて、ミルクすらいらなかったんだけど、笠永くんはミルク好きの俺のために、わざわざミルクの合う豆を買ってきて俺専用に置いてくれている。 おかげで俺は、コーヒーの本当の旨さに目覚めたってわけだ。 「砂糖が入ってないと、豆の本当の香りがするって感じがするんだ」 そう行利に説明はするものの、彼の前に置かれているのはティーポット。 いくらガタイがいいとはいえ、まだ中学生の行利は甘ったるい缶コーヒー以外のコーヒーは苦手なようだ。 「そうそう、お子さまにはわからない世界だ」 正面切って煽るのはもちろん笠永くんだ。 そして売り言葉に買い言葉。簡単に煽られてくれるのは行利だ。 「悪かったね、行範兄ちゃん」 「悪くないさ、本当のことだ」 もう〜、この二人はいつもこうだ。 それなら一緒に行動しなきゃいいのに、なぜか絶対にコンビで俺の前に現れるんだ。 2月の京都は1年で最も寒さ厳しい季節。 俺は毎日、耳がちぎられそうな寒風の中を、西へ東へ、北へ南へと市内を添乗しているんだけど、さすがに人が過ごしにくい季節は観光的にもオフの日々。 最近の俺は休日もきちんと取れて身体も楽だ。 だから今日もこうしてぶらぶらと東山にある『国立近代美術館』までやってきた。 ここの辺り一帯は『岡崎公園』と呼ばれていて、正面にはドンと『平安神宮』が鎮座している。 そして神宮の両側に、俺が今いる『国立近代美術館』と『京都市美術館』が建っている。 もちろんこの辺りは観光名所だから、俺も3日と空けずに来るわけだけど、残念ながら美術館の類には入場しない。 お客さんを入館させたらすぐに次の手配なんかにかかるときもあるし、時間があるときでも、のんびりと見てはいられないから。 それに、俺は大学時代の専攻の関係で、こういうのを見るとつい時間を忘れちゃうしな。 だからたいがいは集合時間までバスにいるとか、走り回ってるとかしてる。 永観堂みたいに、お客さん待ちをしながらお茶できるところなんてほとんどないからなぁ。 だから…。 だから俺は、せめてオフの日くらい、ゆっくりと美術品を愛でて、コーヒータイムを楽しみたいってんだっ! なのに目の前の二人組みはちゃっかりついてきて、俺の前でまたしても睨み合いを繰り広げているんだ…。 「だいたい、どうしてお前がちさとさんのオフにくっついて回るんだ」 「そういう行範兄ちゃんこそっ。どこへでもくっついて来てっ」 「僕はいいんだっ」 「何でだよっ」 「…やかましい」 ボソッと一声かけると、二人は黙った。 こう言うところは素直でいいんだけどな。 「…ほら、行範兄ちゃんがいらないこと言うから、千里さん怒っちゃったじゃないか」 「な…お前が悪いんだろっ」 「どうして僕っ」 「…いい加減にしろ」 今度こそ二人は、雨に打たれた子犬のようにシュンとなった。 ったく、どうしてこう…。 呆れついでのため息をもらし、俺は二人を交互に見る。 すると二人は、俺のご機嫌を伺うように、チラチラと目線を送っていて…。 去年の秋に二人と出会って以来、俺の生活は一変した。 それまで平凡に生きてきた23年が嘘のようにひっくり返ったんだ。 そう、この二人から『好きだ』と告白されて…。 正直、そう言う感情が俺にはいまいち理解できなかった。 だって、俺も笠永くんも行利も…男だ。 男3人の三角関係なんて、そんなゾッとするような話、俺にとってまったく範疇外の出来事だったから。 けど…。 居心地がいいのは確かだ。 親元を離れ、一人この遠い京都へやって来て、職場の仲間とはいい関係で楽しく仕事してるけど、きっとそれだけじゃあここまで充実した気持ちになれたかどうか、正直いうと疑わしい。 毎日がすごく充実してるのは、本当のところ、彼らのおかげかも知れないのだから…。 ただ、こんな風に俺の取り合いをされても困る。 どちらかを選べばすむことだと、笠永くんは言うけれど、そんな簡単な問題じゃないだろ? どちらかを選んだとして、その後どうなる? どうにもならないじゃんか。 一人は将来有望な理学部生。 もう一人も将来が楽しみな優秀な中坊。 そして俺は、いずれ本社へ帰る身の会社員。 今だけが楽しめればいいって考え、俺には生憎とできないんだ…。 考えが古いといわれればそれまでなんだけど、俺はどうしても『ずっと』を求めてしまう。 『人を想い、想われる』 俺は、そのことに、『未来永劫』っていう理想を重ねてしまうんだ。 けれど、彼らはいずれ、こんな麻疹のような恋から目を覚ますはず。 それで失ってしまう関係なら、結ばない方がいいんだ。 だから……だから、せめて仲の良い友達のままでいたい…。 このままの関係を大切にしたい。 それならきっと、遠く離れる時が来ても、『失わず』にいられるだろうから。 近代美術館のテラスに明るい陽が射し込む。 外は寒風が吹いているようだけど、大きな硝子越しのこのティールームは暖かい日だけを呼び込んでくれて、すごく気持ちがいい。 このティールームは琵琶湖疎水に面していて、春ともなれば桜も楽しめる絶好のデートスポットなんだ。 今は、花も何もないけれど、その代わりに柔らかい日差しがポカポカしてて…。 やば、眠くなってきた…。 静かになった俺たちのテーブル。 俺は気持ちがいいんだけど…。 「あ、ちさとさん、寝ちゃダメだってば」 うん、わかってるけど…。 「今夜、うちへ寄って下さい。母がちさとさんの好きなもの用意して待ってますから」 ん?ホント? 現金にも目をパチッと開ける俺。 笠永くんのお母さん(行利のお母さんは妹さんだそうだ)はすごく料理がうまい。 しかも…美人だ。 失礼だと思って歳を聞いたことはないんだけど、笠永くんが20歳だから、きっとまだ40を出たところくらい…だろう。 もっとも見た目はまだそれより若いんだけど。 「いつも悪いなぁ、お母さんにもお世話になって」 口ではそう言う俺だが、心はもう、美人のお母さんと美味しい料理に飛んでいる。 「千里さん、ご飯すんだらゲームやろう。新しいの買ったんだ」 「え?何買ったんだ?」 笠永家に居候している行利の誘いに、俺が目を輝かせると、笠永くんが待たしても冷たい口調で言い放った。 「行利、お前テスト前だろう。食事がすんだら、勉強だ!」 「えー!横暴!」 「うるさい。いい高校へ入って、僕より偏差値の高いところを目指すんじゃなかったのか?」 「う…」 行利が言葉に詰まる。 テスト前か…。それならちょっとゲームやってる場合じゃないよな。 あ、でも…。 「笠永くんは?大学だって後期試験中だろう?」 彼は3年生。 とても優秀だという噂は聞いているけれど、それでも試験は試験、レポートはレポート。 俺だって、文系だったけど、4年間の大学生活を真面目に全うしたんだからな。 「…え」 笠永くんまで言葉に詰まる。 してやったりの笑顔は行利だ。 「とにかく、せっかくのお誘いだしお邪魔するよ。けど、二人ともその後はちゃんと勉強しろよ」 「…はぁい…」 二人揃って、耳が垂れた様子の返事が可笑しい。 「じゃ、行くか?」 俺が立ち上がると、二人もすぐに立ち上がる。 そして始まるのはいつもの…。 「寄こせっ、僕が払う」 「いやだ、今日こそ僕が払うっ」 「お前なぁ、中坊のクセに生意気いってるんじゃないっ」 「行範兄ちゃんこそ、ガイドのバイトなんて雀の涙のクセしてっ」 「お生憎だな、ガイドはバイトじゃなくてボランティアだ」 「それなら余計に…」 いつもこうだ。 ここにいる立派な会社員…唯一自活している人間をさしおいて、この二人は壮絶な伝票争奪戦を始める。 ったく、俺の立場はどうなるってんだよ。 俺は、二人を置いて、レジへ向かう。 「あ、すみませんが、あそこで伝票の取り合いやってるんで」 そう声をかけると、喫茶室のお姉さんはにこっと笑って心得たという顔をしてくれた。 「ホット二つとダージリンでしたね」 「はい、そうです」 俺はポケットから財布をとりだし、2000円札を出す。 俺がお釣りをもらう頃になっても、密かにお姉さんに笑われていることも知らずにまだ二人はやっている。 ったく、恥ずかしいヤツらだ。 俺は、コートを羽織り、マフラーをしっかりと巻く。 そうでもしないと…きっと、自動ドアが開いた途端に、とんでもない寒さが…。 …ひ、ひえ〜…寒いっ。 思わず首を竦めたとき、後ろから声が追ってきた。 「ちさとさんっ」 いいたいことはわかってるから俺は先手を打つ。 「いいから、ほら、早くいこ。風邪ひいちゃうよ」 そう言うと、二人は嬉しそうに俺の両側に立って、ひっついてくる。 正直いって、ものすご〜く恥ずかしい状況だ。 でも……温かい…。 でも…。 両側から俺の肩に手が回り、そして…。 「なんでお前がちさとさんの肩抱くんだよっ」 「行範兄ちゃんこそ、やめろよっ」 …また始まった…。 「もう、いい加減に…」 俺が『呆れ』を通り越した声でいったとき、遠くから梵鐘の音が響いてきた。 あまり聞いたことのない、少し高めで、繊細な音…。 これはもしかして…。 「紫雲院の鐘…」 僕が歩みを止めて鐘の音に聞き入ったことに気がついたのか、ポツッと笠永くんがいった。 さすが、学生ガイド協会の副理事長だ。 この音を当てられる人間は少ない。 「珍しいですね、ここまで聞こえてくるなんて」 「うん、風に乗ってきたのかな」 俺は消えていこうとする、その微かな音色に耳を傾けた。 『紫雲院』それは今最も俺の頭を悩ませている寺なんだ…。 『紫雲院』は寺院の町、京都の中でも異端な存在だ。 なにしろ本山や末寺を持たない。 希有なことに、『孤高の寺』なんだ。 その出自は古く、どういう成り立ちで今、寺が存在するのかは研究者の間でも常に議論されているものの、決め手がない。 なぜなら…『紫雲院』が誰にも公開していない『非公開寺院』であるからなんだ。 恐らく紫雲院の内部にはそう言う類の古文書はあるんだろうが、誰にも見せてくれない以上、すべてが推察の域を出ない。 規模は決して大きくなく…というよりか、京都の寺院としては規模の方も破格に小さい。 だけど、中身はすごいんだって話しなんだ。 庭も一応『枯山水』の様式ではあるものの、だからといってどこの時代の様式と特定されるわけでなく、独自の様式をもっているらしいし、更に驚くことには、この寺院には本堂も伽藍もない。 そして…檀家もないのだそうだ。 つまり、『隠れ寺』。 その昔、高貴な人をかくまうために建立され、そしてそのまま、その『高貴な人』と共に歴史に埋もれた寺…。 紫雲院はそう言う寺だというのが現在の定説になっている。 そしてその紫雲院を守る一族は、未だに頑なに外部からの侵入を拒んでいるというわけだ。 で、どうしてそんな寺院が俺の頭を悩ませているかというと…。 『業務命令』だ。 紫雲院はその神秘性から、学者はもちろん、一般の人たちからも関心を集めている。 特に『高貴な人の隠れ寺』なんてくだりは浪漫溢れる格好の観光材料だからな。 だが、紫雲院は公開に応じない。 旅行業界最大手が10年かけて説得していたらしいのだが、先日ついに諦めてプロジェクトそのものが解散したらしい。 そうそう、ちょっと信じがたい話だけど、『非公開寺院の門を開けるためには、その門と同じ高さの札束が必要』なんて話しもまことしやかに囁かれている。 幸い紫雲院の門は小さくて…って、そんなことどうでもいいんだ。 ともかく、紫雲院にはその手が通用しなかったのだ。 ならば次はと『色仕掛け』 ところが、祇園の綺麗どころを総動員しての接待にも、紫雲院の住職は姿も見せなかったらしい。 結局、紫雲院は未だに固くその門を閉ざしている。 その門を今、こじ開けようとしているのが俺の勤めるJOTツアーというわけで…。 しかも、何故か俺が、その担当になったってわけだ…。 もちろん俺は、紫雲院の門が開けばいいと思っている。 当然会社としての利益は見込めるし、社会的にも有意義なことだとは思うんだけど、俺の想いはもう少し違うところにあった。 俺は大学の美学専攻を卒業している。 専門は西洋美術史なんだけど、もちろん東洋美術にも興味がある。 そしてそんな俺の中に、未だに印象深く焼き付いている一枚の写真。 尊敬する教授に『ナイショだよ』といってそっと見せてもらったもの。 それが『紫雲院の庭』だったんだ。 四角に切り取られた印画紙の中には、手が入りすぎるほどでもなく、程良く整えられた『枯山水』。 そしてその向こうには小さな四阿(あずまや)。 ふと、そこに『高貴な人』の影が見えたような気がするほど、その空間はひっそりと、時を止めたまま佇んでいるように思えたんだ。 だから俺は、俺自身の想いとして、何としてでも紫雲院の庭をこの目で見たい。 あの空間に入ってみたい。 そこで息をしてみたい。 けれど…。 業界最大手が10年かけても開かなかった門を、どうやって俺に開けられるっていうんだよ〜。 「ちさとさん?」 考えに耽ってしまっていた俺を、笠永くんの優しい声が引き戻す。 「あ、ああ、ごめん」 「どうしたんですか?」 「ん…。なあ、笠永くんって『紫雲院』のこと、何か知ってる?」 実は笠永くんの家と、紫雲院はほど近い。 間にかなり大きな竹林があるし、道も違うから見ることはできないのだけれど。 「紫雲院…ですか?何かあったんですか?」 う〜ん、あったかといわれても困る。これはまだ業務上の秘密だから、たとえ友達にも教えられなくて…。 「や、何かあったってことじゃないんだけど」 「先日、10年アタックし続けてきた旅行会社がついに諦めて撤退した…って噂は耳にしましたけど」 ああ、それってやっぱり有名な話なのか。 って、ぐだぐだ言ってる間に俺たちは笠永家に帰ってきた。 美人のお母さんの顔を見て、キッチンから流れるいい匂いを嗅ぐと、俺の思考はもう完全に『紫雲院』をすっ飛ばしてしまった。 我ながら、お気楽な性格してるよ、まったく…。 |
2へつづく |
今さらですが、この物語はフィクションです(笑) |