恋・爛漫

〜冬の章〜





「え?それホント?」
「うん、ホント。私だって、変だなと思って何回も確かめたも〜ん」

 知恩院の駐車場の片隅でとっつかまえたバスガイドの淑子ちゃんは、三角旗をヒラヒラさせながら、僕、笠永行範にそう言った。

 やっぱりおかしい、絶対におかしい。

 何がおかしいかって、ここしばらくのちさとさんの様子だ。
 春の観光シーズンの準備で忙しいらしんだけど、それにしても変なんだ。

 電話をしても上の空、メールをしてもなんだかよくわからない返事。
 そう、一言で言うなら、なんだか浮かれてるって感じなんだ。

 しかも、ここのところ添乗してない。
 だから淑子ちゃんに頼んで、ちさとさんの今後のシフトがどうなっているのか確かめてもらったんだ。

 そしたらこの答え。

『ちさとちゃん、しばらく添乗ないみたい〜。当分内勤だって〜』

 しかも、だからといって社内にいるわけじゃなく、ずっと外回りのようなんだ…。

 そうなると、僕もさっぱりガイドの方に熱が入らなくなってしまう。
 どこへいってもちさとさんの姿がないなんて。

 いったい、何があったっていうんだ…ちさとさん…。

「なんだかね、ちらっと聞いた話では、ちさとちゃんってば、大きな企画を任されてるらしくて、そっちにかかりっきりだって」

「大きな企画?」

 そんなこと一言も聞いていない。

 今までのちさとさんは、結構仕事の話をしてくれた。
 もちろんそれは、旅行会社の社員と観光ガイドと言う接点がもたらしてくれていたのものではあるのだけれど…。

 僕に何も言わなかったということは、今回の企画とやらは、きっと『社外秘』事項だったんだろう。

 それならそれで仕方がないとは思うんだけど…。



「でさぁ」

 考え込んでしまった僕に、淑子ちゃんがちょっと口を尖らせて続ける。

「JOTの人に聞いたんだけど、ちさとちゃんって元々本社採用じゃない? しかも、本人は企画をやりたいって希望があるから、今回のことで成績あげたら、春の移動でいきなり本社の企画課行きかも…って」

 尖らせた口をそのままに、淑子ちゃんはひょいっと肩を竦めたんだけど…。

「な…なんだって?」

 僕はその言葉に、いきなり後頭部を殴られたような衝撃を受けた。 

 ちさとさんが、東京へ行ってしまう…?
 そんな…。

「ところで、笠永くんってば、最近ちさとちゃんとはどうなのよ?」

 衝撃を与えてくれた本人は、脳天気にもニマニマ笑いながら僕の脇腹をつついてくる。

「どうもこうもないよ」
「なによぉ、それって」
「だからぜんっぜん、会えないんだってばっ」

 つい苛々と声を荒げてしまった僕に、淑子ちゃんは『おー、こわ』と首を竦める。
 その時、僕らの後ろから元気な声がかかった。

「おう!笠永!淑子ちゃん!」

 覚えのある声に振り返ると、そこには人力車が止まっていて…。

「なんだ、川上か…」
「なんだとはなんだ。失礼なやつめ」

 ここ、東山界隈の観光地にはなぜか人力車が走っている。
 ちゃんと商売でやっている『人力車稼業』があって、活きのいい体力自慢の学生バイトが車を引いているんだ。

 彼らは話も面白いし、ちゃんとガイドもしてくれて、おまけに値段交渉にも応じてくれるものだから、特に若い女性観光客には人気があるんだ。

「川上、お前、3日ほど前に若い子二人乗せて走ってただろう?」

 こいつは僕と同い歳。学校は違うんだけど、こうして同じところで観光に携わることをしているおかげで知り合い、けっこう親しくしている仲間だ。

「ああ、広島から来たって子だろ?なかなか可愛い子だったよな。…なんだ?お前まさか目を付けたとか?」

「なんでそう言う話しになるんだ。そうじゃなくて、あの時お前、高台寺の創建は1603年って言っただろう?」

「んあ?言ったっけ?」

「言った!高台寺の創建は1605年だ!」

 八つ当たりとわかっていながら、僕が苛々を止められずに言うと…。

「おい、淑子ちゃん、こいつなんかあったのか?」
「あのね、ちさとちゃんに会えないの」

 こらっ、こそこそと何の話だっ!

「ふ〜ん、ちさとちゃんね。…いい情報持ってたんだけど、笠永くんはご機嫌斜めのようだから、俺はこれで失礼するとしよう」 

 川上はそう言ってそそくさと車を引いて行こうとする。

「ちょっと待てよっ、いい情報ってなんだ?」 

 グッと首根っこを掴むと、川上はニヤッと笑った。

「ついさっき、そのちさとちゃんを見かけたんだけど…」

「どこで!」

「ん〜?添乗中かなって思って声かけたんだけど、そうじゃないんだって、なんだかやけに嬉しそうだったなぁ」

 わざとはぐらかす川上に、僕はつい、首を掴んだ手に力を入れてしまう。   

「だからどこで!」
「いやん、笠永くんったら、乱暴なんだからぁ」

 げ〜。気持ち悪い…。

「いいからさっさと…っ」

「川上くん〜、さっさと言った方がいいよ〜。笠永くんキレてっから〜」

 よこから淑子ちゃんがチャチャを入れると、川上はあっさりと言った。

「山門の前」

 僕はその言葉の最後ですでに走り出していた。

 後ろから淑子ちゃんの脳天気な声が『がんばってね〜』って追いかけてきて…。




「ちさとさんっ!」

 いた!ちさとさんだ!

 いつもの添乗の時にはない、重そうなアタッシュケースを持って、ちさとさんは山門前の道を、東山通りへ向かっていた。

 大声で呼ばれて、ちさとさんはピタッと足を止め、キョトンとした顔で振り向く。

「あれぇ?笠永くん」

 どうしたの?とでも言いたげな顔に、ちょっと、いや、かなり僕は理不尽な不満を募らせる。

 追いついた僕は、少し乱暴にちさとさんの腕を掴んで…。

「ちょっとつき合って下さい!」
「へ?」

 へ?じゃないんだって。

「時間あるでしょ?お茶くらいつき合って下さい!」

 この際時間があろうがなかろうが知ったことじゃない。
 僕は返事を待たずに、ちさとさんの腕を掴んだまま歩き出す。

 ちさとさんは最初のうちは「なんだよ」とか「どうしたんだよ」とか騒いでいたんだけれど、僕が『随分長いこと、ゆっくり話しもしてませんよね』と言うと、ちょっと目を泳がせてから、静かになった。 




「随分忙しそうですね」

 連れ込んだ店はちさとさんのお気に入り。
 もともと飴屋なんだけど、奥の茶房が京都らしいメニューで人気を呼んでいるところだ。

「うん。忙しかったんだ」

 ちさとさんは少し上目遣いに僕を見上げ、お気に入りの『黒糖ミルク』をすすっている。

 どうやら、僕をないがしろにしていたという自覚はあるようだ。

「過去形…ということはもう山は越えたんですか?」
「まあね。でも、本番はまだまだこれから」

 ちさとさんは顔をあげてにこっと笑う。
 なんだか悔しいけれど…可愛い。

「…当分内勤なんだそうですね」

 そう言うと、ちさとさんは『何で知ってるの』という顔をしてから、『あっ』という顔をして見せた。

 情報源に思い当たったんだろう。
 クルクル変わる表情が…やっぱり、可愛い。

「内勤っていっても支店にずっといるわけじゃなくて…」
「外回りなんでしょう?営業ですか?」

 思わず問いつめてしまう口調になる僕は、まるでちさとさんの保護者気分だ。

「営業…なんだけど、俺の中ではそんなんじゃないんだ」

 不思議な言葉を口にして、ちさとさんは笑顔を満開にした。

「もうGOサインが出たから、笠永くんには教えるよ」

 ちさとさんはアタッシュケースを開けて、ごそごそし始めた。
 僕には教えてくれるんですね…。

「本当に、笠永くんには一番に聞いてもらおうと思ってたんだ」

 それは…めちゃめちゃ嬉しいけど……。

「これ見てくれよ」

 ちさとさんは浮かれまくった様子でアタッシュケースから数枚のチラシとパンフレットを出した。

 僕も、ちさとさんの嬉しい言葉に、今までのどんよりをすっかり忘れ、浮かれまくって差し出されたものを覗き込む…。

 そこには『哀しい伝説に彩られた隠れ寺〜紫雲院初公開』の文字…。

 僕はその文字を見て、心底驚いた。
 今度はどんよりを通り越して、奈落の底だ…。

「な…っ、ちさとさんっ、これ…っ」

 だがちさとさんは、俺の驚きを違う意味に取ったようだ。仕方ないけれど。

「すごいだろっ?紫雲院が公開になるんだ」
「でも…あそこは大手が10年…」
「うん、俺も正直驚いてる」

 ちさとさんは急に神妙な顔になった。

「まさか、これ、ちさとさんの担当?ちさとさんが…」

 恐る恐る聞いてみると、ちさとさんはにこっと笑った。

 そしてまた、神妙な顔つきに戻る。

「うん、俺の担当。でも、これって俺の手柄とかじゃないんだ。本当に、偶然…ううん、幸運、かな? ご住職と知り合うことが出来て…」

 僕は自分の顔が引きつるのを自覚した。
 けれど、そんな僕にまったく気付くことなく、ちさとさんは幸せそうに続ける。

「とても大切に守られてきたお寺だって言うことがよくわかったんだ。だから、無理に公開しなくても…って思ったんだけど、ご住職の隆幻さんはうんって言ってくれたんだ。条件はたくさん付いたけど」

「条件?」

「うん。なんでも隆幻さんはウィークデーは忙しい人らしいんだ。だから公開は日曜のみ。それに、小さなお寺で人手もないから1日10名まで。そして…、俺はこれがすごく隆幻さんらしくて好きなんだけど…」

 ちさとさんは小首をかしげて…。

「ゆっくりできる人に限るって」

 にこっと笑った。ああっ、もう、凶悪に可愛い。

「ゆっくり座って、ゆっくり庭を眺めて、そして、ゆっくり隆幻さんの話を聞くことができる人…。そんな人のためだけに、紫雲院は門を開けてくれることになったんだ」

 そう語るちさとさんの表情は、社会人としての責任のある顔と同時に、押さえきれない喜びにも満ちている。

 そんなちさとさんに、僕はつい、意地悪を言ってしまう。

「でも、そんなに厳しい条件では、ツアーの商品として成り立たないんじゃないですか」

 すると、ちさとさんは穏やかに首を振った。

「紫雲院が門を開ける。それだけで十分すぎるほどの価値はでるんだ。条件が厳しいのは、かえって商品価値を上げるって歓迎されてる」

 ああ、そう言うことか…。

 そして僕は、聞きたくない答えが返ってくるとわかっていながら聞いてしまう。

「もしかして…ちさとさん、紫雲院へ通ったりしてる…?」

 答えは間髪入れずに返ってきた。

「うんっ。隆幻さんが、めちゃくちゃ素敵な人なんだ〜。俺、こんなに楽しい仕事、久しぶりだよ。毎日が楽しくって」

 そうか、ここ数日のちさとさんの浮かれの原因はこれだったってことか…。

 それにしても…なんなんだっ。
 この夢見るようなちさとさんの泳ぐ瞳はっ。

「あ、笠永くん、ごめんな。紫雲院にいったらすぐ近くだから笠永くんの家にも寄ろうかなっていつも思うんだけど…」

 だけど…?

「つい楽しくて紫雲院に長居しちゃって」

 照れくさそうに、人差し指で頬をポリポリと掻いたちさとさんに、僕の怒りは爆発してしまった。

 もちろん、ちさとさんにじゃない。『あいつ』にだっ! 



4へつづく