恋・爛漫
〜冬の章〜
4
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京都の寒さもようやく峠を越すかと言う頃。 俺は久しぶりに笠永家へやって来た。 ここのところ忙しくて、笠永くんにも行利にもつき合ってやってないから、二人ともかなりふくれている。 実は、オフの日も紫雲院に通っていたっていうのはナイショにしてるんだけど…。 今日は笠永くんのお母さんから直々のお誘いだ。 1ヶ月ほど前にアメリカの大学から3年ぶりに帰国した笠永家の長男、行正さんを紹介してくれるんだそうだ。 お兄さんは、なんでもこっちへ帰ってからも超多忙だそうで、お母さんですら、この1ヶ月間に5〜6回しか顔をみていないらしい。 そんな人が、今夜は早く帰るようにすると約束したらしくて、俺が呼ばれたというわけだ。 けど…。 お母さんも自慢の料理をたくさん揃えて準備万端。 俺と行利も散々ゲームで盛り上がって、時はすでに午後10時。 笠永くんはというと、2時間ほど前に大学から連絡をよこしてきて、実験中にトラブったから先に初めててと言ったきり、帰ってこない。 「大きなトラブルなのかしら…」 時計を眺めて、お母さんがため息をつく。 「行正兄ちゃんと行範兄ちゃんって、同じ研究室だよね」 行利は我慢しかねて時々つまみ食いをしている。 「そうよ。だから多分一緒に帰って来るんじゃないかと思うんだけど…」 「ねぇ、始めちゃおうよ」 ついに食べ盛りの行利が音を上げた。 「そうね。ちさとちゃんもお腹ぺこぺこでしょ?始めちゃいましょう」 え、でも…。 「いいんですか?待ってあげなくて」 俺がそう聞いても、お母さんはヒラヒラと手を振って笑っている。 「いいのいいの。それより、お腹ぺこぺこのちさとちゃんにこれ以上我慢させちゃったら、私が二人に怒られちゃうわ」 そう言って、お母さんは暖め直しを始める。 それにしても、笠永くんが俺についてとやかく言うのは今に始まったことじゃないけれど、なんでお兄さんまで怒るわけ? …ま、そんなこと考えてもわかる訳ないから、俺は考えることをあっさりと放棄して行利と二人してご馳走に専念することにした。 「さ、ちさとちゃん、どうぞ」 美味しい料理のお供は、寒い夜にはピッタリの熱燗で…。 なぜか未成年の行利まで「美味しい」なんて生意気をいいながら日本酒を舐めていて、俺たちは3人で散々盛り上がってしまい…俺はそこで沈没した…らしい…。 |
☆.。.:*・゜ |
『これはまた壮観な光景だな』 遠くでそんな声がした。 『あら、お帰りなさい。トラブルはどうなったの?』 『ああ、母さん。遅くなってすみません。 学生が器具の操作を誤ってしまって、一人怪我人が出たものですからこんなに遅くなってしまって』 怪我人…?笠永くん、は、大丈夫なのか…? 目を開けて確かめようとしても、俺の意識は深く沈んだままで、ぼんやりと聴覚が少し残っているだけ…。 『行範は?』 『教授と一緒に怪我をした学生に付き添って病院へ行きました。明日の朝、実家から母親が出てくるまでの間、側にいてやるそうです』 『怪我は酷いの?』 『いえ、たいしたことはありません。2日ほどで退院できるそうですから』 ああ…。笠永くんは無事なんだ…。 ホッとした俺は、また泥のように沈んでいく…。 『それにしても、行利はなんて格好で寝てるんだ』 ん?行利…? 『こんなところを行範に見つかったら大変だろうに』 笑いを含んだ声が近づいてきた。 誰…? 『いいじゃないの。いつもは行範がいるから、そう簡単にちさとちゃんに触れないのよ』 『僕に見つかっても同じことですよ、母さん』 その声がした途端に、俺の周りは急に寒くなった。 まるで肌触りのいい毛布を剥がれてしまったみたいに。 『ほら、行利。いくら中学生でも、お前みたいな大きな子は担いで上がれないぞ。風邪をひくから自分のベッドへ行きなさい』 『ん〜?』 寒…っ。 俺は無意識に自分の身体を抱え込んだ。 『ちさとちゃんは?客間にお布団が敷いてあるんだけど…』 『かなり飲ませましたね、母さん』 『まあね』 『僕の部屋へ連れていきますよ。風邪をひかれたら困る』 『あら、知らないわよ〜。行範にばれたら大変なんだから〜』 何?なんのこと? 『母さんが黙っていてくれればいいんですよ』 そして俺は、また温かいものに包まれた。 『心臓ね、行正。ただでさえ、行範はあなたのやっていることで神経ぴりぴりさせてるのに〜』 お母さんの楽しそうな声。 行正…って、もしかして、お兄さん…? そう思った時、フワッと身体が揺れた。 温かいや…。 俺は温もりにしっかりとしがみついた。 笠永くん…。 |
☆.。.:*・゜ |
ん〜…。 頭痛い〜…。 これは、過去の多くはない経験から言っても、間違いなく『二日酔い』だ…。 開こうとしない目を無理やり開けると、結構明るい光の中、俺の前には何故か男物のパジャマの襟元が…。 でもって、俺はぬくぬくとくるまれて…って、何にくるまれてるんだ…? う…で? うーん。これって、人の腕だよなぁ。 でもって、これが人の胸。で、その上が人の首。もうちょい上が…。 って頭を上げようとした俺の脳髄を、象が団体で走り抜けた。 いって〜。 「大丈夫?」 あまりの痛さに思わず目の前の胸に縋ってしまった俺に、頭上から声が響いた。 すごく人を安心させるこの声は…。確か…。 痛みを堪えて俺が顔をあげると、そこには確かに、俺の記憶通りの声の主がいた。 え?えええっ? 俺、まさか紫雲院で寝ちゃったのかっ!? そ、そんなはずは…! だって、昨夜は笠永くんの家で彼とお兄さんを待っているうちに…。 「目が覚めたかな?ちさとくん」 微笑んだ彼は、いつも俺のことを『ゆきのりくん』って呼ぶはずの…。 「隆幻…さん…」 「やっと、ちさとくんって呼べるようになったよ」 どういうこと…? 「母や行範が『ちさと』って呼ぶのが羨ましくてね。もっとも行利だけは意地になって『ゆきのりさん』って呼んでいるようだけど」 可笑しそうにクスクス笑って隆幻さんが俺を抱きしめる。 これって、いったい…? どうして隆幻さんが笠永くんのことを…。 まさか俺、飲み過ぎで、どこかやられちゃったとか…。 「さて、ゆっくりこうしていたいんだがそうもいかなくてね」 隆幻さんはそう言うと、そっと俺の身体を離して、ベッドを降りた。 …は?…ベッドを降りた…? って、俺と隆幻さん、一つのベッドに寝てた…わけ? 俺はその場で固まった…。 けれど、隆幻さんはそんな俺を見てまた優しく微笑むと、ドアを開けて出ていった。 やがて微かな水音が聞こえ、パニックのままの俺の前に再び現れた隆幻さんが身に纏っていたのは、俺が見慣れた墨染めの衣ではなく…スーツだった。 「せっかくの土曜なんだが、昨日の報告があるので大学へ行って来るよ。ちさとくんは休みだろう?ゆっくり寝ていなさい」 大学? 隆幻さんが…? も・し・か・し・て……。 機能していない俺の頭の中で、バラバラのピースがパズルのように一個ずつはまっていく…。 隆幻さんって、まさか…。 でも、俺の頭が漸く答えをはじき出そうとした瞬間に、乱暴にもう一つのドアが開いた。 「兄さんっ!!!」 現れたのは、血相を変えた…笠永くんだった。 にいさん…。 ってことは、やっぱり…隆幻さん=笠永行正=K大理学部助教授? 信じられない…。 「ちさとさんっ」 呆然とベッドに転がっている俺めがけて、笠永くんが駆け寄ってくる。 「大丈夫?!何もされてない?」 はぁ? 俺が何されるっての? 笠永くんは俺がぬくもっている布団をひっぺがすと、いきなりパジャマのボタンに手を掛けようとした。 「お、おいっ、何するんだよっ」 俺は慌ててパジャマの前を握りしめる。 「これ…兄さんのパジャマ…」 え? そうなんだ。 そういえば、俺ってどうやってここまで来たんだろう? 「兄さんっ! ちさとさんに何をしたんですかっ!」 笠永くん、すごい剣幕だけど、何をそんなに怒ってるんだ? 「行範、そんな風に頭ごなしに人を疑ってはいけないね。私たちはだた、抱き合って眠っただけだ」 諭すように隆幻さんは言うんだけど…。 ん?抱き合って? 「えーーーーーーーーっ! だだだ、抱き合って……!」 お、俺と隆幻さんが抱き合って眠ってたってのかっ? 「いやだなあ、ちさとくん、今さら。 昨夜君は私の腕の中ですやすやと眠っていたんだよ。おまけにギュッとしがみついて『笠永くん…』なんて呟くものだから、どうしようかと思ったよ」 は、はいぃぃぃ? 「ちさとさん…」 笠永くんが目を丸くして俺を見つめる。 た、頼むからそんな目で…。 くそ〜、めちゃくちゃ恥ずかしい…。 「ちさとくんは温かくて抱き心地がよかったねぇ」 「兄さんっ!」 またしても怒った笠永くんを無視して、隆幻さんはベッドにやって来て腰をかけ、起きあがった俺の肩を抱いた。 「君のことは、ずっと前から聞いていた」 え? 「母がね、メールでいろいろなことを知らせてくれるんだ。日常のいろいろ、行範の様子、学校のこと、そして…紫雲院のこと…」 紫雲院のこと…。 「確か去年の秋だった。行範に好きな人が出来たらしいとメールが来てね、珍しいことがあるものだと思ったら、相手はなんと年上で、旅行会社の社員。しかも…」 そこで隆幻さんはクスッと笑った。 だいたい言いたいことはわかったけれど、そんなの、俺のせいじゃないやいっ。 「母からのメールの度に、私は君に会いたくて堪らなくなったよ。行範と、行利までも夢中にさせてしまったちさとちゃんは、どんな子だろうってね」 こ、子供じゃないってばっ。 そりゃあ、隆幻さんから見たら少しは年下 ……って…。 確か笠永くんのお兄さんは30歳だったよな…。 …ってことは、まさか、隆幻さん、30歳? うそだー! どう見ても20代半ばだぞ! 俺はまたしても隆幻さんを呆然と見上げる。 「黙っていてすまなかったね。私も君と過ごす時間が堪らなく楽しかったから、つい言いそびれてしまったんだよ。ずっと二人だけの時間であって欲しかったからね」 そう言ってギュッと抱き寄せられると、墨染めの衣の時ほどではなくても、やっぱり俺を安心させてくれる、あの香りがする…。 「兄さん…いい加減にしてくれませんか? 黙っていればいい気になって…」 低い声で告げたのは笠永くん。 「やれやれ、仕方がないな。大学へ出掛けるとしよう」 そう言って、隆幻さんは立ち上がる。 「ちさとくん、今日はゆっくり休んでお帰り。また紫雲院で待っているよ」 僧侶にあるまじきウィンクを一発投げて、隆幻さんは出掛けていった…。 |
5へつづく |