第2話 紅葉の章【2】
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「今日の取材は望月流ですか?」 奥の休憩室。 お客が来たので杏子ちゃんは『成くん、宮内さんをお願いね』と言って接客に出てしまった。 「うん」 俺は昨日の少年の正体を知ることが出来て、かなり平静を取り戻していた。 なにより、成くんが醸し出す雰囲気が、何故か俺の心を落ち着かせ、穏やかにしてくれるんだ。 最近流行の「ヒーリング効果」ってヤツかな? 「望月流の花展は今日が初日ですからね」 芯から冷えていたからだが暖まるのは、濃いめに淹れたお茶のせいだけじゃない。 成くんの穏やかなその声を聞くだけで、体中がほんのりと温くなっていく。 「今回の望月流はかなりお金を使って珍しい花を集めてましたよ」 「えっ?ホント?」 いい情報だ。 「でも、そんなこと俺に教えていいの?」 そう聞くと、成くんはちょっぴり大人の表情をして笑った。 「昨日までならいけませんけどね。もう…」 そう言って、壁の時計をみる。 「会場はオープンしていますからね」 京都のように、大小さまざまな流派が数多くしのぎを削っているところでは、それぞれの華道展でどれだけ自分の流派をアピールできるかが、即、流派の存亡に関わってくる。 だから、より珍しいもの、より目立つものへと思考が動いていくのだが、それだけに、使う花材とデザインは、いってみれば企業秘密となる。 「一度人目に触れれば、もう秘密でも何でもありませんよ」 成くんはいたずらっ子のように笑った。 その笑顔は、子供のようでもあり、大人びているようでもあり…。 「成くんって…いくつ?」 俺は、彼の色々が無性に知りたくなっていた。 「僕は…16…です」 視線を落として、成くんは答えてくれた。 16歳…。高校生? 「学校は?」 彼は静かに首を振った。 「事情があって…働いています」 そうか…可愛らしい見かけとは裏腹の、その落ち着きには、やっぱり事情があったのか。 黙ってしまった俺に、成くんはまた1杯お茶を淹れてくれて、明るい声で言った。 「華道展の取材にご一緒してはいけませんか?」 俺がハッと顔をあげると、成くんは穏やかな笑顔で俺を見ていた。 何杯もお茶を飲んで、昨日からのもやもやもすっきりしたのに、いつまでも俺がここに居座っているわけを見透かされたような気がした。 俺は…ここにいたかったんだ。 どうしてだか、彼の側はとても離れ難くて…。 結局俺は、バイクの後ろに成くんを乗せて、取材に向かった。 さすがに成くんの花の知識は相当なもので、俺の取材はいつになくスムーズに、そして良いものになった。 「成くん、今日は何時に上がるんだ?」 俺は取材後、店へ成くんを送り届けたとき、そう聞いた。 「朝早かったですから、6時には終わります」 6時…か。 「なぁ、今日の御礼がしたいんだけど、夕食つき合ってくれない? ただ、俺あと3件取材があるから、7時頃まで戻って来れないかも知れないんだけど…」 俺の語尾はだんだんと小さくなっていく…。 「そんな、御礼だなんて。僕が勝手についていっただけですから…」 ちょっと頬をピンク色にした彼は、やっぱり無性に可愛らしい。 「ダメ、かな」 そう呟いた俺に、成くんは慌てて首を振った。 「そんなっ、ダメなんて事、絶対ありませんっ」 思わず出てしまったのか、大きな声に成くん自身がおどろいたようだ。 「あ…ごめんなさい…。嬉しかったので…つい…」 素直にそう言われて、今度は俺が赤くなる番だった。 「じゃ…じゃあ、7時に迎えに来るよ」 そう言って、照れくささから逃げるように、そそくさと帰ろうとした俺に、後ろから成くんが声を掛けた。 「あの…もし、取材とかで時間が遅れても、僕、平気ですから。ちゃんと待ってますから、慌てないで下さいね」 その優しい心遣いに、俺のハートは完全に……ノックアウトされた。 「うん、ありがとう。待ってて、ちゃんと迎えに来るから」 そう言った瞬間、成くんが今にも泣きそうな顔をした。 けれど、俺が『えっ』と思う間もなく、また愛らしい笑顔を満開にして、本当に嬉しそうに頷いてくれた。 ![]() あの人を見つけたとき…心が震えた。 見間違えではないか? もし、見間違えでないというのなら、私の永かった『時』は漸く終わる…。 確かめなくては…。近くへ行って、触れてみなければ…。 『どんなことがあっても私はお前を迎えに来る』 その言葉を信じて、私は…今も待っているのだから…。 ![]() あの日以来、俺と成は短い時間でも、ほぼ毎日のようにいろんなところへ出かけた。 こんなとき、新聞記者っていう仕事は自由が利いていい。 まして、成は男の子。 女の子を連れ歩く訳じゃないから、やましさもないし…。 ……とはいえ、俺は実はかなり成に参っていた。 別にその容姿が可愛らしいから…と言うわけではないんだと思う。 もちろんそのこともポイントとしては高いのかもしれないが、何よりも俺は成が傍にいるという安堵感に、たまらなく満ち足りたものを感じていたんだ。 まるで、ずっと昔からこうしていたかのように…。 そして、今日は『市民のための大茶会』の取材の後、いつものようにまた成をバイクの後ろに乗せて、華道展の取材に行った。 会場は華道展らしい華やかな雰囲気に包まれている。 そんな中、ふと前を殺気だった表情で足早に横切る羽織袴姿の若者を見て、成が怯えたように俺の後ろに身体を隠した。 「どうした…?知り合いか」 声を殺して尋ねた俺に、成は小さくプルプルっと首を振った。 「知り合いじゃないんですけど…。あの人ここの家元の次男なんです…」 へー、なるほど、それでご大層な正装って訳か。 「で、なんで成が隠れるわけ?」 そう言ったとき、かなり向こうの方まで行っていたその『次男』とやらが、ふと振り返った。 そして、こちらを見たとたんに走って戻ってきたのだ。 「成くんっ」 ……成の嘘つき…知り合いじゃねぇか。 まあ、御用達の花屋に勤めてたら、顔見知りになっても全然不思議ではないけどな。 呼ばれた成は、ビクッと体を竦ませて俺のシャツをギュッと握りしめた。 どうやら知り合いは知り合いでも、嬉しくない知り合いであることには変わりはないらしい。 俺は両手を後ろにまわし、成の身体をかばった。 「成くん、来てくれたんだね。嬉しいよ」 わざわざ俺の背後にまわって、家元の次男は成の傍に寄ろうとする。 成がさらに俺に密着したのを見て、漸くそいつは俺に気づいた。 「君は?」 …あんた、俺より年下じゃねーの? 何? その尊大な態度は。 っとに、こういうヤツってほんっとに礼儀を知らない。 「私は京都新報・文化部の宮内と申します」 こんなヤツに名刺なんかやるもんか。 俺は両手で成をかばっているのを良いことに、口先だけで挨拶をした。 「…ああ、取材ね。…で、どうして成くんが君の後ろに?」 「どうして成は怯えてるんですか?」 まさか俺が言い返すとは思っていなかったんだろう、次男坊は言葉に詰まった。 その時、次男坊の後ろに人影が立った。 「成くんにちょっかいを出すなと言ったはずだが…」 次男坊より数段男前…だけれど、その威圧感も比じゃないその人物を、次男坊は『兄さん』と呼んだ。 そうか、こいつが長男――つまり、家元の後継者というわけか。 「だいたいお前がどうしてここにいる。しかも正装とはどういうわけだ」 背後に成をかばったままの俺を挟んで対峙した二人は、にらみ合い…というよりは、蛇とカエル――つまり、一方的に次男が飲み込まれていると言う状態だ。 「少しは立場を弁えたらどうだ。裏方仕事ならやらせてやらんでもないが、表へ出てもいい身分ではないことくらい、いい加減覚えろ。いいな」 言い捨てられて、次男坊は顔を真っ赤に染め、肩を震わせながら走り去った。 取り巻き連中がおろおろしている様子がこっちにまで伝わって、場の雰囲気は最悪。 「成くん、見苦しいところを見せて悪かったね」 だが、俺の肩越しに成を見下ろしてきたこいつの口調は次男坊に対するものとは比べものにならないほど穏和で…。 けれど、成は俺の背中にしがみついたまま離れようとはしない。 「…ああ、失礼。あなたは」 ここで漸く俺に気づいたかのように、長男は俺に声をかけた。 「京都新報文化部の宮内と申します」 こいつなら無体な手段には出ないだろう――周囲の目もあるし――そう思い、俺は成を庇っていた後ろ手を外し、ポケットを探って名刺を差し出した。 「ああ、取材ですね。お疲れさまです」 ふうん、やっぱりさっきのヤツとはひと味違う。曲がりなりにも次期家元。マスコミ相手にヘタは打てないってわけだよな。 「生憎お家元は現在席を外しておられます。よろしければ私がお話しさせていただきますが?」 言いながら、奥の控えを示した。 成は…まだ少し怯えているようだけれど、さっきほどではない様子だったから、俺は仕事をすることにした。 成の様子次第では出直そうかとも思ったんだけど。 俺は、少し落ちついた様子の成の手を引いて、次期家元の後に続いた。 話の内容は、他の流派とさほど変わりはない。 だいたいが、自分の流派がどれほど歴史を持つものかとか――華道の家元は分派していることが多いから――伝統的な生け方と時流にそぐった斬新な生け方を融合させているだの、そんな話だ。 ただ、ここの次期家元はかなりのやり手らしく、ヘタをすればありきたりになりがちな話をもっともらしく見せる話術には長けていた。 そして、会場内の作品を彼の案内で一通り見せてもらい…。 そこで俺は気がついた。 さっきの次男坊。あいつの作品がない。 次男坊なら、この先分派する可能性もあるはずなんだけど。 「失礼ですが、先ほどお会いしたご次男の作品は?」 そう聞いた途端、次期家元は柔和――そうに見せていた顔を歪ませた。 「ああ、あれは数に数えていただかなくて結構です。確かにお家元の子ではありますが、妾腹の子です。道義的な責任から認知をして、お家元の姓を名乗ることを許してはいますが、この世界で生きて行くことは許していません。忘れて下さい」 そう言って、俺の後ろにくっついていた成の顔を覗き込んだ。 「成くんも、あんなヤツに何を言われても無視するんだよ、いいね」 成はその言葉に、俯いたまま、何も言わなかった。 それだけでわかる。 嫡子だろうが庶子だろうが、成の中では長男も次男も同列だ。 二人がどれだけ成に執着しようが、どっちも歓迎されていない。 俺はそのことにホッとしつつ、時間をとってもらったことに感謝の言葉を告げ――こいつも俺も一応仕事だからな――成の手を引いたまま、会場を後にした。 だが、会場を後にしても、成のご機嫌は戻らなかった。 俺は、そんな成が気になって、原稿は今日中に上げればいいや…と、成を乗せたまま、バイクを北へと走らせた。 ![]() そこは市街地の北の端。 道の一番奥に多くの木々に守られるように古い社が佇んでいる。 5月には、見事に群生する杜若をみようと大勢の観光客が押し掛けるのだが、師走に入った今は、鳥居の上から覆い被さるように枝を延べる鮮やかな紅葉がなければ、誰も気づかずに通り過ぎてしまうかもしれない。 しなやかに紅葉する樹は、鳥居の手前と奥にそれぞれ一本ずつ。 手前の樹は、後ろに立つすべての物を守るかのように深紅に染まり、奥の樹はひっそりと従うように柔らかな黄色に染まっている。 つい30分ほど前には、この地域特有の氷雨が降った。 『北山しぐれ』と呼ばれるそれは、ほんの短い時間に、冷たい風と共に氷のような雨を北の山から吹き下ろす。 本来なら紅葉の時期に、冬の代名詞『北山しぐれ』が降ることはない。 しかし今年は秋がとても暖かかったために、12月に入ってもまだ紅葉は盛りなのだ。 「寒くない?」 時雨れた後は、気温がグッと下がる。 俺は成の首に自分のマフラーを掛けてやった。 「あ…大丈夫…。こんなコトしたら、健吾さんが…」 成がマフラーに手を掛けてはずそうとしたのを、俺は黙って止めた。 目だけで微笑むと、成はちょっと恥ずかしそうにして、ギュッと俺のマフラーを握りしめた。 舗装された道から、ほんの数十メートルの短く小さな参道。脇にバイクを止め成を抱き下ろす。 俺の自宅から自転車で5分ほどのここは、俺が思春期以降、一人になりたいときに訪れていた、とっておきの隠れ場所なんだ。 観光客の姿もなく、こんな寒い日には地元の人すらあまり通ることのないここでなら、成の気持ちも少しは落ちつくかもしれない。 そう思って俺は成の手を離さないままに歩く。 俺たちが奥の社に向かって歩くそこには、見事に紅葉した葉が鮮やかな絨毯を敷いていた。 『北山しぐれ』が残していった水の粒が、漸く顔を覗かせた陽を受けて、落ち葉の上でキラキラと光っている。 「こっちの木は黄色…こっちの木は真っ赤…。同じ木が隣同士に立っているのに、こんなにも色が違うなんてな…」 そう。隣り合って立つ2本の木は、それは見事なくらい、それぞれ黄色と赤に染め分けられていたんだ。 だから、見上げるとくっきり色の違う、けれど同じ紅葉の木がそれぞれに主張して立っている。 ふと、成がしゃがんだ。 その白い手に、見事に赤く染まった一枚の葉を取り上げる。 「この色は…思いを注ぐ熱の色」 そしてまた黄色一色に染まった葉を拾う。 「この色は…受け止める優しさの色」 地面に落ちた葉は、黄色と赤が混ざり合って一枚の美しい絨毯になる。 「混ざればもっと綺麗になるんだな…」 ポツンと呟いた俺に、成がビクッと肩を震わせて、顔をあげた。 成の瞳は、何故か次の言葉を期待しているように見えたんだが、俺はかまわずに続けた。 さっき華道展の会場で見た光景が、全くの他人事のはずなのに、何故が酷く胸に突き刺さっていたからだ。 「血筋を守るってのも確かに必要なことかもしれないけど、それに捕らわれて大切なものを見失ったんじゃ、話になんないよな」 ましてや華道と言えば芸術の世界。 様式美の具現者として頂点に立つのなら、彼の、弟に対するあの感情は、マイナスにしかならないんじゃないだろうか。 「俺さ…、人は、人と触れて、交わってこそ強く優しくなれると思うんだ。一人っきりの色で輝くんじゃなくて、まわりのいろんな色と交わって、より輝いていくっていうか…。ただ、それが好きな人とだったらもっと嬉しくて、もっと輝けるんじゃないかなと思うけど…」 そこまで言ったとき、俺の背中に急に暖かいものがぶつかった。 「な…成…?」 成が、俺の背中にしっかりしがみついていた。 もしかして…泣いて…る? 俺は大慌てで振り返り、正面からしっかりと成を抱きしめた。 「どうした? 成?」 成は俺の胸に顔を押しつけたままで、嗚咽を漏らし始めた。 俺はその涙の理由がわからず、ひたすら戸惑った。 「ごめん、俺、なんか気にさわること言ったか?」 我ながら――新聞記者とは思えない――支離滅裂な物言いだったとは思うけど。 成は同じ格好のままで、首を左右に振った。 しかし、涙はいっこうに止まらなかった。 そんな成を、寒い場所にずっと引き留めて置くこともできなくて――気持ちを落ち着ける…って作戦は、見事に失敗に終わっちまったようだし――俺はまた成をバイクの後ろに乗せて、成の家へと向かった。 ![]() 成の家は市街地の東南、東山山麓の麓・高台寺の近くにある。 小さな庵のような建物で、風情はまるで茶室のようだ。 成はここで一人で暮らしている。 なんでも両親はすでに他界していて、他に身よりもなく一人ぼっちになってしまった成は、高校へ行くことができず、働きはじめたのだという。 そして、幾度と無くここへ成を送ってきた事のある俺だけど、今日初めて成に『上がって』と言われたのだった。 「ごめんなさい。なんにもないんだけど…」 そう言いながらもお茶の用意をしようとする成は、漸く涙も乾いたようだ。 「いいって。なんにもしなくていいから、ほら、こっちへ来いよ」 俺は半ば強引に成の手を引く。そして、腕の中にしっかりと取り込む。 「健吾さん…」 見上げてきた成の瞳は、まだ涙の色を残していて、暗めの灯りの色にほんのりと揺らいだ。 そして、次の瞬間、俺は成に口づけていた。 どうしようもない衝動に駆られた…というわけでもない。 ただ、こうするのが当たり前のような気がして、唇を合わせたまま、成の身体をきつく抱きしめた。 そんな俺に、成は、まったく抗う様子を見せなくて、だから俺は、やっぱり『こうするのが自分たちにとって当たり前の事なんだ』と勝手に納得して口づけを深めていった。 それから先、俺と成の関係が更に深くなっていくのは、やっぱり当たり前のことだった。 初めて唇を重ねた3日後には、俺は成を抱いていた。 成はやっぱり抵抗しなかった。それどころか、俺の言うがままに、素直に身体を開いてくれた。 そして俺は、成の身体に溺れていった。 |
花筏の章へ続く |
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