第3話 花筏の章




「おい、顔色悪いな。大丈夫か?」

 新年が明け、町中から松の内の雰囲気もすっかり消えた寒い午後。

『なんか面白い話ないですか〜?』と、ふらりと立ち寄った歳の離れた飲み友達に、和泉勇作はコーヒーを入れてやりながら尋ねた。

「ん? 別に、なんともないですけど」

 そういう声にも覇気がない宮内健吾は勇作より10歳下で、京都新報・文化部の記者だ。

 もとは事件記者を目指していたようで、入社したての頃は取材の仕方にも戸惑いが感じられたのだが、半年も経つ頃にはなかなかどうして、立派な仕事をするようになった。


 和泉勇作は東山区に居を構えて古美術鑑定を生業としている。

 ここ京都はもちろん古美術の宝庫で、勇作の仕事は主に寺院に出入りして収蔵品の鑑定や分類を行うというものだ。

 個人所蔵品の鑑定もやらないことはないが、『金額』を算定して欲しがる個人収集家は苦手で、それよりは神社仏閣の知られざる所蔵品を明らかにしていく方に興奮を覚える。

 そんな勇作と取材を通して知り合った健吾は、一度目の取材で意気投合してしまい、10歳という年の差もものともせず、すっかりうち解けた飲み友達になっていた。

 そして、仕事の合間にこうして勇作を訪ねては、新しいネタを仕入れていくのだ。


 今日も今日とて、健吾はいつものように勇作を訪ねてきたのだが。



「本当に大丈夫か? 疲れが溜まってるんじゃないのか? 病院行った方がよくないか?」

 ここ暫くの間に、健吾の様子は明らかにおかしくなっている。

 衰弱している…と言ってもいいほどだ。


「あはは、勇作さん、意外と心配性なんだなあ」

 美術鑑定家…という繊細そうな職業の割には見た目が剛胆な勇作に、健吾は軽口を叩いて見せるのだが、そんな様子にも力がない。


 ――悪い病気でなければいいが。


 不安に思いながらも、健吾自身が何ともないと言い張る以上、仕方がないかと勇作も諦める。

「それより勇作さん、なんか面白い話ないですか?」

 屈託なく聞いてくる様子に僅かながらに安堵しながら、勇作は明日から取りかかる予定の仕事について話を始めた。



                 



「紫雲院の奥の院を?」

「そうなんだ。漸く手を付けられることになってな」

「あそこ、公開に踏み切ってからまだ数年ですよね?」


 東山山麓にある『紫雲院』はかつて「幻の非公開寺院」として、大手旅行会社が躍起になって公開させようとしていたことで有名だった。

 それが、完全予約制とはいえ公開するようになったのはほんの数年前のことで、しかも公開部分は『庭と本尊を納めた御堂のみ』という状態で、未だに封印されたままの部分が多いのだ。


「何かきっかけあったんですか?」

「ああ、実はあそこの住職と俺はガキの頃からの悪友なんだが、ヤツは住職の傍ら大学の助教授までやってる超多忙の身でな、なかなか奥の院の調査に関わる時間が取れなかったんだ。 だが、ヤツは先祖代々守り継いできた紫雲院の調査を他人任せにするのも嫌だと言い張ってな。今までのびのびになってきたんだ」

「じゃあ、今回は住職の時間がとれた…と?」

「そういうことだ。なんでも研究が一段落して論文を提出できたみたいでな。3ヶ月くらいは何とかなりそうだということで、この機会にやっちまおうかってことになった」


 だからな…。

 そう言って勇作はニッと笑って見せた。

「何か出たら、お前に知らせてやるよ」

「えっ? ほんとですか?」


 願ってもないことだ。紫雲院の奥で何か貴重な文献なり美術品が出たとなると、それは文化部的には大スクープになる。

 それを、調査する本人から直接教えてもらえるというのだ。
 こんなラッキーはまたとない。


「ぜひお願いします!」

「ああ、だから、『何か出る』ことを祈っておいてくれよ」

「もちろんです!」

 ようやく元気を取り戻した様子の健吾に安堵した勇作は、ホッとした所為か、『そう言えば』…と、ここのところいつも健吾の傍らにある可愛い『相棒』の存在を思い出した。


「それはそうと、最近成くんを連れてないな。どうかしたのか?」

「ええと、成、最近体調を崩してて」

「なんだって? じゃあ、お前たち二人して身体壊してるのか?」

「え? 俺は大丈夫ですよ」

 どの面下げて…とはこのことなのだが、これ以上追求しても素直に聞きはしないだろうと、勇作は一つため息をついて諦める。


「あ、毎晩ちゃんと様子を見に行ってるんで大丈夫です」

「大丈夫って…」

 病人が病人の看護をしているとは恐れ入る。

「お前たち、何か悪い遊びでもやってるんじゃないだろうな」

 むろん、健吾も成も、『そんな風』には見えないが。

「なんですか、それ。やだなあ」

 しかし、笑い飛ばす声にもやはり精彩はない。

「じゃあ、俺、次の取材があるんで失礼します」

「ああ、気をつけろよ」

「はい。コーヒー、ごちそうさまでした。また寄らせてもらいます!」


 殊更明るく手を挙げて見せ、健吾は勇作の家を辞した。

 そんな健吾の背中を、勇作はまたしてもため息をついて見送り、そして、健吾は門を出た瞬間に大きく息を吐いた。



 確かに身体の自由が利かない。それは自覚している。

 だが、健吾には思い当たることがないのだ。
 そして、成が同じように体調を崩してしまっていることにも。

 いや、もしかして、成の不調は自分にあるのかも知れない。


『お前たち、何か悪い遊びでもやってるんじゃないだろうな』


 勇作にかけられた言葉が頭を過ぎる。

 だが、彼らにとって、これは決して『悪い遊び』などではない。

 成が愛おしく愛おしくて堪らなくて、労ってやりたいと心の底から思っているのに、一旦抱いてしまうと歯止めが利かない。

 際限なく溺れてしまう。

 まるで、何かに取り憑かれてしまったかのように…。


 そんな、夜毎の行為が成の負担になっているのかもしれない。 

 だが、自分は…。


 考えたところで結論が出るわけもなく、健吾はともすればクラクラと揺れてしまいそうな頭を抱え、次の取材先へとバイクを飛ばした。



                  



「忙しいのにすまないな」

「何を言う。紫雲院の奥の院に入れるなんて、他のすべての仕事をキャンセルにしても駆けつけてやるぞ」

「そう言ってもらえると心強い」


 言いながら二人して歩く廊下からは、中庭の小さな枝に真紅の椿が咲いているのが見える。

 しんしんと冷える板張りの廊下を苦もなく裸足で、勇作に先立って歩くのは、ここ紫雲院の住職・笠永隆幻(かさなが・りゅうげん)。

 代々非公開だった紫雲院を公開に踏み切った張本人だ。


「奥の院については気がかりがあったからな」

「気がかり?」

「ん? …ああ」



 そもそもここ紫雲院には伝説がある。

 それは、ずっと昔、京都に朝廷があって、血なまぐさい権力闘争が繰り広げられていた頃の話。

 時の権力者には何人もの妻と子供たちがいた。

 そしてその妻たちは、お互いに何とか我が子を跡継ぎにと躍起になり、それがあるとき、凄惨な事件を引き起こした。

 正妻の長子が毒を盛られて殺されてしまったのである。

 毒を盛ったのは、側室の一人であるとされ、捕らえられる。

 そして、その側室の子も同罪として捕らえられ、やがて処刑されてしまう。

 その側室の子が裁きの日まで幽閉されていたのが、ここ、紫雲院だと言われているのである。


 だが、その人物が誰であったのか、未だにわかっていない。
 故に伝説は口伝の中でのみ生き、真実として語られることなく、片隅に追いやられてきたのだ。



「なあ、隆幻。ずっと閉ざされていた奥の院を開けようと思ったのは何故だ?」

 勇作は、相づちを打ったきり黙りこくってしまった隆幻に、ずっと心の隅にひっかかっていた疑問を投げかけた。

 ずっと以前。
 一度だけ聞いたことがあるのだ。『奥の院に近づくべからず』…と。

 そう言ったのは確か、先代の住職――隆幻の父親――で、彼が亡くなる少し前の言葉ではなかっただろうか。

 あの言葉を成人してから思い出した勇作は、笠永家が代々守ってきたのは、もしかすると『紫雲院』ではなく、実は『奥の院』だったのではないだろうかと思うようになった。

 あそこには何かある。根拠はなかったが、何故か強くそう思った。

 そんな勇作に、隆幻は意外な答えを返してきた。


「閉ざしたままではいけないと感じたからだ」

 二人は奥の院の固く閉ざした扉の前に着いた。


「去年の秋、コンサートをしたこと、覚えているだろう?」

「ああ、東京から若手の演奏家を呼んできたあの企画な。シチュエーションも演奏も一級品で、随分話題になったな」


 昨秋、ここ紫雲院では『中秋の名月』の企画と銘打って、夕刻から御堂でコンサートを行った。

 招聘された演奏家たちが、現役の大学生でありながら、すでにその優秀さから楽壇の話題となっている兄弟たちだったために、観覧希望が殺到して大変だった事を思いだし、勇作はクスリと笑いを漏らす。


「あの時、不思議な事が起こったんだ」

「不思議なこと?」

「ああ」


 言いながら、隆幻は扉の前で手を合わせ、深く一礼をした。勇作もそれに倣う。


「演奏家兄弟たちの末っ子が、ここに幽閉されていたと思しき人物の存在を感じた」

「…おいおい、それってまさか…」

 幽霊だとか言わないだろうな………と言う言葉は口に出せなかった。

 目の前の隆幻が、これ以上ないほどの真顔で自分を見つめていたからだ。


「そのとき、このまま封印されたままでいいのか…という疑問を持ったんだ。だから…」

 言いながら隆幻は、永きに渡って固く閉ざされていた錠前に、鍵を差し込んだ。



                  



「…これは…花筏(はないかだ)の文様じゃないか…!」

 奥の院の鍵を開けて3日目。

 勇作は古い桐箱の中から出てきた蒔絵の文箱を手に、小さく叫んだ。


「どうした、勇作」

「隆幻、これを見てみろ。花筏の文様だ…」

「花筏というと…」

 白手袋をはめた手から手へ、蒔絵の文箱が手渡され、隆幻は一瞬考えたあと、やはり小さく叫んだ。

「…まさか…! 久我家……か?」

「これ一つでは断定できないが、他にも出てくれば、可能性は大…だな。久我家と言えばこの辺りから高台寺周辺まで広大な敷地を有していた大貴族だが、ある時期を境に謎の衰退が始まってわずか数十年で歴史からきれいさっぱり消え去ってしまったんだ」

「だから、遺物もほとんど残されていない…ということだったな」

「その通り。一族の中の一部有力者の文献は僅かに残ってはいるんだが、周辺状況となるとさっぱりだ」

 簡単に説明をしながらも、勇作の意識は新たな桐箱に向かっている。

「この辺りで花筏と言えば、久我家の家紋。ここから久我家に関する文書が出たらエライことになるぞ」

 桐箱を開ける手にも、慎重ながらも力が入る。

「閉ざされてきた歴史の一ページに光があたるかもしれん。……っと、これは…」

「……勇作……」

 興奮を隠しきれない勇作の背後から、隆幻が覗き込み、そしてまた新たな文箱を見つめる。

 やはり文様は、花筏。
 




 それから数日、冬の乾燥した空気を利用して五つの文箱に納められていた文書の虫干しが行われた。

 無闇に開封すると中身が風化する危険もあることから、それらは慎重に――隆幻も勇作も、心ははやるのだが――進められ、文書の虫干しが終わる頃には奥の院に納められていた多くはない遺物の調査が大方終わっていた。


 そもそも奥の院は小さな建物で、決して豪奢ではなく、むしろ質素と言っていい。
 ただ、造りだけは異様に堅固で、今から思えばそれは、中に納めてあるものを頑なに守ろうとした意志の表れであったのではないかと推察できた。

 そして、調査した遺物のすべてが語っていたのはやはり、遥か昔に絶えた『久我家』の存在であった。








「やっぱり伝説は本物だったってわけか…」

 文書を紐解いていた勇作がポツリと呟いた。

 ここ紫雲院は本山も末寺も持たない孤高の『隠れ寺』で、故に檀家も持たず、その存在意義はただ、代々の住職に口伝で『とある高貴なお血筋を、然るべき日までお預かり申し上げる為』と残されてきただけだ。

 嫡子毒殺にまつわる伝説は朧気に付随していたにすぎない。
 だが、文書を子細に検分すれば、その伝説がほぼ正しい形で存在していたことが読みとれる。


「久我斉昭(くが・なりあき)…これがここ紫雲院の正式な主の名…ということか」

 隆幻もまた、ポツリと呟く。

 その言葉に勇作は頷き、また呟いた。

「御年十五。久我家継嗣、忠昭(ただあき)薬殺の咎にて、一年の幽閉の後、斬首…か。 数えで十五ってことは、実年齢は十四か…まだ子供じゃないか…」


 だが伝説にはまだ続きがあった。

 斬首された末子と毒殺された嫡男は、腹違いであれ、仲のよい兄弟だったのだというのだ。

 それこそ、後に仕立て上げられた『美談』ともとれるのだが…。



「斉昭は、未だに兄を…忠昭を探し続けている…」

「…おい? 隆幻…何を……」

 隆幻が漏らした言葉に、勇作は目を見開いた。



                 



「大貴族のお家騒動?」

「そうだ。当時としてはかなり大事件だっただろうにも関わらず葬り去られ、伝説としてしか残っていなかった事実が記録されていたんだ」


 勇作は約束通り、健吾に奥の院での収穫を知らせてくれた。

 文書をすべて読み解いた結果わかったことを、さらにやつれた様子を見せる健吾に話して聞かせてくれたのだ。

 嫡子の毒殺に始まる、久我家の悲劇を。


「…あの紫雲院に、そんなことが…」

 著しく精彩を欠く容にさらに憂いをのせて、痛ましげに健吾が呟いた。


「でな、記録の最後にはこう付け加えられていたんだ」


 ――斬首せられし斉昭の御霊。度々久我邸に現れ出て家人を脅かす。


「この結果、久我の家は衰退していくことになったと結ばれていた。つまり、斉昭が怨霊となって久我を滅亡に追いやったと言うわけだ」

 だが、勇作の言葉に健吾は首を傾げた。

「でも、勇作さん……」

「そう、おかしいだろう? 文書には、側室は最後まで無実を叫んで処刑されたとあるんだが、斉昭は自ら罪を認めたと記録されているんだ。ならばどうして恨んで出る?」

「…だよね」

「…記録に残らなかった何かがあったに違いない」

「忠昭と斉昭……。彼らに……」


水面の章【1】へ続く

【豆知識】

〜花筏〜
1 ミズキ科の落葉低木。山地の木陰に生え、高さ約一・五メートル。葉は卵円形で先がとがり、縁に細かいぎざぎざがある。雌雄異株。初夏、葉面の中央部に淡緑色の花をつけ、黒色の丸い実を結ぶ。ままっこ。《季 春》

2 水面に散った花びらが連なって流れているのを筏に見立てた語。また、筏に花の枝をそえてあるもの。筏に花の散りかかっているもの。《季 春》

3 花の折り枝を筏にそえた文様。また、紋所の名。
                                大辞泉より

短編集 TOPNovels TOP
HOME