両親が帰った後、どうしても帰らないと言い張る航平に、それまでだまって成り行きを見守っていたジェフの怒りが爆発した。 「コウヘイ、ひきょう、だっ。ユウトとママ、どっちも、ないてる」 本当は母国語でまくし立てたい所なのだろう。 不自由な日本語で、精一杯の怒りを紡ぐ。 「俺は、悠人を選ぶ」 航平はなんの躊躇いもなく断言するが、ジェフは当然取り合わない。 「でも、コウヘイ、ユウトもママも、このまま、に、するつもり!」 「そんなことはないっ!俺は、悠人を離さない、たとえ、両親を捨てても…」 ジェフリーを真っ直ぐ見据えて反論する航平の腕に、そっと悠人が触れた。 「それはダメだよ。航平」 ポツッと、悠人が言う。 「僕は10年前、ご両親から亮平さんを取り上げてしまった……。なのにこれ以上…、航平まで、取り上げるわけにいかない」 悠人はそう言って儚げな顔を見せる。 だが、その瞳は揺るぐことがなく…。 「悠人…」 航平は、足の震えを覚えた。 悠人が未だ亮平の死を背負っていることに気付かなかったのだ。 いや、気づかない振りをしていただけなのかも知れない。 一人で勝手に『過去』にしていたから…。 「ユウト、こんなところ、ダメだ。かえろう、ぼくと」 ジェフはグッと悠人の肩を抱き寄せる。 航平はその様子を目の当たりにしても、何も言わない、いや、言えなくなった。 『荷物は二人で持とう』 そんなことを偉そうに言っておきながら、悠人の奥底に澱のように溜まった哀しみに、目を向けていなかったのだから…。 だが、悠人は抱き寄せるその手をそっと外した。 「ユウト…?」 「ごめん、ジェフ。俺は帰らない」 「ユウトっ!」 悠人はジェフを見つめ、そしてその視線を、ゆっくり航平へと移した。 「もう、逃げたくないんだ。 逃げて、またあの10年を…繰り返したくないんだ…」 「悠人…」 航平が瞳を大きく開く。 「許される限り……ううん、許されなくても、一緒にいられなくなっても……俺は、航平が見えるところにいたい」 言葉に乗って、想いが真っ直ぐに突き刺さってくる。 「愛されなくてもいい…。ただ、自分の想いだけは…もう、誰にも邪魔はさせない…」 「ゆう…」 色素の薄い悠人の瞳が大きく揺れ、そして透明の雫がこぼれ落ちた。 「だから…想う気持ちだけは…許して…」 「悠人…っ!」 この温もりを、離したくない…。 その気持ちは、誰もが、同じ。 「こんなに早く来るとは思っていなかったよ」 翌日、両親のもとへやって来た航平を、父は意外なほど『普通』に迎えてくれた。 「母さんは?」 「ああ、いてもまともに話はできないだろうから、おばあちゃんの所へ預けて来たよ」 「…そう…」 ホッとしている自分がいるのは否めない。 「悠人くんとは、あれから何か話し合ったか?」 「うん。だから俺、今日ここへ来られた」 「ほぉ…」 思っていた以上に、悠人は大人なのかも知れない…と父は感じる。 「一つ聞こうと思っていたんだが」 「何?」 少し座り直し、父親は少し声を潜めた。 「お前、以前婚約破棄をしただろう?あの原因は…」 航平は一旦視線を伏せ、またすぐに真っ直ぐ顔を上げた。 「そう。俺が悠人を忘れられなかったから」 何の迷いも、何の衒いもない言葉に、一瞬圧倒される。 「そうか…そんなに前から…」 「もっと前だよ。高校生の時だから」 父は、息子の顔を凝視する。 以前、この件で話を聞いた時の我が子は、こんな表情ではなかったはずだ。 「もう…迷っていないんだな」 「迷ってない」 父は一つ、嘆息する。 「父さんはな、一般常識人だ」 「うん」 「だから、素直におめでとうとは言い難い」 「わかってる」 ふと、父の緊張が緩んだ。 「行きなさい、航平」 思わぬ言葉に、かえって航平が緊張する。 「父さん…」 「帰って来たくなれば、いつでも帰ってくればいい」 これは、父親なりの『赦し』の言葉なのだろうか。 航平はまだ若干の緊張を滲ませて、言う。 「悠人を連れて、帰ってくるよ」 「ああ、そうだな、それもいい…」 答える顔の柔らかさに、航平も思わず笑みを漏らした。 「俺…どんなときも、父さんと母さんの子だから…」 「当たり前だ」 マンションへ帰り着く頃には、もう陽はすっかりと暮れていた。 だが、部屋の中に灯りはない。 「悠人…?」 呼びながらリビングの灯りをつけると、ソファーの上に悠人が膝を抱えてぼんやりと座っていた。 そして、少し離れた所でジェフが見守っている。 「お帰り、コウヘイ」 声をかけたのはジェフだ。 「ただいま…。すまなかった、いろいろと…」 「すっきりした、かお…。コウヘイ、めっちゃ、むかつく」 一体どこでそんな言葉を覚えたのか。 航平はクスッと笑いを漏らした。 「よゆう…だね。コウヘイ」 「まあね」 上着を脱いで、悠人に歩み寄る。 「ユウト、ずっとにんぎょう、みたいで…」 確かに、焦点が合っていないようだ。 「悠人…」 言葉と一緒に抱きしめる。 「もう心配いらない。父さんにきちんと話してきたから」 「………」 無言で見つめ返してくる悠人がたまらなく愛おしい。 「これからも、ずっと、二人だからな」 「……こうへい…」 漸く聴きたかった声が紡ぎ出されたとき、それをかき消すようにインターフォンが来客を告げた。 誰なのか。予想はついていた。 『母さんにもきちんと説明してっ』 母子は、二人きりで航平の部屋へ入った。 悠人には一瞥もくれず、部屋に入るまで不自然なまでに無言だった、その痩せた背中を黙って見送り、悠人はアトリエへ籠もる。 ジェフリーは置き所のない身を、航平の部屋の前に据えた。 その手はドアをそっとなぞり、そして怒りを込めてギュッと握られる。 中からはくぐもった音で、二人の会話が漏れてくる。 『父さんに言ったとおりだ。俺はずっと前から悠人を愛している』 『じゃあ、お父さんや私はどうなるのっ』 『もちろん、父さんも母さんも同じだ。俺の大切な人には変わりない』 男女の愛ならば、相手を取るか親を取るか…などと問われることは少ないのだろう。 その『愛』の違いを同列に論じる事自体が意味を成さないのだから。 『じゃあ、あなた、もし母さんと悠人くんのどちらかしか助けられないって事になったとき、あなたはどっちを助けるの?母さん?それとも悠人くんっ?』 恐らく母は、最後の賭けにでたつもりなのだろう。 だが、航平はもう、動揺することなどない。 『…俺、母さんを助けるよ』 『……航平……』 『ホントだよ』 心はもう、決まっているから。 『じゃ…じゃあ、悠人くんのことを本気で愛してるわけじゃないのね?気の迷いなのよね?』 『ううん、気の迷いなんかじゃない。俺は悠人を愛してる』 『なら、どうして母さんを助けるなんて言うのっ?』 母が詰め寄る。どうしても納得がいかない。 納得が行くまで、今日は引き下がるつもりも、ない。 しかし、息子の落とした言葉は、まったく予想外のものだった。 『…きっと…悠人がそう言うと思うから』 それは、思いもよらない「悠人の意志」の介在。 『…どういう…こと…』 母は、混乱に頭を振る。 『あのさ、母さん』 航平はその肩を、宥めるようにそっとさすった。 『もし俺が片手に悠人の手、反対の手に母さんの手を握っていて、どちらか一人しか助け上げられないと言う事態になったとする。その時、悠人のとる行動は一つ……』 航平はジッと母の視線を捉えた。 『悠人はきっと、自分から俺の手を離す』 『…そ、んな…』 捉えた視線がこれでもかというくらいに揺れた。 『悠人は自分のことよりも俺のことを優先に考えてくれる。だから、俺が後々苦しむことのないように、俺に『母さんを選ばせる』はずだ』 母の目に、見る見るうちに透明の玉が盛り上がる。 『悠人はね……そんなヤツなんだ。今も…昔も……』 航平は母から視線を外すと、ふと、遠い目になった。 そう、昔も悠人はそうだった。 思いの深さ故に、すべてを自分の咎にする……。 『それ…なら…』 引き絞るような母の声に、航平はまた、ゆっくりと視線を戻す。 『母さんを選べば後悔しないということなの?』 『母さん…』 なおも食い下がる母の瞳には、焦燥の色。 何と言えば、我が子は手の内に戻ってくるのか。 『悠人くんの手を離して、母さんの手を取れば、あなたが苦しむことはないということね』 母は、その問いに、頷いてくれる息子だけを受け入れるのだろう。 そして航平は、その母の予想を裏切ることなく、あっさりと頷いた。 『そうだね』 『航平…』 母の瞳に精気が戻る。 そして、また正面からその視線をしっかりと捉え、航平は幸せそうに、微笑んだ。 『母さんを助けたあと、俺は、悠人のあとを追うから』 その時、音が聞こえたかと思うほど、母の心臓は震えた…。 彼女の中で、何かが壊れた瞬間、だった。 |
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それから季節が二つ、過ぎた。 漸く竣工した新しい家のお披露目の日、航平と悠人、そしてジェフリーは、招かれて稲葉家を訪れた。 すっかり日本語が堪能になってしまったジェフリーは、航平の祖父と、日本文化について熱く語っているようだ。 その様子を離れたところから見守りつつ、父は静かに言う。 「お前たちを見ていて思ったよ」 「何を?」 すっかり空いてしまった父のグラスに新しい水割りを作りながら、息子もまた静かに訊ねる。 「その想いが真実のものなら、その形態はどんなものであってもいいのではないだろうか…ってね」 「父さん…」 「母さんも一時期に比べると随分柔らかくなってきたようだし…」 視線の先では、悠人が航平の祖母に捕まっている。 どうやら、優しい悠人がすっかり気に入った様子だ。 そして、少し離れたところから、航平の母がその様子を眺めていた。 「まだまだ時間はかかるだろうがな…」 それでもいい…と航平は思う。 たとえ時間がかかっても、その流れが穏やかであるのなら。 悠人と二人なら。 きっと、無くしていた10年を越える哀しみなど、ないだろうから…。 引き留める祖父母に、また来るからと約束して3人が帰路についたのはもう、深夜のこと。 タクシーの中からすでにあやしかった悠人は、リビングへ入るなり、ソファーに沈んだ。 「悠人、爆睡だね」 「ああ、きっと気を遣って疲れたんだろう」 「でも、楽しそうだった」 ジェフリーは悠人の寝顔をジッと見つめる。 「なあ、航平…」 「なんだ?」 航平もまた、悠人を見つめている。 「悠人って…泣かない…いや、泣けないヤツだったんだぞ」 「え?」 視線を上げてジェフリーを見る。 ジェフリーの視線は悠人に注がれたままだ。 「アメリカへ来て、散々酷い目に遭わされて以来、泣けなくなってた。……涙が……」 ジェフリーが顔を上げる。 「出なくなってしまったんだ」 あまりに辛くて、あまりに悲しくて…。 「けど、日本へ帰って航平と再会してから、悠人の目には涙が戻った」 知らなかった。 航平は、何度も悠人を『いい歳をして泣き虫だな』とからかっていたくらいだから。 「帰国した翌日から悠人はとても泣き虫になった…。それを見るたび、僕の心も血の涙をながしたけれどね」 「ん……」 悠人が寝返りを打つ。 「せいぜい、悠人を泣かせてやってくれ」 「…ああ、嬉し涙ばっかりな」 「言うね、色男」 航平の肩に軽く拳を当て、ジェフリーはリビングを出た。 『母さんを助けたあと、俺は、悠人のあとを追うから』 あの時の航平の言葉は、ジェフリーの中でもすべてを終わらせていた。 ここが、悠人の居場所。 一度だけ振り返り、ジェフリーは小さく深呼吸をした。 やがて遠くで玄関ドアが閉まる音がする。 「…悠人、風邪ひくぞ」 「ん〜?」 取り戻した時間はあまりにも温かくて優しくて。 航平は悠人の柔らかい髪にそっと指を絡める。 「悠人…。愛してる…」 耳元で囁くと、悠人は眠りに沈んだまま、子供のように無防備な笑みを口元に乗せた。 『航平が…好き…』 まだ子供だった頃の告白が、10年の時を経て、漸く実を結ぶ。 昨日よりも今日。 今日という日は、これからの人生の第一歩。 だから、今日よりも明日。 二人で刻む時間を、ずっとずっと温めていこう…。 明日もきっと、優しさに溢れているから。 |
END |
2002.5.15 UP
80808GETのユエさまからいただきましたリクエストです! リク内容は、ズバリ『航平&悠人の続編を』とのことでした。 第1作で再会を果たし、第2作で進展した二人の関係、 どうやらこれで確かなものになったようです。 私も二人を最後まで見届けられてホッとしています(^^ゞ ユエさま、リクエストありがとうございましたvv |
どさくさに紛れて…後日談『そしてまた、春は来る。』につづく(笑)
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