「待ち人来る(まちびときたる)

第5幕「火の鳥」で、悟が京都へ行ったときのお話です。




「右へ行って3つ目の道に自販機があるから、その向こう側で…」
「わかった…」

 今日も京都は暑い。
 僕たちが起きるより先に、蝉はミンミンと大合唱を始めていたっけ。

 明日のコンサートに備え、午前中に2時間練習して、自称『桐生悟親衛隊』メンバーの女の子たちが作ってくれる昼食を食べて…僕たちは脱走した。

 何しろ僕の同級生たちは悟にぞっこんで、練習時間以外は誰かがぺったりとくっついるから、僕たちは二人きりになることもままならなかったんだ。

 まず悟に脱走してもらい、それから僕…。

「葵―っ!」

 ほら来た! 本日の『悟様当番』、晶子が叫んでる。

「なにー?」

 僕はわざととぼけた声で答える。

「悟さま、知らないー?」

 悟はすっかりアイドルだ。

「んー? 気になるところがあるって言ってたから、練習室じゃないー?」
「なんだー。もう、練習かぁ」

 ふっふっふ。
『練習室』というと、彼女たちは急に静かになる。

 晶子はどうやら台所へ向かったらしい。
 今度はきっと『悟様のおやつの用意』だ。
 もちろん『ついで』に僕と栗山先生の分もある。

 僕はこそこそとスニーカーを履き、静かに格子をあけ、そぉっと抜け出ると、悟の待つところを目指して駈けだした。

「ごめん、お待たせ」
「大丈夫だった?」
「えへ、危ないところだった。『悟さま、知らないー?』って叫んでたよ」

 僕たちは笑いあって、歩き出した。

「どこ行きたい?」

 僕のうちのまわりは観光名所が多い。

「八坂神社って近い?」
「すぐだよ。行ってみる?」

 悟が頷くので、僕らは八坂神社へ向かった。

 神社の杜(もり)は蝉だらけ。今を盛りに鳴きまくる。
 8月の京都はとっても暑いので、観光客は多くない。
 けれど、今は別だ。

 明日は『五山の送り火』。
 そのせいか、ここ、八坂神社もいつもより人が多い。

 正面の石段を上がり、右へ折れ、参道に沿って本殿へでる。
 強い日差しが神社の朱(あか)をいっそう派手に見せる。

 悟はポケットから財布を出し、僕に5円玉を握らせた。
 そしてもう一枚5円玉を取り出そうとしたので、僕はその手を止めた。

「待って」

 僕は自分の財布を出し、5円玉を出した。

「悟には僕の『ご縁』」
 二人でふふっと笑い、
「いくよ」

 本殿の賽銭箱に『ご縁』を投げ入れ、派手に鈴を鳴らして柏手を打った。
 かなり長い沈黙…。



「長い願い事だったね」

 僕が言うと、悟はちょっと照れたような微笑みを見せた。

「お礼をね…ちょっと」

 お礼?

「何かお願いしてたの?」 

 お礼をするということは、ここで何かお願いしたということ…。

 悟は答えずに、なんだか懐かしそうに、ぐるっとまわりを見回した。
 ここへ来たことがあるんだろうか。

「こういう所って何年経ってもかわらないんだろうな」
「そりゃあ、歴史的建造物だからね」

 悟はもう一度当たりを見回すと、微かに『あっ』っと言って、隅っこにある小さな木に向かって歩き出した。

 その木に咲いているのは、数え切れないほどの白い紙の花。
 参拝した人たちが結んでいく、おみくじの花が満開だ。

 同じようにおみくじ満開の木は、境内にたくさんある。
 なのに悟はわざわざその木を選んだようだ。

 悟は前までいくと、また財布を出した。
 中から小さな紙切れを出して、丁寧に折る。
 そして目の前の枝に手を伸ばす。

 焼け付く日差しの中、僕は不思議な既視感に捕らわれていた。



☆★☆



 その日僕は、クラスの友達数人と八坂神社を通りかかった。
 他の友達のところへ遊びに行く途中だった。

『あっ』

 小さく声が聞こえた。
 友達は誰も気づかなかったようだ。
 見ると小さな紙切れ、…おみくじが風に飛ばされて来た。

 僕が足元に来たそれを拾うと、『すみません』と言って男の人が来た。
 まわりに同じシャツ、同じネクタイの人がたくさんいる。
 修学旅行だとすぐわかった。

「はい」
「ありがとう」

 僕はちゃんと顔も見ずに、おみくじを渡そうとした。
 1年ほど前に誘拐されたことが原因で、見ず知らずの人に対する警戒心が異常に強かったからだ。

 その人はおみくじを一通り読むと、細くたたみ始めた。

「結んじゃうの?」

 思わず僕は訊ねていた。

「え? うん…。そう言うものじゃないの?」

 その人はおみくじは結んで帰るものだと思っているらしかった。

「嫌なこと書いてあった?」

 何故か気になり、顔も上げられないクセに、しつこく訊ねる。 

「ううん。いいこと書いてあるよ。"待ち人来る"って」
「…誰かを待ってるんだ?」
「どうかな…? 誰かに来てほしい…とは思ってるかもしれない」

 その人は寂しそうに呟いた。

「じゃ、結んじゃダメ」

 僕はいつになく強い口調で言った。

「え?」

「願いが叶うまで、大切に持ってなきゃ。願いが叶ったら、返しにくるものなんだよ」

「そうなんだ」

「うん。僕のお母さんは『結んでしまったから、もう逢えなくなってしまったの』って言ってたから」

 僕は、なぜかこの人の願いが叶えばいいなと思っていた。

「わかった。待ち人が来るまで大切に持っておくよ」

 その時、遠くから、その人を呼ぶ声が聞こえた。

「ありがとう!」

 深くて優しい声の、その人は去っていった。

 初めて僕は顔を上げた。
 遠ざかる後ろ姿。
 スラッと背が高い…。漆黒の髪…。

 駈けていく彼を待つ人たちの中に、金髪の、人形のように綺麗な人がいたっけ。
 
 あれは中学2年の夏の終わり…。



☆★☆



 悟がおみくじを結ぼうとしている。

「嫌なこと書いてあった?」

 悟は『えっ』という顔で振り向いた。

「願いが叶うまで、大切に持ってなきゃ。願いが叶ったら、返しにくるものなんだよ。僕の母さんは『結んでしまったから、もう逢えなくなってしまったの』って言ってたから」

 悟は結ぼうとした手を止めて、僕を凝視した。

「葵…?」
「それとも、待ち人は来たの…かな?」

 驚いていた表情が柔らかく緩み、悟の手が僕の頭を捉えて、そのまま胸に抱き込む。

「『結んじゃダメ』と教えてくれた可愛い子のおかげで、僕は待ち人を手に入れたよ。あの子はきっと『僕を待ってて』って言ってたんだろうね」

 僕は顔を上げて、じっと悟を見た。
 あの時、僕が顔を上げていたら、どうなっていたんだろう。

 一目で恋に落ちていたんだろうか。

「あの時どうして下を向いたままだったの」

 悟のしなやかな指が、ゆっくりと僕の髪を撫でる。

「怖かったんだ、まだ」

 それだけで悟にはわかったようだった。

「これからはずっと僕が傍にいるから」

 そのまま唇を近づけてきそうな雰囲気の悟に、僕は慌てておみくじを取った。

「結んで…」

 悟は微笑んで、それを結んだ。

「今日は二人でおみくじを引こう」

 そして、また、願いが叶ったらここへ帰って来よう。




70000Hits記念番外「待ち人来る」 END

おまけSS『京の町屋のひそひそ話』


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