「September Rhapsody」
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私立聖陵学院高等学校3年D組。 夏休みが終わり、2学期が始まった教室は、いつもと違う熱気に包まれている。 9月1日に入寮し、2日に始業式。授業は3日から始まる。 今日は2日。始業式を終えたばかり。 授業はないが、今日はとてもとても大切な日なのだ。 ここ3年生の教室には1年から3年まで、3学年分のD組が集結している。 すし詰め状態だ。 ちなみに他のクラスも同じことだ。3年の教室はAからEまで、すべてこの状態である。 目的は…。 「いいか! このチャンスを逃す手はないっ! D組一丸となって優勝をさらうぞ!!」 3−D委員長が高らかに宣言すると、D組120人のうち、119人が雄叫びをあげて答える。 ただ一人、ブスッと腕組みしているのは…。 「信じらんない…」 美人が台無しだが、まわりの生徒たちは、そんな顔も可愛いかも…などと言う腐ったことを考えている。 「がんばろうな、葵」 祐介が満面の笑みで、葵の肩を抱く。 その顔をチラッと見上げ、葵は盛大にため息をつく。 「きっと可愛いだろうな…」 そう言った祐介の頭の中は昨日見たビデオのことでいっぱいだった。 ☆ .。.:*・゜ 祐介がドイツから帰国したのは、8月31日。 翌1日。一刻も早く葵の顔が見たくて、時差ボケもなんのその、始発で学校へ向かった。 葵は管弦楽部の軽井沢合宿から直接学校へ戻ってくるので、昼までには着くはずだ。 「祐介?!」 412号室のドアが開くのと同時に、葵の声がした。 「お帰り! 祐介」 入ってくる葵より早く、祐介が駆け寄る。 「ただいま、葵」 微笑む祐介は、グッと大人びたようだ。 「祐介、なんだか良い顔してる」 ちょこっと首をかしげる葵が可愛らしい。 「がんばってきたんだね。お疲れさま」 向けられた笑顔に、祐介の心臓が大きな音をたてた。 葵の表情が、夏休み前と微妙に違うような気がしたのだ。 「葵…。悟先輩と仲良くしてたか?」 ちょっと…いや、かなり気落ちした声で、訊ねてみる。 聞きたくはないのだが…。 「…うん」 恥ずかしそうに目を伏せる葵に、祐介は絶望的な気分になる。 「そっか…。よかったな」 祐介も目を伏せて、葵の頭を軽く撫でる。 「よ、抜け駆けしてんじゃないよ、祐介」 涼太も帰ってきた。 「涼太!」 「あおいー! 元気だったかー? 会いたかったぞー!!」 涼太の愛情表現はストレートだ。 お構いなしに葵を抱きしめて、頬づりまでしてしまう。 「きゃはは、くすぐったいよ」 じゃれる二人に、後ろから手が伸びる。 「ちょっと待った。涼太、その手を離せ」 「陽司!」 412号室全員入寮だ。 「あおいー、寂しかったぜー」 直情型の陽司の愛情表現も侮れない。 いきなり抱き上げると、 「葵、メイクラブしよう」 と、宣ったのである。 「はぁっ?」 葵は呆れているが、涼太と祐介はそうはいかない。 「なにやってんだよっ、陽司!」 引き剥がそうとした二人に、陽司は不敵に笑った。 「ふふふ…。俺様はビデオを持っているんだよ」 『ビデオ』と言う言葉に、葵のこめかみがヒクつく。 (まさか…) 「う…。お前、人の弱みにつけ込みやがって…」 呻く涼太に、陽司が勝ち誇った顔を見せつける。 「見たいだろ? 見たいよなぁ、そりゃ。女神様も天女様も、どっちもばっちり撮ってあるぜ」 「陽司!!! 何で、陽司がそんなもの…」 葵が暴れて、陽司の腕から飛び降りる。 「葵、管弦楽部員全員に箝口令敷いたんだってな」 陽司は葵の唇に自分の人差し指を当てた。 「う」 (誰に聞いたんだ…) 夏休み中に放送された、あのCM。 運悪く、赤坂良昭のインタビュー中だったために、管弦楽部員の多くがビデオを撮っていた。 悟までもが、どこから手に入れたのか、ちゃっかりと持っているのだ。 しかも、マスターに近い、質の良い物を…。 だから葵は、管弦楽部員…それは先輩、後輩にかかわらず…に学校へビデオを持ってこないこと、と言い渡した。 せっかく放送はあれ一回だったのだから、このまま闇に葬り去りたい。 関西では今日からオンエアになるようだが、ここは関東。 これ以上話題にされるのはたまらないから。 「さっきから、何の話?」 話題についていけないのが一人いた。 遙か異国の地にいた、祐介、その人。 「なんでもないっ!」 葵が激しく首を振る。 それを無視して、涼太が祐介に説明をしてやる。 「今話題の美少女モデル、アンのCMビデオだ」 「美少女モデ…」 「わーーーーーーーーーーーーーっ」 祐介の言葉を、葵が絶叫で遮ろうとする。 「あ・お・い。無駄な抵抗は寄せ。今夜9時、談話室で大公開と決まっている」 陽司の言葉を受けて、葵がジロッと見上げた。『覚えてろよ』と言わんばかりに。 「祐介、今夜9時。乞うご期待だ」 陽司の勝ち誇った顔を、祐介は相変わらず『わけわからん』という目で凝視し、それから葵に視線を移した。 目があった途端…。 「笑ったら承知しないからね」 可愛い顔で凄まれて、何故か祐介は、帰ってきたんだなぁ…と感慨に耽っていた。 そして、悪夢の9時。 4階、1年生の談話室は、押すな押すなの大にぎわいだ。何故か他の学年も混じっている。 陽司がビデオをセットしようとしていたその時、流れていたバラエティー番組がCMに入った。 流れてくるのは、あの、フルート。 陽司は手にしたビデオを見る。まだセットしていないのに…。 談話室中が沈黙する。 葵が心の中で、CMディレクターの神崎に、中指を立てていたとは誰も気がつかなかった。 ☆ .。.:*・゜ 「台本は1週間以内に上げる。練習は毎日の部活後。主演の二人は管弦楽部だから、キツイと思うが、これも優勝のためだ。がんばってくれ。それと、奈月、琴の手配もこちらでするから心配いらない。衣装も何もかもだ。奈月はただ、春琴になりきることだけを考えてくれればいい」 一気にまくし立てる委員長に、葵は渋々返事を返す。 「はぁい」 1ヶ月後に3日間に渡って行われる『聖陵祭』。所謂、文化祭である。 初日、高等部はクラス対抗で演劇コンクールを行っている。 3学年合同のクラス対抗だ。 1クラス40人の3学年、計120人が一丸となって1つの作品を仕上げる。 脚本、演出、衣装、大道具、小道具、照明から音響に至るまで、すべてを自分たちでこなすのだ。 そして、このコンクールは例年異様な盛り上がりを見せるのだが、特に今年のD組は燃えている。 理由は簡単。 学院一の美少女と学院三大ハンサムの一人と言われる男前…、そう、葵と祐介がいるからだ。 統括責任の3−D委員長は、葵の天女を見たときから決めていた。 『今年は春琴抄だ』と。 「いいか、最大のライバルはC組だ」 C組と聞いて、葵と祐介が顔を見合わせる。 そう、C組には悟がいるのだ。 その時、偵察にでていた1年生が帰ってきた。 「C組、ロミオとジュリエットです!」 「ぶっ」 一斉に吹き出す。 「なんだよ〜、おきまりだな〜」 「お約束じゃんか」 「ひねりがねーよな、ひねりが」 D組の生徒たちは、「日本の文芸大作」というだけで、すでに勝った気でいる。 「で、配役は?」 3年に問われて、1年が元気よく答える。 「はいっ、ロミオが悟先輩、ジュリエットが麻生隆也です」 目が点、とはこんな顔か。 葵を見て、祐介は思った。 「いいか、最大のライバルはD組だ」 D組と聞いて、クラスがざわめく。 そう、D組にはあの美少女モデルの葵がいるのだ。 その時、偵察にでていた1年生が帰ってきた。 「D組、春琴抄ですっ」 「えっ?」 一斉に疑問符を吹き出す。 「マジかよ〜」 「シリアス狙ってんな」 「純愛路線っわけか…」 C組の生徒たちは、相手が「日本の文芸大作」というだけですでに気後れしている。 「で、配役は?」 3年に問われて、1年が元気よく答える。 「はいっ、春琴が奈月、佐助が浅井です」 「やっぱりなー」 「やばいぜ。ゴールデンカップルだ」 口々に不安が漏れる。 悟は腕組みをしたまま、窓辺にもたれて外を見ている。 そんな悟を、隆也はポケッと見つめた。 (半年前の僕だったら、泣いて喜んだんだけどな) しかし、今は葵の相手役が案の定、祐介になったことで、隆也の胸はさざめいている。 それはきっと悟も同じじゃないかと伺ってみるのだが、悟は相変わらず、その端正な表情のままで外を眺めている。 「な、やっぱり奈月と浅井ってデキてんのかな?」 誰かが嬉しそうにいった。恐らく3年生だろう。 悟の表情が僅かに変わる。 隆也は思わず声のする方を向いた。 「だって、同室だろ? あの2人。いつ見ても一緒にいるしな」 「そうそう、昨日なんか、浅井のヤツ、奈月の髪に手なんか入れちゃってさー」 「えー! ホントかよ!」 「耳元に何か囁いてやがんのっ」 そこら中を巻き込んで、一気に場が盛り上がる。 「奈月ってさー、なんか色っぽくなってないか?」 「あ、俺もそれ感じた」 「休み中になんかあったんじゃねーか」 「合宿中とか?」 「いや、やっぱモデルデビューってのが効いてるぜ」 「あれってもともとフルートを吹くだけのはずだったんだってな」 「え? そうなんだ」 「それがさ、スタジオでディレクターの目に留まってさ」 「奈月ならありそうな話だよな」 「あいつの天女って腰にくるよなー」 「俺、女神サマの方がいいっ」 これでもかというくらい3年生がはしゃぎまくる。 かなり嘘も混じっているところが、噂のコワイところか。 『バコ!』 いきなり悟が壁を蹴った。 「……どうした? 悟」 「すみません、ぶっつけました」 しれっとした表情で悟が告げる。 「大丈夫…か?」 釈然としないながらも、3年生が訊ねる。 「はい。大丈夫です」 横目で見ていた隆也は、ふぅっとため息を吐いた。 (どんな『ロミオとジュリエット』になるんだろ) 気の毒なのは、C組のみんなだ、と隆也は思う。 それに、自分…。 葵と祐介のラブシーンなんか見たくもないし、悟とキスシーンなんかやって、葵に恨まれるのも嫌だ。 内心で盛大にため息をつき、隆也は悟に声をかけた。 「悟先輩、よろしくお願いします」 浮かない声だが、仕方がないだろう。 「こちらこそ。がんばろうな、麻生」 (ひえぇっ…) 意外なことに、悟は笑顔だった。まるで作ったように綺麗な笑顔。 (怖すぎるぅ…) 隆也は、 (僕もかわいそう…) と、またしてもため息をついた。 さっきよりも、もっと深刻に。 夜の第一練習室。 悟は一人、黙々と練習していた。 集中力には自信がある。 そうでなければ、超多忙な身で成績の維持など不可能だ。 短い時間でも、最大の効果を上げるようにもっていく。勉強でも練習でも。 それが悟のやり方だ。 だが…。 「…っ」 今夜はミスタッチが多い。 集中しているつもりなのだが、ふとした拍子に意識が裏返ってしまう。 音の世界から転がりでてしまうのだ。 今日はもうやめた方がいいかもしれない。こんな練習は何時間続けても無駄だ。 そう思って、ピアノの蓋を閉じる。 深く一つため息を吐いた時、ドアについている小窓の外で気配を感じた。 重いドアを開けると…。 「葵…」 葵がドア横の壁にもたれて立っていた。 葵は『あれっ?』っと言わんばかりに顔をあげる。 「悟…練習は?」 きょとんとした顔を向けられて、悟は堪らずに葵の腕を掴み、部屋に引きずり込む。 「ど…どうしたの…。悟…」 よろめいた葵を胸に抱き留めると、その首筋に顔を埋め、深く息をする。 ささくれかかっている気持ちを静めてくれる、葵の匂い。 「…入ってくればいいのに…。どうして外なんかで…」 呟くように言う。 「だって、練習中なのに…。僕はただ…」 「ただ…?」 埋めていた顔をあげ、言い淀む葵の顔を覗き込む。 「…なんでもない…」 少し声を低くして答えた葵は、そのまま顔を伏せてしまう。 「言って…」 「やだ」 キュッと唇を噛んだ葵が、ほんのりと上気した頬を見せる。 「言わないと…」 少し怒りを含んだような声に、ギクッとした顔で、葵が見上げてくる。 「ラブシーンで麻生とキスしちゃうぞ」 『ククッ』と笑いながら、悟は葵の鼻先をつつく。 「さとる〜」 からかわれたとわかっては、葵も黙ってはいられない。 「そんなこと言うんだったら、僕だってラブシーンで祐介とキスしちゃうからね」 プクッとふくれる葵に今度は悟が顔色を変えた。 「そんなこと、ダメだっ!」 …マジ切れである。 そんな悟に、葵は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにまたいつもの柔らかい微笑みを見せた。 「嘘だってば」 ニコニコと嬉しそうにしている葵に、悟は内心ため息を吐き、絶望的な気分に陥った。 こんな気分が、聖陵祭が終わるまで続くのだろうかと思うと、情けなくなってくる。 「あおい…」 その日の口づけは、いつもより長くて、深くて…。 この制御不能な嫉妬を感じなくなる日はくるのだろうかと、悟はまたしてもため息をついた。 |
「September Rhapsody」 END
『春琴抄』の練習現場をちょっと覗く?
*演劇コンクールの様子を赤裸々に描いた(笑)『THE・聖陵祭』は番外編にあります。