2002年ホワイトデー企画

君の愛を奏でて
「切ない気持ちのスタートライン」

前編

2002バレンタイン企画「優しい気持ちのスタートライン」を未読の方は
そちらを先に読んで下さいねv





「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………」

 ボクが、これでもかっていうくらい憂鬱なため息を吐くのは今日、何度目だろう。

 休み時間が来るたびに、サッカーしに行こう…とか、バスケしよう…とか声をかけてくれるクラスメイトたちも、あんまりボクの様子がおかしいので午後からは遠巻きにこっちを見ているだけだ。



「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………」

 終礼が終わってしまった…。
 また、部活の時間がやってくる。

 特に今日は、中高合同のパート練習だ。
 小さな練習室に6人。2時間も顔をつきあわせて練習だなんて…。

 ついこの間までは楽しみで仕方なかったパート練習も、今のボクには『地獄の釜ゆでタイム』だ。

 あんなこと…。やめておけばよかった……。








 ボクがそれを決意したのは2月に入ってからだった。

 そんなの、どこで買えばいいかわからなかったから、このお祭り騒ぎもちょっと離れたところから眺めていたんだ。

 そしたら、管弦楽部の先輩が『聖陵の生徒が買い物に行くスポット』っていうのを教えてくれて…。

 それとなく周りのみんなに聞くと、結構『買いに行きたいんだけど恥ずかしい』…っていうのが多かったんだ。

 だから、みんなで行こうってことになってしまって…。

 友達の中にはたくさん買ってる子もいた。

 けれど、ボクは1個だけ。
 先輩に渡す、たった1個だけ。

 でも、先輩はたくさんもらうんだそうだ。
 いつも学院内で上位10人に入るらしい。

 納得だけど…。

 ボクの友達も、その先輩に渡すっていう子が多い。

 けれど『負けてらんない』とは思わないし、別に誰が先輩にどれだけ渡そうが構わないと思う。

 ただ、そのたくさんの中の一つに、ボクのもあればいいな…って思うだけで……。 



 でも、チョコを買いに行った日。

 よりによって、そのたった1個のチョコを手にしているときに、ボクは先輩に会ってしまった。

 なんだか急に恥ずかしくなった。
 とっても、いけないことをしているような気がして。

 ボクの姿を見つけた先輩が声をかけてくれたのに、ボクはぺこっと頭を下げるだけで、その場から逃げてしまったんだ…。



 だからボクは余計にその日、周りの様子が目に入らなかったんだ。

 そうでなければ…。
 知っていたら絶対あんなコトできなかったのに…。









 その日、ボクは朝からソワソワと、ポケットに突っ込んだ小さな四角い箱を何度も確認していたんだ。

 箱の角が丸くなっちゃいそうなほど、何度も触ってしまうんだ。

 それこそ授業中も、ごはんの時も…。

 校舎も寮も違うボクのチャンスは、放課後の音楽ホールだけ。

 それなのに、朝からずっと、ボクはポケットのチョコの事だけを考えていた。


 
 だからボクは、昼休みの騒ぎにも気がつかなかったんだ。

 高等部の校舎から流れてきたその噂に、先輩の名前があることは気がついていた。

 でも、それを確かめる余裕はボクには全くなくて。

 先輩の名前を聞いただけで、ボクの心臓は痛いほど鳴ったから。
 

 でも、あの時ちゃんと、噂を聞いていれば…。








 放課後、ボクは音楽ホールの廊下の隅で息を殺して待っていた。

 そう、先輩が通るのを…。

 今日はパート練習もないけれど、この時間なら先輩は個人練習するはずだと思って。

 どれくらい待ったのかな…。
 それはすごく短かかったようにも、とんでもなく長かったようにも思えたのだけれど。
 


 先輩だ…!
 


 先輩がフルートケースを抱えてやって来た。

 ボクは躊躇する間もなく、先輩の名前を口にしていたんだ。

「あ、あのっ、浅井先輩っ」

 振り返った先輩の視線はすごく高いところにあって、ボクを不思議そうに見おろした。

「あれ? 今日はパート練習ないぞ」

 …わかってます…。

 ボクは小さく首を振った。

 思わず後ろ手に持った箱を握りしめそうになる。

 先輩はじっと僕を見ていた視線をふと泳がせた。
 そして一人納得したように頷くと、泳がせた視線をそのまま、いくつか先のドアへ向けたんだ。

「葵ならあっち。第3練習室だ」

 え? ええっと…。

「え、えと…。そうじゃなくて…」

 そう、ボクは奈月先輩じゃなくて…。

 続く言葉が見つからないボクは、持て余す気持ちを、後ろ手に握った箱に押しつけてしまう。

 そんなボクに、先輩は思いもかけないことを言った。


「どうした? 一人で恥ずかしいんならついてってやろうか?」


 先輩…思いっきり本気で言ってる…。

 そして、その言葉に悲しくなったボクもまた、思いっきり本気で言ってしまう。

「そ、そんなのっ。そんな大切なことくらい…ぼ、ぼくっ、一人でできますっ」

 そう、それがたとえ、奈月先輩であっても、浅井先輩であっても。

 いきなり大きな声を出したボクに、先輩はちょっと肩を竦めた。

「そっか。それは悪かった」

 真面目に言うと、先輩はクルッと向きを変えた。

「あ、あのっ…! 浅井先輩…っ!!!」

 まって…! 行かないで…!!

 呼び止めたボクの声は酷く掠れていて…。

 先輩はもう一度こっちを見てくれた。
 そして、優しい目で見おろしてくる。

「どうした?」

 先輩の声は、これでもかって言うくらい優しいんだけど、ボクはもう、言葉が喉を通らなくて…。

 何度か無意味に開いた口からは『こっ、こっ、こっ…』…なんていう、意味不明な恥ずかしい言葉しか零れてこない。

「こっ、こっ、こっ?」

 しかも、先輩ってば真面目な顔して真似するし…。

 もう、ダメだ…。
 鼻の奥がツンとなって、熱い固まりがこみ上げてきた。

 先輩の姿がぐにゃりと歪む……。

「藤原…?」

 不審そうにボクの名前を呼ぶ先輩に、ボクの決意はガラガラと音を立てて崩れていった。

「や、やっぱりいいですっ」

 1秒でも早く、ここから逃げ出したい……!
 ボクは反対向いて走り出した。

 けれど……。



「おいっ、待てよっ」

 先輩の声が追いかけてきて、その途端にボクの右腕が強い力で引き戻された。

 ご、ごめんなさいっ! 先輩…っ!

 ギュッと目を瞑るボク。

 そんなボクの上から、静かに声が降ってきた。



「もしかして、これ」

 き…気づかれた…?

 ボクは恐る恐る目を開けたけれど、どうしても顔をあげることができなくて、そのまま先輩の靴先に必死で焦点を合わせて次の言葉を待った。


「僕…に?」

 それは、いつも優しい先輩の……でも、もっともっと優しい声。

 その優しさに促されて、ボクは小さく頷いた。

 そして、小さな声で『はい…』と…言えた…。

 優しい浅井先輩は、他のみんなのと同じように、きっと笑顔で受け取ってくれるんだろう…。

 ボクは心底ホッとした。
 きっと、嫌われたりは…しない……だろう。

 そう思ってもまだ顔のあげられない僕に、次に降りてきたのは意外な言葉だった。


「…さんきゅ…。すっごく嬉しい」

 ……え?

「3月14日、楽しみにしてろよな」

 …………え?

 …先輩、喜んでくれるの…?

「せ、せんぱい…」

 ボクはさっき廊下で先輩に声をかけたとき以上の勇気を振り絞って顔をあげた。

 先輩が…綺麗な笑顔でボクを見ていた……。


「う…うわぁぁぁぁん」 
「ふ、藤原…」  

 それから後のことを、実は、ボクはよく覚えていない。

 わんわん泣いてしまったボクの背中を、ずっと温かい掌がさすっていてくれたことだけ…覚えてる。



 
後編へ続く