Op.3
第2幕「Allegro,con fuoco」
【3】
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1曲目は中等部の選抜組によるベートーヴェンの名曲『エグモント』序曲。 弦楽器は元々かなりハイレベルな中学生たちなんだけど、秋以来、管楽器がさらに成長して、目を瞑って聞いていれば中学生の演奏とは思えないほど堂々としたもの。 祐介曰く、自分たちが中等部だった頃に比べてもかなりレベルが高いそう。 お客さんたちの表情も満足げだ。 2曲目は高等部による、ドヴォルザークの『謝肉祭』。 『エグモント』のような知名度はないけれど、これがまた、一度聞くと耳から離れなくなるほどの名曲なんだ。 ハイテンポでハイテンション。 まさに『カルナバル』って感じ。 最後は『タンバリン・コンチェルト』って言われるくらいタンバリンが大活躍するんだけど、これがまた超絶技巧のタンバリンで、これが叩けたら何処のオケへ行っても通用するって言われるくらいなんだ。 もちろん、聖陵が誇る打楽器軍団の面々は全員これが叩けるわけで、結局誰が叩くかは、異例のパート内オーディションが行われた結果、最上級生にして首席である高3の先輩が面子を守り通して勝ち取った。 OBの先輩たちも、『8年振りの演奏だな』って凄く楽しみにしていたんだけど、もちろんこれも、満足してもらえる演奏になった。 そして。 15分の休憩を挟んで、いよいよ悟の出番。 チャイコフスキーのピアノコンチェルト第1番が始まる。 僕たちオーケストラが定位置にスタンバイし、一呼吸おいて、悟と光安先生が舞台に現れる。 ホール中に鳴り響く拍手に迎えられて、悟は綺麗に背筋を伸ばし、客席に向かって礼をする。 そして、光安先生、コンマスの昇と固く握手を交わして、ピアノの前に座った。 一瞬の静寂。 悟が軽く頷くと、先生がオケ全体を見渡して、タクトを上げた。 珠生が率いるホルンの序奏が堂々と響き渡り、あまりにも有名なコンチェルトが始まる。 第1楽章。 6小節目に悟のピアノが登場し、誰でも知ってるんじゃないかっていうくらいのメロディーをヴァイオリンが奏でる。 この楽章だけで演奏時間20分を超える大曲で、当然、ほぼ弾きっぱなしとなるソロ・ピアノは気力と体力がいるわけだけど、もちろん悟に関しては何の心配もなくて、途中で僕のソロと絡む部分もばっちり決まり、難しい部分のない僕は、悟の演奏を楽しむ余裕まであったりして。 第2楽章はゆったりとした優しい曲。 冒頭、僕はソロなんだけど、気持ちよく吹ききって、あとは悟に見惚れていた。 そうそう、長い休符の間、ぼやっと悟を眺めてて、祐介に足踏まれた。 ほんっと、最近やりたい放題なんだから、もう。 そして終楽章となる第3楽章「Allegro,con fuoco」〜火のように。 早いテンポと技巧を凝らした曲想で、さすがに僕も、神経を使う掛け合いが多くて悟にばかり見惚れてるわけにもいかないんだけど、でも気持ちはずっと悟の方を向いてたりして。 でも、それって当たり前だよね。 オケ全体が、ソリストに寄り添ってこその協奏曲。 悟がこの6年間に、管弦楽部で築いてきた仲間たちとの信頼が、ここにすべて現れる。 そして、僕たちはまた改めて気づくんだ。 このメンバーで、この曲を演奏するのはこれが最後。 ゴールはもう、目前。 終わらないでと願っても、確実にやってくるフィナーレを目指して、ピアノも、弦楽器も管楽器も打楽器も、火のように駆け抜ける。 もしかしたら、一瞬の後には消えて行くからこそ、音楽は美しいのかも知れない。 そう思った瞬間、先生と悟が視線を合わせ、すべての楽器が同じ音『B』に揃い、すべてが終わった。 一瞬、息を飲んだような会場の空気が僕らに伝わり、そしてホールは割れるような拍手に包まれた。 悟が立ち上がり、指揮台の先生と固く抱き合い、そして、昇と笑顔で握手を交わし、熱狂する客席に向かい、深く一礼する。 当然鳴りやまぬ拍手に、幾度か礼を繰り返し――僕から見えないけれど、きっととんでもなく綺麗な笑顔だと思う――ふと、振り返った。 僕と絡む視線。 柔らかく微笑むと、悟は小さく頷き、そして僕たちオーケストラを見渡してから、深々と頭を下げた。 そんな偉大なソリストを、僕らは足を踏みならして讃え、そして今までの感謝を伝える。 それから何度もカーテンコールは続き、舞台の照明が落ちるまで、20分もかかって、僕らの定期演奏会は終わった。 ☆ .。.:*・゜ 現れたときと同じように、またこっそりと帰っていったお父さん――院長先生と理事長さんに、『来年はぜひ理事会に』って口説かれてたみたい――を、香奈子先生と見送って、僕は打ち上げが行われる寮食へと向かった。 打ち上げには先生方や管弦楽部員の他に、招待されているOBやPTAの人たちもたくさんいて、ごった返している。 悟たちは、先生方や理事の人たちに取り囲まれていて、なかなか近寄れない。 でも、いいんだ。 このあと2時間もしたら、香奈子先生の車で一緒に帰れるもんね。 ほんと、これも『告白効果』ってわけだ。学校から堂々と、一緒に帰れるなんて。卒業まで、そんなこと絶対無理だと思ってたけど。 「で、葵はこの頃『それ』なわけ?」 一通り、先生や招待のエライ人たちと挨拶を済ませて、僕は同級生の輪の中にいた。隣にはもちろん祐介。 祐介も管弦楽部長として、挨拶だの何だのと走り回っていたんだけれど、漸く腰を落ち着けて、お茶してる。 「それって?」 「マイブームだよ。どら焼きじゃなかったのか?」 「ううん、どら焼きで正解。これは、セカンドブーム」 答えながら、僕は差し入れの中に見つけたメロンパンを囓っている。 向かいでは、羽野くんがおにぎり食べてるんだけど、相変わらず茅野くんががっちり張り付いていて、ほんと、仲が良いったら。 「セカンドブーム?」 「そ。実は中3の終わり頃にメロンパンブームがあったんだ。で、今回は2回目。でもメインのブームはあくまでもどら焼き。でもさあ、あんこばっかりじゃ時々飽きるからね。たまにはメロンパン。あ、でも中にクリームとか入ってるのはダメなんだ。やっぱりメロンパンは、何にも入ってないのが王道だからね。 あ、でもカスタードクリームなら許さないでもないって言うか……って、ちょっと祐介っ」 よそ見してんじゃないよっ。 「え? 何?」 「何、じゃないよ。人に話振っておいて、途中でよそ見とはいい度胸だね」 って、僕が抗議をしようとした、その祐介の視線の彼方には…。 藤原くんの姿が。 …ふうん。 そう言えば、祐介のあの『不機嫌』って、ここのところお目に掛かってない。 しばらく自分の事で手一杯だったから気がつかなかったけど、ほんと、よく考えてみたら………あれ以来…のような気がする。 僕が藤原くんの落とし物を、祐介に託したあの日。 本当にあれ以来だとしたら、僕の目論見はまんまと成功したわけだ。 祐介が藤原くんにどこまでの想いを抱いているのかはまだ僕にもわからないけれど、とりあえず、真っ直ぐに向き合うきっかけにはなったのかもしれない。 でも、遅過ぎなきゃいいんだけどな。 だって…。 ほら、藤原くんの側には必ず初瀬くんの姿。 大きな身体を、さりげなく寄り添わせていつも守っているようで。 僕は、初瀬くんがどうしてあそこまで藤原くんを大切にするのか、その理由を知っているけれど、でも、それにしても最近の初瀬くんはますます中1らしからぬ男らしさで、どうもその視線にも、夏休み前あたりとは違う強さが混じっているような気がする。 『お兄さんの代わり』…ではなくて、はっきりと『藤原彰久』という個人に向けられている強さというか、熱さというか…。 ともかく、祐介的にこの状況は多分、かなり、いただけないと思う。 何と言っても、祐介が藤原くんに接する時間よりも、初瀬くんが藤原くんに接する時間の方が圧倒的に長い。 それに、ちょっと前に紺野くんから聞いたんだけど、藤原くんと初瀬くんって、実家が近いらしいんだ。 なんでも自転車で15分くらいの距離なんだとか。 そう言えば、夏休みに初瀬くんちに電話した時、藤原くんがいたもんね。 遊びに来てるって言ってた。 これも、祐介的には非常にマズイよなあ…。 ともかく、状況的には圧倒的に祐介が不利…ってことには違いなくて…。 「ね、祐介」 半ばぼんやりと藤原くんを追っているらしき祐介に声を掛けてみたんだけれど、応答ナシ。 「祐介ってば」 …無視ってか。 「ゆ〜すけ〜」 間抜けな声で呼んでみれば、やっとこっちを向いた。 「………え? 何?」 何ってねえ…。 「あのさ、祐…」 「なあ、葵」 は? あのね、僕が先に話しかけてたんだけど。 「藤原って1月生まれなんだ」 …ってさ、今年の誕生日には、デートして楽譜プレゼントしたって言ってたじゃん。 「ふーん、そう。それで?」 わくわく。 もしかして『どこにデートに行こう』とか『今度はどんなプレゼントがいいなか』とか、そんな相談かな。 わくわくわく。 ところが祐介ってば。 「それだけ」 へ? 何だそりゃ。 「それだけ?」 「何が」 …こりゃダメだ。魂がどっか行ってるよ。 これはもう、放っておくしかないな…と思っていると、遠くで藤原くんがクルッと振り向いた。 どうやら僕たちを探していたらしく、ニコッと笑うと一目散にやってきた。 もちろんその後ろには、ぴったりと初瀬くん。 当然、祐介の魂はあっと言う間にお戻りになった模様で。 「浅井先輩、奈月先輩、お疲れさまでした!」 元気よく言ってくれる藤原くんに倣って、初瀬くんも――こちらは随分と落ち着いた声だけど――挨拶をしてくれる。 「お疲れさま。今日もいい出来だったね」 「あ、ありがとうございます!」 頬を染める藤原くんを、初瀬くんが眩しそうに見下ろしているのが何というか…。 「お疲れさん。この調子で演奏旅行もがんばろうな」 その初瀬くんの視線に気付いているのかいないのか、祐介が、これでもかって言うくらい優しい声で言うと、藤原くんはさらに湯で上がって、可愛らしい声で『はい』と返事をした。 うーん。藤原くんの気持ちはまだ大丈夫みたいだな。祐介に向いてる。完全に。 そして、そんな藤原くんを見つめる初瀬くんの表情が、ほんの少し、曇った。 うーん。こりゃかなりヤバイとみた。 初瀬くんの気持ちは、すでに『お兄さん』から抜け出ている…と思う。多分。 となると、問題はいつ、初瀬くんが行動を起こすか…だ。 まあ、彼の事だから無茶なことや無理強いなんてことは絶対にしないと思うけど、タイミングによっては取り返しがつかなくなる可能性もありだよなあ。 でも、その部分はいくら僕でも介入は不可能だし…。 「じゃあ、気をつけて帰れよ」 「はい!」 『お先に失礼します』と礼儀正しく頭を下げて、藤原くんと初瀬くんは、寮食を後にした。 きっと家までの帰り道も、2人一緒だろう。 そんな2人の後ろ姿を祐介はまたしても、魂が抜けたような顔で見送っていた。 これは、暫くは様子見かな。 プッシュするとしたら、どのあたりだろう。…うーん。難しいなあ。これは、きっちり作戦を練っておかないとダメだな。 それから暫くして、僕たちは3日後の演奏旅行の事を光安先生と最終確認して、それぞれの帰途についた。 ちなみに羽野くんは、茅野くんがこのまま演奏旅行まで寮に残るので、一緒にいるらしい。 ラブラブなんだから、もう〜。 ☆ .。.:*・゜ すっかり日も落ちた帰り道。 いつもは別々に学校を出て、途中で拾ってもらっていたんだけど、今日は学校の駐車場から悟たちと一緒。 僕が、これでもかというくらい香奈子先生に可愛がられている様子を見て、佐伯先輩が『よかったな、葵』…なんて、こっそり耳打ちしてくれたりなんかして、それも嬉しかったりして。 ともかく、悟も昇も守もこの状況をとても喜んでくれていて、僕も、この帰りの道のりをいつも以上に楽しんでいたりする。 「香奈子先生」 「なあに? 葵」 後部座席から身を乗り出して運転席の香奈子先生に声を掛けると、悟が横から『危ないよ』…なんて言って僕を引き戻す。 ほんと、過保護なんだから。 香奈子先生は今日、大きい方の車で迎えに来てくれたから、真ん中に座ってる僕だってちゃんとシートベルトしてるのに。 「お父さんって、何時の飛行機でしたっけ?」 「ええと…もう乗ってる頃ね」 やっぱりとんぼ返りだったんだ。結構ぎりぎりだったんじゃないだろうか。 「父さんがどうしたって?」 僕の右隣から悟。 「もしかして来るの?」 左隣から昇。 「今頃からこっちに来たら、あっちのニューイヤーコンサートに間に合わないんじゃないか? リハとか、年内にあるだろ?」 そして、助手席にいる守が香奈子先生に尋ねる。 「大丈夫よ。こっちへ来る飛行機に乗ったわけじゃないから」 「じゃあ、どこへ?」 悟が僕の肩を抱いたままで、また尋ねる。 「ドイツへ帰ったんだよ」 僕が言うと、昇が『どこから?』と突っ込んできた。 そりゃあもちろん。 「ここから」 そう答えた僕に、3人は一瞬押し黙った。そして。 「もしかして」 悟がジッと僕を見る。 ニッと笑った僕に、悟は答えを見つけたようだ。 「…全然気付かなかった…」 そりゃそうだろう。 気付かれないようにこっそりやって来て、こっそり帰っていったんだから。 「学校に着いたの、開演10分前だったからね。それに、帰りもこれじゃあ、話してる暇はないし」 「って、葵はちゃんと話をしてたんだろう?」 恨めしそうにいう悟がなんだか可愛い。 「うん。お父さん、感激してた。 3人が、いつの間にかこんなに立派になっていて、コンチェルトまでやり遂げるほど成長していて嬉しいって。 悟のももちろんだけど、昇の曲も守の曲も難曲だったから、『いつの間にこんな曲を弾きこなすようになっていたんだろうなあ』…って、遠い目で物思いに耽ってたよ。そうそう、昇は『情緒的にコントロールが効かなくなる部分があったけど、ちゃんと克服していた』って言ってたし、守は『技量に頼って突っ走るところがあったけど、今回はバランスがとてもよかった』って。悟は『もっと冷静な演奏をするのかと思っていたけど、思っていた以上に情熱的で驚いた』って」 感想は、『マエストロ』としての言葉だったけど、あの時のお父さんは、『お父さんの顔』をしていた。 お父さんは自分のことを『世界一ダメな父親だからね』って言うんだけど、あんなに素敵な『お父さんの顔』ができるんだから、ダメな父親なんかじゃない。 もしかしたら、『お父さん』としてはまだまだ新米なのかもしれないけれど、それを言うなら僕だって新米の息子なんだから、これから一緒にちょっとずつ、それらしくなっていければなあ…って思うんだ。もちろん、悟たちも一緒に。 「ってさ」 黙って僕の話を聞いていた守が、助手席で、前を向いたまま、ふいに口を開いた。 「まさかとは思うけど」 途切れる言葉。 「…うん、まさかとは思うけど」 昇も同じように言うんだけど、やっぱり言葉は途切れて。 「まさかじゃないよ。お父さん、夏も秋も聴きに来てたよ。でも、今さら、どんな顔して行けばいいのかわからないから、黙っててくれって」 「…へー…」 「…そう」 って、2人ともポーカーフェイスを装ってるけど、微妙に嬉しそう。 そんな様子を見るのはとても幸せで…。 だから、ついつい、こんな情報まで流しちゃったりして。 「そうそう。夏は今日みたいにとんぼ返りだったけど、秋はちょっと時間があったみたいで、光安先生の部屋で聖陵祭のビデオを見て帰ったって」 「……ちょっと待て、葵。その聖陵祭のビデオ…って」 悟がこめかみを押さえて苦悶の表情をしている。 ま、可哀相だけど仕方がない。本当のことを教えて上げないとね。 「うん。守のロミオと、昇のドロシーと、それから僕たちの源氏物語」 僕はいいんだ。堂々の主演男優だったからね。へへっ。 でも、『主演女優賞』の悟は無言で撃沈しちゃって、香奈子先生は肩を震わせている。 実は、香奈子先生も見たんだって。お父さんと一緒に。 昇も守も必死で笑いをかみ殺しているけど、どっちかが吹き出すのはもう時間の問題。 「…ぷっ」 って、真っ先に吹き出したのは、香奈子先生だった。 「…ちょっと! どうして母さんがそこで吹き出すわけっ?」 悟の言葉をきっかけに、車内は大笑いに包まれた。 というわけで。 明日はクリスマスパーティで、明々後日からは2泊3日の演奏旅行! 楽しい冬休みになるといいな。 |
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ライトにR18なおまけ『きみにすべてを 2』です。
よろしければお召し上がり下さい〜☆
*オーケストラ・割とどうでもいい豆知識*
文中で、葵たちが演奏終了後に足を踏みならしていますが、
オケではソリストや指揮者に拍手を送る代わりにこういう行動をとることがあります。
これは、楽器で両手が塞がっていて拍手ができないから…らしいのですが、
本当かどうかは割にみんな気にしていません(笑)
まあ、慣習のようなものでしょう。
弦楽器の人たちは、楽器の背板を指の関節で叩く人も多いです。
でも、叩かれてる弦楽器は大丈夫なんだろうかと、いつも気になっていた私でした(笑)