THE・聖陵祭!2

【後編】





 だが、『生徒会です』と一声掛けて入ったB組の教室は、俺の予想に反して穏やかで優しい空気が満ちていた。


「お。査察だな、ごくろーさん」

 明るい笑顔で声を掛けてきてくれたのは、あの「かかし早坂」に振り回されているのであろう、森澤先輩。

 守先輩ですら――いや、守先輩だからこそか――止められなかった麻生のジュリエット降板を体当たりでくい止めた立て役者は、念願の男役姿もすっきりと凛々しい。
 そこはかとなく可愛いのがご愛敬だけれど。


「何か変わったことはないですか?」

 静かに談笑する教室内をぐるっと見渡し尋ねると、森澤先輩は、

「ん、全然OK。ちゃんとやれるよ。俺たちも、守も……麻生も、な」

 そう言ってパチンと右目を閉じてみせる。


 教室の奥では、机に腰かけ長い足を組んだロミオ姿の守先輩が、ジュリエットの肩をそっと抱き寄せている。

 ここのところすっかり痩せてしまって周囲を心配させていた麻生は、今日は綺麗に化粧を施され、いっそ儚いほどの風情で大人しく守先輩にもたれている。

「よかったですね。麻生がジュリエットのままで」

「あったりまえだろ? 麻生に降りられてみろ、俺があの超恥ずかしいカッコしなくちゃいけなかったんだぜ。カンベンしてくれってーの」

 森澤先輩はそう言ってあっけらかんと笑って見せるけれど、その実、親友である守先輩と麻生になんとか『いい思い出』を残してやりたいという思いやりに溢れている。


「期待してますよ。B組の舞台」

「おう、任せとけって。A組には負けないからな」

 森澤先輩はそう言ってニッと笑うと…。

「…ああ、古田としては、A組より翼ちゃんに勝ってもらわないといけないんだっけ?」

 …ちょっと待った。

「じゃーな〜。教職員組の査察もしっかりやれよ〜」

 …結局、昇先輩に続いて森澤先輩にも言い逃げをされてしまった。

 だから、いったいどこが情報源なんだっ?

 だいたい俺と森澤先輩は、生徒会の一執行部員と運動部会長という関係以外の接点はないんだ。

 そもそも昇先輩の情報源と森澤先輩の情報源は同じなんだろうか?違うのだろうか?

 いや、同じじゃないと困る。あっちこっちに漏れてるなんて冗談じゃないからな。

 だがそうなるとますます接点の心当たりがない…。

 俺は頭を抱えたまま、我がクラス、A組へと向かった。




 A組は大騒ぎだった。

 なにしろ衣装の嵩が高い。
 数人分の十二単が教室の半分を埋めているような状態で、足の踏み場もないとはこのことだ。

「やっほう〜、古田くん〜、査察お疲れさま〜」

「ご機嫌だな、奈月」

「うん! そりゃあもう」

 それにしてもさすがに和装慣れしているだけあって、奈月の着こなしは見事だ。

 この扮装でひょいひょいと衣装の山を飛び越えて来るなんてこと、多分他の誰も真似できないだろう。まるで牛若丸だ。

「悟先輩と浅井は?」

 多分まだ教室の奥に張られた暗幕の向こうだろうけれど。

「支度中だよ。着慣れてないから動き難いって」

「そりゃそうだろう。俺だって『やれ』って言われたらNo Thank youだ」

「あはは、酷いや〜。仕掛け人の一人のクセして〜」

 衣装の袖を振り回しながら大笑いする奈月。
 
 その後ろから一際大きなヤツがやってきた。


「あ、古田先輩だ。みてみて〜」

 入学から僅か半年。今やネイティブと遜色ない発音をするようになった、正真正銘の異国人、アニーだ。


「似合うじゃないか」

「でっしょ〜」

 こいつの役は『桐壺帝』。
 そう、光源氏の父親だ。金髪は鬘で隠されているが、瞳は碧眼のままだ。なのに妙にハマってる。


「僕、去年の夏にサリバンの『ミカド』ってオペラ見たんだ。 で、日本ってこんなに歴史が古いんだって感動したんだ。 だからこの役、すっごく嬉しい!」

 奈月がそんなアニーにこっそりため息をついた。

「アニー、アレを日本だと思ってもらっちゃ困るんだけど…」

 そんなオペラがあるなんて知らなかった。

「どんなオペラなんだ? それは」

 多分マイナー作品なんだろうが。

 俺が尋ねると、奈月は小さく肩を竦めた。

「あのね、『ミカド』って、西洋人からみた『誤解しまくりジャポネスク』の権化のような作品なんだ」

「ああ、なるほどね、わかったような気がする」

 きっと、弁髪のサムライにテコンドーやらせて「これが日本人だ!」と称してるようなヤツに違いない。

 だが当のアニーはご満悦だ。

 しかし、それにしてもこいつの衣装には苦労した。
 
 何しろ日本人からすれば桁違いの体格なんだ。身長だけならまだしも、骨格そのものが違うんだろうな。それに肩幅や胸板なんてもう完全に大人の男だからな。

 そう言うわけで当然「直衣」は特注。
 ま、そこはコネを総動員して作り上げたんだが。

 だから、悟先輩と浅井の衣装が既製のもので間に合ったのは助かった。
 
 和装は洋服と違ってある程度融通が利いていい。

 それにしても、はしゃぐアニーとそれにじゃれつく佐倉はまるで親子みたいだな。

 ん? なんだ、アニーのヤツ、佐倉に触れる手が妙に妖しくないか?

 あいつの狙いは浅井だったはずなんだが、諦めたんだろうか?

 まあ、選択としては佐倉の方が真っ当な気がするが。

 浅井とアニーじゃなあ……でかすぎるっていうか、可愛げに欠けるっていうか…。とにかくあんまり見たくない組み合わせであることは確かだ。

 …いや、なによりも浅井は奈月とデキてるんだから…………とはいうものの、実のところ俺はこの話を100%信じているわけではない。

 確かに浅井と奈月はいつも一緒で、『友情』だけでは説明出来ないようなものも感じるんだが、健全な男子高校生だったら、恋人同士で同室になったら行き着くところまで結構簡単に行ってしまうだろう。

 だがあの二人には『そういう関係』はなさそうだ。

 ふとした弾みの、何気ない接触を見ていればだいたいわかる。

 教室の隅でまだ佐倉にじゃれているアニーの手つきの方がよほど『そういうもの』を感じさせる。


「査察はここが最後?」

 奈月が上機嫌のままで俺を見上げてきた。

「いや、まだ上の階が残ってる」

「あ、センセたちのところだね。翼ちゃんがどんな風に変身してるのか楽しみだねえ〜」

「そうだな」

 奈月に他意はないのだろうが――なにしろ翼は俺たちにとっては担任なのだから――ここまで、昇先輩や森澤先輩に何やら思わせぶりな事を言われて少なからず動揺していた俺は、翼の名前を聞いて、思わず素っ気ない返事をしてしまった。

 だが奈月はそんなこと気にする風でもなく、大きな瞳をキラキラと輝かせてニコッと笑った。

「うふふ、心配だねえ、古田くん」


 ……なんだって?


「さ、祐介と悟先輩の支度を見てこよっと〜」

 固まる俺をチラッと見て、さっきと違う種類の――意味深な――笑みを零して、奈月はまた牛若丸のように、ひょいひょいと器用に衣装の山を飛び越えて暗幕の向こうへ行ってしまった。


 …ったく。聖陵祭が終わったら、絶対情報源を突き止めてやる。

 そう固く決意して、俺は教室を出ると階段を上がった。





 この2年生の教室が並ぶここは、下の階より随分と静かだ。

 それもそのはず、この階には教職員組の控え室しかないから。

 …と、思ったら。

 扉の前まで来てみると、案外中は賑やかだ。

「失礼します、生徒会です」

 一声掛けて扉を開くと、正面奥の椅子に、窓の方を向いて翼が座っていた。

 深いグリーンのドレスに身を包み、真っ黒な巻き毛が肩にふわっと広がっている。

 教職員組の演目は開演まで秘密になっているから――何故か昇先輩は知っていたけれど――翼がこの姿で舞台に現れたら、さぞかし講堂中は大騒ぎになるだろうな。


 俺は周囲の先生方と挨拶を交わし、冗談を言い合いながら、真っ直ぐに翼のところへ向かう。

 結局、なんだかんだ言いながら、フタを開けてみればそこはさすがに聖陵の教師陣。生徒以上にノリノリになったのはまさに浦河先輩の思惑通りだったわけだ。

 主演の二人以外は…の話だけどな。



「松山先生」

 側に立ち、声を掛けると、漸く翼は視線を上げ、俺を見てくれた。

 緊張の所為か、はたまた『この歳になって女装なんて絶対いやだっ』と暴れまくった挙げ句のこの屈辱の所為か、翼の瞳は酷く潤んでいて、綺麗に施された目元の化粧が際立っている。

 もちろん俺はその時、『この歳になって…ってことは、以前は経験があるんですね』…などという野暮な突っ込みはしなかったが。


 それにしても、多分綺麗に変身するだろうなとは思っていたけれど、これほどとは…。

「…見回りか。ご苦労さんだな」

 目を潤ませながらも教師らしい言葉をかけてくるところが可愛い。

 やばいな。抱きしめたくなってきた。

「先生こそ、俺たちのわがままにつき合っていただいてありがとうございます」

「そう思うなら今年っきりにしてくれよな」

 これから恒例に…なんて冗談じゃないぞ…と、翼は綺麗に彩られた唇を尖らせてブツブツと文句を言う。

「でも、特にOBの先生方は非常に楽しんでおられるようですが?」

 出来るだけ何気ない会話を重ね、俺は勝手に翼に向かって伸びていきそうになる腕を諫める。

「…ったく、無責任だよな、みんな」

 そんな俺の葛藤も知らず、翼は悩ましげなため息をついた。

「聖陵の演劇コンクールはかなり前からやっていると聞きましたが、先生の在校中もあったでんしょう?」

 話題を振ってみると、翼は相変わらず口を尖らせたまま――それがまるでキスして欲しいって誘われてるように見えるのは、もちろん俺の勝手な妄想だけれど――あまり関心なさそうに相づちを打った。


「ん? あ、ああ、あるにはあったな」

 俺にはあんまり関係なかったけど…なんて、目を泳がせた翼に、俺はニッコリ微笑んで見せる。

「1年、赤ずきんちゃん」

 言うと、翼が見上げてきた。

「2年、白雪姫」

 翼が目を零れそうなほど見開いた。

「3年、ジュリエット」

 そして、翼の顔色があからさまに変わる。

「聖陵史上初の3年連続『主演女優賞』受賞。しかもこの記録は未だ破られていない。お見事ですね。松山翼くん」

 言いながら俺がブレザーの内ポケットから出してひらひらさせるのは、当時の校内新聞のコピーだ。

「お、お前っ…」

 翼は絶句したきり動けない。


 そう、在校していた6年間、翼はまさに今の奈月に匹敵するようなアイドルだったのだと俺にこっそり教えてくれたのは、『無責任に楽しんでいるOB教師』の面々だ。
 
 中には『またあの『アイドル松山翼』の艶姿が拝めるなんて…』と目を潤ませた先生もいたくらいだ。



「おい、翼、そろそろ時間らしいぞ」

 固まる翼と見つめ合っていると、翼同様、無理矢理主役に祭り上げられた『OBでないカリスマ教師』がやってきた。

 …くっそう…、光安直人…。
 気障なスーツがやたらとかっこいいじゃないか…。
 …翼、見惚れてるんじゃないぞ。


「ああ、古田か。巡回ご苦労だな」

「…いいえ、役目ですから」

「下の階の様子はどうだ? 変わったことはないか?」

 翼と違い、何事にも余裕のカリスマ教師は生徒たちの様子を気に掛ける。

「はい。何事もなく順調です」

 恐らく、気になっているのはB組の……、

「C組は?」

 …はい?

「B…じゃないんですか?」

「ああ、Bのことは守に任せておけば大丈夫だからな。で、C組は?」

 いったいC組の何を報告すればいいんだ。

「特に何も変わったことはありませんでしたよ。準備も順調そうでしたし、賑やかでしたし…」

 ん? もしかして…。

「まあ特筆事項があるすれば、昇先輩が膝上15cmミニという扇情的な姿で迫ってくれたことくらいでしょうか?」

 と、ちょっと誇張して言ってみる。

 もともとこのカリスマ教師と昇先輩の間には、いろいろあることないこと噂が立ちやすい。
 それは俺が入学する以前からの事らしく、俺はもちろん、周囲も話半分に聞いている。

 まあ『男子校ならではのお楽しみの一つ』という扱いのはずなんだが、案外真実はそういうものの内側に隠されているのかもしれない。


「迫った? 古田にか?」

「ええ、まあ」

 あの様子だと、昇先輩は会うヤツすべてを挑発して回ってそうだけど。

「…そうか。相変わらず元気だな、昇は」

 フッと笑みを漏らし、カリスマ教師は翼の手を取り立ち上がらせる。
 そして、あろう事かその肩をグッと抱き寄せた。


 …おい…。


「翼、私たちもがんばろう。な」

「あ、はいっ、直人先生っ」


 …ちょっと待て、それはもしかして『仕返し』か?

 大人げないぞ、光安直人っ!


 俺が思わず拳を握りしめたとき、勢い良く扉を開けて誘導係がやって来た。


「先生方! スタンバイお願いします!」


 いよいよ聖陵祭の開幕だ。


一応、END

で☆

舞台上は今年も大騒ぎ。
『PANIC THE 聖陵祭2!』へ、続きますv

翼ちゃんと古田くんのお話は、君愛2番外編「歌の翼に」でお楽しみ下さい〜☆

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