まりちゃんの家出
〜実家に帰らせていただきますっ!〜

後編




「直に何をしたっ!」

 女は凍えた顔をした。が、すぐにふんっ、と胸をそびやかす。

「その前に、私の名字を聞いてピンとこない?」
「こない」

 即答してやった。

「…あなたって人は…。だから、お母さんが泣く訳ね」

 ああ、もう、苛々する…。

「ぐたぐた言わずにさっさと吐けよっ、直に何をしたんだっ」

 女は今度は口をつんと尖らせる。
 俺、こんな女、だいっ嫌いだ。

「私、あなたのお母さんの再婚相手の連れ子よ」 

 …ふ〜ん。
 でも、『どうだ』と言わんばかりにいわれてもな。

「それがどうした。そんなこと、俺の今の生活に関わりはない」

 思ったままに口にしたんだけれど、女は信じられないとばかりに目を見開いた。

「何よ、それ。お母さん、あなたのことどれだけ心配してると思ってるの?毎日、毎日、智雪どうしてるかしら…って。離婚の条件に、あなたを置いていくようにって言われて、泣く泣く手放したって、そりゃあもう、後悔して…」

 俺は頭を抱えたくなった。
 相も変わらず俺の母親は壊れてるようだ。まあ、そうなったのも親父が家庭を顧みなかった結果なのかもしれないが。 

 両親の離婚の時、俺は二人の目の前で、はっきりと、自分の意志で親父といることを選んだ。

 本当を言うと、一人暮らしが理想だったのだけれど、まだ高校生で何から何まで親の庇護の元にあるうちは、そんなわがままも許されなかった。
 だから、より一人暮らしに近いほう…親父と暮らす方を選んだんだ。

 母さんは『そう』…と、一言だけ言って出ていった。
 その頃にはもう、親父の会社の取引先…そうだ、確かに『成田』とか言ったっけ…の社長とできてたらしいが、それも俺にはどうでもいいことだった。

「あなたがお父さんの命令で無理矢理結婚させられるって聞いて、お母さん、そりゃあショックを受けて、怒ったわ。あなたが可哀相だって」
「ちょっと待てよ。だいたいその話をどこから聞いたんだよ」

 確かに『熱田光機』の吸収合併は業界の話題になったし、もちろん経済ニュースにもなった。

 けれど、その水面下に『養子縁組』…途中までは『偽装結婚計画』だったけど…が潜んでいることは、ごく一部の関係者しか知らないはずだ。
 だって俺たち『会社の思惑なんか関係なく、本当に好きになって結婚するんだから、話を公にしないでくれ』って頼みこんでいたんだから。 

 それに直のお父さんなんかは、息子を人身御供にしてしまった後ろめたさからか、この話を他人にすることはなかったって言うし…。

 …と、なると…。残るは…。

「わざわざあなたのお父さんが教えたのよ。これ見よがしに」

 あああ、やっぱり…。あの、くそバカ親父め…。

「それっていつのこと?」
「先月よ。何かのパーティで会ったらしいわ。」

 先月…ね。…ってことは、直の正体はすでにバレた…あと…?

 くっそう…。あのくそバカたぬき親父のヤツ…。
 絶対わざとだ。おおかた、直の可愛い写真でもちらつかせて自慢したに違いない。
 いつの間にか、俺でも持っていない、レアな直の可愛いショットを何枚も入手してやがったからな、あいつは…。

 俺が頭の中でグルグルと思いめぐらせてる間にも、目の前ヤツ…さなえ、だったか…は興奮気味に続けた。

「そりゃあ、確かに見た目は可愛い子だけれど、だからってこんな事、無茶苦茶だわ。ナンセンスよ。会社の利益のために、好きでもない子と結婚させられるだなんて。…お母さん、言ってたわ。『智雪は優しい子だから、きっとお父さんに頼まれて嫌と言えなかったのよ』って」

 まったく黙っていればいい気になって言いたい放題だ。
 あんたに何がわかる。
 俺が6年も抱き続けてきた直への想いの、いったい何がわかるって言うんだ。

「そうだね」
 俺は内心の苛々とは裏腹に、努めて冷ややかな声で言った。

「確かに酷い話だ。会社のために、結婚だなんて」

 そう言った俺の顔を見て、目の前の子は、見る間に勝ち誇ったような表情に変わった。

「でしょう?まだ籍入れてないって聞いたわ。間に合うのよ、今なら」

 籍?入れてないね、確かに。
 だって、俺、あのバカ親父と取り合いしてるんだから。
 だけど、そんなことより…。

「君、肝心なところを見落としてるね」
 そう言うと、怪訝そうな顔を返してくる。

「会社の犠牲になったのは、直の方なんだけど」
 眉が僅かに寄せられた。

「どういう…こと?」
 そんな顔しなくたって、今、引導を渡してやるよ。

「家族と従業員のために、自分さえ我慢すればと思った直の優しさにつけ込んだのは、俺の方だ」
「……う、そ」
「悪いようにはしないから…って、甘い言葉を吐いて、無理矢理言うことを聞かせた」

 露悪的に笑ってみせると、怯むことなく視線が鋭くなった。なかなか勝ち気な子…らしい。

「どして…そんなこと」

 どうして?決まってるじゃないか。直を手に入れるためさ。手に入れて二度とこの手から離れないうにするためさ。
 けれど…。

「そんなこと、君に教える必要はない」

 ほんの少し、沈黙があったけれど、彼女は震えた声を絞り出した。

「でも…お母さんは、智雪が、可哀相だって…。そればかりを言ってるの。それに、結婚したっていう報告ももらえなかったって…」

 涙が一つ、こぼれ落ちたようだ。でも、どうして?

「どうして君が泣くの?」
「お母さんは、あなたのことばかり…。毎日、あなたのことばかり…」

 その告白を聞いて、俺は吐き気がした。
 あの人はちっとも変わっていない…。
 いつでも自分のことばかり。
 自分が楽になることばかり。

「君…母さんのこと、好きでいてくれるんだ…」

 何だか可哀相になった…。
 俺が微塵も愛せなかったあの人を、この子は好きでいてくれる…?

「お母さんはね、あなたを置いてきてしまったことをとても後悔して…」
「だから、それは違うって」

 俺は強引に彼女の言葉を遮った。 

「あの人は、俺を思う振りをして、自分が罪の意識から逃れようとしてるだけだ」
「そんなっ、そんないい方ないわっ。お母さんは本当に…」

 俯いた彼女から、いくつもしずくが落ちて、絨毯に染み込む。

「行こうか?」
「え?」

 俺がかけた声に、彼女は弾かれたように顔を上げた。

「だって、母さん、あいたがってるんだろう?俺に」

 彼女は口を引き結んで頷く。

 いいよ、行ってやるよ。行って、母さんにも引導を渡してやるんだ。
 俺と直に、二度と近づこうって気を起こさないように。
 ついでに、今の家族を大事にしろって説教してやる。

 直を迎えに行くのはそれからだ…。


 
☆★☆
 


 俺はひんやりとした自分の部屋のベッドの上で、眠れない夜を明かした。

 マンションの俺の部屋の中身は、智のお父さんが全部揃えてくれたから、実家の部屋はそのままだ。
 いつでも帰れるようにってことなんだけど、まさかいきなりこんな形で帰ってくるとは思わなかった。

 そう、昨夜、帰ってみたはいいけれど、親父もお袋もいなかった。
 そういや、もう1泊してから帰るって言ってたっけ…。

 ま、よかったけどね。いきなり帰ってきたんじゃあ、絶対にあれやこれやと詮索されるに決まってるから。

 それにしても、智のヤツ…追いかけても来なかった…。

 きっとあの後、あの子に会ったんだろうな…。
 会って何を話したんだろう。

『子供が出来た』

 それを告げられて、智はどんな顔をしたんだろう。

 でも…でも…俺、やっぱり智が俺に嘘ついてたなんて信じられない。智はそんなヤツじゃないって、誰よりも俺が知ってるはずで…。
 なんでだよ、智。どうしてなんにも言ってこないんだよ…。
  
 あまりの展開に、涙も出ない俺。
 ゴロゴロとベッドの上で寝返りを打つばかりだ…。



「うわっ」

 いきなり枕元の電話が鳴った。
 あー、もー、物思いに耽ってるときの電話の電子音ほど心臓に悪いものってないよな…。

 …仕方ない…でるか…。うちの中、誰もいないし…。
 受話器を取って、のろのろと外線のボタンを押す。

「もしもし」

『いたー!!まりっ、お前何やってんだよっ、いきなり里帰りか、おいっこらっ』

 このやかましさ…。

「敦?どうしたんだよ」

 中学高校を通して、智と俺の悪友だった敦からの電話だった。
 こいつの姉さんに世話になったおかげで、弱みも握られちまったわけだけど…。

『どうしたもこうしたもあるか!急用で連絡取りたかったのに、お前も智も、携帯の電源は切りっぱなしじゃねーかよっ。しょーがないから、お邪魔かと思って遠慮してた愛の巣にまで電話したんだぞっ。なのに、ずっと留守番電話だっ。旅行からは帰ってるはずなのに、誰も出ないなんて、こいつら居留守使ってやがるって…』

 だれが居留守なんて使ってるよ。だいたいその『愛の巣』ってのはなんだ。恥ずかしいヤツめ。
 …って、俺、携帯の電源切ったままだったんだ。智もってことは…バイクに乗ったときに切ってそれっきりってことか?

『あーっ、もうっ、そんなことどうでもイイやっ! とにかく俺、今からそっち行くからな。待ってろよっ』
「おいっ、なんだよ敦!いきなりどういうことだよっ」

 受話器を挟んで、わけのわかんない怒鳴りあいだ。

『助けて欲しいんだよ、姉貴のピンチなんだ!』

 敦のねーさん?
 俺が、散々恥ずかしい世話になった、あのお姉さんが?

「どうかしたのか?」
 思わず、深刻な声になる俺。

『ああ、ちょっとせっぱ詰まってるんだ。今から姉貴を連れてお前んちにいくから。頼むから助けてくれよ、まりっ』

 助けてくれといわれて、『ヤダね』と言える俺じゃない。
 まして、相手は世話になった敦のお姉さんだ。

「あ…じゃ、なんかしんないけど、待ってるから」
『おうよっ、頼むぜ、まり!』

 けれど、俺はすぐに、このことを思いっきり後悔することになるのだった…。




「嘘だろっ」

 うわーん!誰か嘘だと言ってくれー!!

「ごめんね、まりちゃん。あなたしかいないのよ」

 俺んちのリビング。
 乗り込んできた敦とお姉さんは、いきなり衣装箱から服を取りだし、化粧道具を広げ…。

 今、俺は敦に押さえつけられている…。

「今日ね、美容学校時代にお世話になった先輩のお店がオープンするの」
 お姉さんはそりゃあ鮮やかな手つきで俺の顔を塗りたくっていく。

「な、なんの店ですかっ?」
 それと、俺のこの惨状にいったい何の関わりがっ。

「エステサロンなんだけどね。私、オープンイベントにお祝いとして、可愛い女の子をお手伝いを連れていくって約束していて…」

 あああ、睫にまで何か塗られてるぅぅ…。

「仕事で知り合った、新人モデルのすっごく可愛い子を頼んでたんだけど…」
 お姉さんはそこで言葉を切って、息を詰めた。
「じっとして」

 真剣に見つめられて、俺も思わず息を詰める。
 ゆっくりと、唇に油が広げられるような感覚…。
 これって、口紅だよな…。うう、何度塗っても(何度も塗ってるところが情けない…)気持ちわりぃ…。

「うふ。やっぱりまりちゃんにはピンク系ね。可愛いったらありゃしない」

 そんなこと、どーでもいいけどっ。

「その子が昨日、別の仕事で、撮影中に怪我しちゃってさ」
 かわりに敦が話し出した。
「急いでモデルクラブで別の子探したんだけどな…」
「私のお眼鏡に適うような子がいなかったのよ」
 お姉さんは、手に筆を持ったまま、すっくと立ち上がる。

 密着していた身体を少し離して俺を見ると…。

「ふふっ、サイコーの出来!こんなことなら最初からまりちゃんにお願いすれば良かったんだわ」

 そ、それって、俺はお眼鏡に適ったってこと…?

 嬉しくない〜!!

「敦っ、急いでまりちゃん着替えさせてっ」
「おうっ」

 ちょ…ちょっと待て、敦…。その服は…。
 紺色のワンピースは、襟にフリル、袖は半袖でまん丸で…。
 スカートの部分は大きく膨らんで、その中身は何重も白いレースが重なっていてチラチラ見えて、膝から下は足が丸見え…。
 その上から、胸当てのついたフリフリのエプロン、しかもこれまた真っ白…を被せられ…。
 白いソックス(これまたフリル付き)に、黒いエナメルの靴。
 頭には…。
 ぎゃーーーーーーっ!
 ししし、白いレースのヘアバンド…。

 これって…もしかして、メイドさんスタイル…?

「うわっ、まり…。俺、欲情しちゃいそう…」

 って、スカートめくるんじゃねぇっ!

「ばっ…ばかばかばかっ!!」

 何で俺がスカート押さえて逃げまくらなきゃなんないんだよー!

「バカね、敦。ぼやぼやしてるから智くんに盗られちゃうのよ」

 頼むから、腐った会話をしないでくれー。

「で、でも、どうしてエステのオープニングにメイドさんなんですかっ」

 だってそうだろ?女の人が綺麗になりたいって思ってくるところなら、かっこいい男を客引きにする方がいいじゃん。  
 はっきり言って、こんな可愛い俺がいたら、かえって反感買わねぇか?…って、俺も腐ってるぅぅ…。

「いいのよ」
 ニコリとお姉さんが笑う。

「男性エステだから」

 …撃沈…。

「じゃ、行きましょ」

 お姉さんがそう言ったとき、玄関から誰かが入ってきた。

「まりっ?!」 

 げっ、お袋が帰ってきた。

「あ、お邪魔してます!」

 元気に声を揃える敦とお姉さん。

「まあっ、敦くんとお姉さん。その節はどうもお世話になりました」

 こらっ、悠長に挨拶なんか交わしてるんじゃねぇっ。

 俺がフルフルしていると、お姉さんは手短に事情を話し、俺を借りたいとあらためて申し入れた。

「ええ、この子でお役に立つのならいくらでも使ってやって下さいな。そうだわ、あなた、カメラのフィルムまだあったわね。私たちもついていって、まりの可愛い姿を写真に残しましょ」

 お袋は後ろで呆然と俺を眺めている親父に、にこやかに声をかけた。

 信じらんねぇ…。



☆★☆
 


 あれから母さんの再婚先へ乗り込んだ俺は、2年ぶりに母さんに会い、そしてこれ以上ないくらい、事務的に説明をした。

 直は中学からの同級生で、今回のことは養子縁組であること。
 会社の吸収はあくまでも直のお父さんの会社を助けるためであったこと。

 未だに年齢よりずっと若く見える母さんは、相変わらず情緒が不安定で、扱いが大変だったけど、成田さんと娘のさなえちゃんはそんな母さんを辛抱強く見守って、包んでくれていた。

 こんないい家族に恵まれたんだ。俺と父さんのことなんかほっといてくれたらいいのに…。

 結局俺は、その夜は成田家に引き留められ、朝早く直のところに行くことになってしまった。

 さなえちゃんは、直に嘘をついて傷つけてしまったことを酷く気にして、どうしても俺について来て謝りたいというので、仕方なく連れていくことにした。
 本当は一人で迎えに行きたいんだけど。

 そして、俺たちが成田家を出ようとしたとき…。
 俺の携帯がなった。悪友の敦からだった。

「え?どうしてまた……。ふ〜ん、わかった。そっちへ行くよ」

 携帯を切った俺は、さなえちゃんに行き先変更を告げる。

「直、頼まれてバイトに行ったらしいから、そっちへ迎えに行くよ」

 目指すは俺たちの高校の、最寄り駅だ。 



☆★☆
 


 俺、死にそう…。

 敦のお姉さんと、その先輩だというかっこいい男の人は、贅沢な造りのロビーで接客をしている。
 で、俺はというと…。

「まりちゃん、こちらのお客さんの上着をお預かりして」

 …ええいっ、モジモジしてても恥ずかしいだけだっ!
 俺も男だっ、こうなったら腹くくってやってやろーじゃんっ。

「はぁ〜い」

 俺はぴょこぴょこと不自然に駈けていって、手を伸ばす。
 なんでぴょこぴょこしてるかって言うと、動くたびにスカートがふわふわと揺れて気が気じゃないからだ…。
 だから、つい、歩き方も不自然に…。
 それにしても足がスースーする…。風邪ひきそうだぞ…。
 
「お預かりしま〜す」

 そう言うと、30代前半とおぼしきお客はいきなり俺の腰に手をまわしてきた。

「かわいいね、君。まりちゃんって言うんだ…」

 ぎゃぁぁぁ…、やめてくれぇぇぇ…。
 ゆ、指動かすんじゃねぇっ…。

「お客様、お荷物お預かりします」

 パニクる俺の背後から、大人びた声がした。
 そして、その声の主は、俺の腰からセクハラ親父の手を外してくれて、そのままその人をカウンセリングルームへ押し込んでしまった…。

 誰…?黒のスーツがめっちゃかっこいい…。
 見上げるとそこには…。

 げっ、…と…智っ!

 ななな、何でこんなところにっ!
 それに、そのカッコは?!

 驚きのあまり、金魚よろしく口をパクつかせる俺に、智はニヤッと笑って片目をつぶった。

「敦にさ、『まりが頑張ってるんだから、お前も手伝え』っていわれたんだ」

 あ、敦のヤツ〜。俺、こんなカッコ、智に見られたくなかったのにっ。
 見ると、智はちょっと頬を紅潮させている。

「直、最高、可愛い…」

  おいっ、やめろ、そんな顔するんじゃないっ。第一…。

「手伝うんなら、お前もメイドさんのカッコしろよっ」

 不公平だ。俺だけメイドさんで、智は黒のスーツだなんて。

「へぇ〜、直は俺のメイドさんスタイルが見たいのか?」
 ば、ばかっ。
「そんなもん、見たかねーよっ」
 うえ〜、気持ちわりぃ〜…。




 そんなこんなで、恥ずかしい姿のままバタバタと一日が過ぎ、夕方やっと解放されるときになって、俺は重大なことを漸く思い出した。

 そうだ、俺、家出してたんじゃねーか…。

「智っ」
「何?」

 にっこりと笑って見おろしてくる智。
 まさか、昨日のこと、覚えてないとか言わないだろうな…。

「な、なにか俺に言うことないのかっ」
 思わず声が尖ってしまう。

「そうだな…」
 智の声は、あくまでも柔らかく、そして、静かに深い。

「新婚生活最初の夜を、直と過ごせなくて凄く悲しかった…」

「な…っ」
 こいつっ、ちっとも反省してないっ!
「何言ってんだよっ。俺、知ってるんだからなっ」

「私のこと?」
 従業員控室にいきなり入ってきたのは…。 

「ああっ!!昨日のっ!!!」

 叫んだ俺に、その子の声も叫ぶ。

「な…っ。何よっ!智雪くんの嘘つきっ!」
「何が?」
「だって、直さんは男の子だなんて…。そんな見え透いた嘘に引っ掛かるんじゃなかったわ!」

 はぁ?…あの…俺、今めちゃくちゃ情けないんですけど…。

「どこからどう見ても、やっぱり立派な女の子じゃないのっ」

 あああ、やっぱり…。

「あの、俺、戸籍上も生物学的にも、れっきとした男なんですけど…」
「へ?」

 …可愛い女の子の間抜けたツラって見てらんねえよな…。

「お・と・こ?…マジで?」
「疑うんなら、上半身くらい脱いであげてもいいけど…」

 フルフルと首を振るその女の子は、少し落ち着くとゆっくり話を始めた…。





「んじゃ、さなえさんは、智のお母さんの為に?」

 さなえさんは、俯いたままの顔をさらに伏せる形で頷く。

「見ていられなかったの。智雪が可哀相だって繰り返すお母さんが…。それに、智雪くんのことばっかりじゃなくて、もっと私やお父さんのことを見て欲しかったの…。智雪くんは、こんなにもお母さんを悲しませて知らん顔してるって言う……今思うと、逆恨みね……そんな思いもあったし…」

 ホゥッと一つ息をつき、さなえさんは顔を上げた。

「ごめんなさい、直さん。嘘ついて、酷いこと、いっぱい言って…。ほんとはね、『智雪さんを返して』って言ったところで、直さんが動揺してくれたら、それ以上のことを言うつもりはなかったの。でも、直さん…智雪さんを信じるって言い切るから、悔しくなっちゃって。それで私もつい…子供が出来たとかなんとか、…盛り上がっちゃったのよ。えへ。」

 えへ…って…。

「でも…すごく真に迫ってたし…」

 そう、彼女の言葉は全然嘘臭くはなかったんだ。
 だから、俺…。

「だって〜、私、演劇部の部長だも〜ん☆」

 がーーーーーーーーっ!
 何が『だも〜ん☆』だっ!
 お茶目かましてんじゃねぇっ。

 でも…何だか、力が抜けた…。
 わかってしまえば、こんなコトだったのかって…。

 結局、決め手になってしまった脇腹の傷のことも、お母さんから聞いた話だってことだった。
 これじゃあ、一晩悩んだ俺ってバカみたいじゃねーか。

「俺、確かに驚いたけど、でも…」

 悩みはしたけど、信じてたんだ。智のこと。

「でも?」

 言葉を切った俺に向けて、智が続きを聞きたそうに目を輝かせる。
 …続きが言えるわけないだろ…。
何も知らないさなえさん、純粋に『養子縁組』だと信じている彼女の前で…。
 口を閉ざしてしまった俺の代わりに、智が口を開いた。

「さなえちゃん、母さんのこと任せたよ。俺なんかより、君が側にいてくれる方が、絶対あの人のためだから」

 智のその言葉に、さなえさんは仕方ないわね、とばかりに首を竦めて見せた。

「その代わり、智雪くんは直さんと幸せにならなきゃダメよ」
「もちろん、任せて」

 ……?…智、それって…。
 見上げて不審な顔をした俺に、智はにっこりと微笑んだ。

「さなえちゃん、味方になってくれるって」

 ……カミングアウトしてんじゃねーーーーーーー!





 昨日からの騒ぎにすっかり疲れてしまった俺に、さなえちゃんは『今度二人の愛の巣に遊びに行くわ』と言い残して、不気味なほど爽やかに去っていった。

 そして俺は、智と一緒に敦のお姉さんの車で送ってもらい…。
 それはいいけど、どうして俺はメイドさんのままなわけ?


「じゃあ、まりちゃん、今日はほんとにありがとう。これ、少ないけどバイト代」

 そう言って渡された封筒はそこそこ厚みがあって…。

「え?そんな…、受け取れません。お世話になったお返しだから」

 俺がそう言って、受け取ろうとしないと、お姉さんはその封筒を、強引に俺のエプロンの胸当て部分にねじ込んだ。
 お、オヤジくさいことをっ。

「ふふ。受け取って頂戴。おかげで私の面子も立ったし…ね?」
「は、はぁ…」
「それと…。またお願いねっ」
「はぁ…」

 ……え?ちょ…それ、って…。

「じゃ〜ね〜」
「うわー!ヤですっ!絶対やだー!」

 その叫びが、車で遠ざかるお姉さんに聞こえたかどうかは定かではない…。




「さて、直」
 智は涙目の俺の手を引いた。

 普通なら、マンション前のこんな往来で絶対に手なんか繋がないんだけど、今日はこんなカッコだから、きっと誰も怪しまない…。ううっ、悔しいよぉぉぉ…。

 エレベーターが静かに俺たちを最上階まで運んでくれて、智がドアを開け、そして。

「うわっ」
 玄関に入るなり、俺はいきなり抱き上げられてしまう。 
「智っ」

「ダンナの愛情を疑うような悪い奥さんには、お仕置きが必要だろ?」
「わー!ごめんっ、俺が悪かったっ、許してっ」
「やだね。疑われた者の身になってごらん」
「もうしないからっ」
「当たり前でしょうが」

 とりつくしまがない…とはこのことか…。

「ね、ね、智、落ち着いて」
 俺は猫なで声の甘えた口調で必死に訴える。

「怖がることないよ、直。ただ、もう、疑おうって気が起きないようにしてあげるだけだから」

 にっこりと笑う智。
 そ、その笑顔がコワイんですけどぉぉ…。

 俺はメイドさんのカッコのまま、ぽ〜んとベッドに放り投げられ…。

 わっ、スカートがめくれるっ!
 …俺って、どうしてこんな情けないこと気にしてるんだよぉ…。

 スカートの裾を戻す間もなく、智が乗っかって来た。

「ちょ…待てよ、智っ。この服、借り物だから…」 

 皺になっちまうじゃねーかっ。

「あ、これね、敦のお姉さんが記念にあげるってさ」

 き、記念って、なんの記念だーーーーーーーーっ!

 ジタバタしている俺に、智の暖かい唇が重なってきた。
 そこからじんわりと智の気持ちが伝わってくるようだ…。

 たった一晩離れていただけなのに、智の温もりがこんなにも恋しくなるなんて。
 俺、もう、智なしではいられない…。

 長いキスをして、智が顔を上げた。

「なお…。俺のこと信じてるから…って、言ってくれたんだってな…」

  そう言った智の目の縁がほんのりと紅い。

「だって…」
 言い淀んで目を伏せた俺の耳に、智がそっと囁いた。

「さて、イイコの直クンにいいものをあげよう」

 え?なんだろう?

 そう思っていると、急に俺の身体が起こされた。
 そのまま智の膝の上に横抱きされてしまう。
 こ、このスタイルでこれは結構恥ずかしいぞ…。

「直、目を閉じて」

 言われて俺は、素直に目を閉じる。

「いいって言うまで開けちゃダメだよ」

 耳元で囁く智の声は、やっぱり暖かい。
 …俺の手、右手が智の手に取られた。

「本当は左手なんだけどね」

 薬指の先にひんやりとした物が触れて、それがゆっくりと指を伝ってくる。 

「目、開けてごらん」

 ひんやりとした物、それは、銀色の光を湛えた細い…指輪だった。

「とも…これ…」
 なんだか声が掠れてしまう。

 智はちょっと照れくさそうに笑うと、自分の右手をちょっと挙げた。
 智の右手には、少し違うデザインの、もの。

「見た目はちょっと違うんだ。でも…」 

 そう言って智は自分の指輪を抜いて、俺の目の前にかざした。

 裏側に、キラッと光る青くて小さな物が。

「これ、サファイアなんだ。幸せな結婚を約束する、幸福のブルーなんだって」

 俺も自分の指輪を抜いて裏側を見ると…。
 同じ光を放つ小さな石がはまっていた。
 そして、その横には『T to N』の文字。

「右手の薬指の意味は『恋人がいます』って、知ってた?」

 訊ねられて俺は小さく首を振る。 

「俺たち、表向きは親子になるか兄弟になるかしかないけど…」

 智は指輪を指に戻し、俺の身体をギュッと抱きしめた。

「ずっと一緒だから…」

 ずっと、一緒…。

「智…」
「ん?」
「ずっと…一緒…」
「そうだよ」

 智は指輪のはまった俺の右手に、チュッとキスをして…。

「さ!!お仕置きタイムだ!」

 え?ええ?えええーーーーーーーーーーーーーー!
 今までの甘いムードはどこへ行ったんだぁぁぁあぁ!
 
「ともっ。俺っ、信じてるってちゃんと言ったじゃないかっ」

 そう言うと、智はニッと笑った。
 その顔は壮絶なほど色気があって…。

「俺を一晩一人にした罰が残ってるだろ?」


 …俺、身体もたないよぉ…。



END



BBS500GETのあすかさまからのリクエストでしたv

リクエストの内容は『成田離婚』だったのですが、
智と直の新婚旅行はバイクだったので、実現しませんでした(笑)

お仕置きタイム、どうなったんでしょうねぇぇ…。
ここで智くんの理性が切れてしまって…おまけに繋がる?( ̄ー ̄)

あすかさま、リクエストありがとうございましたv

おまけ「まりちゃんのおめでた?」

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