「I Love まりちゃん」外伝
魅惑の33階
〜10〜
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「そう言えば、おにいちゃんってば、家での顔と会社の顔、全然違うんだね。淳くんに聞いてびっくりしたよ。この『鬼上司』」 漸く落ち着いて、コーヒーカップを片手に、二人してリビングのソファーに沈む。 「そりゃあ、お互い会社には仕事をしに行ってるんだからな」 「まあね。…でも、きっと淳くんにしか見せない顔がいろいろあるんだな…って思った」 こんなに穏やかな気持ちになるのは久しぶりだ。 ただし、実感はまだ薄い。 すべてはまだこれから。淳と直接話しをしてから…だろう。 「私、きっと淳くんのいい妹になれると思うよ」 「春姫…」 ニコニコと笑う春姫に、和彦はまた一段と救われた気分になる。 甘えん坊だったこの末っ子は、いつの間にこんなにも懐の広い子になっていたのだろうか。 「でもさ、びっくりよね。まさかお兄ちゃんが男の人を好きになるなんて〜」 「それは……すまん」 それに関しては、自分でも不思議なのだ。いや、淳だったからこそ…だろう。 「やだ、だから謝らないでってば。誰も悪いなんて言ってないんだから。…まあ、確かにお兄ちゃんの隣に立てるような女の人って、なかなかいないかなあ…なんて思ってたのも事実だからねえ」 「そうか?」 そんなものだろうか? 和彦は、自身が他人――ことに女性――からどんな風に見られているかなどと言うことに関心を払ったことがない。 だから、春姫の言うことは今ひとつ理解できないのだが。 「そうそう、私、お兄ちゃんの好きな人って、春奈さんだと思いこんでたのよ」 「甘木くん?!」 寝耳に水、青天の霹靂とはこのことか。 「何でまた…」 「だって、最近お兄ちゃんの様子がおかしいなあって思ってたところに、春奈さんがお友達を通して私に会いたいって言ってこられたから…」 「甘木くんが?」 それは初耳だ。 淳と春姫が会っている所を目撃したあの時にも、春奈はそんなことは微塵も匂わせなかった。 「…もしかして」 「うん。春奈さんも、お兄ちゃんと淳くんの事を何とかしようと思ってたのよね」 『もしかして、お兄さんのこと?』 あの夜、常識外の時間に電話をかけてしまった春姫の、困惑しきった声を聞いただけで春奈はそう言った。 『想い人…バレちゃったのね』 促す声がとても優しかったから、その後に続く春奈の言葉にも、素直に耳を傾けることが出来たのだと思う。 「春奈さんって、なんだか手強い秘書さんになりそうよね」 「…まったくな…」 和彦の目に狂いはなかったと言うことだ。 春奈も、そして淳もいい秘書になるだろう。MAJECになくてはならないような。 「そうそう、お姉ちゃんたちには当分黙っておいてあげるね」 そう言えば、あとの3人の事を忘れていた。 「…やっぱり、まずいか?」 特に次女の冬那は生真面目な常識派だから、うるさそうな気がしないでもない。 「ううん、別にまずいとかそう言うんじゃなくて、今回のことは私のおかげなんだから、暫くはお兄ちゃんと私の秘密にしておきたいな…なんて思うわけ」 「…そういうものか?」 「そういうものよ」 こういう感覚が、和彦にとって妹たちの『謎』の部分なのだ。 特に、彼女たちが女子高生の頃には理解できない言動が多くて困ったものだった。それでもみな、いつの間にか大人になっていったが。 「で、あのね、お兄ちゃん」 春姫の声が、甘えを含む。 こんな時は大概、何かお願い事を聞いて欲しいときだ。 「なんだ?」 できることなら、何でも聞いてやりたい。 こんな兄の想いを許してくれたのだから。 「ええと、実は私、今日、淳くんちに行ってたんだけどね」 「そうなのか?」 外で会っていたものだとばかり思っていたから、少し意外だった。 「だって、込み入った話だったんだもん」 ペロッと舌を出してみせる春姫に、ばつの悪い思いで和彦の目が泳ぐ。 「ご家族みんないらしてね、夕飯もご馳走になったんだけど…」 「そうか、それなら今度、淳に会ったら礼を言っておかないとな」 「うん、お願い」 「で? 本題はそれじゃないんだろう?」 「うん」 やっと、普段のペースを取り戻しつつある兄に、春姫は安堵の息をついて話を続けた。 「淳くんのお父さん、有名な映画監督さんだったんだね。知らなかったよ。びっくりしちゃった」 「ああ、そうらしいな。本人は一切そういう話をしないがな」 「あはは、淳くんらしいね」 恐らく、沢木も佐保も春奈も…誰もまだ知らないだろう。淳の父親のことも、彼らのボスである会長との関係も。 「でさ、スカウトされちゃった」 さらりと言われてまた和彦が面食らう。 「は?スカウト?」 「今度の映画に出てみないか…って」 「なんだって?!」 どうして今夜は心臓に堪える話ばかりでてくるのか。 「その気になったら連絡してくれって。その時はお兄さんにもちゃんとご挨拶するからって」 「その気になったのか?!」 「ちょっとね」 「……まあ、お前がそうしたいというのなら止めはしないが…」 そう言ってはみたが不安は一杯だ。小倉家には、親類縁者何処を探しても芸能関係者なんて一人もいない。 まるっきり未知の世界だ。 まあ、相手が淳の父親だから、信用はできるだろうが。 「ありがと。私ももう一度ちゃんと話を聞いて、考えてから決めようと思ってるから心配しないで。それよりお兄ちゃんは、淳くんをちゃんと安心させてあげること、考えてね」 「ああ、そうしよう」 和彦は、春姫の目をしっかりと見つめたまま頷いた。そして…。 「そうだ、春姫」 「ん?なぁに?」 「淳の誕生日な、今度の月曜日なんだ」 「今度の月曜日って…」 春姫が少し、指を折る。そして、行き当たった数字に思わず声を上げた。 「…ほんとっ?!」 「ああ、ほんとだ。驚いただろ?」 「うん。めっちゃびっくり〜。…じゃあ、お兄ちゃん、プレゼント作戦だね」 「やっぱりその手かな?」 「その手っきゃないっしょ。明日買い物に行くんだったら、ついていってあげてもいいよ」 「じゃあ、一緒に選んでくれるか?」 「もちろん!そうと決まったら、明日に備えて早く寝なくちゃ!先にお風呂使わせてね」 「ああ、ゆっくり入っておいで」 パタパタとリビングを出ていく春姫の後ろ姿を見送り、和彦は大きく息を吐いた。 ――淳に会いたい…早く。 そして春姫は、頭からシャワーを浴びながら、ほんのちょっぴり失恋の涙を流していた。 けれど、自分が恋した淳は、誰よりも大好きなお兄ちゃんを幸せにしてくれるのだ。 だから、悲しくなんて全然ない。ちょこっと切なかっただけ。 ――お兄ちゃん。幸せになってね。今まで、私たちのために使ってしまった時間を取り返して。淳くんと、たくさんたくさん、幸せになって。 |
11へ続く |
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