「I Love まりちゃん」外伝

魅惑の33階
〜11〜





 9月9日。社会人になって初めての、僕の23回目の誕生日。

 僕は、スケジュールの確認ミスから発生した、例の『懇親会の資料が間に合わない』事件に懲りて、特に月曜の朝は少し早めに出社して、スケジュールの再確認と先の方に控えている仕事にも早めに手を付けるようにしようと考えた。

 室長も、出張で不在でない限り、月曜の朝は結構早い。


「おはようございます!」
「おはよう」

 だから、今はまだ他のみんなが出勤してきていない二人きりの秘書室。

 2人で食事に行って以来の柔らかい雰囲気となんら変わらない様子で挨拶を交わして、僕は春姫ちゃんが約束を守ってくれたことに心から感謝をする。



「そうだ、長岡。週末、うちの春姫が世話になったそうだな」

 …え…。

「すまなかったな。ご家族にもよろしく伝えてくれないか」

「…は、はい」

「言葉に詰まるな」

 笑いを含んだ声で言われても、僕にはそれを受け止める余裕がない。

「…はい…」


 そうだ、春姫ちゃん、言ってたじゃないか。

 室長はもう、僕たちが知り合ってることを春奈さんから聞いてるって。

 …落ち着け、落ち着け、落ち着け…。

 春姫ちゃんとのこと、報告してなかったことを謝らないと…。



「長岡」
「はいっ!」

 呼ばれて、溜まっていた緊張を吐き出すように必要以上に張り切った返事をしてしまった僕に、室長は瞬間目を丸くして、それからクスッと笑いを零した。

「元気だな」

「…すみません」

「謝ることはないだろう。元気はないよりあった方がいいに決まってる」

 …その通りです。たとえそれが空元気でも…。


「ところで、今夜は何か予定があるか?」

「いえ、特に何もありませんが」

 僕はなるべくこの部屋にいたいから。
 だから、室長が帰らない限り、きっと僕はここで、何か仕事を探してでも居座ると思う…。


「じゃあ悪いがちょっと残ってくれるか? 手伝ってもらいたいことがあるんだが」

 わ…!室長の手伝いができるなんて…!

「はい!わかりました」
「頼むぞ」
「はい!!」

 今度は空元気でなく、本当の『元気』で返事をしたとき、

「「おはようございます!」」

 佐保さんと春奈さんもまた、元気に出社してきた。


「今日も元気だね、淳くん」

「佐保さん!春奈さん!おはようございます!」

「淳くん、張り切ってるじゃないの」

 ニコッと笑う、佐保さんと春奈さん。
 …ちょっと目がカマボコ型みたいなんだけど…。

 ちなみに沢木さんは先週末から会長と中国へ行ってる。折衝がまとまれば、今日中に戻れそうだ…って情報だ。

 そして、一日の業務が順調に始まった。


 あ。春姫ちゃんとのこと、謝るの忘れてた…。



                    ☆ .。.:*・゜



「では、室長、お先に失礼します」

 春奈さんがデスクを綺麗に片づけて、席を立った。

「ああ、お疲れさま」

「お疲れさまでした!」

「淳くん、またあ・し・た」

 …春奈さん、なんかアヤシイ…、おまけにウィンクまでしちゃってさ。



 春奈さんが定時を少し過ぎた頃に退社して、秘書室には僕と室長の2人だけになった。

 会長と沢木さんは結局戻って来られなかったようで、佐保さんは社長のお供――社長は滅多に外に出ないから珍しいことなんだけど――で外出して、そのまま直帰だとスケジュールに入っている。

 ちなみに佐保さんの言葉によると、僕らにとっての『会長のお供』という仕事は、会長が『会長にしかできないこと』に専念出来るよう万全のフォローをし、同時に会長から色々な事を学ぶことなんだそうだ。

 そして『社長のお供』という仕事は、会長の側で学んだことを実践するための場なんだそうだ。
 つまり、対外的に『社長』を『会長』と遜色ない人物に仕立て上げるフォローをすると言うことらしい。

 これって社長に対して結構失礼な物言いだよな…って思っちゃうけど、でも、まだ数度しか社長に会ったことがない僕にでもわかる。

 あの社長を会長に見劣りしないくらいにしようと思ったら、フォローする秘書が『会長並み』の能力を備えてないと不可能だということを。

 それくらい社長はぼんやりさんで、秘書は切れ者だということ…かな。
 優しくて感じのいい人なんだけどな、社長も。




「長岡、ちょっといいか」
「はい!」

 何の仕事だろう? 室長の足を引っ張らないといいんだけど…。

 僕が室長のデスクの前まで行くと、室長がゆっくり立ち上がる。
 そして、引き出しから細長い包みを出した。


 グレーの包装紙にゴールドのリボンがかかったそれは、シックだけれどどうみても『プレゼント』って体裁で…。


「おめでとう」

 …え…?

「今日、誕生日だろう?」

 …ちょ、ちょと待って…。

「し、室長…」

「気に入ってもらえるといいんだが」

 信じられない……。

「あ、あの…僕に、ですか?」

 相変わらず言葉に詰まってる僕。
 でも、室長は優しく微笑むだけで、それについては何にも言わなかった。


「当たり前だ。他に誰がいる」

 …夢みたいだ…。

「…ありがとうございます…」

 やば…、涙でそう……。



 でも、僕は必死で涙を堪えて差し出されたプレゼントを受け取った。


「開けてみてくれるか。春姫と選んだんだ」

 春姫ちゃん…と言う言葉に僕の胸がずきんと痛むけれど、でも、それは、室長の笑顔にあっという間に癒されてしまって…。

 僕は手にした包みを一度ギュッと抱きしめてみた。

 やってしまってから、…しまった、変な仕草だったかな…と慌てたんだけど、室長の笑顔は変わらなくて、僕はまたホッとする。


 そして、見ている方にとってはもどかしいだろうほど、丁寧に包装を解いたその中には、イギリスの有名ブランドのお洒落なネクタイが入っていた。



「ありがとうございます!めちゃくちゃ素敵です!」

「そうか、よかった」

 ホッとしたように表情を緩める室長。

 こんな表情をみることもここのところ多くなってきて、僕はますます『小倉和彦』という人に、惹かれているんだ。



「お前はいつも趣味のいいネクタイをしてるなと思っていたんだが、自分で選んでいるのか?」

 いつも…って、室長、見ててくれたんですか? …なんだか、意外…。

「いいえ…母が…」

 僕はネクタイもシャツも…スーツも響子さん任せ。だって、すごくセンスがいいから。

「じゃあ、母上には申し訳ないが、ちょっと替えてみてもいいか?」

 …って、今、ここで?

「あ、はい」

 僕がなんだかよくわからないままに頷くと、室長は僕の真ん前に移動してきて、そして長い腕が伸びてきた。

 綺麗に切りそろえられた爪が、結び目にかかり、そのまま指先がクッと入り込んだかと思うと、あっという間に僕のネクタイはスルッと抜けた。

 なんか、器用…。

 けれど、僕がぼんやりとそんなことを考えている間にも、室長は僕のシャツのカラーを立て、新しいネクタイを僕の首に掛けて、これまた器用に結んでいく。

 僕は自分のネクタイだって、きちんと結べるようになるまで結構もたもたしていたクチだから、こんな風に、向かい合って人のネクタイを結べるなんて信じられない。


「ちょっと、顔上げて」 

 指先が顎にかかり、僕は仰向かされる。

 …ええと…。

 キュッと結び目が絞まるのを感じたら、今度は『いいぞ』と言われ、あろう事か両頬を手のひらで挟まれて前を向かされた。

 …ど、どうしよう…動悸が…。

 カラーを元に戻す指が、僕の首筋に触れる。
 そして、仕上がりを確かめるようにカラーと僕の首の間に指が差し入れられて、皮膚をぐるっとなぞり…。

 …ダメだ…心臓の音、聞こえてしまいそう……。


「どうした?顔が赤いぞ、熱でもあるのか?」

 うわ、やっぱり〜。

「…え、いえ…」

 慌てて否定しようとしたのだけれど、室長は言いながら、僕の額に…!


「…熱はなさそうだな」

 …ふ、普通は手を当てませんかっ?室長っ。
 よ、よりによって、おでこ同士ごっつんこなんて、こここ、子供じゃあるまいしっ。


 でも、室長はそんな僕の心の葛藤なんて想像もできないって風で、結んでくれた僕のネクタイをもう一度キュッと直し、『よく似合っている』って言ってくれたんだ。

「…ほんとに…ありがとうございます。凄く嬉しいです…」

 室長に触れられた部分があまりにも熱くなっていて、ちょっと涙声になりそうだったけど、僕は本当に嬉しくて、気持ちをたくさん込めてお礼を言った。


「気に入ってもらえてよかったよ」

 ネクタイも、もちろんすごく嬉しいんだけど、何より、室長がこんな風に笑ってくれるのが僕にとって最高のバースデープレゼントだなって思う。

 でも、僕がプレゼントをもらったって事は、室長の誕生日に僕が贈り物をしても全然OKって事だよね?

 やった…!


「あの、室長」

「なんだ?」

「室長の誕生日はいつですか?」

「…ああ、お返しの気遣いならいらないぞ」

「いえ、そうではなくて…」

 そうではなくて、僕はあなたに喜んで欲しいんです。

「お返し…じゃないんです。僕も室長の誕生日をお祝いしたいんです」

 僕の言葉に、ちょっと目を丸くする室長。

「…そうか」

 そして、晴れやかに、嬉しそうな笑顔。
 なんかもう、僕、めちゃめちゃ幸せかも…。


「じゃあ…遠慮なく」

「はい」

「9月9日だ」

 ――へ?それは、本日の僕の誕生日で…。


「…もしかして、室長…」

「お前と一緒なんだ。驚いただろう?」

 驚いたなんてもんじゃないって!

 慌てて頷く僕に、室長はまた嬉しそうに微笑む。
 あ…でも…。


「…すみません。僕、知らなかったから…」

「そりゃそうだろう。会社でわざわざするような話じゃないからな、自分の誕生日なんて」

 室長は声を立てて笑うと、僕の肩に……、手…………手っ? 
 置いてるっ?

 お、お願いです、室長。あんまり僕に触れないで…。
 だってまた…動悸が………。


「でも……。あ、そうだ!」

 僕は酷くなる一方の動悸から逃れるように、殊更張り切って言った。

「もし、よければ、その…食事、とか。あの、僕が行ってるようなところだから、その、たいしたことは、ないんですけれど…」

 ほとんど何を言ってるかわからないくらい、しどろもどろになっている僕にも、室長は笑顔を絶やさないでいてくれるんだけれど…。

「ありがとう。気持ちだけいただいておくよ」

 …やっぱりだめ…か。そうだよな、僕なんかが食事に誘ってもな…。

「ああ…、そんな顔をするな」

 笑顔をちょっと『苦笑』にして、室長は僕の頭をポンポンと叩いた。また、子供にするみたいに。

「…じゃあ…せっかく長岡がそう言ってくれるのだから、一つ、私の願いをきいてくれるか?」

 室長の願い?

「はいっ、何でもききます!何でも言って下さい!」

 室長の目を真っ直ぐ見てそう言うと、室長はふわっと微笑んで、それから僕の両肩にそっと手を置いた。


「…淳…と呼んでもいいか?」


 その瞬間、僕の体が震えてしまうほど、心臓が大きな音を立てた。


12へ続く



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