「I Love まりちゃん」外伝

魅惑の33階
〜3〜





「初めまして。甘木春奈と申します。小倉室長にはいつもお世話になっています」


 私が頭を下げると、春姫さんも慌ててぴょこんと頭を下げる。
 ふふっ、可愛いわ。

「あ、あのっ、初めましてっ。小倉春姫といいますっ、いつも兄がお世話になってますっ」


 室長の末の妹、春姫さんはそれはそれは清楚で、でも――どこか室長を感じさせるような、凛とした雰囲気を備えた可愛い女の子だった。

 歳は間もなく20歳。
 彼女が成人すると、室長は一応その『親代わり』としての役目を終えることになるのよね。

 まあ、就職とか結婚なんていう大きな節目までは、完全に手を離すわけにはいかないだろうけど。




 私は高校時代の親友を通じて少しでも室長のことを知ろうと、あれこれ探りを入れてきた。

 その結果、室長が22歳の時にご両親を事故で亡くされて、それ以来4人の妹さんたちの親代わりをしてきたことを知った。
 
 そして何故かトントン拍子に、現在唯一同居している妹さんとの接触に、こうやって成功したわけなんだけど…。



 淳くん。なんであなたがここにいるわけ?

 だいたい、誰のために私が室長のことを探ってると思ってるのよ。



 週末、お洒落なフレンチレストランで待ち合わせをしていた私と友人と春姫さん。

 その席に、春姫さんと現れたのは、思いもかけない人物――同期にして戦友、そして『弟的存在』である――長岡淳くんだった。


 そもそも、室長が淳くんにご執心だってことは、秘書室内では公然の秘密になっていて、わかってないのは当の本人――淳くんだけ。

 室長ですら、私にまでばれているようだと感づいちゃったみたいで、室長と淳くんが揃ったときの秘書室ときたら、それはもう可笑しいくらいの緊張感が漲っていて、私たちとしてはそれを観察するのを仕事の合間の楽しみにしてるくらいなんだから。



 それにしても、あなたたち、どういう関係?

 まさか、春姫さんが室長の気持ちを知っていて淳くんに近づいた……なんてわけないわよね。





 でも、私のその疑問は、美味しいお料理とうち解けた会話のおかげで徐々に解き明かされていくこととなった。


 春姫ちゃんは、さすがにあの室長の妹だけあって、とても頭の回転の速い魅力的な女の子で、私たち――私の親友も含めて――はまるで古くからの友達のように会話が弾み、それは楽しいディナータイムを過ごせたんだけど…。


 テーブルに、繊細なグラスに盛りつけられた『いちごのコンポート』と『はちみつのシャーベット』が並べられた頃、急に思い詰めたような顔で、春姫ちゃんが私を見つめた。



「春奈さんは、兄のことをどう思っていらっしゃいますか?」 

 期待と不安が入り交じったような、複雑な色をした視線。


「最高の上司よ。室長の下で働けて幸せだと思ってるわ」

 もちろんこれは、まったくの偽りなき本心。
 それでも春姫ちゃんの瞳の複雑な色は変わりなくて。

 春姫ちゃんの隣では、淳くんまで妙に息を詰めてて可笑しいったらありゃしない。


「ええと、あの…、その、上司…としてではなくて、一人の人間としてどう思います?」

 その質問はもしかして、『一人の男性として』と言う意味ね。


「一人の男性としても、とても魅力的で素敵な人だと思ってるわ」

 もちろんこれも本心ではあるのだけれど…。

 にっこり微笑み返すと、春姫ちゃんはパッと表情を輝かせた。

「よかった〜!」

 …これが聞きたかった…って感じよね。

 うーん。ちょっと、この雲行き、なんだかアヤシクない?


「あのっ、兄はああ見えてもけっこう不器用なんです。だから、気の利いた言葉とか、気の利いたプレゼントとか、そんなの期待できないかもしれないですけど、でも、でも、とっても優しくて、それに、掃除も洗濯もお料理も完璧ですからっ、絶対奥さん一人に全部を押しつけるようなことしないと思いますしっ、仕事を辞めて家庭に入れ…なんてことも言わないと思いますしっ」


『掃除も洗濯もお料理も完璧』ってくだりで、淳くんが目をまん丸にしたのが可笑しかったけど、それを喜んでる場合じゃなさそうね。

『奥さん一人に』って言葉以下、もしかして私に向けられてる?

 どうしてこういう展開になるわけ?



「どうか兄のこと、よろしくお願いします!」

 ちょっと待った〜!やっぱりそう言う展開なのねっ。

 いったいどこをどう捻ったらそういう話になるのよ〜!



 …でもね。私、今の一瞬を見逃さなかったわ。
 だって、淳くんってば、目を逸らしたのよ。私から。

 それってどういうリアクション? もしかして、妬いてる…? 
 んなわけないか。まだまだそんなところまで自覚してるはずないよね。

 じゃあ…寂しい?


 ふふっ、いい感じじゃないの。

 いくら春姫ちゃんに頼まれたところで、室長の思い人は私じゃなくて淳くん。
 そして、私も室長のことは『そう言う対象』としてはまったく見ていない。

 だったら、今の淳くんの反応が見られただけでも収穫じゃない?

 少なからず、淳くんは室長のことが気になって仕方がない。
 それこそ、『こういう話』から目を逸らしたくなるほどにね。

 もしかしたら室長の満願成就はそう遠い先ではないかもしれないわ。
 うふふ、楽しみ〜。



「春姫ちゃん」

「はい!」

「私は新入社員で、まだまだ秘書室の仕事をこなせていないの。だから今は仕事がすべてなのだけれど、室長の下で働けることに本当に幸せを感じているわ。だから春姫ちゃんは何も心配しないでね」


 ちょっとずるい逃げ方かしら?

 でも、春姫ちゃんは――ちょっと考えてから――素直に頷いてくれた。

 大丈夫。
 あなたのお兄さんの幸せは、今、あなたの隣に座ってるからね。

 だから淳くん、そんな顔しないで。
 くくっ…。面白い〜。
 





 けれど、私の脳天気な『お楽しみ』はその後、意外な方向へと崩れ落ちた。

 携帯の番号を交換した春姫ちゃんから電話がかかったのは、翌日曜日の昼のこと。


『いきなりかけてすみません。今、大丈夫ですか?』と、恐る恐る尋ねてきた春姫ちゃんに好感を持ちながら『大丈夫よ』と答えると、程なく始まったのはなんと彼女自身の『恋愛相談』だった。


『一目惚れしちゃったんです』と彼女は言った。

 相手は………淳くん。

 ってことは、春姫ちゃんの頭の中では『大好きなお兄ちゃん×部下の春奈さん』&『淳くん×春姫ちゃん』っていう2組の『幸せな』カップルが出来上がりつつあるってわけ?


 ………これって………ヤバイわよね?

 だいたい兄妹で一人の♂を取り合うなんて…不毛よ〜!


 それにしても…。
 小倉兄妹、好みのタイプが同じなのね…。
 しかもメンクイときてる。

 不気味だわ…。



☆ .。.:*・゜



 そして月曜日。

 1週間振りに――その上、代休も取らずに――出社してきた室長は、さすがに少し疲れた顔をされていた。

 もちろん私たちは笑顔で『お帰りなさい!』…と元気に迎えたのだけれど…。

 そんな私たちの努力も一発で木っ端微塵にてしまったのが淳くんだった。


「…お帰りなさい…」

 …ってさあ、声が暗いんだけど?淳くん。

 ほら、室長が怪訝そうな顔したわよ?

 でも、それって淳くんには見えてないのよね。
 だって淳くん、俯いたまんまなんだもの。


 それにしても、淳くんもほんと、分かり易い性格だわ。

 週末の一件――つまり、私と室長がどうのこうの…って言うの――が淳くんの気になっているのなら、これは室長としても万々歳ってところだろうけれど、だからって私にまでとばっちりが来るのはイヤよ。

 だって、こういうのって端で無責任に楽しんでるから面白いのに。
 誰も修羅場の当事者なんかなりたくないわよね。


 だから、頼むから淳くん、私の顔まで見ない…ってのやめてってば。
 本来私は蚊帳の外のはずなんだから。



 けれど私の願いも虚しく、淳くんのぎこちなさは、室長が帰ってきたこの日、いきなり最大値にまで発展した。

 これまでは、室長に対して緊張しつつも『一生懸命ついていきます!』ってオーラを発散させていた淳くんなのに、今は出来るだけ室長の視線を避けようとしているのよ。

 で、その反動なのか、まあ沢木さんと佐保さんにはこれでもかってくらい懐く懐く。

 まるで子犬が尻尾振ってじゃれてるみたいな状態なものだから、沢木さんも佐保さんも嬉しいらしくて、淳くんを構い倒すのよね。

 室長の前で。
 これ見よがしに。



 そして私と淳くんはというと…。


 周囲からは一見普通に接してるように見えるんだろうけど、私にはわかる。
 淳くん、笑ったりはするんだけど、私の目、ちゃんと見てないのよ。
 つまり、思いっっっきり意識してるってこと。

 これはもう言い逃れのしようがないわね。

 淳くん、あなたは室長に『特別な感情を持っている』。
 しかも、『とても強く』。


 どういう特別か…は、まだ本人にも全然わかってないでしょうけどね。ふふっ。


 それはいいけど問題は春姫ちゃんよね。
 こっちをどうするか…。うーん、難しい問題だわ。

 まさか『実は淳くんはあなたのお兄さんの獲物なの!』…なんて言うわけにいかないし〜。


 あ、これだけじゃなかった。まだ問題があったわ。

 当の室長よ。
 淳くんの不可解な行動に、ちょっと苛ついてるみたいなのよね。

 午前中はちょっと不思議そうな顔をしていただけなんだけど、午後になってだんだん様子が…。


 沢木さんも佐保さんも、それには当然感づいているとみた。
 だって、淳くんを構い倒して室長を煽ってるくらいだものね。


 あ、ほら、また室長の視線を避けたわ、淳くん。



「甘木くん」
「はい!」

 おっと、室長がお呼びだわ。

「ちょっと聞きたいことがある」

 …どわあああ。
 室長…その眉間の皺、コワイですよぅ…。



                   ☆ .。.:*・゜



『理由がわからない』

 これほど苛々するものはない。

 世のものはすべて、原因があって結果がある。
 理由なく起こる事象などありはしない。

 常々それをモットー(と言うほどのものでもないが)に仕事に励む秘書室長――小倉和彦が、思ったより長引いた出張から一週間ぶりに秘書室に戻ってみれば、待っていたのはいつもの数倍はぎこちない長岡淳の姿だった。


 先週までは、ぎこちなさは取れていないものの、与えられた仕事を懸命にこなし、また自分から進んで出来ることを探そうとしている――確実に成長している――頼もしい姿を見せていてくれたはずなのに。

 そんな姿を一刻も早く見たくて、『2、3日休め』と言ってくれた会長の言葉も無視する形で出社してきたというのに。



 これはいったい何なのだ。



 声を掛ければ、体一杯に緊張感を漲らせて――だが真摯な瞳で見返してきた淳が、今は巧みに視線を逸らせる。

 和彦に心当たりは全くない。

 そもそも、ここにいなかったのだ。心当たりもへったくれもない。



「甘木くん」
「はい!」

 わからないことは、聞くに限る。

 淳にもっとも近しい春奈に聞けば、何かわかるかと思い声を掛けてみたのだが、なぜか横にいた淳が、可笑しほど肩をビクつかせた。

 春奈はそんな淳にチラッと視線を投げてから、和彦のデスクにやってきた。


「ちょっと聞きたいことがある」

 そう言って、視線で隣室を示す。
 隣は仮眠室と小会議室に別れている。


「先に行っててくれ」

「はい」

 春奈は返事をすると、小会議室へ消えていった。


「…長岡」

「あ…は、はいっ」


 ――なんて顔をしてるんだ。

 今まで見たことがない。
 こんな…何かを必死で堪えているような顔は…。


『言葉に詰まるな』と、ツッコミをいれたいところだが、この様子だと突っ込むだけ無駄のような気がする。


「さっき渡した資料、明日の午前中までに関係箇所の訂正を確認しておいてくれ」

「はいっ」

 返事だけは元気だが、顔も上げずに猛然と資料をめくり始める淳。
 まるで何かから逃げようとしているかのようだ。

 和彦は、そんな不可解な様子にきつく眉を寄せる。

 何かあったには違いないだろう。


 そもそも普段の長岡淳という人間は――さすが、あの『前田春之』の母に育てられただけのことはあると言うべきか――華奢な外見に反して案外肝は据わっている。 
 
 精神的にとても安定しているタイプなのだ。
 わけもなくこんな不安定な様子を見せるとは思えない。


 ――何があった…?


 本当なら、優しく肩でも抱いて、本人に直接尋ねてやりたい。

 だが、己が抱いてしまった淳への感情に対する後ろ暗さから、執拗に『淳が一人前になるまでは』と蓋をしてきたこの心の所為で、そう言った所謂『普通の上司と部下』として接することさえ和彦は避けてきてしまった。

 そのツケが、こんなところへ出るのだ。


『普通』に接することすら出来ないほど自分を追い込むなんて、正気の沙汰じゃない。

 淳の為だとか何だとか理由を付けておきながら、結局これでは淳の為にも会社の為にもなっていない。


 和彦は内心で深くため息をついた。

 まあ自らを追い込んでいるのは自分だけではなく、淳も同様…のようだが。



 そろそろ、自分も素直にならないとまずいかもしれない。

 あとほんの少しだろう。
 淳自身が、ここ――秘書室――こそが自分の居場所なのだという自信を持てるようになれば、その時にはこの気持ちを…。


4へ続く



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