「I Love まりちゃん」外伝

羨望の33階
〜1〜





「…わ…雪だ…」

 僕は33階の窓の側、群青から黒に変わりつつある空の上から落ちてくる白い結晶に、小さな声をあげた。

「ほんとだ〜、今日は冷えるなあと思ったら」

 僕の声を聞きつけて、佐保さんが隣に立った。

「この様子だと、しばらく降り続きそうだな」

 そして、佐保さんの隣に、沢木さんが立つ。


 金曜。終業時刻を少し過ぎた頃。

 春奈さんは会長のお供で初の海外出張――僕はまだなんだけれど――から一昨日帰国して、昨日と今日はお休み。

 そして…室長は研究所へ行っていてまだ帰らない。

 定時までには帰れそうだと昼間の電話では言っていたのにな…。



 ビルの灯りの洪水の中、雪はさらに細かくなって降り始めた。

 この調子だと本当に積もってしまうかも知れない。


「沢木さん、佐保さん。よければ先に上がって下さい。僕が室長を待っていますから」

 二人ともどうやらきっちりと本日分の業務を完遂した様子だったので、僕がそういうと…。

「いや、こんな冷え込む夜に淳くんを一人で置いていくのは可哀相だからね」

 沢木さんはこんな風にいつも優しい。

「え、でも淳くんが一人で待ってる方が室長は喜ぶかも知れないよ」

 ウィンク付きで冷やかされて、僕は顔中を熱くする。

「佐保さん〜」

 こんな風にからかわれるのも日常のことになっちゃたりして、何よりこうしておおっぴらに受け止めてもらえているおかげで、僕はこの件に関しては、本当に楽な毎日を過ごさせてもらっているんだ。
 
 仕事の方はまだまだで、緊張の連続ではあるけれど。





 ほんの3ヶ月ほど前のあの日――僕と…室長の誕生日に、僕は思いもかけず室長から告白された。

 一生の片想いと決めて、自覚した瞬間に蓋をしたあの想いを、信じられない展開で拾い上げてもらったんだ。

 そして、いったいどうしてそうなったのか未だに僕には謎なんだけど、会長を始め、沢木さん、佐保さん…そして春奈さんまでが、あろうことか会長室に潜んで僕と室長の『成り行き』に耳を傾けていたんだ。

 おかげで僕たちは想いを通じ合わせたその日から、恥ずかしいことに『公認カップル』になってしまったってわけで…。




 あれ以来、室長は怖いくらいに優しい。

 もちろん仕事に関しては容赦ないんだけど、それはむしろ僕を安心させる要因になっている。

 未だに半人前の僕。

 こんな僕の、いったい何処が室長の目に留まったのか、何度考えても全然わからなくて――今さら蒸し返すのも何だけれど、春奈さんに恋をした…って言う方が、よっぽど理に適ってる――だから僕は、室長が僕を一生懸命に育てようとしてくれていることに応えることで、その答を見つけようとしているのかも知れない。

 早く一人前になって、室長に相応しい人間になりたい…と。





 雪が激しくなってきた。室長、大丈夫かな。
 今日は公用車を使っているけれど、この調子じゃ渋滞になるかもしれないし…。


「それはそうと、淳くん」

 沢木さんの、相変わらず腰が砕けそうな美声で呼ばれ、完全に室長向きになっていた僕の思考が呼び戻される。

「はい」

「明日から本社研修に来る中途採用者のこと、室長から何か聞いてる?」

 あ、そう言えば、誰かが来るってことくらいしか聞いてない。しかも教えてくれたのは室長ではなくて、会長だったりするし。

「いいえ、室長からは何も。会長からは、ほんの少しだけ…中途採用があったってことぐらいですけど、聞きました」

「そうか…」

「何かあったんですか?」

 珍しく言葉を曖昧にした沢木さんにそう尋ねると、今度は佐保さんが腕組みをして『うーん』と唸った。そんな仕草も可愛いんだけれど。

「室長がヘッドハンティングしてきたっていうのは聞いたんだけどなあ」

「え?そうなんですか?」

 初耳だ。

 もっともまだ半人前の僕に、室長が自分の抱えている業務その他のことを全部話す…なんてことはないんだけれど。

 実際の室長は、事実上MAJECのナンバー2で、そんな室長が抱える諸々の中には、もちろん社の『Top Secret』なんてのも様々にあるわけで。


 でも、あの室長がヘッドハンティングか…。
 よほど優秀な人なんだろうな。

 それにしてもいつの間にそんなことしてたんだろう?


 その疑問には、佐保さんが答えてくれた。

「ほら、室長が10月半ばに10日間ほどアメリカに行ってたことあっただろ?あの時にCaltechから引き抜いてきたらしいんだけどね」

 Caltech…って、カリフォルニア工科大学?

「じゃあ、研究者ですよね?」

「だよね」

 佐保さんが軽く相づちを打つ。

「研究者なのに、本社研修…ですか?」

 僕の疑問に、今度は沢木さんが答えてくれた。

「そう、変だろう?普通、本社採用の人間が研究所へ研修に行くことはあるけど、研究所採用の人間は本社研修なんてしないからなあ」

 そうか、だから沢木さんは僕に、室長から何か聞いていないか…って言ったのか。



「淳くん」
「はい!」

 やっぱり腰砕けの必殺ベルベットヴォイスで、ニコッと笑う沢木さん。

 …う。絶対何か企んでる…。

 いいのか悪いのか、最近ではこんなこともすぐわかるようになるほど、僕は秘書室に馴染んできたんだけれど…。


「今夜デートだろう?室長に探り入れておいてくれる?」

 うわあああ、やっぱり〜。

「ぼ、僕なんかに話してくれるかどうかわかんないですよ〜」

 泣きついてみるんだけれど…。

「大丈夫。淳くんならね」

 う。そんな説得力のないことを…。


2へ続く



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