「I Love まりちゃん」外伝
羨望の33階
〜10〜
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僕がまず降り立ったのは、ニューヨーク。 支社へ立ち寄り、大手の取引先を回り…。 それからのスケジュールも似たり寄ったりで、やることと言えば、分刻みで挨拶回りをして、パーティーに顔を出して和やかに談笑するくらいのこと。 そして、2日後に渡ったヨーロッパでも同じようなもので…。 会長の出張と言えば、まあもちろん社交界へ顔を出すということも含まれているのもわかってはいたけれど、それはあくまでも『重要案件』に付随しているもののはずなんだ。 けれど、今回はまったくそういう難しい商談の場面や駆け引きの現場は皆無で…。 おかしいな…と感じた頃――日本を発って5日目のこと――会長から『さあ、仕事は終わりだ。淳、バカンスに出かけるぞ』と言われて僕は、漸くこの出張が普通の出張ではないことに気がつき、会長からもそのことを知らされた。 つまり、この出張の実態は『僕=長岡淳』という新米秘書のお披露目だったんだ。 これは、先に行った春奈さんも実は同じで、会長は初めての秘書を連れていくときには必ずこうしてお披露目するのだというんだ。 そんなこと、春奈さんからは一言も聞かなかったから――というよりは、わざと言わなかったんだろう――僕はただ驚いて、それと同時に『MAJECの会長秘書』という肩書きが、自分が考えていたものよりももっと大きかったことに震えを感じてしまった。 そして、そんな僕に会長は『入社以来がんばってきたこと』と『無事にお披露目を終えたこと』を理由に4日間のバカンスをプレゼントしてくれたんだ。 「よくやった。完璧なデビューだった。これからもよろしく頼むぞ」 そんな風に言われて、思わず涙ぐみそうになったんだけど、多分、ちゃんと笑ってお礼が言えたと思う。 そして僕と会長は、ヨーロッパ屈指の避寒地…フランスのニースへやってきた。 滞在先は、会長がずっと以前から個人的に懇意にしているという、こぢんまりとした、とても静かなオーヴェルジュ。 ここで、僕は会長に言われたんだ。 『遠慮はいらないぞ。私たちは同じ人を母に持つ兄弟なんだからな』…って。 それから半日掛けて、僕は会長のことを『春之さん』と名前で呼ぶように躾け(?)られて、夕食後に広いテラスでくつろぐ頃には、まるでずっと以前からそうしていたかのような雰囲気が出来上がってしまった。 それというのも、会長…春之さんが、本当に僕のことを気に掛けてくれていて。 そして、僕は春之さんから色々な話を聞くことが出来た。 室長と初めて会った日のことや、室長が沢木さんを引き抜いてきたいと相談してきたときのこと、そして、春之さんが当時客員教授を務めていた大学で、佐保さんを見つけて引っ張ってきたこと…などなど。 先輩秘書さんたちが、今回の僕のようにお披露目出張をしたときの話ももちろん聞くことが出来た。 沢木さんのバカンスはウィーンで舞踏会三昧。 佐保さんのバカンスはカリフォルニアのディズニーワールド。 そして、先月の春奈さんのバカンスはモナコでカジノ三昧。 なんだか、それぞれに『らしく』って可笑しい。 「あの…室長の時は?」 今の室長はもう、会長に同行することはない。 室長の仕事の内容がすでに、会長の補佐という領域を抜けていて、室長自身がナンバー2として動いているから…というのもあるけれど、もっと重要な理由は、『万が一のアクシデントの時に、MAJECを守るため』なんだ。 つまり、二人は絶対に同じ車、同じ列車、同じ飛行機には乗らないということ。 もし二人が同じ飛行機に乗っていたとして、その飛行機にアクシデントが発生したら…。 MAJECは、ナンバー1とナンバー2の両方を一度に失ってしまうことになる。 それを回避するために、会長と室長は、社外では行動を共にしないんだ。 それほどまでに室長の立場は重要ということなんだけれど、そんな室長も、入社したての頃は頻繁に会長のお供をしていたのだと聞いていたから…。 「ああ、和彦の時はエジンバラの外れにある貴族の古い城に暫く滞在したな」 …なんか、お似合いかも。 「あいつが万事に期待以上の異様な能力を発揮してくれたものだから、こっちもつい甘えてしまって、入社初日からかなりのオーバーワークをさせてしまったんだ。それで、暫くのんびり骨休みさせてやろうと思って、何もない田舎の城を選んだんだが…」 春之さんはここで、思い出したようにクスッと笑った。 「だがな、結局私たちはお互い似たもの同士だった。何もしないと言うことに2日目からすでに苦痛を感じ始めてな。…何を始めたと思う?」 いいながら春之さんは、利き手の親指・人差し指・中指で優雅に何かを摘み上げる仕草を見せた。 …なんだろう? 僕が首を傾げると、会長はニッと笑って摘んだ何かをテーブルに置いてみせて…。 「チェックメイト」 …あ! 「チェス…ですか?」 「そういうことだ」 「どちらが強かったですか」 尋ねると、春之さんは小さく肩を竦めて見せる。 「悔しいことに、互角だったな」 …やっぱり。そんな気がしたんだ。 「あまりにも勝負がつかないのでな、最後は『何か一つ。自分の大切にしているものを賭けようじゃないか』ということになったんだ」 「大切なもの…」 「そうだ。私は『智雪以外なら何でもやる』と言った。和彦が勝ったら、MAJECをくれてやってもいいぞと言ったんだがな、和彦のヤツ、『そんなものはいりませんから、もっと仕事をさせて下さい』などとぬかしてな」 その時のことを思い出して、春之さんは楽しそうに声を上げて笑った。 何だか、室長らしいや。 「で、室長は何を賭けられたんですか?」 室長の大切なものって、何だろう? 春之さんの表情が、ちょっと人の悪い微笑みに変わった。 「『恋人と妹たち以外なら何でも』…と言ったぞ」 …恋人…。 そっか、そうだよね。あれだけ素敵な人だもん、恋人がいなかったはずはないし、それに室長も言ってたじゃないか。 『経験は、ないとは言わないが多くはないぞ』って。 きっと室長は、誰かを愛したら、ずっとその一人を、誠実に愛していくタイプなんだろうな。 でも…その当時の恋人ってどんな人だったんだろう…。 「気になるか?」 聞かれて僕は、素直に頷いた。 何でもお見通しの、この人の前で強がったってどうにもならないし。 そんな僕に、春之さんは嬉しそうに微笑んで、足をゆったりと組み替えた。 「私も気になった。和彦が妹たちを大切にしてるのはわかっていたが、当時あいつは恋人がいるような素振りをまったく見せていなかったからな。で、『お前の恋人はどんな子だ?』と聞いたら、和彦のヤツ、何といったと思う?」 春之さんの思わせぶりな視線を受けて、僕は、思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。 そんな僕に、春之さんはニッと不敵な笑顔を見せて…。 「しゃあしゃあと、『まだいません』などと言ったんだ。『将来、大切な人が出来たときの予防線です』なんて、普段の仕事ぶりに似合わない純情を見せてくれて、私は本当に得難い懐刀を手に入れたんだと嬉しくなった」 …なんだかその気持ちってよくわかる。 室長って、仕事ができるだけじゃなくて、もっと人間の芯の部分で信頼できる人なんだ。 だからきっと、室長が支えてきたのは仕事の面だけじゃない。 『企業のワンマン会長』という春之さんの孤独な立場も、支えてきたに違いないんだ。 「淳」 「はい」 「今、私がお前に手を出そうとしたら、きっと和彦はお前を連れてMAJECを出ていくだろうな」 「か、かいちょうっ」 「おや?名前で呼ぶようにと言わなかったか?」 会長…じゃなくて春之さんがまたしてもニヤリと笑う。 「心配するな、淳。私は嬉しいんだ。和彦に、妹たち以外に守るべきものができたということがな」 ――守るべきもの。 …やっぱり僕は、『守られるもの』なんだろうか…。 |
11へ続く |
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