「I Love まりちゃん」外伝
羨望の33階
〜14〜
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「や、淳くん」 …でた。 騒ぎの翌日の昼休み。 遅めの休憩で2時前に社食へ降りた僕の前に、あのルカが久しぶりに現れた。 けれど彼は、砂糖菓子のように甘くて可愛い顔の目の下に、なんと盛大に『クマ』を作っていたんだ。 そして、それをまじまじと見てしまった僕に、ルカは可愛らしく小首を傾げて見せた。 「なに?どしたの?」 さすがに『目の下にクマが』…とは指摘できなかったんだけど、僕の視線で彼は察したらしい。 そっと目元を押さえて上目遣いに僕を見て、小さな声で聞いてきた。 「…あ〜、酷い?」 「…ちょっと、ね」 声にもなんだか精彩が無くて、ここ数日の彼の多忙振りが伺える。 心なしか痩せたような気もするし…。もともと女の子のように華奢な身体なのに。 「…大丈夫?」 そう尋ねて僕は思わず、彼が手にしていた昼食のトレイを取り上げていた。細い腕が、なんだか痛々しくて。 すると、ルカは蒼い瞳を大きく見開いて僕を凝視して、そして何故だか脱力した。 「…参ったね」 何が『参った』んだろう。 もちろんそんな僕の疑問に彼が答をくれるはずもなく、ルカは僕の前に立ち、見晴らしのいい窓辺の席へ向かった。 そして僕は、行きがかり上、仕方なく彼の向かいに座る。 「…ありがと」 目の前にトレイを置くと、彼は小さな声でそう言った。 「…どういたしまして」 僕も小さな声で返す。 そして二人して、黙々と食事をしていたんだけど…。 「…凄いところだよね」 唐突に落ちてきた呟きに、僕は思わずルカの顔を凝視してしまった。 けれど、彼は僕の顔なんて見てなくて、スプーンを手にしたまま、窓の外に広がる都心の光景をぼんやりと見ていた。 だから僕は、彼の言う『凄いところ』とは、この大都会の事を言っているのかと思ったんだけど…。 「こんなに凄いところだとは思ってなかった」 言って、視線を僕に向けてきた。 「設備も、人も」 …もしかして、MAJECの話だろうか? そう思った僕の考えは当たっていた。 「MAJECの研究所の質がこんなに高いとは、正直思ってなかったんだ。設備も半端じゃないし、研究員の質の高さにも驚いた。だから…」 夢中になった…と、視線を落として何だか恥ずかしそうに呟いた。 研究者が研究に夢中になることは、ごくごく当たり前の事だろうに、どうしてルカがそんな顔をするのかわかりかねて、僕は『いいことじゃないか』と言ったんだけれど、ルカは何故か哀しそうに頭を振った。 「僕は、恥ずかしくなったんだ」 その言葉の意味は、もちろんますますわからない。 けれど、次の一言で僕は理解した。 「元々僕が日本へやって来た目的は和彦さんにあったから」 …そうか。そういうことなのか。 「僕と和彦さんがアメリカで会ってたときのことって、和彦さんから何か聞いてる?」 ついこの前までの僕だったら、こんな質問にすら勝手に傷ついていたところなんだろうけれど、僕はもう迷わないことに決めているし、それに、今目の前にいるルカはとても頼りなげで儚げだから、ただ静かに『ううん、何にも』と答えることが出来た。 するとまたルカは小さくため息をついて、穏やかな瞳で僕を見つめてきた。 「和彦さんの恋人の名前が『じゅん』って名前の子だって言うのは、彼が毎日熱心にかける電話を立ち聞きして知ったんだ」 手にしていたスプーンを置いた彼につられて、僕も食事の手を止める。 「和彦さんってばさ、どんなに話が盛り上がってても、決まった時間になったら必ず『失礼』なんていって席外すんだよ。 でさ、どこ行くんだろうと思って気になって後を付けてみたら、中庭にでて衛星携帯とりだしてさ、恋人のところに定時連絡入れてるんだもん。 僕たちには絶対聞かせないような甘い声で『淳、変わりはないか?』なんて囁いちゃって…」 う…。恥ずかしいかも…。 「むかついたからそれから毎日後をつけて立ち聞きしてやったんだけど、真剣に仕事の話をしてたかと思うと、『好きだよ』なんて言っちゃったりもするし、挙げ句の果てには『まったく手の掛かるヤツだなあ』なんてデレデレの顔で言ってるんだもん」 …室長ともあろう人が、立ち聞きに気がつかないなんて…。 しかもこんな恥ずかしい内容。うう。穴があったら入りたい…。 「僕、男だからと思って和彦さんのこと諦めてたのに、MAJECの人に『じゅんって子、います?』って聞いたら、今年入った男性の新人秘書だって言われて…。 それじゃ僕だって諦めなくっていいんじゃないかって…。 そんな手の掛かるヤツだったら、僕の方が絶対可愛くて頭よくてお買い得だと思って…」 「それで…日本に?」 「そう。Caltechで研究してくれればいいって言われてたんだけど、絶対和彦さんを奪ってやろうと思って、こっちに来たんだ」 けれど、『奪ってやる』なんて物騒な言葉とは裏腹に、ルカの声は弱々しくて今にも消えてしまいそうなくらいで。 「でも…僕の入る隙なんて、どこにもなかった。和彦さんは、僕がどんなにアピールしても君以外には目もくれないし、君は君で、僕が思っていたよりずっと純粋で優しい人で…」 …なんか話が違うじゃないか。 今まで散々僕のことを『こんなの』だとか『面倒くさいヤツ』だとか言ってたクセに…。 「…今まで色々思わせぶりなこと言ってごめん」 唐突に頭を下げられて、僕は面食らった。 「この際だから告白しちゃうけど…」 そう言ってルカは、来日してからこれまでの事を話し始めた。 結局のところ、室長からは『何か困ったことがあればいつでも言っておいで』とは言われていたけれど、それ以上のことは何にもなかったこと。 2回ほど食事には行ったけど、研究所の所員たちも一緒だったこと。 そして、僕の出張の情報は、ルカと会長の面談の日程が、会長の出張で延期になったことから知ったものだったこと、等々。 そんなあれこれを聞き、今までのもやもやとした色んな疑問が一気に払拭できて、僕は無意識に息をついてしまうほど安心していた。 そして、ルカはそんな僕を見てポツンとまた、呟いたんだ。 「僕、Caltechに帰ろうかなあ…」 え? 「どうして?」 「…だって、僕がいたら淳くんには目障りだろ?」 いろいろ嫌な事も言っちゃったしね…と続けて、彼は長いまつげに縁取られた蒼い瞳を伏せた。 「そんなことないっ」 その言葉は、頭があれこれ考える前に僕の口を飛び出していた。 「…淳く…ん」 ルカが弾かれたように顔を上げ、大きな瞳をさらに大きく見開く。 「室長、言ってた。やる気のある人間は大歓迎なんだって。ルカのこと、とっても優秀でユニークないい子なんだって。室長、期待してるんだよ、ルカに。だから、帰るなんて言わないで」 そう。室長は言ってたんだ。『ルカが来てくれてよかった』って。 零れ落ちそうなほど見開いていたルカの瞳がふわっと笑みの形に変わった。 「…ありがと…」 白い肌がほんのりと染まる。その様子はとんでもなく可愛らしくて…。 それから僕たちは、今までの関係を精算するかのように話を弾ませて、まるでずっと昔から友達だったみたいにうち解けはじめたんだ。 そして、休憩も終わろうという時になって、ルカは僕に『和彦さんと幸せにね』と言ってくれた。 僕は、がんばって室長についていこうと決心はしているものの、そんな言葉にはまだまだ恥ずかしさが勝ってしまって、俯いて小さく『うん』と言うしかないんだけれど…。 そんな僕の顔を下から覗き込むようにして見上げて来たルカは、天使のように可愛い顔を、『ニッ』と小悪魔の微笑みに変えた。 「僕、せっかくだから頂点狙うよ、淳」 「は?頂点?」 「そ。MAJECの頂点!」 …いや〜な予感がする…。 「僕、会長の愛人にしてもらうんだ〜!」 …やっぱり…。 「プロポーズの言葉も今決めた」 「プロポーズぅ〜?」 「うん!『僕を智雪くんのママにして下さい』ってね」 ちょっと待った。愛人じゃあ、ママにはなれないだろう…って、そんなこといってる場合じゃない! だいたい、どうしてルカが智雪くんのことまで知ってるんだ! 「あ、でも智雪くんでもいいかな〜。ハンサムだし頭いいし、それになんてったって将来はMAJECのTOPだもんね〜。今から唾付けとこうかな〜」 はい〜? 「ね、どうして智雪くんのこと、知ってるの?」 「あ?だって彼、よく研究所に来るよ?」 「へ?」 そんなの初耳だ。…って、別に僕が把握しておくべきことじゃないんだけどさ。 「学校が近いんだって。で、和彦さんが研究所に立ち寄ったときにはだいたい智雪くんも来るよ。和彦さんや僕たちの仕事を見学してるときもあるし、和彦さんと二人で会議室に籠もってるときもあるし…」 あ、そうか。室長は智雪くんの『帝王学』の教授だもんな。 どんなに忙しくても、必ず週に1回は智雪くんと過ごす時間を作るようにしてるって言ってたし… それにしても…。 「ルカ」 「ん?なあに?淳」 「ほんとにMAJECの頂点を狙うわけ?」 「あったりまえじゃない。いい仕事をする最大のコツは、素敵な恋と同時進行させることだよ、淳」 そう言って、華奢な見かけとは裏腹な、結構な力で僕の背中をバンッと叩いた。 「あ、そんなこと、淳には『今さら』だよね〜」 …結局僕っていいように遊ばれてるような気がするんだけど…。 ともかく、こうして僕たちはなんとなく和解して、元気な顔で『じゃあまたね』と手を振って去っていった彼をホッとした気持ちで見送り、僕も気合いを入れて秘書室に戻った。 で、本当ならあと2日で休暇に入り、僕は室長と旅行に出かける予定だったんだけど…。 例の買収騒動の後始末が思いの外長引いて、僕たちの休暇は2日先送りとなり、結果、旅行も延期になってしまったんだ。 |
15へ続く |
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