「I Love まりちゃん」外伝

羨望の33階
〜3〜





『もう一歩、踏み出したい』

 そんな風に室長が考えているであろうことを、鈍い僕にも気づかせたのは……それは、室長から送られる視線の強さだったり、抱きしめられたときの室長の身体の熱さだったり、重なる唇の激しさだったり……とにかく色々ではあるんだけれど…。



 僕たちが想いを通わせて3ヶ月と少し。

 それだけの期間があれば、ごく普通の大人の恋人同士だったら、すでに最後の一線を越えていたって全然不思議ではない…のだろう。

 でも、僕たちにはまだそんなことは起こっていない。

 もちろん僕だって健康体の成人男性だから、好きな人と深く触れあいたいという欲望はある。

 ただ…。


 僕はまだ、誰よりも好きなこの人のことを大半の部分で『室長』と認識してしまっていて、なかなか『小倉和彦』という個人としての認識ができないんじゃないかって気がするんだ。

 それは多分、4月に初めて会って以来の半年間、室長に対して『反発』『畏怖』『緊張』『尊敬』…等々、おおよそ『恋』だの『愛』だのといった甘いものから対極に位置する感情だけを持ち続けてきた所為なんじゃないかと思うんだけれど。

 室長は、最初から僕を気に入ってくれていた…って告白してくれたけれど、僕はというと、いつの間にか室長に傾いていた心を、例の『春奈さんとの誤解』をきっかけにやっと認識したという有様で。


 それと…。あと少しは、その…。同性同士だから…ってことも影響していると思うんだ。

 でも、映画監督をやっている父の業界関係者や友人には、はっきりゲイだとカミングアウトしている人も多くて、だから僕は元々そう言うものに対する偏見を持つほどモラリストでもない。

 じゃあ、実際僕が何にそんなに戸惑っているかというと…。


 室長と僕じゃ、多分、僕が……ええと、抱かれる方ってことで――だってその反対なんて恐ろしくて考えられないし――僕はその時いったいどんな顔をして、どんな風にしていればいいのか、全然想像がつかないからなんだ。

 僕がもし、可愛い女の子ならこんなに悩まなくて済むんだろうなと思う。

 でも僕は男だから、女の子のように可愛く振る舞える自信もない。まあ、振る舞ったところで気持ち悪いだけだし。

 室長がいったいこんな僕のどこを気に入ってくれたのか、未だによくわからないんだけれど、でも……ううん、だからこそ、もしもみっともない姿を晒してしまったら…と思うと、怖くて仕方がないんだ…。



 そんなわけで、まだまだ僕には『すべてを受け入れる』覚悟なんて到底出来ていない…ってことで、ここのところかなりあからさまになってきたような気がする室長からの『誘い』にも、自分でも呆れるほど上手い具合にかわしてしまっていたりする。


 そして今夜も僕たちは、健全に――とは言え、時刻は終電まであと1〜2本という結構な深夜で、しかも明日ドライブに出かける約束はちゃっかりしちゃってるんだけど――駅で『また明日』と別れたのだった。



                    ☆ .。.:*・゜



「じゃあ、また明日」

 そう言って今夜も駅で別れた。

 お互いに反対方向の電車だから、改札を通るとそこで別れざるを得ないのは仕方がない。


 ――また明日も会えるじゃないか。

 和彦は、自身に未練がましくそう言い聞かせるのだが、その端から『明日もさぞかし健全なデートになるのだろうな』と思うと、なんだか笑えてしまう。



 淳を初めてこの腕に抱きしめてから3ヶ月と少し。

 和彦としてはもう少し速いテンポで二人の仲を進めて行くつもりでいたから、今のこの状況はまったくもって『大誤算』なのである。

 最初の1ヶ月は出来るだけ『そんな素振り』は見せないで来た。

 いい年をして余裕のないところを見せるのも無様だし、第一、淳に怯えられてしまうのは本意ではないから。

 けれど、2ヶ月目に入った頃からはそれなりにモーションを掛けてきたのだ。

 自分は淳を抱きたいのだと。

 なのに淳は、そんな和彦の気持ちを、切なくなるほどあっさりとかわしてくれる。

 最初のうちは、『照れ』や『羞恥』が邪魔をしているのだと思っていた。

 だがこうも上手くかわされ続けていると、もしかすると淳が求めているのは『話の分かる上司』であって『恋人・小倉和彦』ではないのではないだろうかなどと勘ぐってしまう。

 この気持ちは、果たして本当に伝わっているんだろうか…。
 いや、本気で疑っているわけではないのだが…。




 ホームへ上がると、反対側の線路の先に電車のテールランプが遠ざかっていくのが見えた。

 向かいのホームには乗り損ねたらしきサラリーマンが数人いるだけで淳の姿はなかった。

 子供の頃からテニスをやっていて、足には自信があると言っていたから、余裕で間に合ったのだろう。





『好きだ』と告白したのは、和彦なりに覚悟を決めてのことだった。

 幸い告白前に淳の気持ちは春姫から聞かされていたから、『拒絶』という可能性を考えずにすんだのは助かった。

 となると、あとは自分の覚悟一つだ。

 30にもなって、社会的責任もそれなりに背負っている大の大人が同性相手に『好きだ。この気持ちを受け入れてくれ』と言うからには、この先の覚悟をしっかりと持っていなくてはいけないと思った。

 つまり、自分の人生の終わりの日まで、この腕の中で、淳を抱きしめて守り通すという覚悟。

 和彦は、それを心に固く誓って、そして想いを告げたのだ。


『だから身体を寄越せ』

 もちろんそんな風に言うつもりもないし、思ってもいない。

 ただ、心だけでなく、この身体も、淳のことが愛しいと訴えている。




 ――だが、シチュエーション的に難しいのも確かだな。

 ふとそう思う。

 お互いに自宅通勤。
 対外的には上司でしかない自分がまさか淳の自宅へ尋ねていけるはずもないし、自分の家には妹がいる。

 いくら春姫が留守にしている時間でも、彼女に対して悪いような気がしてうちにも誘えない。

 まさか、男2人で堂々とホテルへ行くわけにもいかないし…――いや、自分はともかく、絶対に淳が嫌がるだろう。


 ――強引に休みをとって旅行にでもいくか、それがダメなら、出張に同行させるか…。


 いずれにしても、その場合は会長以下秘書室の連中に格好のネタを提供してしまうことになりそうだが。




 ――そう言えば、まだ一度も淳の口から『好き』なんて言葉をもらったことがないな…。


 不安定な気分でいるせいか、今夜は妙なことばかり思いつく。

 そして思いついてしまうと、その事実は急に嫌な重しとなってのし掛かってくる。

 テーィンエイジャーではあるまいし、『言葉がないと不安になる』なんてことは思わないけれど――学などは『淳くん、全身から『室長好き好きオーラ』が溢れてますよね〜』なんて冷やかしてくれるぐらいだから――それでも、やはりその声が『好き』と言ってくれるのを聞いてみたいと思うのは、決して我が儘な望みではないと思うのだが。


 淳のすべてが欲しい。


 我慢の限界は、近いかも知れない。


4へ続く



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