「I Love まりちゃん」外伝

羨望の33階
〜4〜





「淳くん、こっちこっち」

 それなりに混んだ社員食堂――とはいっても、MAJECだけのそれではなくて、このビルに入っている会社が共同で運営しているものなんだけど――その一角から春奈さんの声がした。

 初の海外出張帰りで、代休も含めて10日ぶりに出社した春奈さんは、僕より30分先に昼休みに入っていて、すでに食事を終えてデザート――マンゴープリンのようだ――を楽しんでいる。


 今夜は室長と春奈さんと3人でに食事に行く約束をしてるんだけど、そこで初の出張の感想を聞かせてもらうことになってるんだ。

 僕は手にしたトレイをテーブルに置き、そして春奈さんが空けて置いてくれた席に着く…と。


「ねえねえ、土曜日のデートは何処に行ったの?」

 う。来た。いったいどこから情報を…って、だいたいわかってるけど…。

 室長との一件ではかなり春奈さんのお世話になってしまったから――あの頃、春姫ちゃんの相談に乗ってくれていたのは当然というかなんというか、春奈さんだった――こんな風に『興味津々』の瞳で見つめられても、僕にはそれを拒むことなんてできなくて…。


「ええと、三浦半島の方に…」

「あらやだ、ドライブの定番じゃないの〜」

「…悪かったね」

「いやん、悪くなんかないわよ〜。もしかして室長お手製の『お弁当』つき?」

 え…。なんでそんなことまで知ってるんだ…。

 けれど、ここで急に黙ってしまった僕に、春奈さんはスッと目を眇めた。

「…やだ、もしかして……ビンゴ?」

「…ちょ…っ、春奈さんっ、カマかけたなっ」

「きゃ〜、ラブラブ〜!だってまだホヤホヤの新婚カップルだもんね〜」

「春奈さんっ」

「で?土曜日はどこまで進んだ?」

「ノーコメント」

「うふふ、淳くんってば、涙目になってる〜」

 春奈さんが苛めるからじゃないかっ。

「なってないっ」

「はいはい、そう言うことにしておいてあげよう」

 言いながら僕の肩を一発バチンと叩き、春奈さんはトレイを手に軽やかに立ち上がった。

 周囲の男性陣――すべて他社の社員だけど。だって、MAJECには『プリンス春奈』(プリンセスでないところがミソ)に手を出そうなんてツワモノはいないから――の視線が集まる。


「じゃあ、お先に〜」

 けれど春奈さんは、そんな周囲の絡みつくような視線をものともせず、やっぱり軽やかな足取りで社食を出ていった。


「ふ〜」

 一気に疲れた感じ。

 春奈さんに冷やかされるのは今に始まったことじゃないけれど、こういう場所ではほんと、ヤバイと思うんだけど。

 だって、春奈さんってば全然自覚無いんだもんな。自分が注目されてるってことにさ。


「ここ、いいですか?」

「あ、はいっ、どうぞ」


 いきなり声を掛けられて、驚きつつも振り返ってみたら、そこには栗色のショートヘアで茶色い瞳をした、ちょっとエキゾチックで可愛い女の子が立っていた。

 でも、今の声は女の子じゃなかったような気がするけどな。

「君が噂の淳くん…だね。新婚ほやほやの」

 はい〜?

 …って、もしかしてこの声は、お・と・こ?

 いやいや、そんなこといってる場合じゃないっ。
 誰が『噂』で誰が『新婚』なんだっ。


「僕はこういう者。これからよろしくね」

 そう言って彼女…いや、今はっきりと『僕』って言った『彼』が示して見せたのは、首からぶら下がる身分証明書だ。

 僕のと同じデザイン――MAJECのだ。

 そこには『研修社員:Luke Orwell』と書かれていて…。

 ってことは、こいつが室長の言ってた、アメリカからやって来た研究者?

 確か僕と同じくらいの歳って……。

 嘘だ〜!どう見ても10代だぞっ。しかも女の子にしかみえないっ。あ、声を聞かなければ…だけど。



 あたふたと内心で狼狽える僕に、彼はニコッと微笑みながら右手を差し出してきた。


「…あ、どうも…Mr.…Orwell」

 反射的に出された右手を取ると、彼は見かけに似合わない力強さで僕の手を握ってきた。

「『ルカ』でいいよ、淳くん」

 よかった。本当に『Mr.』であってたんだ。まあ、もともとルカってのは男性名のはずだけど、幼稚園の同級生に流花ちゃんって女の子、いたからなあ。

 なんて、どうでもいいことをグルグルと考えていたら、目の前の可愛いコイツはやけに挑戦的な目つきで僕を見つめてきた。


「噂通りの『容姿端麗』、その上胸の身分証明書には泣く子も黙る『MAJEC:秘書室』の文字。さすがに人目を引くね、君は」

 へ?

「なんですか、それ」

 そう言う本人は、砂糖菓子みたいな可愛らしさだ。これで男だなんて、ほんと、もったいない。

「僕なんかが人目を引いてるわけないでしょ」

 それを言うなら春奈さんだ。

「…ふん、なるほどね。和彦さんが手を焼くわけだ」

「な…っ」

 どうしてここでいきなり室長の話になるんだよっ。しかも…っ。

「まるで無自覚だから大変だって愚痴ってたよ、彼」

「ど、どういう…っ」

「どういう…って、君、和彦さんの恋人なんでしょ?」

「だから、どうしてそんなことを…っ」

「和彦さんに聞いたんだよ。色々とね」

 か、和彦さんだなんて、気安く呼ぶなっ。

 いきなり現れて言いたい放題のヤツを相手に、どうリアクションをしていいのか、狼狽えている僕を後目に、彼はあっという間にトレイの上の食事を平らげた。

「あ〜、やっぱり日本は食べ物が美味しいなあ。…あれ?淳くん食べるの遅いね。そんなので仕事についていけてるの?あんまり和彦さんのこと困らせちゃダメだよ。じゃあね」

 …なんなんだっ、こいつはいったいっ!

 言いたいことだけ言い散らかして、天使のような微笑みを残して去っていく後ろ姿を、僕は呆然と見送った。



『和彦さん』


 なんの躊躇いもなく、そう、呼んだ。

 …室長とあいつ、そんなに親しかったんだ。

 金曜日に聞いた話だと、全然そんな感じじゃなかったのに…。

 …室長、愚痴ってたっていってたっけ…。

 やだな…なんかそれ、簡単に想像ついちゃうな…。



 楽しいはずのランチタイム。
 一応残さずには食べたけれど、ほとんど食べた気がしないまま――というより、気分悪くなっちゃって――僕は秘書室へ戻った。


5へ続く



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