「I Love まりちゃん」外伝

羨望の33階
〜7〜





 入社以来、初めて佐保さんと二人きりで出かけたのは、いつものイタリアンの店…だった。

 沢木さんと佐保さんがよく通っているというここは、僕や春奈さんにとってもお気に入りで、春姫ちゃんと初めて食事をした店でもある。

 で、何故か僕ら秘書室の面子が予約を入れると通されるのが、この奥まった席で…。

 春姫ちゃんの時にも思ったけど、ないしょ話にはもってこいの席。もちろんいつもそのために来るわけじゃないんだけど…。


「ふふっ、相変わらず気が利くんだから」

 席に着くなりそういった佐保さんに、思わず「え?」と問い返すと、意外な話が飛びだした。

「僕が入社した頃、大二郎さんは毎日ここへ通ってはオーナーに相談事をしてたんだよ。それ以来、僕らが来るときはいつもこの席を用意してくれるんだ」

 それは、初耳だ。確かにオーナーはとても優しげな紳士で、とんでもなく包容力のありそうな人なんだけど…。


「実はね、オーナーの恋人、男の子なんだ」

「え、そうなんですか?」

 ちょっとびっくり。いや、その、相手がどうのこうの…よりも、オーナーってなんかすごくストイックな感じで、『恋』とか『愛』とかって言葉があんまりしっくりくる感じじゃないから。

 そう、ちょうど僕が最初の頃の室長に感じていたのと同じ…かな。

「うん。でね、大二郎さんは、僕のことを色々と相談しに来ていたってわけ」

 そうか、『最初は大変だったんだよ』って言ってたっけ、沢木さん。

『今はもう笑い話になったから、よかったと思うけど』なんて笑った顔が印象的だった。

 本当に、佐保さんが好きなんだなっていうのが、表情のすべてに現れていて。

 そして、ちょっと羨ましいとも思ったんだ。

 僕も、こんな風に笑えるようになりたいって。


「で、淳くんの悩みは?」

 う、いきなりですか。

「まあ、室長とのこと以外にはないと思うけどね」

 言葉に詰まった僕に、やけに嬉しそうに佐保さんは言う。そして…。

「あらかじめ正直に告白しておくけれど…」

 ちょっと真面目な顔になって、佐保さんは一口、水を飲んだ。

「僕は、淳くんって言う味方が身近にできて、凄く心強いと思ってるんだ」

「え?」

 意外な一言に僕は面食らった。

「僕が、ですか?」

 こんな僕が、心強い?

「そう。僕は大二郎さんと恋人同士になって3年近く経つけれど、その間いつも心のどこかに引っかかりを感じてた」

「…引っかかり…ですか?」

「うん。これでいいのかな…っていうこと」

 …それって…、まさか…。

 僕の顔色が変わったんだろう。佐保さんは笑いながら、顔の前で手をひらひらと振った。

「ああ、誤解しないでね。大二郎さんに対する気持ちには自信があるよ。もちろん、彼の気持ちも疑ってない。これっぽちもね」

 …よかった。二人の気持ちに行き違いなんてあったら、僕はきっと、自分のことのように悲しくなると思うから。

「ただね、不安だったんだ」

 この、佐保さん…に? 僕じゃあるまいし…。

「不安…ですか」

「そう、何もかも大二郎さんに寄りかかっている自分が不安だったんだ。大二郎さんは『そんなことはない。学が側にいてくれるから僕は自分の足で立っていられるんだ。僕こそが学に守られているんだ』って言ってくれるんだけど、僕にはそんな風に思えなかった。いつも包み込むように大事にされて、守られて、甘やかされて…。僕だって同じ男なのに、こんなんじゃダメなんじゃないかって…」

 …それって、そのまま室長と僕にも当てはまってる…。

 でも、沢木さんの気持ちはなんだかわかるような気がする。

「沢木さん、いつも佐保さんのこと、優しい目で見つめてますよね。愛おしくて仕方がないって感じで」

『佐保さんがいるから沢木さんが自分らしくいられる』…っていうのは、沢木さんのあの瞳の優しさを見ていると、とても説得力のあることのように思えるんだ。


「室長も…だよ、淳くん」

「…え…?」

「室長も、いつも淳くんのこと、優しい目で見てる。愛おしくて仕方がないって感じでね」

 …そう、なんだろうか…。

「今、室長のバランスを支えているのは、淳くん、君なんだ」

「佐保さん…」

「多分、君がいなくなったら、室長はもう、元の室長には戻れない。誰よりも、何よりも大切なものを見つけてしまった小倉和彦と言う人が、これから先を彼らしく生きていくためには、淳くん、君の存在が必要不可欠なんだ」

 僕の…存在。

「僕も、室長と淳くんを見ていてやっと気がついたんだ。大二郎さんが言っていたのは、このことだったんだって」

 ちょっと照れたように目を伏せる佐保さん。長いまつげが染まった頬に影を落とす。

「淳くんも僕も、端から見ると、守られて愛されるばかりの人間に見えると思うんだ。まあ実際そうなんだけれど、でも、僕らは『僕らがここにいるという事実』で大切な人を支えられればいいな…と思った。自分が『自分らしく』ある限り、彼もまた『彼らしく』あることが出来るんだって」

 …佐保さん…。

 感動で思わず目頭が熱くなってしまった僕に、佐保さんは、

「…で、淳くんの悩みは?」

 と、ニコッと笑って見せた。


 …あ。

 いきなり話が振り出しに戻ったけれど、もちろんすでに僕の悩みはほとんど昇華されていて、これ以上聞いてもらうようなことは…。

 そりゃあ、まだもう一つ悩み――妙に実質的な――もあるにはあるけれど、今の佐保さんの話を聞けば、そんなことって『なんとかなるさ』って気に…ちょっと、なったし。

「まだちょっとは残ってるとは思うんだけどな」

 けれど僕の内側を先読みしたように、佐保さんがニッと笑う。

「この際だから全部言っちゃえば?」

 …佐保さんのこの笑顔って結構クセモノなんだな。つい、ポロッと喋らされちゃうような…。

「…ええと、強いて言えば…」

「言えば?」

 う、佐保さんのこの顔。絶対なんの話かわかってる。わかってて、聞いてる。

 …ええい、僕だって男だ!…って、一人で宣言してても仕方ないんだけど。


「…あの…怖くなかったですか?…その…ええと」

 って、決意の割には情けない声になってるじゃないか。

「怖かったよ」

 そんな僕の葛藤などまったくお見通しって感じで、あっさり佐保さんは頷いた。

「淳くんはどうなのか知らないけれど、僕は大二郎さんに会うまで誰ともそう言う経験がなかったんだ。親の仕事の都合で12歳で渡米してから大学院を出るまでアメリカにいたんだけれど、同級生や周囲の友達があまりにオープンで大人びてた所為か、わざわざそう言うことに関して目を背けてしまってるところがあったんだ。だから余計に怖かった。実地経験はないクセに、妙な知識ばっかりが頭にあってね」

 すでに過去の話だからなのか、余裕の表情で佐保さんは自分自身を笑って見せる。

「気持ちの上では大二郎さんのことを受け入れていても、そこから先へなかなか進めなかった。そんな僕を大二郎さんは辛抱強く待ってくれてたんだけど…」

 そこで言葉を切った佐保さんは、表情を変えた。

 どこかちょっと懐かしむような遠い目から、僕の目を真っ直ぐに見て、ニヤッ…と。

「そう言えば、初めての時、思わず大二郎さんの肩に噛みついちゃってさ、彼の肩には未だに僕の歯形が傷になって残ってるよ。大二郎さんってば、吸血鬼を恋人にしちゃったかと思った…なんて言ってたくらいだから」

 そ、それはまた…。

「…そんなにきつく噛んだんですか?」

「うん、だって痛かったんだもん」

 あああ…。やっぱり…。

「…やっぱり…痛いんですね…」

 実は、痛いのが苦手だったりする僕なんだけど…まあ、痛いのが好きって人は少ないと思うけど。

「うん、痛い。だってさ、『大丈夫』とか『痛くしないから』とか言うから信じたのに、実際はすっごく痛いんだもん。僕、わーわー泣いちゃったよ」

 …ちょっと、それはあまりにリアルな体験談なんですけど〜…。

「あ。淳くん、青くなってるー」

 そんなに嬉しそうに言わないで下さいよ〜。

「大丈夫。心がちゃんとそこにあれば、辛いことなんて何もないよ」

 最初は痛いけどね…と、佐保さんはペロッと舌を出して肩を竦めた。

「あ、来た来た。美味しそう〜」

 まるで僕らの話の終わりを見極めたように、いい匂いを立てて料理が運ばれてきて、僕らの『密談』はそこまでとなり、後は仕事の話や趣味の話、家族の話など、今まであまり知らなかった佐保さんの――もちろん佐保さんだけじゃなくて、僕のも…だけど――プライベートな話で盛り上がり、明日の仕事に差し支えない時間で僕らはお気に入りの店を後にした。

 …ってさ。後からよく考えると、結局佐保さんが沢木さんのことをすべて受け入れるに至った『気持ち』の経緯は上手く割愛されちゃったって感じだよな。

 でも、それは二人にとって大切にしておきたい『思い出』なのかもしれないな…と、僕は改めて、今日佐保さんがこうした時間を作ってくれたことに感謝をし、そして、僕は僕なりに、室長……和彦さんとの『これから』を『僕らしく』あろうと思ったのだった。


8へ続く



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