「I Love まりちゃん」外伝
空飛ぶ33階
〜2〜
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春姫ちゃんが映画の宣伝のために家を留守にしていた土日。 僕はべったり和彦さんのところにお邪魔させてもらってしまい、2人でゆっくり過ごすことができた。 身体はちょっときついけど、気分的にはとても幸せで…。 ただ、冬那さんの事だけが気がかりではあるけれど。 翌月曜日、和彦さんは国内1泊2日の出張にでかけ、僕は会長のお供でアメリカへ向かった。 会長はいつもビジネスクラスで移動する。 ファーストクラスが設定されている機材の時でも、それは使わずにビジネスクラスだ。 どうしてかと言うと、『ビジネスクラスで十分』だからだそうだ。 ファーストクラスの過剰な接待は、仕事での往復には不要だし、その分の経費が無駄だということで、かといって、頻繁に長距離エアラインを利用する身としては、エコノミーでは体が持たない。 そんなわけでビジネスクラスなんだ。 そして、いつも側にいなくてはいけない秘書も、当然ビジネスクラスというわけで、随分楽に往復させてもらっている。 社会人になるまでこんな贅沢したことないので、最初はちょっと戸惑ったけれど、今はかなり慣れた。 でも、オフでエコノミーに乗るときは辛いだろうなあ…なんて思ってしまう。 まったく人間って、贅沢に慣れるとろくなことはないよなあ。 『お久しぶりです。前田会長』 機体が水平飛行に入ってちょっとした頃。 親しげに、でも礼儀正しく、美しい英語で話しかけてきたのはCAの制服もばっちり決まったエキゾチックな美人。 『やあ、久しぶりだね。ここのところヨーロッパ路線を飛んでいると聞いていたんだが』 『ええ、そうなんですが、今日から1ヶ月、応援でアメリカ路線へ回されました』 にこやかにそう言うと、彼女は会長と僕に、飲み物を尋ねてきた。 会長はもちろんコーヒー。 なんてったって、コーヒーの味でエアラインを決めるような人だから。 そして僕はストレートの紅茶。 コーヒーは相変わらずちょっと苦手で、ミルク――しかもパウダーでもクリームでもなく、牛乳――たっぷりでないと飲めないんだ。 でも、そんなこと、こんなところでは恥ずかしくて言えないから、だからいつもストレートティー。 『君のサービスが受けられるとは、今回の出張はどうやらラッキーな事がありそうだな』 『ご期待に添えますよう、会長のラッキーをお祈りしておきますわ』 親しげなやりとり。 会長は、気に入った相手とはだいたいこんな風にフレンドリーに接するから、僕もそう言うときは気を張らずにおつき合いするようにしている。 『淳、紹介しよう。Ms.Schulzだ』 会長は、そのMs.シュルツにもわかるようになのだろう――名前からして、ドイツの感じだけど、見た目はばっちり東洋人で、まるで日本語が通じそうだ――僕に英語でそう話しかけた。 『はじめまして。会長には新人の頃から可愛がっていただいております』 『はじめまして。秘書の長岡淳です』 そう言うと、ニコッと笑ったMs.シュルツはの口から、『お若くていらっしゃるのに、会長を支えておられますのね』と、今まで誰にも言われたことのなかった、オソロシイお世辞が飛び出した。 ほんと、いつかそんな日が来るといいんだけど…って、来なきゃ秘書失格だけど。 『いえ、まだ私が会長に支えていただいている状態です』 正直にそう言うと、隣で会長が吹き出した。 …そんなに正直に反応しなくっても…。 Ms.シュルツまで笑ってるし。 そんなわけで、痒いところに手の届き、しかもちっとも出過ぎていないMs.シュルツの素晴らしいサービスを受けてのフライトはとっても快適で、僕たちは無事カリフォルニアに着いた。 今回は、工科大学に用があるんだけど、3日滞在して帰国することになってる。 『今夜、ディナーに誘ってもいいだろうか?』 飛行機を降りるとき、会長はMs.シュルツにそう言った。 驚いた。こんな風に、会長が誰かを誘うところ、初めて見た。 そりゃ確かに、会長は現在夫人とは別居中だけれど、でも戸籍上は歴とした既婚者で、Ms.シュルツが独身かどうかは知らないけれど、でも彼女はどう見ても20代。 …って、考え過ぎかなあ。 『ありがとうございます。喜んでお供させていただきます』 あら。あっさり受けた。 じゃあ、僕は今夜は1人かなあ…と思ったら。 『何言ってるんだ。お前も来い』って、連れてこられちゃったよ。 そうして出かけてきたのは、少し高台にある眺めのいいレストラン。 日本料理という看板なんだけど、それは名ばかりで、『これのどこが日本料理なんだ』ってアヤシイ料理ばかり出す割に、味のいいところがお気に入りなんだとか。 現地集合で現れた私服姿のMs.シュルツは、制服の時よりまた一段と若くて、二十歳くらいの感じだ。 けれど、今日ちらっと会長から仕入れた情報によると、24、5歳だったと思うってことだった。 そして、何より驚いたのは…。 「久しぶりにご一緒できて嬉しいです」 「本当だね。この前ランチをしたのが1年くらいだったかな」 「そうですね。あの時は、ウィーンのカフェでした」 …って、日本語じゃん。しかもバリバリのネイティブ。 驚いている僕に気付いたのか、Ms.シュルツがニコッと笑った。 「日本人なの、見てのとおり」 やっぱり。 確かに日本人にしては目鼻立ちがはっきりしたエキゾチックな顔立ちなんだけど、そこはそれ、同じ民族同士、『これは同じだ』って感じがしたんだ。 じゃあ、『シュルツ』と言う名前は…。 もしかして、結婚してるのかな? と思ったんだけど、話はそこまで踏み込まなくて、相手が話してくれない以上、僕から女性に向かってそう言うことを聞くのは何だか気が引けて、結局謎のままになった。 でも、そんなことはすぐに忘れてしまうほど、Ms.シュルツは会話の上手な人で、もちろん会長もそうだから、話は尽きることなく弾んで、楽しいひとときになった。 話題は最近の流行ものからハリウッドネタに地球温暖化問題から経済まで…と、幅広いんだけど、やっぱり政治と宗教ってのはタブーなので、そう言う話はでない。 「淳くん…って呼んでもいいかしら?」 ちょうどデザートが出てきたところで彼女はそう言った。 「もちろんです」 「じゃあ、私のことは、アーニャって呼んでね。エアラインの同僚はみんなそう呼ぶの。本名が発音しづらいらしいのよ。あと、歳もあまり違わないようだから、オフでは敬語をやめてもらえると嬉しいわ」 あ、じゃあ、やっぱり20代前半なんだ。 そうとわかるとやっぱり話しやすい…かな。 で、僕は『じゃあ、アーニャ。本名はなんて言うの?』って聞こうとしたんだけど――だって、日本人の僕には発音できるだろうと思ったから――アーニャが『今度はぜひ、日本で遊びましょうね』と、健康的な笑顔で誘ってくれたので、結局聞き損ねてしまったのだった。 しかも、帰りのフライトでは一緒になれず、『今度遊ぼうね』と約束したのはいいけれど、実際その『今度』がいつになるのかは、さっぱり見当もつかなかった。 ☆ .。.:*・゜ けれど。 その『今度』は思っていた以上に早くやってきた。 いや、『遊ぼうね』が実現したわけではなくて、『また会えた』ということなんだけれど。 アーニャに会ってから2週間ほどした頃。 僕と和彦さんは、サンフランシスコ行きの便に乗っていた。 なんと和彦さんは出張に僕を同行させたんだ。 もちろんこんなこと初めて。 新しい取引先に挨拶がてら…と言うのが同行の『目的』だったんだけど、沢木さんも佐保さんも、もちろん春奈さんも『そりゃあここのところすれ違ってばっかりだったからねえ〜』なんて、ニヤニヤ笑いながら見送ってくれたりして。 当然僕は、あの『室長』がそんな『公私混同』をするはずがないじゃないか!…って、1人で息巻いてたんだけど、成田の駐車場で、和彦さんから『ここのところすれ違ってばかりだったからな』って言われたときにはちょっと唖然としちゃったり。 でも、ほんと言うと、ものすごく嬉しかった。 同じ職場にいて、こんな風に仕事上で一緒にいられる時間が持てて、しかも職場のみんなはざっくばらんに応援してくれちゃったりなんかして、僕は本当に恵まれてるんだなあ…と、感動に浸りながら機上の人となったわけだけど。 ここから僕が、暫く悩む羽目になろうとは、その時は夢にも思わなかったんだ。 ☆ .。.:*・゜ 「淳、寒くないか?」 仕事中は必ず僕を苗字で呼ぶはずの和彦さんが、何故か機中ではすっかり綺麗に仕事の顔を脱ぎ捨てている。 「だ、大丈夫、です」 だからというわけなのか、なんなのか。 僕も、ここのところスーツ姿の時はすらすらと流れるようになっていた言葉も何故かつっかえ気味だったりして。 そんな僕の逡巡に気付いたのか、和彦さんは『往復の機中まで仕事に拘束される謂われはないからな』…なんて、耳にこっそり囁いてきた。 「…えっと…」 そうなんですかとも、そんなことないでしょうとも、僕に言えるはずが無く、ひたすら狼狽える僕に、和彦さんはまるで2人だけでいる時のようにあれやこれやと世話を焼いてくれて、僕はスーツ姿でいるのがいたたまれないくらいだったんだけど…。 ミールサービスが終わり、一段落した機内。 定員の四分の一程度しか乗客のいないビジネスクラスは、見渡したところ、ちょっとやそっとで目が合うようなところに他のお客はいなくて、だから…なのだろうけれど、なんと、和彦さんがブランケットの下で僕の手を握りしめてきた。 「…か…和彦さんっ」 慌てた僕は、うっかり名前を呼んでしまったんだけれど、そんな僕をちらりと横目でみた和彦さんは、『職務中に上司をファーストネームで呼ぶとはいい度胸だな』…なんて言うんだ! さっき、往復の機中は仕事じゃない…なんて言ってたクセに!! それに、和彦さんだってさっきから僕のこと、『淳』って呼んでるじゃないか、もう〜。 プウッと膨れた僕に、和彦さんがついに小さく吹き出した。 「本当に、淳をからかっていると退屈しないな」 酷い〜! でも、ここのところの激務で少し疲れ気味に見えていた和彦さんのご機嫌がとてもいいことに、僕は安堵して、『仕方ない。ちょっと遊ばれてあげよう』…なんて、とんでもなく偉そうなことを考えていたんだけれど、そこへ聞き覚えのある声が小さくかかった。 「ようこそ、Mr.長岡」 言葉はよそ行きだけれど、少し笑いを含んだそれは、間違いなくアーニャのもの。 「アーニャ!」 って、ここでは『Ms.シュルツ』って呼ばないといけないのかもしれないけど。 「会えて嬉しいわ」 でも、アーニャの返事がくだけた口調になって、僕はホッとする。 「今日はビジネスクラス担当じゃないの?」 「ううん、本当は担当なんだけれどね、今日はエコノミーが満席なの。でもここはこの通りなものだから、最初からあちらへ行ってたのよ」 ミールサービスが一段落したから、本来担当のこちらへ様子を見に来たのだとアーニャはにっこり笑った。 「今日は会長のお供じゃないのね」 「うん、そうなんだ」 って、いつの間にか、ブランケットの下の和彦さんの手は僕から去っていたんだけれど、それはまあこの状況下からして当然のこととして…。 「ご無沙汰しております、小倉さま。本日もご搭乗ありがとうございます」 アーニャがまるごとよそ行きの声で和彦さんに挨拶をした。 にっこりと、完璧な『営業スマイル』で。 そうか。和彦さんもこの路線をよく利用するんだもんな。会長が知り合いなんだから、和彦さんも顔見知りで当然か。 けれど。 「…どうも…」 ふいっと目を逸らし、和彦さんは低い声でただ一言、そう応えた。 驚いた。こんな和彦さん、初めてだ。 僕たちがこういう関係になる前。 和彦さんは随分僕に厳しくて、不機嫌な顔ばかり見てきたけれど、こんな風にばつの悪そうな感じは受けたことがない。 だって、和彦さんはいつも堂々としていて、どんな時にも視線を伏せたりはしなかったし、仕事上でだって、どんなに気にくわない相手でも、食えない相手でも、決して態度を変えない…そういう完璧さを持った人のはず。 ただ、僕が相手の時には色々な顔を見せてくれて、僕はそれがとてもとても、嬉しかったんだけど…。 今の和彦さんの表情は、なんだかとても、『会いたくない相手に遭遇してしまった』って感じがありありで、僕の胸がざわめいた。 けれど、アーニャは全然気にしていない風…というか、どちらかというと、余裕が見える。 それからほんの少し、アーニャは僕とだけ会話を交わし、仕事に戻っていった。 アーニャはその後も度々僕たちのところへ現れて、色々と気を遣ってくれたりしたんだけれど、その度に和彦さんは目を逸らし、目どころか気配すら遠くへ飛ばしているような感じだった。 対してアーニャは僕にも和彦さんにも同じように愛想がいいのに――いや、僕にはフレンドリーだけど、和彦さんには『営業用』の対応だったような気がする――和彦さんはやっぱり、でっかく分厚い壁を張り巡らしているかのようで、あれほどご機嫌だった様子も一変して、妙に落ち着かない雰囲気が挙動不審な感じすらする。 しかもちょっと緊張してるようにも見えたりして…。 ううん、和彦さんが緊張するなんて、そんなことあり得ないんだけど。 でも、アーニャは僕より一つ二つ上のはずだから、和彦さんの方が5つか6つは年上だ。 なのに、和彦さんの方がまるで『ヘビに睨まれたカエル』のような状態なのは、なんで? そして、それから後は飛行機を降りるまで――まあ、それが当然なんだろうけれど――和彦さんは僕にアヤシイ接触をしてくることはなかったんだ。 どうしてだろう。 なんで和彦さんは、アーニャに対してこんなにも警戒しているんだろう。 ただの『常連客とCA』という関係なら、こんなこと絶対にない。 和彦さんとアーニャは多分…ううん、きっと、顔見知り以上の関係があるんじゃないだろうか。 例えば、僕の知らない過去……。 だって、僕は和彦さんと出会ってからまだたったの一年。 それまでの和彦さんに何があったかなんて、ほとんど知らない。 そう言えば去年の秋、初めて唇を重ねたときに、和彦さんはこんな風に言った。 『経験は、多くはないけれど、なくはないからな』…って。 もちろん、和彦さんほどの男性に過去何もなかったなんて思えるほど僕はおめでたくはない。 だいたい、NY支社のナンシーとナタリーが教えてくれただけでも、『ロンドン支社のシャーリー』『シンガポール:アジア統轄本部のエリー』『クアラルンプール事務所のジェシカ』の3人とは確かにつき合っていたことがあるらしい。 ただし、どれも『恋』から始まったわけではなく――女性陣が押し切ったんだとナンシーは言ってたけど――しかも短かったらしい。…と、これはナタリーの証言。 あと、『和彦は細身が好み』だとか『少し色素の薄目が好き。でもブロンドはダメ』だとか、『だから私たちがいくらアプローチしてもダメだったのよね』なんて憤慨し始めて、挙げ句に『淳は絶対好みのタイプよ』なんて、こっちが凍り付くような事を言ってくれたり。 でも、これは会社関係限定の情報で、ともかく『泣く子も黙る本社秘書室長』にだってロマンスはいくつかあったわけで、そのうちの1人がアーニャだって、ちっともおかしくないってことだ。 自由に恋愛するなら社内より社外の方が融通が利くだろうし、年中移動している和彦さんなら、相手が航空会社関係なんて凄くありそうな感じがする。 でも。 そう言えば、ロンドンのシャーリーもシンガポールのエリーもクアラルンプールのジェシカも、その後和彦さんとは何にも無かったかのように接している。 だからこそ、僕はNYの『ダブルN』に聞くまで知らなかったわけで、つき合いを解消したからって、和彦さんも女性たちも『禍根』――っていうと、ドロドロしすぎかもしれないけど――をまったく残してないってことだ。 完璧に『仕事仲間』に戻っていて。 …ってことは、もしかして、和彦さんとアーニャって、後々を引くような『何か』があったってことなんだろうか。 どうしよう…気になる…。 |
3へ続く |
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