秘書室 番外編

淳くん、合コンへ行く!


『空飛ぶ33階』を未読の方は、ネタバレになりますので、
まずそちらからどうぞ〜☆




「…は?」

 思わず絶句してしまった。

 とある平日の昼下がり。秘書室の中で最後に昼休みに入った僕は、ビルの中にある共同社食で、これから社に戻ろうとしているお姉さま方に掴まった。

「だから、合コンよ。よろしくね、淳くん」

 真っ黒のストレートロングヘアは湯浅さん。

「ああ、淳くんのスケジュールは沢木さんに確認済みだから」

 茶色いクルクルヘアは間島さん。

「だから逃げても無駄よ? ずっと狙ってたんだから、淳くんのこと」

 ショートカットの井山さんが、細くて長い指先で僕の顎をもちあげた。

 3人とも僕より背が低いのに、この威圧感は…っ。


 MAJEC名物、『法務部の三女傑』。

 そう呼ばれている湯浅さん、間島さん、井山さんは同期入社の仲良し3人組みで、僕より確か、3つ上。

 3人とも出身校はバラバラなんだけど、大学在学中に、司法書士だの社労士だの税理士だの、かなり難しい資格を複数取得している才女…って言う点では共通していて、見た目もかなりいい感じの女性なものだから、社食でも目立つことこの上ない。まあ、ちょっと派手目だし…。

 いや、それはともかく。

「あ、あのっ、合コンはちょっと…」

 フリーならともかく、今の僕にはちゃんと愛する人がいて……。

「あら、もしかして淳くん、恋人アリ?」

「やだ、そんな話聞いてないわよ」

「そうそう。それに恋人がいたとしても、合コンくらいどうってことないじゃないの〜」

 ええ〜! そ、そんなものなんですかっ?
 でも、そもそも合コンってのは、恋人探しの現場じゃあ……。


「それに、秘書室に籠もってばかりじゃあダメよ」

 え?

「そう。MAJECの秘書たるもの、常に社内の動静には敏感でないとね」

 社内の動静…?

「たまには他の部課の情報収集も必要なんじゃなくって?」

 と、またまた綺麗に整えられた爪先で、今度は頬を撫でられた僕は、ちょっと固まりながらも、三女傑の言葉を反芻していた。


 思えば指摘の通りだ。

 相変わらず余裕無く必死で秘書室の業務をこなしている僕には、社内のあれこれなんて、まったく眼中になくって。

 それじゃ…全然ダメだよな。
 まさに、今言われたとおり、『MAJECの秘書たるもの』…だ。

 和彦さんなんて、秘書室長として激務をこなしながら、社内の人事をすべて握っている状態で。

 つまりそれは、社内の情報収集はばっちりってわけだ。

 そりゃ、今の僕と和彦さんを比べるなんてあまりにもおこがましけれど、僕だって秘書の端くれなんだから、いつまでも『余裕が無くって』…なんて、甘えているわけにはいかないに決まってる。


「あのっ」

 焦った声の僕に、それだけで悟られてしまったのか、三女傑はにんまりと笑った。

「いい子ね、淳くん」

「よろしくね」

「楽しみだわ」

 3人それぞれに、僕の頬を撫でて、さらに意味深に笑って社食のドアへ向かって行ったんだけど…。

 間島さんが、クルクルの髪をふわっと揺らして振り向いた。

「そうそう、室長には、『その日は残業させないで下さいね』って頼んでおいてあげるわ」

 …えええっ?! 和彦さんに!?

「や、それはっ」

 それだけは勘弁…と、慌てた僕に、3人は揃って不審な顔を向けた。

「あら、室長ってうるさいの?」

「そんな感じには見えないけど」

「そうよね。やることさえきちんとやってれば、後はどうしようが勝手って感じよね」

 た、確かにそうです。やることさえやっていれば、部下のオフやアフター5には一切干渉しない上司です。和彦さんは。

 それは、一応恋人である僕にもそうなんだけど。

 ただ僕の場合は、干渉する間もないほど、オフには一緒にいるから……。

 だから、『干渉』とかではなくて、和彦さんと行動が別になりそうなオフの予定は、ちゃんと報告してて。

 もちろん、それは和彦さんも同じ。
 一緒に過ごせないオフは、ちゃんとあらかじめ予定を教えてくれるんだ。


「室長がうるさいってのなら、交渉してあげてよ?」

「あ、いや、そんなことはないです、絶対っ」

 慌てて否定する僕に、三女傑は満足そうに頷いた。

「じゃあ、また予定をメールするわ」

 3人揃って派手なキスを投げてきて、僕は社食中の注目を盛大に浴びて、赤面しまくったんだけど。

 なんだか三女傑に上手いこと乗せられてしまったような気がする。
 でも、確かに彼女たちの指摘通り、僕はまだ、あまりにも回りのことを把握出来ていない。

 彼女たちがいる法務部は、秘書室と同じ33階にあるんだけれど、秘書室・社長室・会長室は2重の警備の奥にあるので、同じフロアでもあまり顔を合わせる機会はない。

 ましてや、32階・31階にある部課とは、入社後研修以来、さっぱりご無沙汰なんだ。

 もちろん、社食とかで会えば挨拶をするし、みんな気さくに声を掛けてきてくれるから、関係は良好…だと思ってるんだけど。



                    ☆ .。.:*・゜



「淳、合コンに行くんだって?」

 暖かい湯気を立てるコーヒーカップを差し出した僕に、まるで業務の一環のように会長がそれを口にした。

「は?」

「法務の女傑たちに聞いたぞ。淳は秘書室に閉じこもりきりだから、連れ出すんだと張り切っていたな」

 …なんで、合コン情報まで会長の耳に……。

 がっくりうなだれる僕に、会長は『情報収集は徹底的に…だ』、なんて笑うんだけど。

 そういえば。

「会長」

「なんだ?」

「わざと黙ってらっしゃいましたね」

「何のことだ?」

 本気で目を丸くされたところを見ると、何のことか本当にわかってないみたいなんだけど。

「Ms.シュルツの正体です」

 少し前、会長のお供で乗った飛行機で、CAのMs.シュルツを紹介された僕なんだけど、その後、彼女の正体が、旧姓小倉さん…つまり、和彦さんの妹・秋葉さんだってことがわかった。

 もちろん、会長はそれを知っていて、わざと僕に、和彦さんの妹であることを黙ってたってことなんだけど。


「ああ、あれね。なんだ、もうばれたのか」

 一口、珈琲を口にして、会長は喉奥で笑う。

「ばれたのか…じゃ、ありません。最初にちゃんと紹介して下さっていたら、あんなことには…」

 と、言いかけて、僕は慌てて口をつぐむ。

「あんなこと?」

 …しまった…。会長の目はもう、興味津々で輝いている。

「何か面白いことが起きたのか?」

「何にも面白いことなんてありませんっ」

 そう。僕が、秋葉さん――個人的にはアーニャって呼ばせてもらってるんだけど――と、和彦さんの仲を勘ぐって疑心暗鬼になってしまったってだけのことで。


「もしかして、和彦と何かあったのかと思ったわけか」

 ……この人って、なんでこんなに察しが…。

 ほんと、まさに『神の如き』アンテナとバランスだよな。
 仕事に関する重大な局面から、こんな、どうでもいいプライベートな与太話に至るまで。

 だからこそ、僕はこの偉人に憧れてこの場を目指してがんばってきたわけなんだけど。


「何か怪しいと思ったら、徹底的に調べればいいことだ」

 ゆったりと足を組み、少し背もたれに体を預けて僕を見上げる会長は、ただ単に面白がっているようにも見えなくて、僕は思わず姿勢を正す。

「伝聞ではなく、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考える。そうして出した結論こそが信じるに値するものだということだ」

「会長…」

「仕事も恋愛も、結局は同じだ。自分で決めて、そして責任を持つ。それが、後悔しないための唯一の手立てだ」

「……会長…」

 きっぱりと、でも暖かい声で諭されて、僕は感激のあまり、言葉を詰まらせたんだけど…。

「というわけで、合コンの結果はきちんと報告するように」

「はあ?」

「ああ、私にさえ報告すれば、室長への報告は不要だ」

 にやりと笑う会長に、僕はがっくりと肩を落としたのだった。



                   ☆ .。.:*・゜



「あ、室長!」

 うわあああ…。よりによって、僕と室長が外出から同時に戻ってきた33階のエレベーターホールに、三女傑がいるなんて…。

 呼び止められて、振り返った和彦さんに、まず井山さんが口火を切った。

「お願いがあります」

「なんだ?」

「淳くん、貸して欲しいんです」

「え?」

 湯浅さんの言葉に、和彦さんが目を丸くした。

「合コンだよね、淳くん!」

「あ、あのっ」

 間島さんが嬉しそうに僕の腕にしがみついて、ぴょんと跳ねた。

 瞬間、和彦さんの周囲の温度が下がったような気が…。

 いや、秘書室長たるもの、たかがそれくらいのことでは…。

「いつも秘書室に籠もりきりだし、社内の情報もちょっとは集めないとダメよって、言ってるところなんです」

「ああ、なるほど。確かにその通りだが」

 和彦さんが少し笑った。でも、さらに温度は下がったような感じが…。

「ですよね〜。なので、淳くんお借りします!」

「…まあ、それなら、色々と教えてやってくれ」

「了解です!」

「淳くん、朝まで飲み明かしちゃおうね〜!」

 ええっ、そ、それはっ。

「おいおい、翌日の業務に支障の無いようにしてくれよ」

 笑いを含んだ声で、和彦さんは言うんだけど…。

「大丈夫です! お休みの前の日に設定して、あわよくばお持ち帰りで〜す!」

 ………。
 ええええええええええええええ!?


 飛び上がった僕は、その瞬間に真正面から和彦さんと目があった。

 ぱっと見た目は、当たり障り無く談笑してるようにも見えてたんだけど。

 …ええと。もしかして…いや、もしかしなくても、実は笑ってないとか……。

 その時、ちょっと遠い背後に、ちらっと春奈さんの姿が見えた。



                   ☆ .。.:*・゜



 本日の終業から15分ほど後。
 春奈さんが意味深に笑いながら僕の肩を叩いた。

「合コンだって? 淳くん。随分余裕でてきたじゃないの〜」

「あのねえ、そんなんじゃなくて」

 余裕どころか、合コンの所為でさらに余裕のない精神状態だったりするんだけどっ。

「あはは、わかってるって。法務のお姉様方に押し切られたってところでしょ?」

 さすが春奈さんも察しがいい〜。

「しかし、室長もさすが、大人の男よね。恋人が合コン行くってのに、余裕たっぷりじゃない?」

「そう、だよね」

 確かに受け答えは余裕だったとは思うんだけど。

「でもさ…。室長、目が笑ってなかったような気がするんだけど…」

「あら、さすがの淳くんもそれくらいは気付いたんだ〜」

 …さすがの…ってなんだよ〜!

 いや…そんなこと言ってる場合じゃなくて、やっぱり和彦さん、怒ってる…?

「あれで目も笑ってたら問題じゃない?」

「え? そう?」

「やあねえ、当たり前じゃないの。相変わらず鈍いわね、淳くんってば」

 …相変わらずって…。

「ま、それはさておき、MAJECの秘書たるもの、確かに社内の情報収集も大切な業務の一環じゃなくて?」

「…あ」

「そう言う意味でも、法務の三女傑は使えるわよ? 彼女たち、いろんな方面に情報通だけど、確かなものしか流さないから」

「そうか、そうだよね!」

 拳を握りしめた僕に、春奈さんは一瞬目を丸くしてから吹き出した。

「…くくっ、淳くん、単純〜」

 ひっど〜い…。



                   ☆ .。.:*・゜



「そんなにイヤなら『行くな』って言えばいいじゃないか」

「別にイヤだとは言ってない」

「だが嬉しくはないだろう?」

「そんなの当たり前でしょう?」

「まあな」

 くっくっ…と笑って、大二郎は、『大人の余裕を見せるのも大変だな』と和彦の肩を一発叩く。

 ここはMAJEC本社の最寄り駅から3駅。
 数多くの飲食店が入る駅ビルの中で、どちらかというと目立たない無国籍居酒屋の、入り口近くのカウンターで、秘書室長と第2秘書が『とぐろ』を巻いていた。

 二人の前には、若干怪しげな素材の小皿料理が数点並んでいるが、特に二人がこういうものが好きなわけではない。

 たまたま、ターゲットのイタリアンの店が、ここからよく見える――第2秘書氏曰く、『監視できる』――からだ。

 残念ながら、淳の姿は見えないが。


「しかし、さすがに法務部の女傑たちだな。いい店を知ってる」

 少し首を伸ばせば、手入れの行き届いた女性たちの髪がちらちらと見える程度だが、ともかく、その店にいるのかいないのかははっきり見て取れる状態の中、大二郎は女傑たちのチョイスのセンスに感心しきりと言った様子だ。

 彼女たちの『お持ち帰り発言』を真に受けているわけでもないし、いくら淳でも、女性に力負けするわけでもなく、特に酒に弱いわけでもないから、心底不安なわけではないのだろうが、それでもそわそわと落ち着きのない状態の和彦を見かねて、大二郎はここへと引っ張ってきたのだった。

 もちろん、合コン会場を調べたのは和彦本人ではなくて、大二郎に頼まれた学だ。

 だが、三女傑から店を聞き出す折りに、『今度は僕も連れてって〜』などと言ったらしく、大二郎を慌てさせた。

 ただ、学の場合は、彼女たちより年上にも関わらず、『まなちゃん』などと呼ばれて完璧に『妹扱い』を受けているから、心配は無いと言えば、無いのだが。


「ま、いい勉強になると思って、諦めることだな」

「…人ごとだと思って」

「まさか。俺はこんなに親身になって心配してやってるのに」

 と、これっぽっちもそうでない風に、けろっと言ってのけてジョッキを飲み干した大二郎を、ちらりと横目でちょっとばかり恨めしそうに見やった後、和彦はスッと目を細めて大二郎に向き直った。


「じゃあ沢木さんは平気なわけだ。学が合コンに行っても」

「あ? 平気なわけないだろう? 俺だったら行くなって言うけどな」

「ほ〜。言えるんだ」

「…た、多分な」

 真正面から見据えてきた和彦の視線を避け、目を泳がせる大二郎を、少しばかり恨めしそうに眺めた後、やがて和彦は、一つため息をついた。


「…まあ、仕方ないな…。社会人である以上、ある程度のつきあいも必要だし、これから先も、なんだかんだとあるだろうし…」 

 秘書として会長の側に居る以上、業務の一部としての『接待』や『パーティー』を避けて通れないのは最初から織り込み済みだけれど、社会生活そのものを円滑に送っていくには、業務でない部分での『そういうこと』もまた、避けて通れないのも、和彦はもちろんわかってはいる。

 だから、その都度不安になって、挙げ句に淳を拘束してしまうようなことをするわけにもいかない…と、自身に言い聞かせて納得させるしかないのだ。


「へ〜、物わかりのいいことだな、和彦」

「ものわかりのいい上司兼年上の恋人なら、それぐらいの度量は必要ってことでしょう? 沢木せ・ん・ぱ・い」

「ちっ、こういう時だけ後輩ぶりやがる…」

 そんな、何もかもに優秀な『後輩』に、『ここまで連れてきてやったのは誰だ』と突っ込みを入れてみれば、『今度そちらに何かあった時には、淳と2人で全力でフォローしますよ』と返されて、やっぱりこいつに口で勝とうと思ったのが間違いだった…と、大二郎は盛大にため息をついたのだった。



                   ☆ .。.:*・゜



 あの後僕は、ちゃんと和彦さんに成り行きを話して、和彦さんも『せっかくの機会だから楽しんでくるといい』って、笑顔で言ってくれたんだけど……。


 …どーして?
 …普通、合コンって、男女が2対2とか3対3とか4対4とか5対5とか…。

 あああああ! ともかく、何で僕一人!? 3対1って何っ?


 指定のイタリアンレストランへ来てみれば、そこで待っていたのは、お姉様方3人のみ。
 そう。同じ人数いるはずの男性は、何故か僕一人で。

「あの〜、合コン…じゃなかったんですか?」

 おそるおそる聞いてみれば…。

「あら、歴とした合コンよ?」

「そうそう、法務部代表3名と…」

「秘書室代表1名のね」

 のね…って、そこでウィンクってどういうことですか、も〜。


 この現状に果てしなく脱力した僕だったけれど、でも、さすがに『女傑』――しかも法務部の――と呼ばれるだけあって、3人のお姉様方は話も上手で、ネタも豊富で、ともかく僕は彼女たちの話す色々に引き込まれていって…。

 やがて、話は社内のことになったんだけど…。


「私、この前からちょっと気になってることあるのよね」

 少し声を潜めて、間島さんが言った。ちょっと深刻そうに。

「何々? どこの部署?」

 同じように声を潜めて尋ねるのは湯浅さん。
 そして、僕と井山さんは顔を見合わせて…。

「ん〜、部署…じゃなくてさ、バイトの子」

「…あ! もしかして、バイク便の子じゃない? 最近入った!」

「それ。ほら、体育会柔道部…みたいなガタイのヤツ」

 井山さんがちょっと腰を浮かせて間島さんに詰め寄った。

 MAJECでは、本社と研究所間でサンプルなんかを速やかに受け渡しするためにバイク便を常駐させている。 

 もちろんアルバイトなんだけど、身元はちゃんと調査されているし、当然のことながら、社の機密事項は託さない。
 あくまでも、『普段使い』だ。

 去年、春姫ちゃんを引っかけそうになったバイク便の子は、結構ぽやんとして頼りないところもあったんだけど、素直で一生懸命で、みんなに可愛がられていたんだ。

 でも、その彼が就活で辞めたので、新しい子が入ったんだけれど…。


「どうもね〜。挙動不審なのよね」

「…それ、私も感じてた!」

「実は私もなのよね…」

 …そうなんだ。僕の前ではいつもきびきびしていて、でも結構人懐こい笑顔も見せてて、不審なところは見受けられなかったんだけど…。


「なんだかさ、『なんでアンタこんなとこにいるの?』ってとこにいたりしない?」

「そうそう。この前なんて、32階から33階への非常階段にいるもんだから、『何してんの?』って声掛けたら、『なんでもないです』なんて言うのよ」

「どこかから呼ばれたってわけでもなく?」

「うん」


 通常、バイク便は31階の受付横にスタンバイしてる。
 で、呼び出されたら、その部署へすっ飛んで行くって手はずなんだ。

 だから、少なくとも、どこからも呼ばれてないのに非常階段なんかにいるのはかなり不自然なことだ。

 顔を近づけて話し合う3人の顔を見ていた僕は、ふと、頭の隅っこの引っかかりに気がついた。

 そういえば最近、一つ、外部に漏れた情報があった。
 あれは、バイク便絡みと言えば、そうなんだけど…。

 あくまでも普段使いのバイク便だから、漏れたところで大した内容ではなかったんだけど、内容云々よりも、『漏れた』という事実が問題だと、会長も秘書室も認識している。

 だから、もちろん放置はしていないのだけれど、その後何か進展があったかと言えば、それもなくて…。


「あら淳くん、何か有り気な顔してるわね」

「え?」

「あ、ほんとだ」

「ねえ、何々? 淳くんも何か気になること有り?」

 聞かれて、ほんの一瞬だけ迷ったんだけど…。

 僕は、僕が気づかなかった『彼』の不審に気づいた3人を信じて、話をしてみることにした。
 法務にいる彼女たちは、情報漏洩そのものは知っているから。


「あの、この前の情報が漏れた件、実は途中でバイク便が絡んでるんです」

「「「ええっ?!」」」

 3人は顔を見合わせて…。

「それって…」

「ちょっと…まずくない?」

「いやいや、ちょっとどころなく、まずいと思うけど」

 頷き合う様子に、僕も思わず身を乗り出してしまったり。

「…怪しい…ってこと…ですよね?」

「とーぜん」

「言わずもがな」

「あったりまえ」

 バチバチ睫毛の6つの瞳に見つめられて、乗り出した身を今度は引っ込めてしまったんだけど…。


「放って置けませんよね」

 これは、確かめなきゃいけないと思った。
 白でも黒でも、はっきりさせないとダメだと。

「そういうこと! OK、じゃあ作戦会議開始よ!」

 はあ?

「あの、それは秘書室で…」

 拳を振り上げた間島さんをそっと止めてみたんだけど。

「何言ってるの淳くん。まだ形もはっきりしてないことなんだから、秘書室として動くより、『私たち』として探るのが『吉』よ?」

 ええっと…。

「その結果、放置できない事態だって突き止めた時にはもちろん、秘書室の出番だけど?」

 にやりと――めっちゃ嬉しそうに――微笑まれて、僕は頷くしかなかった。


 で。

「でっち上げた書類をね、これ見よがしに用意するわけよ」

「うんうん。それに、ちらっと『特許関係』とか匂わせたら、食いつくかも」

「それ、ありね。マジで『黒』なら、お金になりそうなネタ探ってるはずだし?」

 3人のお姉様方は、こんなところにもてきぱきとその能力を如何なく発揮していて、正直、秘書室に来て欲しいくらいだ。

 そんなこんなで、随分作戦は練れてきて…。


「じゃあ、後をつけるのは僕がやります」

 もし『敵』が引っかかったら、後は僕の出番だ。

「あら、淳くんにそんな危ないことさせられないわよ」

「そうそう」

「何言ってるんですか。危ないってわかってるならなおのこと、女性にはさせられません」

 男として、こればっかりは譲るわけにいかないと、強い口調で言ってみれば、3人は目を丸くしてから、ふにゃ…と表情を崩した。

「や〜ん、淳くんってば、かっこいい〜」

「可愛いだけじゃないのね〜」

「惚れ直しちゃったわ〜」

 …あのねえ…。



                   ☆ .。.:*・゜



 そして僕らは綿密に計画を練り、でもさすがに自分たちだけで事を起こすわけにもいかないと思い直して、一応室長には報告しておかなくてはってことになったんだけど。

『その時』は、いきなり――そう、僕が室長に報告しようとしていたほんの数十分前に起こってしまったんだ。

 少し遅れて取った昼休みが終わって、33階へ戻ろうとしていた時にYシャツのポケットで震えた携帯を取ってみれば、表示画面には『法務部』の文字。

「はい、長岡です」

『あ、淳くん! 今ね、例のあいつに封筒が渡っちゃったの!』

「え?! もうですか!?」

 予定では明日、法務部から研究所へ届ける書類の間に、封をしていない状態で混ぜておくって話だったんだけど。


「ともかく、追いかけます!」

『気をつけてねっ』


 今やるべきは、とにかく後を追って、封筒の行方を確かめることで…。

 このタイミングなら、まだ社内で姿を確認できるんじゃないかと思ったから、僕は28階にある社食から、非常階段を駆け上がった。

 そして、30階から31階へさしかかろうとしていたその時、少し上に人影を感じ、咄嗟に身を隠した。

 体を縮めてそっと手すりの隙間から上を伺ってみれば…。

 僕が見たのは、まさに、『例の封筒』の中身を探っているバイク便の彼…の姿だったんだ。

 ……やっぱり。

 とにかく証拠を残さないとと思い、僕はそっと携帯を取り出して、カメラを起動させた。

 あんまり画素数は良くないけど、何をしているのかは、きちっと撮れるはず。

『カシャ』

 静かな非常階段に、合成の、わざとらしいシャッター音が響いた。

 その音に気づいたのだろう、ヤツが手すりから身を乗り出して、見下ろしてきた。

 そして、僕とばっちり目があって…。

「何してる」

 いつもより低い僕の声に、ヤツは一瞬目を丸くしたけど、すぐにいつもの人懐こそうな笑顔に戻った。

「長岡さんこそ、こんなところで何を?」

「昼休み明けで秘書室へ戻るところだけど?」

「俺は法務で受け取った書類を運ぶところですよ」

「運ぶだけなら中を見る必要なんてないだろう」

 事実を正面から突きつけてやった。すると…。


「やだなあ、見てたんだ」

 その台詞と一緒に、ヤツはいつもの真面目そうな顔を捨てた。

「あーあ、ちょっとした小遣い稼ぎになると思ってたんだけど、ばれちゃ話になんないよなあ」

 露わになった、酷薄そうな表情にはやたらと凄みがある。

「あんたさあ、可愛い顔してるからちょっと侮ってたけど、意外としっかりしてるじゃん」

 あ〜? 可愛い顔だ〜? 侮ってただ〜? 意外としっかりだと〜?

 一番言われたくない種類のあれやこれやをのうのうと言ってのけられて、『冷静に』と命令していたはずの脳が、一気にブチ切れた。

「観念することだな」

 証拠も押さえたし、身元も割れている以上、ヤツにはもう逃げようがないのだから、ここで先にすべきは『報告』だったはずなのに、僕はもう、ここで何が何でも取り押さえてやる…という気持ちになってしまったんだ。


「ふん。どーせ突き出されるんだったら、その前に美味しい思いさせてもらわないと割に合わないよな」

 薄ら笑いを浮かべながら、ヤツはゆっくりと階段を下りてくる。

 その威圧感に、思わず腰が引けそうになったんだけど、ここで引き下がっては相手の思うつぼだと気を取り直した瞬間。

「うわあっ」

 いきなり延びてきた手に二の腕を捕まれて、抱きすくめられそうになった。

 背丈はそう変わらないんだけど、体の大きさはかなり違って、暑苦しいほどゴツい。

「離せっ」

 思いっきり腕を突っ張って逃れようとしたんだけど、びくともしないので、今度は足で蹴ってみた。

「往生際が悪いな。諦めなって」

「それはこっちの台詞だっ!」

 もうどうにでもなれと、むちゃくちゃ暴れてやったんだけど、10kg以上は違いそうな体重をまともにぶつけてこられて、僕はひっくり返された。

「痛っ」

 ひっくり返されたはずみで、背中が階段の段差にぶつかって、思わず呻いてしまった瞬間、腰のあたりに乗り上げられてしまった。

 この体勢はものすごくヤバイ。反撃できない体勢だからだ。

「これ以上痛い目に会いたくなきゃ、大人しくしてな」

 にやりと笑って、ヤツが僕のネクタイに手を掛けた。

 痛む背中を冷たいものが流れたけれど、このままやられっぱなしなんて、あり得ない!

 僕は、ネクタイの結び目にかかった手に、思いっきり噛みついたっ。

「いてぇっ」

 慌てて引っ込めた手をさすりながら、僕を見下ろしたヤツの目には、危険な色に濁っていて…。

「大人しくしてろって言わなかったか? ああ?」

 ごつい指が喉にかかった。

 軽く力を入れられて、本能的な恐怖が頭をよぎったその時。

 非常階段の重い扉が蹴り飛ばされそうな勢いで開き、壁にぶつかった音が派手に鳴り響いた。

「淳!」

「和彦…さん…」

 乗り上げられた挙げ句、首に手がかかった状態の僕を目にして、和彦さんの顔色が変わった。

「淳を離せっ!」

 凄い剣幕の和彦さんに、ヤツが何かを言おうとしたんだけど、そんな隙も与えずに、和彦さんはヤツの襟首を掴んだかと思うと、引っ張り上げていきなり投げ飛ばした!

 飛ばされた物体は、壁にぶち当たってそのままずるずると崩れ落ち…。

 その様子を呆然と見ていた僕は、和彦さんにきつく抱きすくめられた。 

「大丈夫か?! 息、出来るかっ?」

「だ、大丈夫、です」

 息は大丈夫。まだ本気で締められてはいなかったから。
 でも大丈夫でないくらい、背中は痛かったんだけど、骨までやられてる感じではなかったので、とりあえず和彦さんに安心してもらおうと、僕はちょっとがんばって笑い顔を作ってみた。

「…心臓が止まりそうだったぞ……」

 いや、その、止まりそうどころか、和彦さんの心臓は激しく脈を打っていて、抱きしめられた僕にもその『焦り』は凄く伝わって来て…。

「…ごめんなさい」

 とりあえず謝るしか無くて、僕は和彦さんの肩に顔を付けて、小さく何度も謝った。


「ほんと、無茶するわね、淳くんってば」

 春奈さんの声に、和彦さんの腕の中から顔を上げて見てみれば…。

『ヤツ』が、春奈さん&法務のお姉様方に縛り上げられているところだった。

 って、その荒縄はどこから…。


「あー、焦った〜」

「ほんと、こんなに走ったの久しぶり」

「運動不足だったわね、私たち」

「そうよそうよ、飲んでばっかじゃなくて、ちょっと運動しないとね」

「今度から飲みに行くのやめてジムでも通う?」

「いいわね、それ」

 ブツブツ言いながらも手はせっせと動いていて、そんなにぐるぐる巻きにしなくても…ってくらいの、まるで蓑虫のような物体ができあがった。


「彼女たちが知らせに来てくれたんだ」

 和彦さんの言葉に、女傑たちは僕ににっこり笑って見せた。

「「「お疲れ、淳くん!」」」



                  ☆ .。.:*・゜



 で、その後どうなったかって言うと。

『どうして報告しなかった』…って、怒られたんだけど、計画を立てて、いざ報告しようと思っていた矢先に事が起こってしまったということで、室長としての和彦さんはそれで納得してくれたんだけど、恋人としての和彦さんは、これっぽっちも納得してくれなかったみたいで、次の週末、僕は延々とお仕置きを受ける羽目になったのだった…。

 ちなみに。

 会長はすでにバイク便の怪しさに気がついていたようで、僕たちが行動を起こさなかったら、会長が何かやらかそうとしていたらしい。

 沢木さんから、『おかげで助かったよ。ありがとう』って言われて、『助かった』の意味がよくわからなくて、何のことかと不思議に思ったんだけど…。

『なんだかねえ、かなりキツイお仕置き罠の用意してたみたいだよ。なんだか妙にうきうきしてたから、変だなあって思ってたんだ〜』…なんて、佐保さんから聞いた時には、ちょっとゾッとしちゃったりして。

 その後ヤツは、しかるべきところに突き出されることもなく、放免――もちろんバイトはクビだけど――になったんだけど、ヤツから情報を買おうとしていた奴ら共々、『いっそのこと告発されて警察に保護された方がマシだった』…と思えるような目にあったらしい…って知ったのは、随分後のことだった。

『室長って、敵に回したら最悪に怖いわね〜』

 って、ワクワクした顔で春奈さんが言うんだけど、僕は……想像するだに恐ろしい…。



                  ☆ .。.:*・゜



 そして、事件直後の法務部では。

「…一件落着?」

「一応、産業スパイ事件としてはね…」

「…じゃあ、残る問題は?」

「残るってか、新たな問題発生?」

「…それって、室長と淳くんの関係について?」

「………まあね」

「淳…って呼んでたっけ」

「それよか、淳くんの『和彦さん発言』でしょ」

「そうそう、それ。耳がダンボになっちゃったわ」

「や、それより私たち、この目でしっかり見ちゃったじゃん。2人がひしと抱き合う姿」

「なんであんなにさまになってるわけ?」

「妙に絵になってたわよねえ」

「しかも、あれってさ、プリンス春奈もお見通しってやつよね?」

「お見通しどころか、煽ってんじゃない?」

「我が社の秘書室って、いろんな意味で突き抜けてるわよねえ」

「それ、言えてる」

「…それにしても、なんで、いい男同士くっつくわけ?」

「はっきり言って、人類の損失よね」

「激しく同感……」

「……飲みに行くか…」

「賛成〜」

「いこいこ〜」


 こうして、『今度から飲みに行かずにジムに通う』と宣言していたはずの、キャリアなOLさんたちの夜は更けていくのであった……。


END

えっと。
『お仕置き編』とか
『荒縄を用意していたのは実は会長だった編』とか
『まなちゃんも合コンに行く!編』とか
裏ネタはいっぱい考えてたんですが、
でれもこれも不発に終わりました。
今回はこれだけです。すみません(滝汗)

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