第1回 まりちゃんの初恋

前編


「18歳おめでとう」 
「うん、ありがと」

 俺、今日11月5日(日)、18歳になった。高校3年生だ。 
 
 カチンと合わせられた涼しげなグラスの中で、細かな泡を立てているのは高級シャンパン。
 うひひ、一気に大人になった気分だ。

 俺的には、18歳ってのはもう飲酒年齢だと思うわけだけど、残念ながらこの国の法律ではそうはいかないから困ったもんだ。

 でも、今夜はいいよな。
 だって、今俺が座ってるのは、俺んちのダイニングで、両側に座ってるのは俺の両親なんだから。


「直、…バイクの免許、取っていいぞ」

 え?なんだってぇぇぇ?

「お…親父っ…いえっ、お父様!それホント?!」

「ああ、好きなバイクも買ってやろう。ただし、乗るのは卒業まで待つんだぞ」

「良かったね、直」

 お袋が笑いながら、空になった俺のグラスにシャンパンを注いでくれる。

「やったーーーーーーーーーーーっ!」

 誕生日に、盆と正月が一緒に来たって感じだ!




 俺の通う高校は、珍しくも免許を取るのも乗るのもOKなんだ。
 しかも、2輪も4輪もだ。

 ただし、交通違反1回で「退学」だ。
 これには「駐車違反」も含まれる。
 だから、俺の同級生はほとんど、16で原付やバイクの免許を取って、18になったら4輪免許を取るけど、乗ることはほとんどない。
 やっぱ、退学はね…。

 しかも、今の俺たちはあと半月で大学への推薦が決まるという大事な時期だ。
 せっかく中学から高い学費を払って、大学までのエスカレーターに乗ってんだから、ここで『アウト!』は情けないしな。

 それにしても、親父たち、どういう風の吹き回しだろう。
 俺は原付も取らせてもらえなかったし、18になっても絶対ダメだときつく言われていたのに…。


「直も、もう大人だからな…」

 親父の声が、心なしか沈んでいるように聞こえたのは気のせいか…?

 …ここで、唐突に俺は気がついてしまった。

 そう言えば今日、朝からずっと、親父もお袋も俺のことなんて呼んでる?
『直』って呼んでるよなぁ…。

 何でだよっ! 

 もちろんこれが本名だけど、うちの両親は、俺の大っ嫌いな『ニックネーム』で、日々俺を呼ぶんだ。

 何だか様子が…おかしくねぇか?






「けっこんーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ?!」

 ごちそう食べまくりの腹を抱えて、リビングのソファーに転がっていた俺は、いきなりお袋に呼ばれて、奥座敷の床の間の前、腕組みして鎮座まします親父の前へ座らされた。

 そこで俺は、とんでもない一言を聞いたんだっ。


「大学の推薦が決まったらすぐにでも結納を…と先方はおっしゃっている」

 偉そうな態度とは裏腹なのは、親父の声。
 もともと、あんまりワンマンな親父じゃないんだけど…。
 声だけ聞けば、まるで『お願いモード』だ。

「ちょ…待ってよ。俺、いくつだと思ってるんだよっ」

 思わず座敷机に拳を振り下ろす。

「本日めでたく18歳。日本男児の結婚が、民法で認められる年齢だ」

 こらっ、親父っ。妙に説得力のあること言うなっ。

「ば、バカなこと言うなよっ、俺まだ高校生だぞっ」

「だから先方は、お前が高校を卒業するまで待つと…」

「そんな問題じゃねぇーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 当然絶叫する俺。
 けれど、親父はちょっとばかし目を伏せて、しどろもどろに話を続ける。

「…その…向こうのお嬢さんも一人っ子さんとかで…お前は婿養子に行くことに…」

 はぁっ?婿養子だぁ?

「俺だって…一人息子だぜ?」

 親父は言葉で返さずに、ため息で返してきやがった。
 そこで俺はピンときた。

「親父…もしかして、相手ってのは、取引先か…?」

 図星を指されて、親父の肩がおもしろいくらいにビクついた。





 俺んちは中小企業。
 じいちゃんが一人で築き上げた会社は、親父の代になって雲行きが怪しい。
 会社の規模はちっさいけど、やってる中身は今流行の科学技術の最先端だ。

 つまり、親父は技術者としては有能なんだけど、経営者としてはさっぱりだったってワケだ。

 だから俺、大学は経営へ進もうと思っていたのに…。
 その前に身売りかよぉ…。



 親父たちの技術は、引く手あまただ。
 けれど、それはあくまでも会社の中の、親父を含めたほんの数人の技術者だけのこと。

 会社にはその他に、縁の下の力持ちさんがいっぱいいる。
 事務のお姉さんや見習いの兄ちゃんたちに、掃除のおばちゃんまで…。

 住宅ローン抱えてヒィヒィ言ってるおっちゃんもいるし、5人も子供がいて、教育費だけで破産しそう…なんて言ってるおばちゃんだっている。

 親父はきっと、その人たちを見捨てて、自分だけ新天地へ…なんてことできなかったんだろうな。

 …丸ごと拾ってくれる所を見つけたってワケか…。
 ホント、親父って、人がいいっていうか、優しいっていうか…。
 いいヤツだよな…。
 その優しさを、息子に向ける気にはなんないのかね…。

 あ…もしかしてそれが…『バイク』…?
 物で釣ろうってのかい…。
 あうう…。俺ってバカみたい…。


「俺さえ、うんと言えば、会社のみんなは大丈夫なんだな…」

 睨み付けた俺に、親父は盛大に頭を下げた。

「すま……ぎゃあ!」

 バカ…机の角で頭打ちやがった…。





 あーあ。
 バイクの話も、食ったご馳走も、飲んだシャンパンも、みーんなどっかへ行っちまった気分だ。

 黙って立ち上がり、そのまま二階へ上がろうとしたところへ、今度はお袋が声をかけてきた。

「直…。直の好きな『ラ・フランス』買ってあるんだけど…」
「いらねぇ」

 こんな時に、デザート食えるほど図太くできてねーよ。
 いつもは『まり』って呼ぶ両親が、きょうはちゃんと『直』って呼んだワケもこれでわかった…。

 後ろに感じるお袋の気配が、酷くうろたえているのが伝わってくる。

 …ごめん…。今は一人にして欲しい…。





 俺の名前は熱田直(あつた・なお)。
 本日18歳の高校三年生。

 世間の三年生が、今頃必死になって受験勉強してる中で、もう半月もすれば、希望していた経営学部への推薦が決まるはずの俺は、ただいま青春まっただ中。

 そして、春には花の大学生活が待っている……!……はずだったのに…。


 考えることすらイヤになった俺は、ベッドにごろんと転がって、ぼぉっと天井を見上げる。

 貼ってあるのは、おきまりの「アイドルの水着姿」だ。
 相手の子が、こんな可愛い子だったらな…。

 …ないない。

 どうせ、こうでもしなきゃ相手も見つからないような子なんだろうな。


 ……でも、相手の子はどう思ってるんだろう。
 見たこともないような男と、勝手に結婚話決められて…。

 ベッドからガバッと身を起こした俺は、窓硝子に映る、自分の情けない姿をマジッと見つめてしまう。

 相手の子も可哀相かもな…。

 だって俺と来たら、威勢がいいのは性格だけ。
 身体もちっこいし、顔なんて…まるで女の子だ。

 もしかして、相手の子より俺の方が可愛かったりして…。
 くぅぅ、自分で言うなよ、情けねぇ…。


 ともかく俺は、そんな欠点をカバーしようと、ことさら元気に跳ね回ったもんだから、いつの間にか悪友どもからは「ゴムまり」と呼ばれるようになり、今や「ゴム」がはずれて「まり」だけが残った。

 そう、俺はみんなから「まり」って呼ばれてるんだ…。
 下級生なんか「まりちゃん」なんていいやがる。
 くくっ、情けなくって涙も出ねぇや…。

 しかも中学の頃、俺たちがまだ携帯なんか持たせてもらえなかった時分に、悪友どもが平然と『まりちゃん、お願いします』なんて電話かけてきやがったもんだから、親父やお袋までがいつの間にか「まり」なんて呼ぶようになった。

 本当は女の子が欲しかったからって、それはあんまりだろう…。

 高校になって、悪友どもに一度、激しく抗議したんだけど、「まり」がはずれて「ゴム」が残るよりマシだろうとか言われて、返す言葉がなかったっけ…。
 
 そんな俺を、ただ一人「直」って呼んでくれるのは…。

 そうだ、智(とも)に電話しよう!

 前田智雪(まえだ・ともゆき)は、唯一俺のことを「直」って呼んでくれる、大親友だ。
 喧嘩すると「まりっ」っていいやがるけど…。

 ベッドに転がしていた携帯を見ると、着信が入ってる。
 あれれっ?智だ。何の用だろう? 
 ちょうどいいやと思いつつ、俺は携帯の「1」を押す。
 それだけで、俺の電話は智の携帯へ即、繋がる。

 …けど。

 何回コールしても出る様子がない。

 ちっ、お前がかけてきたんじゃないか、と、理不尽な悪態をついて、仕方なく切る。
 俺は携帯をポンッと放り出して、またベッドにごろ寝を決め込んだ。

 でも…よく考えてみると、俺って、智に電話して何を聞いてもらおうとしたんだろう。

『無理矢理結婚させられるー!』って泣きつくか?
 まさか。そんなかっこ悪いこと…。
 泣きつかれたところで、智だって迷惑だよな。

 そうして俺の思考はまたしても、奈落の底へ…。

 …あーあ、向こうも一人っ子か…。
 わがまま放題のお嬢様だったりするのかな…。

 ん?待てよ。
 親父の会社を丸ごと引き受けられるくらいの大企業の一人娘…。
 俺はその婿養子…ってことは、俺、将来社長?!
 すげーじゃん。……って、そんなことで人生投げてたまるかよぉ。

 もー、胸の上に、錘が乗っかったような感じだ…。
 ああ…さらば…俺の青春。


 感傷に浸ることで現実逃避を図った俺を、遠慮なく引き戻して下さったのは、転がってる携帯の着メロ…だ。

 他のヤツらからの着メロは、ぜ〜んぶ『アニソン』か『今の流行』だけど、この、一際重厚なクラシック…。
 智が勝手に入れた、確か、バッハだかなんだかの『G線上の…』ナントカだ。

 どうしよう…。
 迷ったけど、かけたのは俺だ。
 きっと着信通知を見て、かけてきてくれたんだろう。
 智もその前にかけてきてたしな…。
 俺は仕方なく、電話を取った。

「もしもし…」 
『直?着信みてかけてくれたんだ』

 智の声は柔らかい。

「あ…うん。何かなと思って」

 嘘つけ、俺のバカ。智に泣きつこうと思ってたクセに…。

『直、誕生日おめでとう』 
「智…」

 智って…やっぱ、優しい…。
 俺なんかの親友にしておくにはもったいないくらい、いいヤツだ…。

 俺と違ってタッパもあるし、顔なんかバリバリハンサムだし、性格も柔和で、頭いいし…。
 眉目秀麗、品行方正、成績優秀ってヤツだ。
 …うん…智の未来って、明るいよな…。
 幸せになれよ…智…。

 そう思った瞬間、情けなくも俺の目尻から透明の液体が伝って落ちた。

『直?…直っ?!』

 こらっ、俺っ、ちゃんと「ありがとう」って言わなきゃだめじゃないかっ。

 でも…だめだ…。
 今、返事をしたら絶対泣いてるってわかってしまう。 
 しっかりしろよ、俺!
 ただでさえ、女々しい外見なんだ。
 中身くらい男らしくしなくってどうするよ。

『直……』

 呟くように吐かれた言葉のあと、智が息を吸い込むのが聞こえた。

『……何やってんだっ!まりっ!!』
「やかましい!まりじゃねぇっ!」 

 思いっきり怒鳴って、ぜえぜえ息をつく俺。
 とたんに電話の向こうから『クスッ』と笑い声が聞こえた。

「と〜も〜」

 俺は恨めしげに声を上げたけれど、塞いでた気持ちがほんの少し浮かび上がったのは事実だ。
 智の声を聞くと、何だか安心した。

『直…どうしたんだ?なんか変だぞ』

 そりゃ変にもなりますってば。

「ごめん…。わざわざかけてくれたのに…ホント…ありがとな」
 俺はすっかり脱力しきって、ベッドに身を沈めている。

『何かあったのか?』
「ん…?ううん、何でもない」

 ホントにごめん、智…。
 俺、声が聞けただけで十分だ。

『…家が近かったら飛んで行くんだけどな…。……いや、今からでも行こうか、そっちへ』
「な…何言ってんだよ!お前んちからここまで、2時間かかるんだぞ!」

 そうなんだ。
 俺んちと智んちは、学校を挟んでちょうど正反対の方向に、各1時間。
 お互い家から行き来しようとなると、片道2時間、往復4時間の大仕事だ。
 だから、俺たちは中学から6年近いつきあいにも関わらず、お互いの家へ行ったのは、ほんの数えるほど。
 いつも、学校の最寄りの駅付近で遊んでるし、休日にあうときも学校の近所だ。


『でも…直、なんか変だから心配で…』

 とんでもなく優しいな…智って…。

「ありがと。明日また、学校で話すよ」
 とりあえず、俺は逃げた。

『ほんとうに大丈夫?』
「うん、平気」

 それから俺たちは5分ほど他愛もない話をして、電話を切った。
 

 そして、切ったとたん、いいようもない悲しさが胸を襲った。

 俺、結婚なんかしちゃったら、もう、智と遊べないじゃんか。
 俺、智と一緒にいたい…。
 智の傍にいたい…。


 この甘酸っぱい気持ちは…何?


つ・づ・く

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