第2回 まりちゃんの初恋

後編

 
 最寄りの駅から学校までの並木道。
 大勢の生徒がぞろぞろと同じ方向を目指して歩いていく中に、まるで断頭台にでも引きずり出されるかのような足取りで、俺も、いた。

 あーあ、『サイテーモード』の俺の心とは裏腹に、天気の方は嫌みなぐらい爽やかな秋晴れだ。

「直っ!」

 後ろから声が掛かった。
 振り向かなくても絶対に間違えない。
 この声は…、前田智雪だ。 
 とたんに俺の胸が跳ねる。

 な…何なんだ…昨夜から…。
 俺ってば絶対絶対絶対におかしい。 

 前へ行くことも、後ろを振り返ることもできずに、俺の足は完璧に固まってしまった。
 どうしたよっ、ゴムまりっ。

 あああっ、もうダメだ、真後ろに気配がする…。


「直…やっぱり具合悪いんじゃないか?」

 智の手が、俺の肩に触れた。
 そのとたん、わざとらしいほど、俺の身体は震えてしまった。

 うっそぉ…、どうしたんだよぉ…俺…。
 情けなくって、顔も上げられやしない。

 並木道の途中で、しかもど真ん中で立ちすくんでしまった俺に、まわりも何事かと騒ぎ出してしまった。

「まり?どうしたんだよ」
「おい、智、何泣かせてんだよ」
「まりちゃん、熱あるんじゃない?」

 急に下から顔を覗き込んだ後輩が、ビックリして俺の両肩を掴んだ。 

「前田先輩!まりちゃん、顔真っ赤っすよっ」
「え?!」

 智が俺の顎に手をかけ、俺は強引に上を向かされてしまった。

「なっ、なにすんだよっ、いきなり!」

 言葉だけは威勢がいいけど、実際の勢いはナシ。
 おまけに、俺ってば、みっともないことに震えてやがる…。  
 驚く智と、モロに視線がぶつかった。
 俺…きっと、もっと紅くなったんだと思う。
 だって、顔…熱いから…。

「バカッ!触んなっ」

 俺は、心配してくれている大親友の手を思いっきりはたき落として、駅に向かって駈けだした。
 もちろん、学校とは正反対の方向だ。

 俺を呼ぶ、大勢の声が混じり合って、ぐちゃぐちゃになって追いかけてくる。

 それでも俺の耳は、無意識に智の声を探している。
 自分で、突き放しておきながら…。

 もうやだ、何にも考えたくない。
 俺は走って走って走りまくった。
 駅を越えてまだ向こうに…。

 



 行き着いたのは、見知らぬ公園。
 高架にある駅の屋根は、そう遠くない所に見えている。
 体力には自信のある俺が、息が切れるまで走ったけど、やっぱり逃げ切れないんだ…。

 なーんて、感傷的になって、ベンチにへたり込む。

 どうしてだか、俺の目は濡れていた。
 俺、今まで泣いたことなんかないのに…。
 あ、ガキの頃は別として…。

 泣くほどイヤだって言ったら、結婚のこと、勘弁してもらえないかな…?
 結婚…結婚…。

 あ、れ…?

 何度繰り返して呟いてみても、あまりに現実味の薄いこの言葉は、ちっとも俺の気持ちを揺さぶらない。
 ただ、二文字の漢字が頭の中を抜けて行くだけ…。

 俺…結婚がイヤで泣いてんじゃ………ねぇみたい…?
 実際結婚はイヤなんだけど…。

 じゃ、俺、なんで泣いてるわけ?

 ふいに、さっきはたき落とした大親友の手を思い出した。
 今まで何度もじゃれついて、智の体温なんか意識したことなかったのに、触れられた肩と顎にまだ熱が残っている…。

 もしかして……うっそーっ…俺…ヤバイんじゃないか…?
 智のこと、こんなに意識するなんて…やっぱ、絶対に…おかしいっ!

 俺、ヘンタイになったんだろうか?
 それとも、いきなり結婚とか言われて、どっかがキレたんだろうか?

 行き当たってしまった思考に、俺はゾクッと寒気を感じて、ギュッと自分を抱きしめた。


 イヤだ…こわい…。こんな想い…怖い…。
 一番大切な友達に、こんな感情を持ってしまうなんて…。

 くっそー!これもまわりが俺のことを「まり」だなんて呼んで、女扱いしやがったからだ!
 俺ってば…外見通りの女々しいヤツになっちまったんだ……。

 もう、智に合わせる顔が…ない…。
 きっと、軽蔑されて、嫌われて…。
 そう思ったとたんに、俺の涙腺は本格的にぶっ壊れた。


 俺…智が…好き、なんだ…。


 どれくらい泣いてただろうか?
 漸く涙が乾き始めた俺は、きっと酷い顔になっていたに違いない。
 こんな顔して今さら…智のいる学校になんて行けやしない。

 ええいっ!決めたっ、さぼりだっ!

 普段真面目にやってる振りしてるから、一日くらいさぼったって、どってことないだろう。
 途中で気分が悪くなって帰ったことにすればいいや。
 お袋だって、今日一日俺が元気なくたって責めやしないだろう。
 俺の青春取り上げるんだ、それくらい許されるってもんだ。 
 
 そう決意して、僅かに顔を上げた俺の視界に入ったもの…。

 …男物の皮靴…その上はスラックス…。
 どっちも見慣れた、俺の学校のもの…。

 心臓が激しく鳴り出した…。
 どうして…っ?なんで、ここに…。

 俺と同じデザインだけど、俺のよりもサイズのデカイその靴は、公園の枯葉を踏んで、俺に近づいて来た。

 ふと、俺の視野が暗くなる。
 目の前まできたそれは、いきなり片膝をついてかがみ込んだ。


「落ち着いた…?」

 静かで柔らかい口調に、俺は呆然とする。
 まさか…ずっと見てた…?

「学校、さぼろう…」

 優等生の智の、思いがけない言葉に、俺は思わず顔を上げた。

「な…何言ってんだよ…。お前は戻れよ…」
 智はゆっくりと顔を横に振った。

「直…さぼるつもりだろ?」

 そりゃそうですけど、俺の事情は俺だけのものであって、人に迷惑なんてかけられない…。
 まして、智には…。

「おいで」

 智はいきなり俺の手首を掴んで立ち上がった。
 勢いに負けて、俺も立ち上がる。
 掴まれたところが…熱い…。

 でも、とことん女々しくなった俺には、もう、振り解く力さえ残ってなかった…。
 俺は俯いたまま、手を引かれるままに公園をあとにした。



 電車に乗せられた。
 でも、俺のうちの方角じゃない。
 定期の使えない方向なんだ…。
 いつの間にか、智が切符を買ってたから。

 ずいぶん電車に乗ってたような気がする。
 一言も話さなかったから、長く感じたのかもしれないけど…。

 降りてからは、すぐだった。
 駅前の高級マンション…。
 オートロックを通り、中へ入る。

 ここ…どこ?
 初めて見る場所だ。


「とも…」

 不安げに声を漏らした俺に、智は安心させるように微笑んだ。

「そっか、直は初めてだったな。ここ、俺の家だよ」

 は?2年ほど前にきた家と違うぞ。
 声に出さなかった俺の疑問に、即、智から聞きたい答えが返された。

「引っ越したんだ。去年の春に」

 そうだ、確か智の家は大きな一戸建てだった。
 このマンションも相当高級そうだけど。

「お母さんは…?」

 やけにひんやりとした室内…。人の気配がないんだ…。

「うん…。ここは俺と親父の二人暮らし。母さんは、去年の春に離婚して…もう再婚してる」

 え……?
 知らなかった…。

「ほら、親父ってば出張ばっかで家にいないから…愛想尽かされたってヤツだな。…で、俺一人じゃ広い家は不用心だから、マンションに引っ越したって訳だ」 

「智…一人なのか?」

「ん?ああ、親父は月に1週間ほどしか帰ってこないからな」

 こんな広いマンションに一人っきり…。
 俺んちも結構広いけど、親父がいてお袋がいて…会社の若い人たちも、しょっちゅう飯食いにやってくるからいつも賑やかだ。

「とも…」
 呟いた俺に、智は微笑んで見せた。

「なんて顔してんだよ、直」
 そう言って、俺に「でこピン」を食らわせた。 




「直、ミルクだったよな」

 はぁぁ?

「ミルクって、何だよ?」
「直は苦いのがダメ。ホットミルクに蜂蜜入りが大好き」

 がぁ〜ん、なぜそれを知っている…。
 俺、みんなの前でそんなこと言った覚えないぞ。

『やっぱ、まりちゃん、可愛いっ』とか言って、揚げ足取られるに決まってんだから。 



「はい、お待たせ」

 差し出されたマグカップには、暖かいミルクが湯気を立てていた。
 両手でしっかりと掴んでそっと口を付ける。
 優しい甘さに、俺の涙腺が緩みかけた…が、ここで泣いたらみんなおしまいだ。

 こんな恐ろしい気持ち、智だけには知られたくない。絶対に!

 俺はグッと奥歯を噛みしめた。


「直…話してくれるよね」

 それは、限りなく優しく、でも、有無を言わせない口調だった…。



つ・づ・く

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