最終回 まりちゃんの結婚式


 
 俺の18年の生涯で最悪の正月が過ぎ、俺と智の高校生活最後の学期が始まった。

 ボーッとしてるのも何だけど、ジタバタしてもしょうがないと半ば諦めにも似た心境で送っているうちに、卒業試験を無事乗り切り、すっったもんだのバレンタインが終わり(あ、この話はまた今度)、3月には智のうちの和室に豪華なひな飾りが並べられ(涙)、そして…。

 俺たちが卒業式に臨んでいる頃、智のお父さんの会社と、うちの親父の会社の間で契約が交わされていた。
 熱田光機のすべてが吸収合併されて、誰一人、路頭に迷わずにすんだ。

 あとは、俺たちの番だ。





 俺たちの結婚記念日になる日は、朝から快晴だった。

 結婚式場に選んだのは、郊外の山の麓にある小さな神社。
 そう、正月に忘れ得ない思い出を作ってしまったあの場所だ。

 そして俺は、正月の悪夢から立ち直れないまま、マジで白無垢を着ることになり、朝から控室でエライ目に遭っている。

 今度のは、振り袖の比じゃあない。何から何まで、えらく大がかりだ。

『花嫁』の支度に来てくれたのは、当然、敦のねーさん。
 手回しの良い智に、抜かりはないってか…。とほほ…。

 そりゃあ、俺たちの、このとんでもなく無謀な計画につき合っていただけるのはありがたいんだけど、『まりちゃんの花嫁支度ができるなんてっ』って言われた時には情けなくって泣きたくなった。 

 けど…本当に大丈夫だろうか?
 結局俺たちは、婚約者をお互いの両親に紹介しないまま、今日まで来た。

 そう、ここまでは俺たちの思惑通りに事が運んでるんだ。
 コワイくらい、スムーズに。

 でも、もし、事実を知った親たちが激怒して、会社同士の契約が破棄になったら…。

 そう思うとゾッとして、大人しく座ってなんかいられない。

 俺は思いきりよく立ち上がった…けど…なんて重いんだぁぁ。
 顔中真っ白に塗りたくられていて、皮膚呼吸はできないし、頭には巨大な鬘と綿帽子、もちろん全身にまとわりつくのは、重いことこの上ない『白無垢』。つまり『どてら』の親玉ってヤツだ。

 あ、頭がクラクラするぅ…。
 
 そして、目をまわしている俺の前に現れたのは、嫌みなくらいイイオトコ…。


「直…めちゃくちゃ可愛い…」

 入ってきた紋付き袴姿の智が、ため息をついた。
 …頼むからマジで誉めないでくれ…。

 しかし……くっそうっ…智のヤツ、めちゃくちゃかっこいい。
 同じ男に生まれて、この差はあまりにも情けなさすぎる。
 俺もあっちが着たかった。

 ……でも、きっと『七五三』とか言われるに決まってるんだ。

 恨みがましく見上げる俺に、智はにっこりと微笑んだ。

「直、あと少しの辛抱だ。神社の内陣で結婚の誓約をしてしまえば…」

 誰にも文句は言わせない…、と、智は俺の耳に囁いた。

 …ホントにそんなに上手くいくんだろうか? 
 親父たちが逆上しちゃったらどうするんだよ。
 俺の不安を見抜いたのか、智が俺の手をギュッと握った。

「直…二人で、幸せになろう」

 そうだった、俺は智を信じるって決めたんだ。

「うん。俺、智と二人で、幸せになる」

 見上げてそう言うと、智は『やっと笑ったね』って言って、ホッとしたような顔をした。

 お間抜けな俺は、その顔を見てようやく『智も不安なんだ』って思い至る。
 うん。俺だって智の『元気の素』になりたいんだ。

「大丈夫。俺、智とだったら何があっても…」

 そう言って俺が精一杯笑ってみせると…。

「参ったな…」

 低い声でボソッと智が呟いた。

「…なに?」

 聞き返す俺の耳元でヤツがほざいたのは…。

「せっかく着せてもらったばっかりなのに、脱がせたくなってきた…」

 ………………。

「いってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」

 この男前は、どの脳みそでそんな腐ったこと考えてんだっ!!

 俺が思いっきり踏んづけた足を、智が涙目で、大げさにさすっている。
 ふんっ、今度はハイヒールで踏んでやるっ。



 俺たちがこそこそと騒いでいると、やがて雅楽の奏楽が聞こえてきた。
 智と俺は、案内されて神殿の内陣へ進む。

 ここの神主さんは、見事に俺の白無垢姿に引っ掛かってしまい、『こんなに可愛い花嫁さんは見たことがない』と手放しで誉めてくれた。
 もちろん誉められたって情けないばっかりで、嬉しくもへったくれもないけど、騙しているという後ろめたさがあって、俺は曖昧に微笑むということをやってしまった。

『いや〜、初々しい』
 そう言われたのは俺なのに、喜んだのは、何故か、智。

『白無垢を着たら、何でもわがまま聞いてやる』って言ったのはお前だからな。
 覚えとけよ、智。





 結婚の祝詞が始まった。
 俺の両親と、智のお父さんは神殿の外陣にいるから、俺たちの姿ははっきりとは見えないはず。
 ただ、紋付きと白無垢が見えているだけなんだ。

 わざと、あまり聞こえないような声で誓約の言葉を述べ、三三九度を交わす。

 智が、ギュッと俺の手を握った。
『もう、大丈夫だよ』と言うように。
 杯を持つだけで震えていた俺の手も、それでようやく静かになる。

 そうしたら急に小鳥の声が耳に入った。
 神社の裏は大きな杜。
 木々を渡る鳥の囀りが突然聞こえてきたんだ。

 俺は静かに息をつく。
 少し前までは考えもつかなかったこの状況に、俺はずっと追いまくられてきて周りの何もかもから逃げていたのかもしれない。

 小鳥たちは朝からずっと歌っていただろうに、それすら耳に入らないほど…。

 もちろん、こんな恥ずかしいカッコはもう二度としたくはないけれど、それでも今日は智と俺にとって、とてもとても大切な日。


『ずっと、一緒にいよう』
 そう誓った大切な日。


 今日聞いた音、今日見た景色、今日の風の匂い、今日の天気、そして、今握りしめてくれる智の手の温もり…。

 そのすべてを、ずっと忘れないように、俺の内側に全部刻みつけておきたい。 
 

 神前に一礼したあと、智がそっと俺の耳元に囁いてきた。

「神前式って、誓いのキスがないのが難だよな」

 ………………。

「……ってー……」

 ふん、懲りないヤツ。

 けれど、俺もわかっていた。
 智も、ふざけることで落ち着こうとしてるんだってこと。
 だって、本当の正念場はこれから…。





 式が終わり、俺たちは両親のもとへ向かった。
 締め付けられた帯の下、俺の胸はうるさいくらいに鳴りはじめた…。


「おめでとう。智雪、直くん」

 顔が上げられないまま、智に手を引かれていた俺の耳に飛び込んできたのは、信じられない言葉。

 智のお父さんの声だった。

「父さん…」

 智も呆然としている。
 恐る恐る顔を上げた俺の目に飛び込んできたのは、驚く親父とおふくろの顔。

 そりゃ、驚くよな。
 息子が嫁さんになってんだから。

「まり…お前、綺麗だったんだな…」

 はぁぁぁぁ?

「だから言ったでしょ。まりは美形だからきっと似合うって。お父さんたらね、まりの花嫁姿なんて、ゲテモノじゃないかってずいぶん心配してたのよ」

 ころころと脳天気に笑うおふくろ。
 い…いったいどうなってんだぁぁっ!。

「母さんの花嫁姿より、まりの方が圧倒的に綺麗だな」
「失礼ね、私の子だから、まりは綺麗なのよ」

 ちょっと待った…。この、腐った会話は…何? 

 思わず見上げた智の顔。
 けれど、当惑しているのは智も同じだった。

「とうさん…」

 智のお父さんは、智の肩をポンポンと叩きながら笑いを漏らした。

「どこの親だっておかしいと思うさ。好きだ好きだって言いながら、一度もあわせてくれないんじゃあな」

 それって、もしかして…いや…やっぱ、親の方が一枚上手だった…ってワケ?

「心配になって熱田さんに相談して、二人で調べてみたら…」

 智のお父さんの後を受けて、俺の親父が続けた。

「そりゃあ最初は悩んだぞ。いくら私たちの過失とはいえ…」

 …相手が男の子だとはなぁ…。
 親父の言葉の最後は呟くような声だった。


 何でも、親父たちが『おかしい』と思い始めたのは去年の事だったらしい。
『結納』を二人して嫌がったことがきっかけだったようだ。 

 よーく話し合ってみたら、どちらの家にもいるのは『一人息子』。
 同じ学校で同じクラスで中等部からの親友同士。
 さてどうしたものかと苦悩すること数日間。 
 結局、息子のため、会社のため、孫の顔を見ることは諦めたんだそうだ。

 孫…ねぇ…。


「私たちは会社のために、まりを犠牲にしようとしたわ。まりはそれでもいいって言ってくれたから…」

 おふくろは俺の頬をそっと撫でた。

「ほんっとに可愛いわ。お嫁に出すの惜しくなっちゃった」
「えぇっ!?」

 智が素っ頓狂な声を上げた。

「嘘よ、智雪くん。まり…直のこと、よろしくね」  

 わざとらしく言い直すおふくろに、智は満開の笑顔で『もちろんです』と答えた。


「会社の方は…」

 俺は一番気になっていたことを口にした。
 すぐに智のお父さんが答えをくれた。 

「大丈夫。契約通りだよ」

 その一言に、俺は心底ホッとして、大きな大きなため息をついた。
 去年の秋、俺の18歳の誕生日以来だ、こんなに心が解放されたのは…。

 そんな俺の肩を、智がギュッと抱いてくれた。
 暖かさがやんわりと伝わってくる…。

「ただし、二人とも大学4年間しっかり勉強しろよ。いずれお前たち二人に任せるんだからな」

 お父さんの言葉に、智は『いわれなくてもわかってる』って顔をして見せた。

 そして、にっこり笑った俺に、智のお父さんはデレッと頬を緩ませた。
 こ…こんな顔するのか…この人…。

「いやぁ、私としては、一目惚れしたまりちゃんがお嫁に来てくれたっていうだけで、幸せなんだがね」 

 ひひひひひひ…一目惚れぇぇぇぇ…?

「父さん、悪いけど同居はお断りだよ」
「ええっ?うそー、智雪ぃ、それはないだろー」

 情けない声を出すお父さんに、うちの親父とおふくろもクスクス笑いを漏らしている。

 俺は、智の羽織の裾を引っ張った。

「何?直」

 智も、肩の荷を降ろしたって顔してる。

「みんなで幸せになろ……」

 こんな息子を認めてくれたんだから。
 きっと、智も同じこと思ってるに決まってる。 

「それが、直の願いなら…」

 ……ほらね。
 



 それから、青空の下、5人で写真を撮った。
 俺はこんな姿を残すのは、絶対絶対絶対にイヤだったんだけど、その願いは4対1で即刻却下されてしまった。

 くそっ、振り袖以上に恥ずかしい姿を残しちまった…。
 やっぱ俺が一番情けねぇや…。

 写真を撮って、俺が『一刻も早くこんなもの脱ぎたいっ』と思っていると、智のお父さんがニコニコと笑いかけてきた。

「まりちゃん、成人式はどんな振り袖がいいかな?」
「いりませんっ」
「そんなぁ〜」

 情けない声を出す、智のお父さん。

 …ん?……もしかして…。
 俺と智は顔を見合わせた。

「正月の振り袖も、ひな飾りも…」

 わかっててやったわけーーーーーーーーーーー?!

「この変態親父っ」

 智に怒鳴られても、お父さんは何処吹く風だ。

「智雪だって嬉しそうに写真持ち歩いてるじゃないか」
「う…」

 …なんだとぉ〜。初耳だなぁ、それって…。

 俺が、固まる智を上目遣いに睨みあげたとき…。



「まりーーーーーっ!」
「まりちゃーーーーんっ!!」

 突如、神社の長い石段の下から、大勢の野郎どもの声がした。
 まるで、『アイドル親衛隊』ばりのコール…。

 げげっ。悪友どもだっ。
 先頭にいるのは、今日俺の支度をしてくれたおねーさんの弟、敦だ。

 くっそーーーーーー、やっぱり漏れたか。
 絶対黙っててくれって頼んだのに、信用した俺がバカだった…。

「まりちゃんっ、可愛いっっ!!」
「智なんかにやってたまるかっ」
「まりちゃん!俺と結婚してーーーーー!!!」

 バカっ、来るなっっっ!!!来るんじゃねーーーっ! 


「行くよっ、直っ」

 突然、智が俺の手を引いて駈けだした。
 待ってってば!
 あああ、裾踏んづけるじゃねーかっ!
 くそっ、鬘が重いんだよっ。

「智っ、どこ行くんだよっ」

 智は弾んだ声で、言った。

「結婚式のあとは、新婚旅行って決まってるだろ?」
「…やったっ!どこどこ?どこ行くの?!」
「着いてからのお楽しみ!」


 こんな、はちゃめちゃな俺たちに、春の日差しは優しかった。


お・わ・り

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