第6回 まりちゃんのお正月


 大晦日。
 俺はでっかい包みを抱えて智のマンションへやって来た。 

「うわ〜、すごい」

 智が歓声を上げた、その包みの中身は俺のおふくろ特製の『おせち料理』だ。

 智のお父さんが海外出張から帰ってくることが出来ず、智が一人ぼっちだと聞いて、うちのおふくろが『智雪くんのところへ行ってらっしゃい』と言って持たせてくれたんだ。
 
 あれから俺と智は、残り少ない高校生活を『婚約者同士』って言う、誰にも言えないけど甘々の関係を、不安の中で過ごしている。

 クリスマスにはお揃いで腕時計を買って、それぞれの親に報告した。
 俺は『智ちゃんからもらった』と言い、智は『まりちゃん(くっそう…)からもらった』って。


 それから俺たちがしなくちゃいけなかったのは、ともかく親を説得することだった。

『本当に好きになったから、会社がらみの式は挙げたくない』と。

 できることなら二人だけで、それがダメなら、せめて参列者は親だけにして、ひっそりと式を挙げるために。
 いくら何でも、大勢の他人を巻き込む気はないしね。

 もちろん、その前の難関、『結納』も頼み込んでやめてもらった。
 意外とすんなり聞き入れてもらえたのが、ちょっと不思議だったけど。

 でも、それにはやっぱり『交換条件』がついていたんだ…。
 


「あのな、直…」

 おせちの入った重箱の蓋をそっと閉めて、智が言いにくそうに俺の名を呼んだ。

「…何」

 いや〜な予感がする…。
 過去の経験からいくと、智がこういう様子の時って、俺にとってはろくな事がないんだ。

「ちょっと見て欲しいものがあるんだ」

 そう言って、俺の手を引いてリビングを出る。
 廊下を挟んで向かい側。
 俺が入ったことのないそこは、和室だった。

「な…何だよこれ」

 俺のイヤな予感は的中したようだ。
 だいたい試験のヤマは絶対当たんないのに、どうしてこういうことだけは当たるんだっ。

 今、俺の目の前にぶらさがってるもの…・。

 マンションとは思えないほど立派な和室の奥に、なんと…振り袖が掛けられていたんだっ。

 ぜ〜んぜん着物に興味のない俺にだって『これって…』と思わせるほど見事なものだ。
 これ…何年か前におふくろが欲しくても買えなかった、『総絞り』ってヤツじゃないかな?
 鳥肌が立ってるみたいなブツブツの着物だけど、相当高いって聞いたぞ。

 けど、なぜここにこんなものがある?
 智は一人っ子だ。姉さんも妹もいない。
 じゃあ、従妹か誰か…?

 俺は頭の中で、一生懸命『これを着るにふさわしい女の子』の姿を探す。

 智が着物の袖をつまみ上げた。
 ブツブツの振り袖は、黒地で、大きく梅の花模様が浮かび上がっている。

「これ…うちの親父が、まりちゃんのためにって、わざわざ京都で作らせたらしい」

 まじめな声で智が言う。

 ……そっかー。
 そう言えば智って婚約してたんだっけ。

「あ…なるほどね。智クンの婚約者へのプレゼントか。良かったね、智クン。きっと彼女も喜ぶよ」  

 そう言って俺は一目散に和室を後にしようと……。

「待てってば」

 智は俺の首根っこをキュッと掴んだ。
 こらっ、離せっ、俺は猫じゃないっ。

「似合うと思うんだ」

 な、ななななななな何だとっ。



 そう、『結納』の取りやめを承知してくれた智のお父さんが、出した交換条件、それは…。 

『せめてまりちゃんの晴れ着姿が見たい』…なのだった。

 ……俺がぶっ飛んだのは言うまでもない。

「な、な、智ぉ、冗談やめてさぁ…。俺、振り袖なんか着たことないし…」

 …当たり前だっ! 着たことがあってたまるかってんだっっ!

「大丈夫、明日の朝、敦のお姉さんが来てくれるから」

 あ、…敦ってのは、俺たちの中等部からの悪友で、そのお姉さんってのは結構有名な美容師さんだったりするわけだ。

「智、お前、手回し良すぎないか?」

 フーッ、と逆毛を立てて睨む俺の頭を、智は『いい子いい子』と言わんばかりに撫でて、余裕の笑みを見せる。

「『写真でいいから』って言われただけでも、めっけもんだぞ。実物見せろって言われたらどうする?直」

 心なしか嬉しそうな智の言葉に、俺は着物に負けないくらい鳥肌を立てた。

「じょ…冗談じゃないぞっ」
「な、困るだろ?だから、明日の朝、綺麗に着せてもらって、証拠写真をだな…」

 ちょっと待て。
 俺が冗談じゃないぞと言ったのは、写真でいいとか、実物見せろとかいうレベルじゃなくてだなっ。

「やだーーーーーーーーーー!こんなの着ないっ」

 ジタバタ暴れる俺を、小脇に抱えたまま、智がポツッと言った。

「今ここでバレるわけにはいかないよなぁ…」

 う゛……。それを言うわけ…。
 大人しくなった俺に、智は満足そうに微笑んだ…。

 ちくしょーっ、覚えてろっ、いつか智も恥ずかしい目にあわせてやるっ。





「ふふっ」

 ……晴れやかな元旦の朝。
 不敵に笑ったのは、悪友・敦のおねーさんだ。

「まりちゃん、成人式の時もお支度させてね

 言葉の最後にハートマークがついていたような気がするぞ…。

 いかにもギョーカイって感じのおねーさんは、できあがった俺をみて、一仕事終えた充足感を体中に漲らせている。

 俺って…なんて不幸なんだ…。
 21世紀の幕開けを、振り袖姿で迎えるなんて…。
 あああ、髪まで綺麗にセットされて…飾りまでついてるぅぅぅ…。

 そして、俺の不幸はそこで終わらなかった。
『証拠写真』さえ撮ればいいんだと開き直っていた俺を、あろう事か、智は初詣に連れ出してくれたんだっ!!





「直…可愛いよ…」

 潤んだ目で見るな、バカ。

 外に連れ出された腹いせに、俺は大股でズカズカ歩いてやろうと思ってたんだけど、これでもかって言うほどピッタリと着物が着せられていて、思うように足が動かない。

「いつもの元気な直も良いけど、おしとやかな直もいいな〜」

 ちがーうっ!おしとやかなんじゃなくて、歩けねーんだよっ!!

 屈辱のあまり、フルフルと震える俺のほっぺに、智は『ちゅっ』とキスをしてきた。 
 お…お前なぁ…、天下の往来で…。

 さすがに人出の多いところに連れ出すのは可哀相だと思ってくれたのか、俺たちがやってきたのは、それなりの人で、それなりに賑わっている、郊外のこぢんまりとした神社だった。
  
「ちょっと待ってて」

 智はそう言って、俺を大きなケヤキの木の下に残して、縁日の方へ走っていった。
 
 なにするんだろ?
 そう思ってボヤッと立ってる俺の耳元に、不快な声がした。


「かわいーねー、彼女」

 …彼女だとぉぉ…。
 誰のこと言ってんのかわかんねーなー。

「もしかして一人ぃ?」

 んなわけねーだろ。
 こんなに美しい晴れ着姿のお嬢様が、お供も連れずに一人で歩いてるわけねぇじゃねーかよ。 

「おいっ、すかしてんじゃねーよ、返事くらいしたらどーだ」

 見上げると、いかにもバカそうな高校生風の3人連れ。
 ふっ…こんなバカに声かけられるようじゃ、俺もまだまだだな…。


「うっせーなー」

 とことんうざったくなっていた俺の口から出たのは、いつもよりもひく〜い声。

 悪いがなぁ、見かけは女でも(涙)、ちゃんと声変わりはしてんだよっ。
 音楽の先生からは『可愛いボーイソプラノね』とか言われちゃうけど…。ううっ。


 …バカどもが一瞬怯んだ。

「失せろよ、ば〜か」
 さらに低い声で脅しつけてやる。

 言葉を失って固まる3人組。
 …いやん、おもしろ〜い。クセになりそう。

 もう一声かましてやろうかと思ってるところへ、バカどもの後ろから冷静な声がかかった。

「どいてくれないかな?」

 ちぇっ、智のヤツ、もう戻ってきた。もうちょっと遊べそうだったのにな。
 突然背後に現れた男前に、バカどもがさらに縮んでいく。

 へへっ、ざまーみろ。

「お待たせ、まり」

『まり』のところをわざとらしく強調して、智は持っていた綿菓子を俺の手に握らせてくれた。
 そして反対の手を繋ぐ。 

「行こう」

 歩き出した俺たちに、バカの一人がお間抜けな声を出した。

「あ、あのっ」

 俺は満開の笑顔で応えてやる。

「ごめんなさいね〜」
 いつもより高めの声で。




 二人でゆっくりと歩く参道。
 智がクスクス笑ってる。

「なんだよぉ」

 不機嫌な声を出して、俺は繋がれた手を振り解く。
 けど、智はすぐに手を取って握ってくる。

「あんまり無茶すんなよ、直」
「ふん、無茶させたくなかったらさっさと助けに来いよ」

 俺はそっぽを向いて理不尽な言いがかりをつける。
 すると、智が本格的に笑い出した。

「あははっ、助けに来いって?直、俺よりケンカ強いじゃないか」

 …ふんっ、それって違うだろ。
 俺は短気だからしょっちゅうケンカするけど、智は穏和だから滅多にケンカなんかしない…ってことじゃないか。
 本気でケンカしたら、絶対俺なんかより強いに決まってる…。 

 でも、悔しいからそんなこと言ってやんない。

「俺、今日着物着てんだぞ。ケンカなんか出来るわけねーだろっ」

 口をついて出たのは別の言葉。
 智はふと真顔になった。

「ごめん…。そうだった」

 その切なそうな顔を見て、俺は、ふと、申し訳なさで胸がいっぱいになった。

「智のお父さん…この着物、可愛い娘にと思って作ってくれたんだよな」

 こんながさつな男なんかじゃなくってさ…。

「直…」
「俺なんかが着ちゃって…なんだか…悪くって…」

 今の今まで『着せられてる』っていう被害者意識で一杯だったけど、ほんとの被害者は俺じゃないよな。俺は…智のお父さんを騙してんだから…。

「どうして?ちゃんと息子の愛する人が着てるんだからいいじゃないか」

 そう言った智の声は、作ったわけでも何でもなく、天然に明るかった。

「とも…」
「それが男の子だろうが女の子だろうが、たいしたことじゃないよ。俺が好きなのは、たった一人、直だけなんだから…」

 う…嬉しいんだけど、それ以上に恥ずかしくなった俺は、照れ隠しに、持っていた綿菓子に盛大にかじりついた。

「あああっ!」
「どうした?直っ」
「綿菓子に血が付いてるっ」
「…口紅だろ…」 

 がぁ〜ん、俺って化粧もしてたんだ…。


つ・づ・く

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