大学生編 第2回 まりちゃんの新歓コンパ

前編





「へ?テニス?」
「そう、テニスなんかどう?」

 大学へ入学してはや10日。

 顔を洗って、頑固な寝ぐせをなんとか直した俺がダイニングに行くと、智がコーヒーを淹れながらそう言った。

 昨夜遅くに海外出張から帰ってきたおとうさんはまだ夢の中。
 講義の登録なんかもすんで、漸く普通の大学生活の始まり…って感じのこの頃だ。

 で、俺と智は大学生活を謳歌するべく、何かを始めようと思っていたわけなんだけど、俺たちが中学高校の6年間ずっとやって来た部活。それがこの大学には何故か、ない。

 付属の中高にあるのに、どうして大学にないのか疑問だけど、もともと中高なんかにある方が珍しい競技だから仕方ないか…。

 で、それじゃあ仕方ないから何か別のスポーツでも…と思った矢先に、智が「テニスにしよう」って言いだしたんだ。

「やだよ。智は上手だけどさ、俺やったことないもん」

 そう。智はちっさいころからテニスをやっていて、相当うまい…らしい。
 なのにどうして中高でテニス部に入らなかったかって言うと、どうやらそれは俺のせいだってことのようで…。

 部活が一緒になったのは、俺はてっきり偶然だと思って疑ってなかったんだけど、智は最初から確信犯で俺にくっついてきたらしい。

 もっともそれを聞いたのは高校を卒業してから…そう、結婚式のあと…なんだけど。


「俺が教えてやるから大丈夫だって。それに、体育会じゃなくて同好会なんだから、楽しく出来ると思うよ。学部以外の友達も出来ると思うし」 

 学部以外の友達…てのは確かに魅力的だよな…。
 なにせこの10日間、俺の周りは、智と敦と…それにくっついてくる女の子たちと…それから『瞳ちゃん』で埋め尽くされている。

 構内を移動する時も、なんだか民族大移動みたいで恥ずかしいんだ。
 そんなわけで、学部の友達はかなり出来たものの、当然学部外の友達はまだいないってわけだ。

「でもさ、テニスの同好会なんていっぱいあったじゃん。どこがいいかわかるのか?」
「敦といいとこ見つけたんだ」

 げ、また敦も一緒かよ〜。

「ヘタするとコンパばっかりやってて、ちっともテニスができないってとこもあるからね。かといって、練習ばっかりでも大変だし…」

 ま、そりゃそうだ。
 適度な運動と適度なお遊び…大学生活のいいところはそれだよな。 

「でさ、今日、講義が終わったら見学に行こうと思うんだけど…」

 そういって、智が俺の様子を伺う。
 俺は今まさにトーストに噛みつこうとしているところで…。

「ん、わかったよ。一緒に行くって」

 だって俺、腹減ってるんだも〜ん。
 さっさと食いたいから、生返事でOKをだしちまったんだ。
 それが、後々、とんでもないことになるとは思わずに…。






 今日は朝からみっちり3限まで。
 1限分が高校の倍の時間があるから大変だな。

 特に昼からの講義なんて窓側に座るもんじゃねーよな。
 春のポカポカ陽気に誘われて、つい『お休みなさ〜い』って気になっちまう。

 だいたい俺、寝不足だしな…ここんとこずっと…。

 一般教養の時間なのをいいことに、夢とも現ともつかない世界をぼんやり漂ってると、智が俺の肩を揺すった。

「なお、おはよー」
「んあ?」
「終わったよ、講義」

 慌てて周りを見渡すと、もう大半の学生が席を立ち始めている。
 当然講師の姿はもうない。

「ん〜、気持ちよかった」

 思いっきりのびをすると、智がクスっと笑って耳元で囁いた。

「あどけない顔してうつらうつらしてるから、つい…」

 つい…?

「キスしそうになった」

 …………………。

「お、お、お、お、お前ってヤツはっ!」
 って、一発お見舞いしてやろうかと思ったところを、いきなり後ろから羽交い締めにされた。

 誰だっ!敦かっ?!!

「直くぅぅぅ〜ん」

 げ、瞳ちゃんだ。

「瞳、眠かったのぉぉ。どうせ寝るなら、直くんのお膝の上がよかったのぉぉぉ」

 おい。俺の膝の上って…。

「瞳ちゃん、いくら瞳ちゃんが軽いっていっても、直もちっさいからね。潰れちゃうよ」

 智がクスクス笑いながら言う。
 不思議なことに、嫉妬魔人の智くんが、なぜか瞳ちゃんには寛容だから、俺もなんだか気安く喋れちゃうわけで…。

「いやぁぁぁん、直くん潰れちゃったら、瞳が看病してあげるぅぅ」

 わ、わかった。い、いいから抱きつかないで〜!

「おい、行くぞ〜」

 後ろから声をかけてきたのは…今度こそ敦だ。

「行くって?どこへ」

 そう聞いた俺に、智は肩を竦めた。

「朝言ったじゃないか、テニスの同好会見に行くって」

 あ、そうだったっけ。

「瞳もねぇぇ、同じところ、見に行くのぉぉぉ」
「え?瞳ちゃんも?」

 俺はびっくりして、思わずバサバサの睫をパタパタさせた彼女の目をジッと見てしまう。

 すると瞳ちゃんはにこっと笑って…。

「いやぁぁぁん、直くん、可愛い〜」

 …って、頼むから抱きつかないでくれ〜っ!

「一緒にどう?って誘ったんだ」

 え?智がっ?

「そうなのぉぉ。智雪くんが、テニスやらないぃぃ、ってぇぇ」

 ほ、ほんとかよぉぉぉぉ…って、瞳ちゃんの口調がうつっちまったぜ。
 それにしても、智が誘ったとは…。

 そりゃあ、俺、瞳ちゃんのことって『友達』以上には思ってないけど…。

 智の考えてることがいまいちわかんなくて、つい、智の整った顔をジッと見上げてしまう。
 その視線に気がついて、智が俺を見おろしてニコッと笑った。

 笑ったんだけど…。

 やっぱこいつ、絶対なんか考えてやがる。
 企んでる…とまでは言わないけれど。

 一緒に暮らし始めてまだ日は浅いけど、俺は最近なんとなく智の行動が読めるようになってきた…と思う。

 そう、親友時代には見えてなかった行動パターンが…。

「ほら、直、行くよ」

 フル回転していた俺の思考は、智のこの一言で中断された。
 …ま、いいか。今考えついたからってどうなるもんでもないし…。

「うん」

 言われるままに智の横をついて歩く。
 すると、案の定、敦や瞳ちゃんがくっついてくる。
 そしてそれにまだ、高校からのダチまでくっついてきて…。
 やれやれ、今日も民族大移動だ…。



「な、智。どこまで行くんだ?」

 テニスの同好会を見に行くとは聞いていたけれど、まだはっきりとキャンパス内も把握していない俺には、今どっちの方向を向いているのかすらアヤシイ。

「今の時間だと、第3学舎の裏のコートだって」

 ふうん、第3学舎ね…。どこにあるんだ、それ。

 俺が歩きながらキョロキョロと辺りを見回すと、瞳ちゃんがいきなり俺の顔を覗き込んだ。

「そういえば〜、直くんと智雪くんってぇ、毎朝一緒に来てるよねぇぇ」

 ふぇ?

「あ、うん」

 思わず生返事をしてしまう俺。

「え?お前ら一緒にご登校かよ?相変わらずだな〜」

 中学からのダチの中でも、俺と智が『その後』『どうなったか』を知らないヤツが言った。

 あ、ちなみに俺と智の関係を知っているのは、敦と、それから何人か……そう、結婚式を冷やかしに来たヤツら……いるんだ。
 特別口止めはしてないけど、誰も喋って回ったりはしないヤツらだから、その点はいい友達持ったなって思うわけだ。


「相変わらずなの〜?」
「そ。こいつら中学の時から何をするのも一緒なんだ」

 周りのヤツらは瞳ちゃんの問いに、調子よく合わせて話が盛り上げてしまう。
 俺は、なんだか意識してしまって智の顔を見上げることができない。

 だからチラッと敦を見たんだけど…。

 …くっそぉぉぉ…。
 にやっ…なんて笑いやがる…。

「そういや、今朝もバイクで仲良く二ケツ通学してきたよな」
「ホントかよ、まり〜」
「まりじゃねぇっ」

 ああ〜、話がだんだん…。

「あれ?お前ら、家の方向って正反対じゃなかったけ?」

 ぎくっ。

「あ、確かそうだよな。おい、どういうことだよ、智」

 ほっ…。智なら何とか誤魔化してくれ…

「俺たち一緒に暮らしてるんだ」

 …………ともぉ……。

「えええええええええっ!」

 野郎どもの怒濤の雄叫びに、すれ違う学生や大人が何事かと振り返る。

 ああ…もう…。

「おいっ、どういうことだよ」

 詰め寄る野郎どもに、智は何でもなさそうに、しかもいつも通りの穏やかさで言った。

「兄弟になったんだよ、俺と直」

 ……なるほどね、直球勝負ってか。確かにホントのことだけど。

「なんだよ、それ」
「もしかして、『お約束』の親同士が再婚したとか、兄貴と姉貴が結婚した…なんて言うんじゃないだろうな」
「そりゃないぜ。まりんちの両親ラブラブだし、二人とも一人っ子だしさ」
「あ、そうか」

 おい、勝手に盛り上がるのもなんだけど、うちの両親がラブラブって、なんだよそれ。
 親父が一方的に尻に敷かれてるだけだぞ……って、そんなことどうでもいいや。


「智っ、どういうことだ」
「そうだ、わかるように説明しろよっ」

 周りがどんなに盛り上がって騒いでも、俺がどんなにオロオロしていても、敦が嬉しそうに口笛を吹いていても、智は相変わらず穏やかに笑って答えた。

「ちょっと事情があってね。直がうちの父の養子になったんだ。だから俺が長男で、直が次男ってことになったんだ。ね、直」
「あ、うん…」

 俺があっさり同意したせいか、周りは呆気にとられている。

「知らなかった…」
「うん、俺、ショックかも…」

 ちょっと待て、なんでショックなんだよ。

「まり〜、お前、身も心も智のものになっちまったんだな〜」

 だ〜〜〜〜〜!!

「なんでそうなるんだよっ!」

 た、確かに実体はそうかも知れないけど…。そんなこと言えるかっ!!

「まり〜」

 がー!鬱陶しいっ、抱きつくなっ!!




「やっとご到着か」

 歩きながら騒いでいた俺たちは、いつの間にかテニスコートの前に着いていた。
 そして、涼やかでよく通る、聞き覚えのある声がかかった。

「蔵原先輩!!」

 それは、俺たちの中高時代の部活の一年先輩で、すっごく人気のあった元部長の蔵原先輩だった。
 俺もすっごく可愛がってもらって、楽しい部活生活を送れたんだ。

「まり、相変わらず可愛いな〜」
「まりじゃありませんっ!」
「ははっ、そのセリフも相変わらずだ」

 先輩は以前と同じ調子で俺の頭をグリグリとなで回した。

「も〜、先輩〜、セットが乱れる〜」
「あっはは、寝ぐせつけてるクセに」

 ええっ?!
 俺、ちゃんと直してきたはず…。

「ほら」

 先輩が俺の後頭部の髪を引っ張った。
 俺は智の方を睨み付ける。こいつ、知ってて言わなかったな…。

「ひよこのしっぽみたいで可愛い…」
「ひよこのお尻みたいで可愛…」

 げ。智と先輩、ハモったぞ。

 二人はチラッと視線を交えてから、心底嫌そ〜な顔をした。
 おいっ、この場合、嫌な顔していいのは俺だろうが。
 だいたい、ひよこの…。

「ほんとなのぉ〜、瞳もねぇ〜、直くんのしっぽ、可愛いなぁぁぁぁっっって思ってたのぉぉぉ〜」

 俺のしっぽじゃねぇっ!

「も〜、瞳ちゃんも知ってたんなら教えてよ〜」

 俺は情けない声を出しながら、後頭部のしっぽを撫でつける。

「あ、じゃあ、瞳が直してあげるぅぅぅ」

 瞳ちゃんは担いだ大きなバッグの中から、ごそごそと、これまた大きなポーチをとりだした。
 柄はピンクの…ほらでっかいリボンつけたネコ…なんだっけ…そうそう「キ○ィちゃん」ってヤツだ。

「はい、直くぅん、ジッとしててねぇぇぇ」

 言うなり瞳ちゃんは手にしたブラシで俺の頭を梳かし始めた。

 それにしても、でかいブラシじゃんか。こんなもん、毎日大学に持ってきてるわけ?
 んなことしてるから荷物がでかくなるんだな。ったく、女の子ってわかんねぇ…。

 ふと視線をあげると、蔵原先輩と智がヒソヒソ話をしてた。

「おい、智…。なんだ、あれは。新種の生物か?」

 ふぅん、やっぱり先輩にとっても瞳ちゃんの存在感は強烈なようだ。

「可愛いで子しょう?」

 ふぅん、智クン、珍しいリアクションじゃんか。

 俺の背後では瞳ちゃんが『しゅっしゅっしゅ〜♪』なんてあやしいメロディを歌いながら俺の頭を触ってる。

「ああ、確かに可愛いけど…」

 言いながら先輩は瞳ちゃんに近づいてきた。

「初めまして、俺、蔵原哲志。君は?」
「あ〜、初めましてぇぇぇ。私ぃ〜、直クンの押しかけ恋人のぉ、麻野瞳ですぅぅ。蔵原先輩ぃぃ、瞳もぉ、テニス頑張るからぁ、よろしくですぅぅぅ〜」

 おいっ、瞳ちゃんっ、いつの間に「押しかけ恋人」にっ!

 智の視線が気になって、俺は思わずその目を探す。
 けど…。

 智のヤツ、いつもにまして穏やかに笑ってやがる…。
 うーん。やっぱ、こいつ、おかしいぞ…。


「さて、じゃあ、コートに案内するからまずは練習を見学してくれ」

 蔵原先輩が俺と瞳ちゃんの肩をポンッと叩いた。

「え?先輩、このサークルなの?」

 思わず聞いた俺に、先輩は『はぁ?』って言ってから…。

「あっはっは〜、まりはやっぱり可愛いなぁ」…なんて言う。
「あのな、直。 そうでなかったら、先輩が都合よくここにいるわけないだろ?」 

 あ、なるほどね。けどさ…。

「智、お前、俺に何にも教えてくれなかったじゃんか」

 ちょっとふくれてみる俺。

 でも、智はそんな俺にいつもと同じように笑顔を向けるだけで何にも言わなかった。




つ・づ・く

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