大学生編 第1回 まりちゃんの入学式

前編

 4月某日、快晴。
 今日、俺と智は大学生になる。

 早起きした俺は、おとうさんが入学祝いに作ってくれたスーツを着て、ちょっと大人の気分だ。
 同じネクタイ姿でも、さすがに高校の制服とはえらい違いだな。

 おとうさんが『まりちゃんの入学式にはどんな服がいいかな』って言ったときには、まさか、振り袖作るとか言うんじゃないだろうなって、マジで焦ったけど、さすがに常識ある企業経営者だけあって、いくらなんでも大学の入学式にまで無茶なことは考えなかったようでホッとしたんだ。

 ネクタイをきゅきゅっと直し、俺は鏡の前でクルッと一回りしてみる。
 へへっ、俺って結構スーツも似合うじゃん。

 今年の正月から始まった俺の受難は、振り袖に始まって、白無垢、フリフリのワンピース、メイド服…と続いたけど、今日からやっと普通の生活に戻れると思うと嬉しくってしょうがない。

 誰がなんと言おうと、俺は大学生らしく健全な生活を送るんだからなっ。


「直、支度できた?」

 智がやって来た。
 ふふっ、俺様のスーツ姿を見て驚くなよ。

「うん、出来た」

 クルッと智の方に向き直ると、智が大きく目を見開いた。

 う…。
 と、智のヤツ、めちゃくちゃかっこいい…。
 いつもは無造作に流してる髪も、今日はきちっと撫でつけてあって、すっごく大人の雰囲気だ。
 おとうさんの秘書さんたちより貫禄あるかも…。
 あ、第一秘書の小倉さんはもっと貫禄あるけどね。

「直…」

 智が近づいてきた。
 ふふっ、俺のかっこよさに惚れ直したな。

「かわいい…」

 はぃぃぃぃ〜?

「こ、これのどこが可愛いんだよっ」
「七五……」
「あん?」
「いや、何でもない。よく似合うよ、直」

 ふんっ、最初から素直にそう言えってんだ。

「さ、もうそろそろ迎えが来るから」
「ホントに車で行くの?」
「今日だけはね」

 ここから大学までは、車でだいたい20分。
 俺の実家からだと1時間30分はかかるから、そう言う意味でも俺はここに引っ越してきてラッキーな訳なんだ。

 そして、明日からは智のバイクで通学する事になってる。
 けれど今日だけは、帰りに寄り道するから…。

「直、忘れものない?」

 智がそう言ったとき、インターフォンが鳴った。

「ジャスト。さすが長岡さんだな」

 迎えに来てくれたのは、おとうさんの第2秘書の長岡淳(ながおか・じゅん)さん。

 長岡さんは俺たちより10才上の、まだ28才。
 入社1年目で秘書室に入り、25才の時に第2秘書に昇格して以来、おとうさんといつも行動を共にしている優秀な人で、身長は高いんだけど、顔はかなり可愛い系なところがご愛敬だ。

 俺たちが地下まで降りていくと、長岡さんはにこやかに俺たちを迎えてくれた。

「ご入学おめでとうございます。智雪さん、まりちゃん」

 がーーーーっ!スーツ姿の俺に、『まりちゃん』ってかー!

「ありがとうございます、長岡さん」
 うー。
「ありがとうございます、長岡さん」
 ぶすくれて、まるでオウムのように繰り返す俺に、長岡さんはクスッと笑いを漏らした。

「まりちゃん、スーツよく似合いますね」
 え?
「ホントですかっ?」

 俺、縋るように聞いちゃう。

「ええ。まるで、七五さ……、いてっ」 

 何?

 見ると、長岡さんが肘を押さえて顔をしかめている。
 隣では智が明後日の方向を向いていて…。

「どうしたの?」
「え、いえ、何でもありません。さ、どうぞ」

 そう言って後部座席のドアを開けてくれる。
 そして、長岡さんの慣れた運転で、車は快適に地下駐車場から走り出した。


「会長はとても残念がっておられました。会議さえなければまりちゃんの晴れ姿を見にいけるのにとおっしゃって」

 車の中の会話は話し上手の長岡さんのおかげで弾んでる。

「晴れ姿って…。ただの入学式なのに」

 俺がそう言うと、長岡さんは恐ろしい言葉を返してきた。

「本当はね、『行くんだ!』って駄々をこねられたんですよ。まあ、ただの会議なら行かせて差し上げてもよかったんですが、今日は運悪く支社長会議なものですから、どうしてもいていただかないわけには行かなくて…。しかし、入学式でこの騒ぎでは、今から卒業式が思いやられますね」

「あのバカオヤジのことだから、袴一式くらい誂えそうだな…」

 ポツっと漏らした智の呟きに、長岡さんは大きく頷いた。

「ですねー。今回も、『まりちゃんの入学式はやっぱり振り袖だろうか』っておっしゃるのを私が『スーツにしてあげてください』って頼み込んだんですよ」

 にゃにぃ〜?
 つまり、今日俺が無事にスーツを着られているのは長岡さんのおかげ?

「長岡さ〜ん、ありがと〜」

 俺、思わず涙ぐんで御礼を言っちゃう。 

「会長、まりちゃんのことになると暴走されますからね。何かあったら私におっしゃって下さい。叱って差し上げます」

 頼もしいよぉぉ、長岡さん〜。

「エロバカオヤジも長岡さんには頭が上がらないですからね」

 智も呆れ顔だ。
 いくら智でも、入学式に『振り袖』なんて思わないだろうし。

「そんなことないですよ。私もしょっちゅうからかわれてますから。本当に頭が上がらないのは、小倉さんくらいのものでしょう」

 そう、その第1秘書の小倉さんは35才。俺はまだ一度しか会ったことがない。
 そりゃあかっこいい人なんだけど、もちろんそれだけじゃあない。
 おとうさんの留守には『会長室』を預かる人で、実際の影響力は遥かに社長を上回るって言う、実質ナンバー2の人なんだ。
 それで、独身だってのが腑に落ちないんだけど、それだけ会社人間だってことなのかな?

「さ、到着です。さすがに人が多いですね」
「ありがとうございました」

 智と俺が御礼を言うと、長岡さんはちょっと可愛い系の笑顔を繰り出して、車を降りた。

「気をつけていってらっしゃい。終わる頃にまた迎えに参りますから」
「お願いします」

 背の高いハンサムが2人、大学の通学路脇で笑顔で話す…。
 たったそれだけなのに、周りの目が…女子大生の視線が…痛いぞ…。  


 そして、長岡さんが走り去ったあとも、視線は痛かった。
 智、やっぱり注目の的だ。
 これだけかっこいいとなぁ…。
 ほえ〜っと、ため息をついた俺が大学の正門をくぐったとき…。

「まりーーーーーーっ、ともーーーーーーーっ」

 がーーーーーっ、あの声は敦っ!

「まりじゃねえっつってんだろーがっ!」

 俺は大学に入る前に決意したんだっ!
 この情けないニックネーム、大学にまで持ち込んでなるものかっ! 

「この佳き日に朝から怒ってんじゃねーよ、まり」
 敦はぐりぐりと俺の頭を撫でる。

「敦っ!今度校内で『まり』っつったら絶交だかんなっ」
「えー?何でだよぉ。まりはまりじゃねぇか」
「ぜってー、ダメっ!」

 俺がそう言って敦を睨み付けると…。

「まり――――!智――――!久しぶりっ」

 ぎゃぁぁぁ、高校の同級生たちがてんこ盛りでやって来た。

 エスカレーター式だった俺たちの高校からこの大学への進学率は実に、学年の8割に当たる約200人。
 ほとんどがここへ来てるってワケだ。

 もちろんここは総合大学で、学部はたくさんあるし、学生数は『万』と言う単位。 
 今までのような接点は少ないにしても、それでも見知った顔はあまりに多い。

「へへっ、まり、観念するんだな…」

 敦が勝ち誇ったように言う。
 くっっそう…。
 俺が拳を握ってフルフルしていると、取り囲んできたダチの一人が俺の顔を覗き込んだ。

「まり、なんだかお前、お肌つるつるじゃん」

 なに〜?

「ホントだ。やっぱ、愛されてると違うもんだなー」

 あ、あい…?

「智〜、毎晩がんばってっか?」
「まあね」

 こらっ、智っ、真顔で受けるんじゃねぇっ!

「ほどほどにしとかねーと、まりがコワレちまうぞ」

 こ、こいつら…黙って聞いていれば…。

「いい加減にしろーーーーーーーーーーーーっ!」

 ぜぇぜぇ…。

『クスクス…』
 クスクス…?

 ふと気付いて辺りを見回せば、女の子たちが俺たちを取り囲むようにして笑っている。

「かっこいいわね〜」
「かわいいよ〜」
「あの人もいい感じ〜」

 む。これはもしかして、智や敦を値踏みしている…?

 智がかっこいいのは今さらだけど、実をいうと、悔しいことに敦もかなりいけてる外見なんだ。
 ただし、中身は保証の限りじゃないところがご愛敬なんだけど。

「やあ、君たち学部は?」

 う、敦のヤツ、さっそく声かけてやがる…。
 あまりの手際の良さに俺が感心してみていると、いつのまにやら智の横にも女の子が…。

「初めまして。私、経営学部に入学の長尾聡子。あなたは?」

 うわ〜、キレイなねーちゃん…。
 これで18才ってか?大人びてるっていうか、ませてるっていうか…。そんなに真っ赤な口紅しなくたって、きっと素顔だって綺麗だろうに…。

「俺、前田智雪。経営だよ」

 返す智の言葉のそっけないこと。ろくに顔も見てないや。

「…へぇ…あなたが…」

 それは小さな呟きだったんだけど、俺は聞き逃さなかった。
 きっと智も…。

 見上げると、智は冷たい表情であらぬ方に視線を流していて…。けれど…。

「なに?」

 俺と目があった瞬間、智の視線の温度は氷点下から一気に赤道直下の熱帯雨林になった。

「ん?どうした、なお」

 こ、こらっ、衆人環視の元でそんな甘い声だすんじゃねぇっ。

「な、なんでもないっ」

 慌てて取り繕った俺を、綺麗なねーちゃん…長尾っていったっけ…が、チロッと視線で舐めた。

「とにかく、これからよろしくね」

 ねーちゃんが差し出した、これまた綺麗な手。
 口紅ご同様に真っ赤っかに塗られた爪が、ちょっと凶器に見えたりして…。

「よろしく」

 智は視線も合わさずにそういうと、これでもかというくらい見事に、差し出された手を無視して俺の肩を押した。

「行こう、直」

 周りが驚いているのがわかる。
 俺たちの友達ですら、見たことのないような智の冷たい態度に呆然としていて…。
 でも、俺はしょうがないなとため息をつくしかない。

『…へぇ…あなたが…』

 そう言ったさっきの子の瞳には、『前田智雪』ではなくて『MAJECの御曹司』が映っていたんだろう。

 俺が、智とおとうさんのところに来るまでは全然知らなかった『MAJEC』という会社。
 その巨大企業の跡継ぎ息子である智。

 秘書の長岡さんは『大学へ入学されると、いろいろなことが起こりますよ』って笑っていたけど、ホント、これからいろんなことがありそうだな…。
 

つ・づ・く

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