番外編

『初恋の人』


前編

『君の愛を奏でて』を未読の方には、壮大なネタバレになります。
『君愛1』の『第8幕〜天女の迷宮』まで読んでいただけますと、ネタバレは回避出来ますが、
長い話なので…ごめんなさいm(__)m

前哨戦SS 
君愛&I haveコラボ企画その1 『be happy』はこちらから
君愛&I haveコラボ企画その2 『信隆様の小さなため息』はこちらから

 


「お邪魔しま〜す」

 いつも雪哉はそう言って入ってくる。

 退院して信隆と一緒に暮らし始めた翌日に、ひとり留守番する香平を案じて雪哉が様子を見に来て以来、お互いにパートナーが不在の公休日には一緒に過ごすのが『当たり前』になりつつある。

 雪哉も香平も、当てもなく遊びに行く質ではなく、どちらかと言うと…と言うよりは、かなりのインドア派でもあり、用が無ければ出掛けない。

 だが、キャビンクルーはそもそも仕事自体が重労働なので、公休日を身体の休養日に当てても何ら問題はないのだが、パイロットは身体よりも神経を使う仕事なので、同じ様に休むと運動不足になる。 

 運動不足は生活習慣病の原因にもなり、生活習慣病はパイロットの大敵で、乗務停止にも繋がりかねない。

 なので、パイロットは公休日に気分転換を兼ねて運動に勤しむ事が多い。

 ちなみに雪哉と敬一郎は、身体を動かすことは嫌いでもないし苦でもないのだが、好きなスポーツがあるわけでもないので、運動不足解消はもっぱらマンション内のジムでランニングマシンのお世話になるのが常だ。

 寮にいた頃には屋外ランニングしか手の無かった雪哉は、『雨の日でも走れるって素晴らしい!』…と、快適な環境で暮らせることに感謝しまくりと言ったところだ。

 そして今日もまた、雪哉はせっせと走った後、香平の部屋にやってきて、これから2人で食事の支度を始めることろだ。


 一緒に過ごすのが香平の家と決まっているのは、香平は料理が得意で雪哉はそうでもない…という単純な理由からだ。

 つまり、メインで作る人間がやりやすいようになっているだけで、その他の理由は特にない。

 4人で食事をするときには雪哉の家になるのだが、それはシェフが敬一郎でアシスタントが香平になるからだ。

 ちなみに雪哉は片付けは得意だ。
 と言うよりは、2人でいるときは片付け専門かもしれないが。


「あれ? 珍しいね。クラシック?」

 リビングに入るなり、雪哉が言った。

 勉強していない時には大概音楽が流れている信隆と香平の家だが、雪哉が訪れる時にはBGM的な音楽がほとんどなのに、今日はクラシックが流れていた。

「ヴァイオリン・コンチェルト…かな」
「えっ、雪哉、詳しいんだ」

 作曲者までは言わなかったものの、曲の形式をズバリと言い当てた雪哉に香平が目を丸くした。

 香平自身は今まであまり縁がなかった分野で、聴くようになったきっかけは言うまでもなく信隆だ。

「ううん、詳しくなんかないよ。高校の頃、一度教えてもらったから、記憶として残ってるだけだし」

「音楽の授業で?」

 そう問えば、ニコッと笑んで、雪哉が種明かしをする。

「ううん、授業じゃなくて、高校2年の時、同じクラスになった仲良しに、部活でヴァイオリン弾いてるのがいたんだ。それで色々と教えてもらったり、生演奏聞かせてもらったりしてたから」


 管弦楽部は学院の看板部活で、大所帯ゆえに常に話題には上ったし、有名人も多かったから自然と情報は豊富になったものだ。

 おまけに雪哉は生徒会で文化部会を担当していたから、その内情には少しばかり詳しい時期もあったし、在校3年間の管弦楽部長は3人とも繋がりがあった。

 高1の時の部長は包み込むような優しさの人で、とても可愛がってくれたから、学年後半には雪哉もすっかり懐いてしまい、卒業の時には泣いてしまったくらいだ。

 高2の時の部長は、卒業まで雪哉に『好きだ』と言い続けた人で、良い人だったがそれ以上の感情はわかなくて、ゴメンナサイをし続けた。
 
 高3の時の部長は、生徒会を通じて色々な行事を共に頑張った『戦友』で。


「…って事は、その友達はもしかして信隆さんの後輩?」

 信隆とは、中高時代の話もたくさんしてきて、お互いの部活動のことも今や大概のことは知っている。

 ちなみに香平はバスケ部で、強豪校で1年生からレギュラーに入り、最後はキャプテンをつとめた。
 進学校でもあったために、受験勉強も手が抜けない多忙な3年間だったが充実もしていた。

 それは信隆も同じで、部活動と勉強の両立について話が弾んだのは、まだ入院中のことだったが。


「うん。去年の学年同窓会で話を聞いたんだけど、都築さんって、プロの音楽家にならなかったのに、プロの音楽家になったOB以上に伝説の先輩らしいよ」

 だが、可笑しそうに言う雪哉にも、聞いている香平にも、『なんでだろう?』と言う疑問はわかない。

 詳細を知るまでもなく『それ、ありそうだな』と思える辺りがすでに『伝説』たる所以だろう。

 何も言わずに顔を見合わせて笑ってしまっただけで、お互いが何を考えたかまで解ってしまえるくらいだ。


「香平も、都築さんの演奏聞くようになってから、詳しくなったんじゃない?」

 香平が一言呟いた『信隆さんの演奏、聞いてみたいな』と言う言葉で、信隆は自分の部屋――とは言ってもほぼ空き部屋状態だったが――を防音室に改装してピアノも入れた。

 香平は驚いて『余計なこと言っちゃったかも』…と青くなったのだが、信隆としても、全く弾かないのも腕が鈍る一方だし、何より好きで――あくまでも趣味としてだが――やっていたことでもあるので、気兼ねなく弾ける空間を作ることには投資を惜しまなかった。


「全然詳しくはないんだけど、信隆さん、本当に上手だし、そんな生演奏聴かせてもらえて幸せだなあって思ってる」

 公休日が重なったとき、2人で過ごす『生演奏タイム』は、何よりの心の栄養になっている。

「それに、弾く姿がまた様になってるんだよね、都築さんってば」

「だよねえ。めっちゃ似合うし」

「しかも、そんな都築さんの特技を知ってるクルーってほとんどいないから、香平がひとり占めだね」

 意味ありげに微笑む雪哉に、香平は少し恥ずかしげに頬を染める。

 そんな香平の姿を雪哉は『香平、めっちゃ可愛いなあ』…なんて思っているのだが、その事をちらっと他のクルーの前で漏らしたら、『中原CPは確かにめっちゃ可愛いけど、それをゆっきーに言われたかないだろ』…と、散々笑われてしまった。

 キャプテンたちの間でも、『男性クルーのカワイコちゃんの双璧と言えば、中原香平と岡田悠理』というのが定説になっているけれど、『コ・パイのゆっきー』は別格なのだ。誰にとっても。


「今流れてるのこれ?」

 リビングのテーブルに置かれているCDのケースを手に取って雪哉が聞いた。

「あ、うん。信隆さんが置いてったんだ。フィルムも開けてない新品だったんだけど、『お薦めだから、聴いてごらん』って」

 手に取ったジャケットを見て、雪哉が首を傾げた。

 そこにはこれでもかと言うくらいに美丈夫な指揮者と、金髪のフランス人形のようなヴァイオリニスト。

「…って、この人たち…」

「なに?」

「都築さんの後輩だよ」

「えっ? ほんとに?」

「うん。確か、都築さんの3つくらい下の学年だと思う。ま、僕の先輩でもあるんだけど、僕は学年も離れてるから全く接点ないけど」


 何しろ各界で活躍するOBはたくさんいて、中でも親のない雪哉を随分気に掛けてくれた当時理事長だったOBは、第1期生で世界的企業の会長だ。 

 もちろん2人きりで会うようなことはなかったけれど――必ず学院長が同席していて――理事会で来校した時には必ず近況を聞いて励ましてくれた優しい人だった。

 高校卒業後は会うこともなくなったが、敬一郎の父とは懇意の仲だったので、それが縁で再会を果たしたのは、敬一郎の籍に入ってから半年ほど経った頃の事だ。

 以来、御用達のエアラインをジャスカに変えてくれるほど、雪哉を可愛がってくれているが。


「あ、もしかして、確かまだ30代なのに世界的って言われてる音楽家兄弟の長男と次男の人?」

 香平が思いついたように雪哉に尋ねる。

「そう。あとまだ2人弟さんがいるはずだけど、みんな都築さんの後輩だよ」

 彼らの卒業後数年してから入学した雪哉でさえ、詳細を知っているほどの有名人だ。

「そっか…そうだったんだ…」

 信隆はそういう繋がりがあることを一言も言わなかったが。

「…確か、みんなお母さんが違うって…」

「らしいね。だって2番目の人なんて、金髪だもん」

「だよね」

 香平がそう言う情報を知っているのには訳があった。

「実は、この一族のみなさん、ジャスカのVIP会員で超お得意様なんだよ」

「え、そうなんだ?」

 顧客の話はコックピットクルーにはあまり縁のない話だ。

 搭乗することがパイロットにまで伝えられるのは、所謂『要人』に限られるから。

「演奏活動で世界中飛び回っておられるんだけど、ジャスカが飛んでいるところでは必ずうちを使って下さるんだ」

「VIPってことは、ファーストクラス?」

「指揮者とピアニストの御両親はね。だからご両親はお世話したことが何度もあるんだけど、ご兄弟は皆さんビジネスクラスだから、キャビンでお目にかかった事がないんだ。だから、CDのジャケットみてもピンと来てなかったんだけど…」

 まさか信隆さんの後輩だとは思ってなかった…と、少し視線を落として言う香平に、雪哉は『都築さん、この辺りのこと、話してないんだな』と思い、追加情報を繰り出した。

 好きな人の周辺情報は少しでも多く知っておきたい…と言う気持ちは、雪哉には良くわかるから。


「しかも、かなり親密な後輩だったらしいよ。2年間都築さんがコンマスやってたときに隣で弾いてたのがこの金髪の人だったって聞いた事あるし」

 思いもかけない事実に、香平が目を見開いた。

「うそ…、凄い…」

「いつも、新譜が出たら律儀に送ってくれるんだって、都築さん言ってたから、もしかしてこれも、そうかも」

 雪哉の想像通り、今流れているCDはジャケットに写っている人物そのものからの贈り物だ。

「ってさ、もう時効だからいいと思うし、敬一郎さんが言うには半分ネタみたいなものらしいから言っちゃうけど」

「え、なに?」

 時効と言われて、香平が少しばかり深刻そうな顔になる。

「この人…あ、指揮者さんの方だけど、都築さんの初恋の人なんだって」

「…え?!」

 更に思いもかけない話が繰り出されて、今度はポカンと口を開けるしかない。

「見守るだけで終わっちゃったらしいけど、僕の担任の先生も笑って言ってたよ。『確かにめっちゃ都築のタイプだ』って」

「…なんか、話の次元が違いすぎてピンと来ないかも…」

「だよねえ。都築さんらしいって言えばそれまでだけどさ」

 屈託なく笑う雪哉に、香平もつられて笑う。

 相手があまりに偉大で遠い人すぎて、単純に『凄いなあ』としか思えない。つまり、ヤキモチの対象にもならないくらい、遠い話で。

「先生曰わく、この人も中学に入学した頃はちょっと小ぶりの可愛いタイプだったらしいよ」

「ほんとに? 今と全然違うよね」

「うん。めっちゃ背も高そうだし、ズルいよねえ」

「え? ズルい?」

 この流れで何のことかと香平が首を傾げると、雪哉はあははと笑った。

「だって、高校で背が伸びてカッコ良くなったってことじゃん? 僕なんて、ちっとも伸びなかったのに」

 なのに周りがどんどん大きくなっていくから、気分的にはむしろ『縮んだ感』すらあったのだ。雪哉的には。

「ふふっ、雪哉は可愛いままでいいんだよ。中身は男前なんだから」

 よしよし…と頭を撫でると、ぷうっと膨れる雪哉は相変わらずどうしようもなく可愛い。


「明日、那覇往復だったよね」

「うん。久しぶりに浦沢機長と飛ぶんだ。キャプテン、最近査察乗務ばっかりでストレス溜まってるって言ってて、楽しみにしてるって」

 社内一の堅物機長が雪哉を可愛がっているのも相変わらず…だ。

「浦沢キャプテン、優しいよね。僕が入院してる間にも3回も来て下さって、その度にお手製のケーキ持って来て下さったんだよ」


『食い物に制限はないって聞いたからな』と、ムスッとしたままぶっきらぼうに差し出されたお手製のケーキは、それはそれは優しい味で、香平はうっかり涙ぐんでしまったほどだ。

 復帰の挨拶をしに行った時にも、『待ってたぞ』と言ったその口調はやっぱりぶっきらぼうだったけれど、くちゃ…と頭をかき回されたその手はとても優しかった。

「うわ、浦沢機長のお手製ケーキが食べられるなんて、めちゃめちゃレアな体験かも〜」

「だろ?」

 ひとしきり笑い合い、職場の情報交換をしたりしながら食事を楽しんで、この日は解散になった。

 香平は明日も公休だが、雪哉は8時30分にショウアップだ。


 そして、雪哉が帰ってから香平は『そう言えば…』と、CDやDVDが収められた棚を開けてみた。

 よく考えてみれば、あの兄弟音楽家のものがたくさんあった気がしたのだ。

 案の定、半分近くが彼らのもの、中でもやはり、金髪のヴァイオリニストのものと、初恋の人――指揮者のものは特に多い。

「この人たちと一緒にやってたなんて…すごいなあ…」

 この時はまだ、確かに単なる『感想』だった。 
 そう、住む世界が全く違う、あまりに遠い人たちだったから…。



☆ .。.:*・゜



 1ヵ月ほどが経った頃、香平は711便――フランクフルト行きに乗務していた。

 香平に告白した実業家――前島は、乗務に復帰してからの香平を以前と同じように可愛がってくれていて、当初抱いていた『申し訳ないな』という気持ちも、大人の対応をしてくれる前島に甘える形でケリをつけた。

 それ以来、以前のように笑顔で接することが出来るようになって、肩の荷がおりた。

 そして、その前島が今回も乗っているファーストクラスのサービスに励みながらも、香平はあることが気に掛かって仕方がなかった。

 この日、ビジネスクラスにあの人――信隆の初恋の人が乗っていたからだ。

 気がついたのは、ビジネスクラスの搭乗が始まった時のこと。

 目の端を掠めただけでも存在に気づくような美丈夫は、もう一度見直してもやはり、ジャケット写真の彼だった。

 もちろん乗客名簿も確かめた。
 そこには『Satoru Kiryu』とあった。やっぱり『彼』だ。

 だが、ビジネスクラスには担当のクルーたちがいるし、香平が手伝いに行くとしたら、どうしても乗客数の多いエコノミークラスになるので、接触するチャンスはなかったが、それでもキャビンパトロールに出た時にそれとなく観察してしまった。何度も。


 手にしている本――楽譜のようだった――に、真剣な眼差しを落としている姿すら、様になっていて。

 そして、隣にはとても可愛い男の子がいて、時折笑顔で言葉を交わしている。乗客名簿によると、彼は『Aoi Kiryu』。

 名前に覚えはなかったけれど、同姓だからきっと家族なのだろう。

 2人はとてもとても仲が良い様子で、しかも妙にしっくりと寄り添っていて…そう、何故かとても『お似合い』で『幸せ』な感じがした。

 多分、兄弟ではないかと思われるのだけれど。

 ――ほんとに綺麗な人だなあ。映像で見るよりもっと格好いいし。

 けれど、実物を前にしてなお、まだ遠い話だった。
 この時の香平にとっては。


☆ .。.:*・゜



 その頃、香平と入れ違いでバンクーバーから帰着していた信隆は、ヴァイオリンの恩師のリサイタルに出掛けていた。

 日本にいれば、リサイタルに足を運ぶのは弟子として当然のことなのだが、国際線を飛び回っていた頃はなかなかスケジュールが合わず、随分久しぶりの機会になった。

 今回はちょうど公休にも重なったし、何より恩師から『年齢的にもこれが最後のリサイタルかもしれない…』と、まるで泣き言のような言葉が招待状に書かれていて、信隆は少々慌てた。

 確かにそれなりの年齢なのだが、まだまだ現役でやれるであろう恩師の気弱な様子に、病気にでもなったのかと不安になって、それとなく同門の後輩に話を聞けば、『単に先輩に対する『出てこい』って脅しですよ』と笑い声が帰ってきて、ホッとしたのと同時にあの人らしいなと思ったものだ。

 香平がいればもちろん連れていって見せびらかしまくるところだが、残念な事に現在香平はフランクフルトへ向かうシップの中だ。

 こういう時はやはり、不規則勤務は不便だなと思うが、またいずれの機会もあるだろうと諦めて、この日は雪哉を誘った。

 ちょうど信隆の少し前に帰着していた雪哉も、同じように敬一郎とは入れ違いで、今夜はお互いにパートナーが不在の夜だから。



 リサイタルは盛況で、雪哉もコンサートを聞くのは高校時代以来だととても喜んでくれて、終演後には雪哉を伴って楽屋に挨拶に行った。

 恩師から『必ず顔を見せろ』と、受付に伝言までされていたのだ。
 もちろん言われなくてもそのつもりではあったのだが。

 そして、終演後独特のざわめきが広がる楽屋の廊下を歩いていると。


「あー! 都築先輩だ!」

 背後から、よくよく知っている後輩の声がした。

 振り返ればそこには、さすがに少しは大人びたものの、高校時代とそうは変わらない金髪の美しいヴァイオリニストがいた。

 彼の名は桐生昇。
 CDジャケットに、信隆の初恋の人と一緒に写っていた人物だ。

 国内外で活躍しているが、本人の『外国嫌い』の所為で、活動拠点は日本。
 ただ、理由がそれだけではないことも、信隆は知っているが。


「お、昇、久しぶり。相変わらず活躍してるようだな」

 大勢の後輩の中でも最も近い存在だった彼とは、会える機会は少ないが、その気になればすぐに連絡が取れる間柄だ。
 お互い多忙なので、そう言う機会はあまりないが。


「3年前のOB会以来ですよ。僕は結構顔出してるのに、先輩ちっとも来ないから」

「いや、あれは間が悪かったんだって。日本にいない日に当たってばっかりだったから」

 出られるものなら出たいに決まっているのだが、こればかりは仕方がない。

「今度の幹事、都築先輩の都合聞いてから日にち決めるとか言ってましたよ」

「あはは、そりゃ責任重大だな。でも帰りの便が欠航にでもなったらアウトだぞ?」

「んじゃ、いっそのこと機内でOB会やるとか」

「高くつくなあ」

「高給取りの現顧問と前顧問が出してくれますって」

「それ、院長はともかく、浅井が聞いたら泣くぞ」

 軽口を叩き合って大笑いし、そのノリのままに、昇が言った。

「で、先輩に会ったら絶対聞こうと思ってたことがあるんですけど」

「ん?」

 何だろうかと思えば、それは極めてプライベートな話だった。

「先輩、結婚したって、マジで?」

 と、尋ねつつもその目は信隆の左手薬指に指輪を発見してワクワクしている。

「ああ、もしかして情報源はダーリン?」

 昇のパートナーは在校当時の顧問で現学院長だ。

「そう。クマせんせから聞いたって。びっくりしてましたよ、直人センセも。『まさかあの都築が身を固めるとは…』って」

「なにそれ、酷いなあ。私が結婚するより守が結婚した時の方が衝撃だったろ? OB会的には」

 学生時分にデキ婚した彼の弟の名を出して、あははと笑う信隆に、昇は好奇心丸出しのキラキラした碧い目で詰め寄った。

「で、相手は『どっち』なんです?」

 中高時代にも、近隣の女子生徒たちの憧れを一身に受けていた『信隆様』は、校内での人気も絶大だったが、当人は『どこ吹く風』で、いったい何が彼の興味を引いて、どんな相手に惹かれるのか、誰にもわからなかったのだ。

 どんな事にも手を抜かないけれど、何事にも執着しない。

 そして、いつも踏み込み過ぎない絶妙の距離感で見守ってくれていた先輩だったからこそ、昇もずっと居心地の良い思いをさせてもらってきたし、隣で弾いていた2年間のおかげで、コンサートマスターという大役にもすんなり馴染めたと感謝している。

 そして、その信隆が音大には行かないと宣言したときには、OB・後輩全員が呆然とし、その後大学に進学したときには、『目標は政治家だったんだ!』と誰もが納得したものだが、いざ社会に出てみれば、まさかの『航空会社』しかも『客室乗務員』で、本当に何をやらかすのかわからない『伝説の人』だから、その動向は未だにOB会の注目の的だ。


「キャビンクルーなんだ。主にヨーロッパ路線を飛んでる優秀なチーフパーサーだよ」

「えっ、ってことはまさか、女の子ですかっ?」

 碧い瞳が見開かれた。

「まさかってなに? どっちかって聞いたのは昇じゃないか」

 笑いを堪える信隆に、昇は少し口を尖らせて不服そうな声を漏らした。

「や、だって…」

 どうにも想像し難いのだ。
 思春期の3年間を共に過ごして来た身としては、この人の隣に女性がいることが。
 単なる願望かもしれないが。


「最近うちは男性クルー増えてるだろ? その中で1番可愛い子を見つけたら、その子が結婚相手だよ」

 その言葉に、一転して表情が晴れた。

「うわー、言いきったよ、先輩ってば…って、もしかして…」

 少し後ろでちんまりしている存在――雪哉だ――に気がついた。

 いや、最初から気にはなっていたのだ。
 どこから天使がくっついて来たんだろう…と。

「1番可愛い子って、もしかして…」

 これ?…と、言いそうになったのをすんでのところで飲み込んだ。

 可愛いを突き抜けて性別不明レベルだが、チーフパーサーにはとてもじゃないが見えない。

 いや、コレに手を出してしまっては、ヘタをしたら青少年保護条例違反になりはしないかと不安になるレベルで『お子さま』だ。


「あ、この子じゃないよ。この子も確かに同じ職場なんだけど、聖陵の後輩なんだ。紹介するよ、クマさんの秘蔵っ子」

 その言葉で昇がまた目を見開いた。

 クマさんとは、雪哉をずっと守ってくれた恩師のことだ。

 国語教師で剣道7段の猛者で、見た目がクマっぽいから『クマさん』『クマ先生』と呼ばれている。
 男子学生がつけるあだ名なんてものは、単純なものだ。


「えっ、それってもしかして、『今後絶対誰にも抜かれないだろう』って先生方に言われてた葵のIQをあっさり抜き去ったって言う伝説の天才くん?」

「そう、それ。来栖雪哉くん。在校当時は不動くんだったけど」

 紹介されて、雪哉が少々緊張した神妙な顔つきでぺこりと頭を下げる。

 その頭の中では、あのジャケット写真の本人を目の前にして、『うわー! 凄い! 本物だー! 喋ってる−!』…なんてはしゃいでいるのだが。

「はじめまして。来栖雪哉です」

「はじめまして、桐生昇です」

「本名は光安だけどな」

 横から入ったチャチャに、雪哉が目を丸くした。

「…え? ええと、もしかして…」

 高校にいた頃から噂だけは聞いていたのだ。先生、卒業生を養子にしてるんだ…と。
 が、まさかこんな有名人だとは思っていなかった。


「あはは、その情報はどうでもいいんだけど」

 笑い飛ばしてから、昇はふと真顔になった。

「クマせんせ、『天使の心と姿に神の頭脳を持った子』って言ってたけど、そうか、君が…」

 美しい碧い瞳で優しく見つめられて、雪哉はちょっと恥ずかしげに口を引き結び、そして思った。
『オーリック機長と同じ、綺麗で優しい碧だなあ』…と。

「ふふっ、クマさんもなかなか上手いこと言うな。その通りだよ。でも奈月くんもそうだろう?」

「いや〜、葵は天使の姿に悪魔の尻尾が生えてますから」

 昇の末弟で、やはり内外で活躍しているフルーティストの名を上げてネタにしていると、遠くから信隆を呼ぶ声があった。
 恩師が待ちきれなくてしびれを切らしたようだ。

「ちょっと行ってくるよ」

「はーい。来栖くんのお守りは僕がしてるから大丈夫ですよ」 

 雪哉の薄い肩を抱き寄せて言えば、雪哉は昇を見上げて尋ねる。

「あの、桐生さんは行かれなくていいんですか?」

「ああ、僕はいいんだよ。今日は先生の付き人やらされてて、リハからずっと一緒だったからね」

 とは言いつつも、昇に掛かる声も多い。

 そんな状況に昇は、落ち着いて話せないね…と、雪哉を非常階段まで誘い、そこで腰を降ろしてまた話を始めた。


「ね、もしかして直人先生にピアノ習ってた?」

 音大受験生以外のピアノ…しかもまったくの初心者を教えることなどなかったパートナーが、自ら申し出て教えていたのが確か、この子のはずだと思い出した。

「あ、はい。初心者だったのに根気よく教えて下さって、それにピアノだけじゃなくて、色々と気にかけていただいて…」

「当時、よく話してたよ、きみのこと。ほんとに優秀で良い子なんだって」

「いえ、僕はあの学校と先生方のおかげでまともな大人になれたようなものですから」

 先生とそういう関係にあるこの人は、きっと自分の事情を知っているんだろうなと何となく感じて、雪哉は素直に気持ちを打ち明ける。

「うん、確かにあそこは僕たちを守ってくれる、ゆりかごのようなところだったね。僕もあの学校に行けて幸せだったなって思ってるよ」

 顔を見合わせて2人で幸せそうに笑うと、つい数分前に初めて会ったような気がしない。

「あの、さ、来栖くん」

「あ、はい」

「…あの、違ってたらゴメンなんだけど…」

 言葉を濁す昇に、雪哉が小首を傾げる。

「はい?」

「都築先輩と同じとこに勤めてるんだよね?」

「はい、そうです。ジャパン・スカイウェイズに勤めてます」

「って、もしかして…パイロット?」

 昇はパートナーから聞いていたのだ。
『あの子、夢をかなえたよ』と。


「そうです。副操縦士です」

 やっぱり思った通りだった。

「……飛行機、操縦してるんだよ…ね?」

「はい。ボーイングのトリプルセブンに乗務してます」

 機種にそう詳しい訳ではないが、国際線も飛んでいる大型機だというのは昇にもわかった。
 ドイツへ行くときは大概機材が『77』だから。


「それって、離陸とか着陸なんかも…」

「あ、はい。副操縦士なので主な業務は交信やモニターの監視とか機長の補助ですが、もちろん離着陸もやります」

 この可愛いオコサマが?

 …と言う言葉は飲み込んで――表情には出てしまっていたかもしれないが――『凄いね…』と、心底感心して言えば、雪哉はニコッと笑ってお察しモードで応えた。

「あ、お気遣いいただかなくても大丈夫です。慣れてます。パイロットって言って、すぐに信じてもらえたことありませんから」

 そう。パイロットになって満4年が過ぎたが、未だに1度で信じてもらえたことはない。
 3本線の制服を着ていても、聞き返されるくらいだ。


「あはは、ごめんごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど…って、来栖くんって、いくつ?」

 記憶が正しければ6か7学年くらい下のはずだが、きっとそれは記憶違いだと思った。
 どう多めに見積もっても、20代前半にしか見えないから。


「30になりました」

「……え〜!!」

 驚きのあまり立ち上がってしまった昇に、雪哉が笑い声を上げる。

「…って、またしても、ごめん」

 座り直して謝るが、雪哉にとってはこれもまた、いつものこと…だ。
 特に30になってからの相手の反応は、まさに『絶句』レベルだから。


「大丈夫ですよ。これも慣れてます。この前なんか、中学生と間違われましたから」

「え〜、それっていくらなんでも酷くない?」

 自分のことを棚に上げて言えば、雪哉もまた、『そうなんです。せめて高校生にしてほしいです』と、笑う。

「でさ、もう一つ聞きたいんだけど」
「はい」

 何となく、雪哉には予想がついたが。

「都築先輩のお相手って、どんな子か知ってる?」

 やっぱり思った通りだった。

「相手についての憶測や妄想があっちこっちで溢れててね。もう、都市伝説レベルなんだ」

 その言葉に笑い合い、雪哉は香平が中学時代の同級生と言うことと、その優秀さに惚れこんで、信隆がフランスのエアラインから引き抜いてきた話などをざっくりと話した。

 特に英・仏・独の3カ国語に精通していると言う事実は、フランス人の母を持つくせに、話せるフランス語は『欲しい』と『いらない』くらいしかない昇にとって、『なにそれ、ほんとに日本人?』…なんて思ってしまうほどの驚きで。

 そして、雪哉としては、結ばれるまでの信隆の混乱振りもご披露したいところだったが、『伝説のカリスマ先輩』だという彼のイメージを損なうわけにも行かず、グッと我慢した。

 だが。

「もしかして、都築先輩、ベタぼれ?」

 ワクワクと尋ねられてしまえばもう、仕方がない。

「はい。もうデレデレのベタベタで、近しいクルーたちからは『都築教官、キャラ崩壊』なんて笑われてるくらいです」

 もう黙っていられなくて、ちょっぴり漏らしてしまったが、事実には違いないし、何より信隆自身がそれを否定しないに決まっていると、雪哉は自信を持っている。

 そして昇は雪哉の言葉に『うひゃー! 見てみたい〜!』と大喜びだ。


「あ、そうだ。写真あるんですけど…」

「うわっ、見せて見せて!」 

 身を乗り出してくる昇に、ちょっと待って下さいねと言いつつ、スマホを取り出して、画像データを呼び出した。

 オペセンの廊下で、アシスタントパーサーたちと何やら打ち合わせをしている香平の、引き締まった表情を撮ったものだ。

 ちなみこれは、信隆のための隠し撮りだった。

 すれ違いが続いた時に、煮詰まっている信隆のスマホに送りつけて、大いに感謝されたものだ。
 ご褒美は『入手困難品のチョコレートリキュール』だったが、その後、信隆が待ち受け画面にしてしまったせいで、隠し撮りが香平にバレてしまった。


「うわ、ナニこれ、超美人…」

「あ、こっちのは、全然印象違いますよ」

 今度はパリにステイ中のラフな私服姿。
 香平の友人で、路地裏でひっそりと店を開いている『知る人ぞ知るショコラティエ』を訪ねた時のものだ。

 2人で行こうとしていたら、いつの間にか女性クルーが全員くっついて来て、綺麗どころに囲まれて興奮してしまったショコラティエが試食を大盤振る舞いし過ぎて販売分が無くなってしまったという、思い出付きの1枚だ。


「えーっ、笑うとめっちゃ可愛い〜」

「でしょ? 社のカレンダーの表紙に…って話があったんですけど、後輩クルーに押し付けて逃げ切っちゃったみたいです」

 悠理が聞けば、『誰の所為だと思ってるんですか!』と言われるに違いないが、ともかく雪哉も香平も安泰だから、これでいいのだ。


「へ〜、シャイなんだ?」

「そうですね。目立つのが嫌いで、穏やかで優しくて癒し系で、ちょっぴり天然で、ホントにお似合いの2人なんです」

 幸せそうに寄り添う2人を思うとつい顔が綻んでしまう雪哉だが、そんな雪哉を優しく見つめて、昇もまた穏やかに笑った。

 大好きな先輩の、これからの永い幸せを願いながら。


 それからしばらくは、恩師や寮生活の思い出話に花が咲き、帰り際にはメールアドレスの交換もした。

 ちなみに、2人を探しにきた信隆の隣には何故か、先ほどまでステージで素晴らしい音楽を奏でていた大御所ヴァイオリニストがいて、雪哉を見るなりその小さな手を握りしめて『坊や、うちにヴァイオリンを習いに来ないか?』…と、新手のナンパ技を繰り出したことは、敬一郎には内緒だけれど。





「えーっ、写真見せた〜?」

「うんっ、めっちゃ美人でめっちゃ可愛いって、超ウケてたし」

 雪哉は得意顔だ。
 だが。

「雪哉ぁ…」

 何てことを…と、頭を抱える香平に、今度は可愛らしく口を尖らせた。

「だって、都築さんが自分で言ってるんだもん。『うちのキャビンクルーで1番可愛い子が結婚相手だ』って」

「…えええ〜」

 香平はさらに頭を抱えこむ。

 国内線乗務から帰着した雪哉と出社スタンバイ中の香平は、いつもの場所――離発着が眺められる、騒音とジェット燃料臭にまみれたところ――で、それぞれホットチョコレートと紅茶を手にして話をしていた。

 雪哉が昇に会ってから、10日ほど後のことだ。

 しばらくすれ違っていたが、漸く話せる時間が持てて、雪哉はあの日のことを香平に報告していた。


 信隆がリサイタルに雪哉を伴ったことはもちろん知っていたし、その楽屋で『あの金髪のヴァイオリニスト』に出会って同窓の親交を温めたことも信隆から聞いていて、雪哉が楽しめた様子で良かったな…と、単純に喜んでいた香平だったのだが、まさかの展開に抱えた頭が上げられない。

 香平を『結婚相手』と公言してしまう信隆にも、『これがその相手です』と写真を見せてしまう雪哉にも、『なんてことを』という言葉しか出てこない。

 信隆が『そう言うつもり』でいてくれることはとても嬉しい。

 だが、あちらこちらで公言していては、そのうち信隆の『これから』に影を落とすことになりはしないかと、香平は不安で仕方がないのだ。


「香平、もしかして都築さんのこと、心配してんの?」 

「雪哉…」

 考えのど真ん中を言い当てられて、香平が顔を上げて目を見開く。

 その様子に『やっぱりね』と呟いて、雪哉は香平を見上げて、至極真面目な顔つきで言った。

「気持ちはよくわかるんだ。フランク過ぎな職場環境のおかげで普段は忘れていられるけど、世間的にはなかなか難しいことなんだってのは」

 それは自分もまた同じ立場だから。

「それに、うちみたいにいざとなったら『親子です』って逃げ道があるわけじゃないし、不安ももっともだと思うよ」

 隠れ蓑…のつもりはないが、戸籍上の関係――敬一郎は『家族になること』にこだわってくれたから――が、しっかりとしているのは、やはり心丈夫には違いない。


「でもさ、少なくともうちの高校関係なんかは心配しなくて良いと思うよ。ここの職場環境以上にフランクだし。それに、都築さんだって、ちゃんと相手を見て判断してると思うしさ」

 雪哉の言葉に、香平は小さく頷いた。

「…そう、だね」

 確かに信隆には『大胆』な時があるが、『無謀』なことはしない。
 言動のすべてがコントロールされていると言っても過言ではないくらいだ。

 そして瞬時に状況を把握し、正しい道筋を判断するのはクルーとして当たり前だけれど、信隆は当然その能力にも秀でていて、一緒に乗る度に香平は、その能力の高さに目を見張り、何とか少しでもついていこうとしているところだ。

 だから、雪哉の言うことも理解はできるのだが…。


 しかし、それだけではない。
 また別の不安要素も香平の中にはずっと居座っている。 

 そして、それを口にすることなんて到底出来なくて、小さな不安は少しずつ澱のように心の底に凝っていくのだった。



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☆ .。.:*・゜

おまけSS 2つ!


その1 『お子様用安全マニュアルを作ろう!』



「今度ね、『お子様用安全マニュアル』っての作るらしいよ?」

「あ、私もそれ聞いた! 最近の親って子供の管理しないから、子供自身に機内でのあれこれを身につけてもらおうって話だったよ」

「そうなのよね、機内でオコサマ野放しっての多いからさあ」

「シートベルトすら手伝わずに放置って親、いるよね」

「いるいる。そう言うのに限って、『シートベルトお願いします』って言ったら『今やろうとおもってたところよ、うるさいわね』とか言うんだよね」

「でさ、早速クルーに聴き取りとか始めてるみたい」

「どんな親に困ってるか…とか?」

「そうそう。オコサマの問題行動とかね」

「でも、子供に読んでもらおうと思ったら、結構工夫がいるんじゃないかなあ」

「だよね」

「でも、楽しみだよね。どんなの出来るか」

「ね〜」



 そして数ヶ月後。

「『こどもあんぜんマニュアル〜飛行機に楽しく乗りましょう』っての、みた〜?」

「みたみた〜!」

「も、めっちゃウケちゃったよ〜!」

「『チーフパーサーのなっきー』ってキャラ、絶対中原CPだよね」

「私もそう思った〜!」

「しかし、考えたねえ。チビキャラでコミック風に作るなんてさ」

「これだとオコサマも喜んで読んでくれそうだよね」

「ってさ、『なっきー・ゆっきー』って漫才コンビみたいじゃん」

「どっちも『ボケ』で成り立たないコンビだな」

「いやいや、ゆっきーは修行次第では『ツッコミ』いけそうだけど?」

「それ言えてる〜」

「でも、中原CPはボケだよね」

「当たり前じゃん。あの天然ボケっぷりが可愛いんだから」

「なんかね、広報さんに聞いたんだけど、なっきーって、裏設定でちゃんと『コ・パイのゆっきーの親友』って位置づけされてるらしいよ?」

「え〜、あの2人は女王様と下僕だよ?」

「いやいや、お子様相手にその設定はマズいっしょ」

「確かに」

「あ! 中原CPと太田APだ!」

「中原CP〜!」

「あれ? みんな揃ってどうしたの?」

「『こどもあんぜんマニュアル』の話をしてたんですけど、アレに出てくる『チーフパーサーのなっきー』って中原CPのことですよね?!」

「え、僕じゃないよ。僕は何にも聞いてないし、絶対違うって」

「そんなことないですよね、太田AP」

「うん。香平くんだよ。だって広報さんがそう言ってたもん」 

「えー!?」


 巨大な爆弾が投下されて、香平が灰になった。

 ちなみに、全部で4ページの『こどもあんぜんマニュアル〜飛行機に楽しく乗りましょう』の最後のページには、綴じ込みでシールがついていて、好きなページにシールを貼って遊べるようになっている。

 何か遊べるものがないと、お子様は最後まで読んでくれないからだ。

 ちなみにシールは『飛行機』『虹』『雲』などの他に、当然『コ・パイのゆっきー』と『チーフパーサーのなっきー』もついている。


「雪哉くんがゆっきーだからさ、香平くんは『きょっぴー』かなって話も出たんだけど、それだと『キョンシー』みたいだって企画課の女子たちが言いだして、じゃあ苗字の方から『なっきー』にしようってことになったんだって」

 ちなみに『キョンシー』と言うのは、中国のゾンビだ。

「「「ぶっ」」」

 吹き出す女子たちに恨めしそうな視線を向け、お願いだから、その『成り行き』をそこら中に広めないで欲しいと切実に思う香平であった。


おそまつ。


☆ .。.:*・゜

その2 『ゆっきーは今日も悩む……』



 少し今まで、ステイ先でみんなで食事だとかに行くと、当然のことながら、都築さんが居ない限り、男性は僕とキャプテンだけで、あとはみんな女性ってのが当たり前だった。

 あ、もうひとり、ダンディな教官CPがいたんだけど、一度も一緒に飛ぶ機会がないまま、その人は異動になった。

 今は伊丹と関空を統括してる。
 …ってのは、はーちゃん――太田遥花APのこと――から聞いたことだけど。
 

 で、男性クルーの定期採用が始まったのは、僕がコ・パイに昇格した年の春。

 その1期生が初めて国内線OJTに出てきた頃、僕はまだ訓練生で、実機での離着陸訓練をオーストラリアで受けていた。

 羽田に戻って、路線訓練で運航便に乗り始めた頃は、1期生たちは正式なクルーになってほんの2ヶ月くらいのところだったから、彼ら1期生たちと僕の同期たちとは『空へのスタートを同じ時期に切った仲間』って気持ちが強くて、みんな仲が良い。

 年齢は僕たちパイロットの方が3つほど上だけど。


 そんな男性キャビンクルーだけど、最初の頃は採用人数も少なくて、一緒に飛べることはかなり稀だった。

 キャプテン、コ・パイ問わず、パイロットもみんな男性クルーが増えることは歓迎して心待ちにしていたんだけど、ここのところ国際線に乗ると、大概1人は男子がいて、時には2人ってこともあって、やっと男性クルーが増えてきたのを実感できるようになってきたんだ。

 そう言えば香平も言ってたっけ。
 キャビン内でたったひとりの男性って、かなり緊張するんだって。

 以前の職場は4割くらい男性だったそうだから、こっちでも増えてきて嬉しいって。


 で。
 そうなると、ステイ先で男性だけで出かけようなんて話になったりすることがある。

 キャプテンが『行こう』って言うときもあるし、キャビンクルーの方から誘いが来る事もあって、そこはいろいろ。

 僕たちとしても、女性クルーには聞きづらいキャビンの様子――乗客のセクハラなんかのトラブルの実体とか――詳しく聞きたいし、クルーたちも先輩女性クルーには話しづらいことを僕たちに話したりして、コミュニケーションはなかなかに活発で円滑なんだ。

 もちろん、仕事の話ばっかりじゃなくて、男性ならではの雑談も盛んだ。

 クルーの恋バナに、4人の子供を持つキャプテンが、マジなんだが茶化してんだかわかんないアドバイスしたりして盛り上がったこともあったっけ。

 結局、『オンナ心って意味不明』…で決着してたけど。

 そうそう、結構深刻になってしまうのは、頭の話。
 そう、ズバリ、頭髪の問題だ。

 50代のキャプテンなんかはもう、『どうでもいいや。帽子もあるし』なんて言う人が多いけど、乗客の前に立つクルーとなると、そこはそれ、かなり深刻なお悩みどころらしい。

 みんなまだ若いのに。

 そうそう、国際線1年目のクルーが、都築さんに聞いたらしい。
『スキンヘッドのクルーってやっぱりマズいですよね』って。

 その時の都築さんの答えが傑作で、なんと、『笑顔がキュートならいいんじゃないの?』…って。

 確かにそうかも。
 でも、威圧感あるだろうなあ。
 それでキュートに笑われたらどうなるんだろ…。

 ま、キュートならいいか。

『大切なのは、命を守る気概と安心してもらえる笑顔』だって、華さんも言ってたし。


 で、今日も僕はステイ先のパリで、キャプテンと、国際線乗務1年目と2年目の男性クルー2人と、4人で食事に出かけてきた。

 女性陣は、有名なブランドでセールがあるとかで、取りあえず制服だけ着替えて、髪型もお化粧もクルー仕様のまま、徒党を組んでマッハで出かけて行った。

 僕たちはと言うと、いつものように食事をしつつ、真面目な仕事の話から始まって会話はどんどん砕けていくんだけど…。


「あ、雪哉さんの前であんまりきわどい話題とかヤバイですよね」

 そう言ったのは、現在国際線最年少のクルー。
 彼はボクシングのライセンスを持つ体育会系で、うちではまだ多くない『フランス語が堪能』なクルーだから、当然パリ便乗務が多くて、香平にめっちゃ憧れてるらしい。

「え、なんで?」

 って言った端から気がついた。
 僕は、どうやら20代前半のクルーたちからは『箱入り息子』だと思われているようで、純粋培養だと誤解されてるんだ。

 めっちゃ雑種で、しかも雑草育ちなんだけど。

「おいおい、雪哉は大丈夫だぞ」

 横からキャプテンが口を挟んだ。
 スキンヘッド発言したクルーに、『20代ならまだ、シャンプー選びで未来は変えられる』とアドバイスした人だ。

「え、どういうことですか?」

 もう1人のクルーが首を傾げる。
 彼は、香平・岡田くんに続く『第3のかわいこちゃん』と言われてるらしい。
 岡田くん曰わく、『僕と違って、彼は中身も草食系です』…ってことだけど。

 そんな彼の問いかけにキャプテンは何故だかドヤ顔で答える。

「雪哉はな、高校の3年間を男子校の男子寮で青春してるんだ。お前たちよりずっと『男慣れ』してるぞ?」

「え〜! そうなんですか?」

 って、男慣れってなんですか。
 慣れるもへったくれも、僕だってその『男』の1人なのに。

「ええと、まあ、一応男社会には慣れてるけど」

 って、女性の方がよっぽど慣れてなかったはずなんだけど、周りからは『女性クルーとめっちゃ馴染んでる』って言われる始末で、『ゆっき−、女子力高すぎ!』なんていう意味不明の評価を受けている。

 だいたい、女子力ってなんだろ?

 まあ、見た目があんまり男性的でないことは認めるし、諦めてるけどさ。


「雪哉さんのことだから、男子校でもさぞモテたでしょうねえ」

 ええっと…。

「そりゃそうだろ。なんてったって雪哉は性別不問の『空の守護天使』だからな」

 へ? 性別不問?
 性別不詳って言われたことならあるけど、不問って、どーゆーこと? 
 オトコでもオンナでも、どーでも良いってこと?

「「あはは、それ、よくわかりますよ、キャプテン〜!」」

「だろ〜?」

 …僕は全然わかりません…。


さらに、おそまつ。
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