「I Love まりちゃん」外伝
羨望の33階
〜16〜
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「淳、ちゃんと言うことを聞いていい子にしてるんだぞ」 あのね…いったい僕をいくつだと思ってるわけ? 翌朝、僕は父さんの車で室長の家まで送り届けられた。 そして、僕と入れ替わりに春姫ちゃんが乗り込んで。 父さんの言葉を聞いて、室長が笑いを堪えているのがよくわかったんだけど、もちろんそれに突っ込みを入れられるほど余裕なんて、今の僕にはまったくなくて。 「こちらこそ、春姫をよろしくお願いします」 「お任せ下さい。長丁場でご心配だと思いますが、責任を持ってお預かりします」 「ありがとうございます。春姫もちゃんと監督さんの言うことを聞いていい子にするんだぞ?」 「は〜い」 そして、父さんと春姫ちゃんは空港へ向けて出発した。 帰国は3週間後になるらしい。もちろん屋外のロケは天候にも大きく左右されるから、伸びるということも十分に考えられて…。 室長、春姫ちゃんのこと心配だろうな。 そう思って見上げた先には、仕事の時とはまた違った、真剣な色の室長の瞳があった。 それは、僕が思わず息をのんでしまいそうなほどで…。 けれどそれはほんの一瞬のことだった。 すぐに、室長の瞳はいつもの優しい色に変わり、にっこりと微笑みの形に変えられる。 「さ、どうぞ」 「お邪魔します…」 マンションの3階。初めて入る、室長の自宅。 室長らしい、シンプルで飾り気のない玄関に、穏やかな空気が漂っている。 「急にすまなかったな」 リビングに通されて――ここもシンプルだけど、さすがに『女の子がいる』って言う感じの小物もあって不思議な感じ――ソファに座るよう進められ、暖かいコーヒーを淹れてもらってホッと一息つくと、室長が僕の隣に腰を下ろし肩を抱いてきた。 それだけで、呆気なく上がってしまう僕の鼓動。 「いえ、こちらこそ急にお邪魔することになって…」 「本当に…よかったのか?」 言葉と同時に、僕の肩を抱く室長の指先に力が籠もり、僕はその言葉の意味を、どう捉えて良いか戸惑う。 そう、まるで『覚悟はできたのか?』って聞かれたような気がしたんだ。 けれど、瞬間強張ってしまった僕の身体に気がついたのか、室長は力を抜くと――それでも僕の肩は離さないまま――ソファにもたれかかった。 「春姫が無理を言ったんじゃないかと心配だったんだが…」 「いえ、そんなことない、です。その…父も、僕がうちに残っても、女性陣に振り回されるだけだろうからって…」 僕の言葉に、室長が小さく笑いを漏らした。 「なるほど。なんだか簡単に想像がつくな。お姉さんたちに振り回されてる淳の姿が」 …ひっどーい。 「淳」 急に室長の声色が変わった。 少し掠れて、いつもより低くて。 「来てくれて、嬉しい」 その言葉に、僕が答える前にギュッと抱きしめられ、熱いキスが落ちてきた。 そして、僕の息が上がってしまうまでそれは続けられて…。 「淳…」 耳に熱く埋め込まれる囁きに、僕は身を震わせる。 「室長…」 でも、途端に何故か急に身体が離された。 暖房の効いたリビングは快適だけど、室長の温もりに任せていた身体はひんやりとしてしまって。 「あのな、淳」 「はい」 なんだろう? そう思って室長の次の言葉を待っていたんだけれど…。 何故か室長は深〜くため息をついた。 「室長?」 不安になって呼んでみると、室長はその大きくて暖かい掌で僕の頬を挟んだ。 「今後、職務以外の場所で俺のことを『室長』って呼んでも返事しないからな」 「…あ」 しまった…。そう言えばずっと言われてたんだ、オフの時は名前で呼べって。 「いいか?いいな?」 ええっと…。 「は、い」 返事をすると、また優しく微笑んでくれて、そして…。 「淳」 それは、鈍い僕にでも明らかにわかる、『期待』に満ちた呼びかけ。 だから僕は、小さく深呼吸してから、小さく口を開いた。 「…かずひこ…さん」 そう呼んだ瞬間、息が出来ないくらい抱きしめられた。 「ずっと、そう呼んでいてくれ」 そして、囁かれる言葉は切ない色を帯びていて。 「…かずひこさん…」 堪らなくなって、僕はギュッとしがみついた。 「そうだ、こうやってずっと側にいて、俺に寄りかかっていてくれ」 僕を抱きしめる力は更に強くなって…。 「淳…お前が甘えていてくれないと、不安になるんだ…」 それは、あまりに意外な言葉だった。 この優秀な人が『不安』を口にするなんて、とても考えられないことで。 それに、僕はどうやったら『甘えないで』いられるかばかりを考えていたから。 「和彦…さん?」 「仕事ではどうしても独り立ちさせないといけない。けれど、プライベートでは独り立ちなんてさせたくないんだ。ずっとずっと、俺に寄りかかっていて欲しいと思ってしまう。俺がいないと生きていけないようにさせてしまいたいくらいなんだ…」 …ああ…。和彦さんの気持ちはこんなに深いんだ。 僕のあがきなんて、小さくて可笑しいほどに、この人の想いは深くて暖かくて。 「和彦さん」 「…淳」 「和彦さんが好き、です」 それは自然に僕の口から滑り出た。 そして、そう告げた瞬間の和彦さんの顔を、僕は一生忘れないだろう。 畏れて、反発して、そしていつしか惹かれていった僕の憧れの人は、真っ黒な瞳を見開いたあと、これ以上ないほど幸せそうに笑ったのだから。 ☆ .。.:*・゜ 今年最後の夕食は、すべて和彦さんの手作りだった。 春姫ちゃんからも聞いていたし、出かけたときに2回くらいお手製の御弁当を作ってくれたから、腕前のほどは確信してたんだけど、これほどだとは思わなくて、本当にびっくりした。 味だけじゃない、見栄えもいいんだ、和彦さんの料理って。 これだけの腕前があったらお店だってできそうなくらい。 ちなみに一番得意なのは和食なんだそうだ。 どうしてかというと、一番上の妹さんが思春期に無理なダイエットをして体調を崩してしまって、これは大変だと、低カロリーで栄養のある和食を猛勉強したからなんだとか。 春姫ちゃんと食事に行ったとき仕入れた話によると、イタリアンも得意らしい。 これは、ロンドン支社にいるイタリア人技術者から手ほどきを受けた、パスタまで手作りしてしまうという本格派なんだそうだ。 そうして、僕たちは二人だけの和やかで楽しい夕食を終え、いよいよ今年も終わろうかと言う頃、和彦さんが『二年参りに行こう』と言い出した。 15分も歩けば、小さなお社があるらしい。 外へ出てみると気温はグッと落ち込んでいて、吐く息は真っ白になった。 暖かい部屋から出てきた所為か、急に寒さを感じて僕は自分の身体を抱きしめてしまう。 すると、極々自然な仕草で和彦さんが僕を抱き寄せてくれた。 辺りに人影が無いことをいいことに、僕はそのしっかりとした肩に頭を寄せる。 コート越しにも伝わってくる和彦さんの暖かさを感じながら、そのまま僕たちはゆっくりと、静かに夜の町を歩いていく。 そして、何度か道を折れた先に、小さなお社はあった。 そこそこの神社なら、今頃初詣の人が集まりはじめているんだろうけれど、ここは本当に、昼間でも見落としてしまいそうなほどひっそりと、木立の陰に隠れていた。 お互いの息づかいしか聞こえないほどの静寂の中、誰が灯したのか小さな蝋燭が揺れていて…。 僕たちは無言で、その小さなお社に手を合わせる。 遠くから除夜の鐘が聞こえてきた。 一年が終わる。 大学を卒業して、MAJECに入社して、そして和彦さんに出会い、恋をした。 今、こうして和彦さんの隣にいることの出来る幸運に感謝して、僕は和彦さんのこれからの幸せを願う。 和彦さんがずっと幸せでいられますように。 そして、出来ることならば、その側に僕が、ずっといられますように。 長い願い事を終えて顔を上げると、和彦さんが時計を見た。 「淳、新しい年だ。あけましておめでとう」 「あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします」 まるで年賀状そのままの挨拶をしてしまう僕に、和彦さんは笑顔で 「こちらこそよろしく頼むな」 って言いながら、小さなキスを贈ってくれた。 ☆ .。.:*・゜ 「随分冷えてしまったな。暖まっておいで」 帰るなり、和彦さんは僕の頬を撫でてそう言った。 しっかりコートを着込んでいたんだけれど、ゆっくり歩いていた所為か体温もあんまり上がらなくて僕はすっかり冷えていた。でも、それは和彦さんも同じで…。 「僕、後でいいですから、どうぞ先に…」 そう言って譲ろうとしたんだけれど、和彦さんは『いいから』といって、僕をバスルームに押し込んだ。 「でも…」 なおも言い募ろうとすると、和彦さんはニッと笑った。 それは、今まであんまり見たことのない種類の笑い方で、僕は何故か背中を這い上る不思議な感覚を覚えたんだけれど…。 「じゃあ、一緒に入るか?」 そう言われて、僕はドカンと火を噴いた。 「ななな…なにをっ」 慌てまくる僕に和彦さんは声を上げて笑い、そして『冗談だって』と僕の頭を撫でた。 ううう…心臓に悪い…。 「いいから、しっかり暖まっておいで」 今度はいつもの穏やかな笑みで、僕は少なからず肩の力を抜いて、お言葉に甘えることにした…んだけれど…。 『ま、本当は冗談ってわけじゃないんだけどな』 脱衣所を出るときに和彦さんが残した言葉は、僕に最後の決断を促した。 二人きりの夜。 旅行に行きたいと返事をしたときに、僕はちゃんと決めていたはずだ。 すべて、和彦さんのものでいよう…と。 だから……。 ☆ .。.:*・゜ 程良く暖房の効いたリビング。 少し開けてあるドアからは、微かにシャワーの音が聞こえてくる。 やがて、その水音がパタッと途絶え…。 僕は緊張から、少し身体を固くしてソファーに座っている。 やがて、廊下をやってくる足音。 ドアが、開いた。 そこには、パジャマ姿の和彦さん。 数歩進んで僕の目の前に立つ。 「おいで…淳」 差し伸べられた手をジッと見つめ、その視線を上げると、優しく微笑む瞳があった。 それに魅入られたように、僕は自然に手を伸ばしていて、そして僅かに触れた瞬間ギュッと握り込まれ、僕の身体はその逞しい腕の中に攫われた。 |
最終回へ続く |
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