第5回 まりちゃんのデート



「直、前田会長のお嬢さんと仲良くやってるそうじゃないか」

 帰ってくるなり、満面の笑顔でそう言われた。
 とたんに沸き上がるむかつきを押さえながら、俺は仕方なく返事をする。

「まぁね」

「どんなお嬢さんだ?可愛いか?優しいか?」

 しらねぇよ…。

 …おっと、これではいけない。
 ここできちっと、婚約者の説明をしなくちゃいけないんだ。

「綺麗で頭良くて優しい」

 そう言え、と言ったのは智だ。
 でも、今のだと、まるで小学生が作文を読んだみたいだな
 ま、いいか、何でも智の言うとおりにしていればいいらしいし。



 あれ以来、俺は毎週末に『前田智ちゃんとデート』と称して、前田智雪の家に行っている。
 おかげさまで、明日もデートだ。

 大学への推薦も正式に決まり、押しつけた婚約者との仲も良好とあって、うちの両親はご満悦だ。


「そろそろうちへ連れてきてくれてもいいんじゃないか?」

 ま、普通の親ならそう思うよな。
 けど、そうはいかねーんだ。
 俺は『前田智ちゃん』と一度もあったことがない。


「今度会ったら聞いてみる」
 これも、智に言われたそのまんまだ。

「そうだな。楽しみにしてるぞ」

 げ…ホントに楽しみにしてやがる。

「式の日取りは卒業式の一週間後くらいになりそうだぞ」

 はぁっ?なにそれっ?マジ?

「ああ、その前に結納だな。暮れは忙しいから年明けがいいんじゃないかって話だ」

「そ、そんなこといつ決まったんだよ…」

「今日、前田会長から電話があってな。『うちの子も、まりちゃんとならいつでも、と言ってますから』っておっしゃってな。それなら早いほうがいいだろうと…」

 …どういうことだ…?

「お前、いつの間にか、まりちゃんって呼ばせるほど仲良くなってるんだなぁ。奥手だと思ってたが、意外とやり手だったんだな」

 嬉しそうに喋りまくる親父の言葉も、半分以上は脳みそを通過して行ってしまった。
 どうして?
 何で向こうは俺のこと知ってるんだ?
 どうしていつの間に話が進んでるんだ?


 俺はたまらなくなって、部屋へ向かって駈けだした。

「まりっ、ご飯は?」
「あとでっ」

 おふくろの言葉を振りきって、俺は部屋へ駆け込んだ。
 もちろん、智に電話をするためだ。 

だけど…。

『おかけになった電話は…』

 なにぃ?電源切ってるだぁ?電波が届かないだぁ?
 俺は躍起になって5分おきに電話をかけた。
 けど、何度かけても同じメッセージが冷たく流れてくるばっかりで…。

 智ぉ…なんで何にも言ってくれないんだよぉ…。
 お前、一人で何やってるんだよ…。
 

 結局この夜は、連絡がとれずじまいだった。
 どんなに遅くなってもいいから…って、留守電もメールも入れたのに…。
 電話はおろか、メールの返信さえなかった。
 


 俺は、どんどん弱くなっていく。
 智に愛されたあの日から、守ってもらう立場になって…。

 最初は考えることすらイヤな「結婚」だったから、智に全部任せられるのならそれでいいやと思ってた。 
 煩わしいことから逃げていたんだ…。

 けど…。

 俺は膝を抱えたまま、床にうずくまった。
 膝と一緒に、不安もいっぱい抱えて…。

 智を信じるって言ったのに、智の姿を見失ってしまったような気がして…。 
 


 眠れないまま迎えた日曜の朝。
 顔を洗ってみたところで、ぼんやりと腫れてしまった瞼は戻らない。
 それでも俺は、『デートのため』に家を出なきゃいけないんだ…。  


 2時間の道のりを、まっすぐ智んちへ向かうはずだったのに、俺は思わず学校の最寄り駅で電車を降りてしまった。

 家にさえいなけりゃいいんだ…。

 電車を見送った俺は、自分にそう言って聞かせて、当てもなくふらふらと歩いた。

 そして、行き着いたのはいつかの公園。
 何となくあの時のベンチに腰を下ろす。

 寒いせいか、人っ子一人いやしない…。
 もう12月だもんな、枯葉の量も半端じゃないや。

 丸裸になった木の枝の間から、どんより曇った空が見おろしてる。
 人が落ち込んでるんだから、空ぐらい景気良く晴れてくれたらどうなんだ、って八つ当たりしてみたけど、もしも景気良く晴れてたら、俺が落ち込んでるのに、って突っかかってたんだろうなぁ…。 

 今の俺、すっげぇ、やなヤツ…。
 なんだか、もう、どうでもよくなった…。
 このまま、どっか行っちゃおうかな…。
 

 腫れちまった瞼同様ぼんやりした頭で座り込む俺を、突然ポケットの中から重厚な着メロが呼んだ。

 智…。

 時計を見ると…ああ、そうか、あのまま電車に乗ってたら、もうついてるはずの時間なんだ。  
 通話ボタンを押して、耳に当てる。

『直?今どこだ?』

 心配そうな智の声。
 智…とも…。

『直?…どうしたんだ、直?聞こえてる?』

 聞こえてるよ…、智の優しい声。
 俺、こんなに智のこと好きなんだな。
 声、聞いただけでまた瞼が熱くなるなんて…。

『どこにいる?直っ、直ってば!』

 そんなに心配なら、どうして昨日、連絡くれなかったんだよ…智の…バカ…。

『まりっ!返事しろっ』

 ………。まり…。

 相手の子の父親も、俺のこと『まり』って呼んだ。
 智は俺に何を隠してるんだろう…。

「とも…」

 俺は小さく呟いた。
 電話の向こうで、智が息をつくのが聞こえた。

『直…どうしたんだよ。今どこだ?迎えに行こうか?』

「とも…俺に…何を隠してる…」

 返事を期待して吐いた言葉じゃないんだ。
 けど、聞かずにいられなかったから…。 

『なお…?』
「俺…」

 怖くて、不安で、悲しくて…。
 こんな俺…俺じゃない…。

 手の中に納まる小さな携帯から、智が俺を呼ぶ声が続いているけれど、俺は、そっと電源のボタンを押した。

 こんなに弱い心なんて…もういらない。

 
 陽が中天までやって来たけれど、俺は動く気力すら失ってそこにぽつんと座っていた。

 時折吹く風に、枯葉が悲しそうな音をたてる。
 住宅地の中の静かな公園、今はここだけが俺の居場所…。
 身体が芯から冷えてしまったけど、それをどうにかしようって気すら起こらない。 

 …けど、こんなとこで夜まで時間を潰すのもやだな。
 どうしよう…って思うけど、な〜んにもしたくない…。

 俺がひたすらボーッとしてると、すぐ側で、バイクの音がした。
 そういえば、夏に智がバイクを買ったとき、『これで二人で大学に行こう』って言ってくれたっけ。

 枯葉を踏む音が近づいてきた。


「直、見っけ」

 と、も…?

「一人で泣くなって言わなかったか?俺」

 あの時と同じ、智は片膝をついて、俺の前にいる。

「智…」
「ごめんな、直。何にも言わなくて」

 智の手が、そっと俺の頬に触れた。

「直を不安にさせたくなかったんだ。守ってやりたかったから…だから…」

「とも…。俺だって…俺だって智のこと守ってやりたいのに…」

 …何言ってんだ、バカ俺。
 こんなにめそめそしたヤツが、誰を守るってんだ、自惚れるな、バカバカバカっ。

「直は俺のこと守ってくれてるじゃないか」

 え…?
 聞いた言葉が信じられなくて、目を見開いた俺に、智は『可愛い』って呟いて、照れくさそうに笑った。

「あの日…、ずっと隠してきた想いが叶った時から…」

 智の暖かい指先が、俺の頬を辿る。

「直を抱いたとき、思った。この温もりに俺は守られたいんだって。だから、失くさないためにがんばろうって」

 俺の温もり…?

「でも…でも……。俺って、こんなに弱いのに」 
「俺だって弱い。だから、直がいてくれなくちゃダメなんだ」

 俺も…智がいてくれたら強くなれるんだろうか?

 智は『ふふっ』と笑って立ち上がり、俺の手を引いた。

「行こう。これからの二人のことを相談しなきゃ」

 その時俺は、ハタと思い出した。

「智っ、なんで昨日何にも連絡くれなかったんだよっ。メールだってしたのに…」

 寝られなかったんだぞ…って小さく呟いたら…。
 や…ヤバっ、俺ってば、また涙腺が緩みかかってるぅ…。

 智はスッと顔を伏せた。
 な、何?俺に言えないこと…?

「ごめん…俺、携帯の電池が切れてるのに気づかなくって」

 ………そんな、お間抜けな理由で、俺は一晩の安眠を棒に振った訳か…。

「ごめんっ、ほんっとにごめんっ」

 顔の前で両手をあわせる智。ったく、男前台無しだぜ。

「んじゃ、お詫びになんか作って」

 安心したら急に腹減ったんだ、俺ってば。 
 智はにっこり笑って頷いてくれた。

「ホットケーキ作ってやるよ」
「ホントにっ!?」

 やったっ、俺、ホットケーキ大好きっ。

「ただし、卵を割るのは直の役目な」

 うそ…。
 智はクスクス笑いながら、俺の頭にメットを被せた。
 そ…そうだっ…。

「智…っ。バイク?!」
「ん…。探し回ったんだぞ」

 メットの上から「でこピン」をお見舞いされた。

「でも…っ、今何かあったら…!」

 そう、今、違反や事故ったりしたら、なにもかもおじゃんだ。
 卒業も、大学も。

「俺…直を失くすことよりも怖いことなんてないから…」
 
 智の殺し文句が………恥ずかしいじゃねぇかっ。 

 照れ隠しに、一発腹にお見舞いしてやると、智は大げさに呻き、どさくさに紛れて俺の…。
 あ…恥ずかしいから、言わねー。




 予定より二時間遅れで到着した、智のマンション。
 冷え切った俺の身体を暖めてくれるのは、智の………………作ってくれたホットミルクとホットケーキだってば。 

「結婚式の日取りが決まりそうだって…」

 マグカップを抱えた俺が、上目遣いに見ると、智は片方の眉をちょっと上げて、こともなげに言う。

「卒業式の1週間後だろ?」

 やっぱり智は知ってるんだ。

「……相手の子は、『まりちゃんとなら、いつでもいい』って言ったって…」

「うん、言ったよ。ホントは、『直となら、いつでもいい』って言いたかったんだけどね」

「とも…?」

 智は自分のコーヒーカップを片手に、俺の隣に腰を下ろした。
 そして、当たり前のように、俺の肩に手を廻す。

「直は、いつまでも親を騙しておくわけにいかないと思ってるんだろう」 

 そりゃそうだ。いつかはバレるんだから。

「でもね、俺たち誰も騙してなんかいないんだよ」
「え?……どうして…」

 智は自分のカップと俺のカップを、乾杯の時のように『カツン』と合わせ、一口だけ飲むと、二つのカップをテーブルに置き、俺をそっと抱きしめた。

「俺たち、本物の婚約者同士なんだぞ」

 はへ?

「…な…なななな何!?それっ」 

 立ち上がってしまった俺の手を引き、智は笑いながら、俺を腕の中に抱き込んだ。

「今回の会社ぐるみの縁組みは、『新郎・前田智雪、新婦・熱田まり』なんだ」

『熱田まり』…誰だよ、それ。
 俺は知らないぞ、絶対知らないぞ、聞いたこともないぞっ!
『まり』なんて知らねーからなっ! 

「もっとも、直の親父さんは『新郎・熱田直、新婦・前田智』だと思ってるみたいだけど…。でもさ、俺が新婦だなんてゾッとするよな。俺、直と違って白無垢もウェディングドレスも似合わないもんなぁ」

 ちょっと待て、俺なら似合うと言いたいのか?
 俺の言いたいことを察したのか、智はこれでもかと言うくらい嬉しそうに笑った。

「直、絶対白無垢がいい。可愛いぞ」
  
 はいぃぃぃ?

 腐った妄想でいっぱいの智の頭を、クッションで思いっきり張り飛ばした俺は、漸く落ち着いて智の説明を聞けることになった。


 聞いてみれば、結局両家の親たちの、間抜けな勘違いから始まった話なのだった。

 な〜んだ。

「でもさ、智。それなら最初から『誤解です』って言えば、何もこんなに苦労しなくても…」

 俺の言葉を聞いて、智は一つ、大きくため息をついた。

「あのなぁ、直。それじゃ、お前んとこの会社はどうなるんだよ。これはチャンスなんだぞ。これがうまくいけば、熱田光機の全従業員の幸せと、俺たちの未来が約束されるんだ」

 間違えるヤツが悪いんだよ、と、智は悪戯っぽくウィンクして見せた。

 こ…こいつ、ただ頭いいだけじゃなくって、ずる賢いヤツだったんだ…。知らなかった…。

「だから、きちんと結婚式を挙げて、親孝行してやろうよ」

 ずっと智と一緒にいられるのなら、こんなに嬉しいことはないけれど…それはいいとして…俺が…、白無垢…?

 ボーゼンとする俺を、智は軽々と抱き上げた。
 まだ2度目だから辛いかなー、とか、優しくするからねー、とか、とんでもないセリフが耳に飛び込んでくる。

「と、ともっ」
「ん?何?なお」

 そんなに幸せそうに微笑むなってぇ…。

「こ…こういうことは、ちゃ、ちゃんと結婚式を挙げてからの方が…」

 …………俺ってば…何を…。赤面…。

「直ってば、遅れてるー。今どき婚前交渉なんて当たり前だろ?」 
 
 ……ここに、もっと恥ずかしいヤツがいた…。


つ・づ・く

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