第4回 まりちゃんの恋人
後編
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深夜二時。 リビングで腕組みしていた智雪は、玄関の重い扉が開く音を聞いた。 足音を殺し気味に、静かに入ってきたのは、1週間ぶりに帰宅した智雪の父、春之だ。 「お帰り」 突然かけられた声に、春之は驚きを隠せない。 「おっと…。ただいま、智雪。起きてるなんて思わなかったぞ。こんなに夜更かしして大丈夫か?明日は」 口ではそう言うが、出迎えはやはり嬉しかったようだ。 「うん…。俺、父さんに頼みたいことがあって」 「何だ?智雪がお願い事とは珍しいな」 幼い頃から、可愛げがないほど聞き分けの良かった智雪は、ものをねだったことすらないのだ。 智雪はそれをきっちり計算に入れている。 二度とない、一生一度の、絶対聞いて欲しいわがまま。 それを、直のために使う。 「友達……一番大切な親友がピンチなんだ…」 ネクタイを緩めていた手が止まった。 智雪の口から、友人の話を聞くのも初めてのことだ。 「智雪…」 智雪は、親友の父親が経営する会社の危機を告げた。 その会社の業務内容が、自分の父親の会社の利益になることはよくわかっている。 だからこそ、使える裏技なのだが…。 「その会社に、てこ入れして欲しいと言うことか?」 「そう」 春之は『ずいぶんとハードなお願い事だな』とは思ったが、できることなら聞いてやりたいと思った。 「わかった。会社名と所在をメモでいいから書いておいてくれ。調べさせるから」 「うん」 少しだけ安堵したような顔を見せた智雪は、そのまま背を向けようとしたが…。 「智雪…父さんからも話がある」 肩越しにチラッと振り返った智雪は、『イヤだな』と思ったが、今はそんなことを言える立場ではない。 「何?」 座れ、と視線で告げられ、仕方なくさっきまで座っていたソファーにもう一度座り直す。 「お前に、可愛いお嫁さんを見つけてやったぞ」 「…………」 今、自分は何を聞いたのだろうかと思う。 「俺…まだ高校生だけど…」 そう言う問題ではないのだが、脳が拒否してしまったのか、有効な言葉が見つけだせない。 「向こうの娘さんも高校三年生だ。だから、卒業してからだな、式は。二人で大学へ通えばいい。おっと、孫は大学を出るまでいらないからな」 計算高さではやはり、父親の方が上だったかと、智雪は唇を噛む。 (俺の頼みと引き替えに、俺を縛る気か…) 直を助け出せても、自分がこれでは何にもならない。 押し黙ってしまった息子に、ほんの少し、ばつが悪そうな声で春之が言った。 「可愛い子だぞ。実は私が一目惚れしてしまったんだがな、まさか我が子と同い年の子を、後妻にもらうわけにいかないからなぁ」 なんて腐った親父だ…と、智雪は呆れた顔を隠さずに向ける。 「写真見るか?」 そんなもん持ち歩いてるのか…と、またしても呆れる。 そんな智雪を、見て見ぬ振りで誤魔化し、春之は背広の内ポケットを探っている。 「熱田光機の社長の娘でな、まりちゃんっていうんだ」 (?何だ…それ…?) 『熱田光機』とは、直の父親の会社の名だ。 そこの娘で…『まり』…とは? 智雪は『ここで取り乱してはいけない』と、持ち前の冷静さを総動員して、こっそりと一つ、深呼吸をした。 「会ったこと…あるの?」 「まりちゃんか?…いや、実はないんだ。 うちへ詰めてる熱田の社員が何人かいるんだが、そいつらが写真を持っていてな。社員の間でもアイドルだそうだぞ。ちっちゃくって、可愛くって、元気がよくって…しかも優しいらしい。 熱田の社長も優しいからな、親譲りじゃないか? もっとも、経営者としてはその優しさはマイナス点だったがな。 ……ん、あったあった。」 まるで自分の娘の自慢話をするかのように、一人でベラベラ喋ったあと、春之がとりだした一枚の写真。 目にした瞬間、声を上げなかったのは、『さすがに智雪』と言うべきか。 確かに可愛い子が写っている。 真っ白のポロシャツにジーパンのボーイッシュな子。 子犬とじゃれている姿は、思わず抱きしめたくなるような愛らしさだ。 (…怒るだろうな…直。社長の『お嬢さん』だってさ…) 『まり』と呼ばれて、顔を真っ赤にして怒る、直の姿が目に浮かぶ。 写真を手に、黙ったままの智雪に、春之は覗き込むように視線を合わせた。 「どうだ?可愛いだろう」 「……うん。気に入った」 ポソッと呟いた智雪に、春之は喜びを露わにして、肩を叩きまくる。 「そうか!!いやー、父さんな、自信はあったんだ。こりゃあ智雪の好みだぞってな!」 確かに好みだ。しかし、父親と同じ好みだったとは…。 はっきり言って、嬉しくない。 「さっそく会ってみるか?」 「ん…。でも、この子は嫌がってないの?」 嫌がっているのだ、直は。 「社長はうんと言ったがな。……智雪、おまえなら絶対大丈夫だ!」 それはもちろん智雪にも自信がある。 何しろすでに両想い。 しかも、まだあの一晩きりとはいえ、すでにおいしくいただいてしまっているのだから。 「連絡先、教えて。直接話がしたいんだけど」 その一言で、春之は目を輝かせた。 智雪が自分からアクションを起こすなど、考えられなかったのだから。 「よし!がんばれよっ、智雪!父さん、何でもしてやるからな!」 春之は、メモに熱田社長の自宅の電話番号を書き込むと、鼻歌を歌い、スキップしながらバスルームへと消えていった。 その後ろ姿を、呆れ顔で見送った智雪が手にしたメモには、確かに直の自宅の電話番号が書かれている。 「さて、どうするか…」 ふと、机の上に置かれた写真を見る。 そこで初めて、智雪はポーカーフェイスを解いた。 写真を取り上げ、チュッと口づける。 「愛してるよ、直」 ふふっと笑い、写真とメモを手に、自室へ引き上げる。 (親父…親孝行してやるよ…) 智雪の笑いはなかなか止まらなかった。 「え?デート?」 手にしたパンを、今まさに口に突っ込もうとしたところだった。 直は、不思議そうな顔で智雪を見る。 「そう。直は婚約者とデートに出かけるんだ」 智雪がグッと顔を近づけた。 とたんに直の心拍数が跳ね上がる。 一晩きりとはいえ、もうすでに合体してしまった仲なのに、いや、それだからこそ、直は以前よりもっと智雪を意識してしまう。 「ど…どして?俺、相手の子のこと、まだ何にも知らない」 照れ隠しに、智雪の胸を乱暴に押し戻して、直は言った。 知らないのではない、知ろうとしないのだ。 「相手の名前は調べた」 「はぁぁぁぁ?」 智雪は押し返してきた直の手を取り、ギュッと握る。 「相手の女の子名前は『前田智』だ」 「まえだともぉ?」 どこかで聞いた名前だと思えば…。 「お前の名前と一文字違いじゃないかよっ」 「俺だってビックリしたよ」 ちっともビックリしたようには見えないが。 直は、これでもかというくらい不審そうな瞳を向けるが、智雪はまったく意に介していないようだ。 「ともかく、直は智ちゃんとデートするんだ」 「なんでだよっ!」 お前、俺のことが好きなんじゃなかったのかよっ…と、瞳が必死で訴えている。 (か…可愛いっ…) 直は、あの日からますます可愛くなっていく。 本人がそれに気づいていないのは当たり前だが。 智雪は思わず直を抱きしめてしまった。 しかし、昼休みの中庭とはいえ、ここは校内だ。 思わず、もがき暴れる直。 「大丈夫。俺にすべて任せて」 それは、あの夜のセリフと同じ…。 智雪の腕の中で、直の体温がフワッと上昇する。 「絶対誰にも渡さないっていっただろ?」 その言葉に小さく直が頷く。 「しばらくの間、俺の言うとおりにして…」 何故理由を言ってくれないのか、直にはわからなかったが、それでも智雪の『大丈夫』には説得力があったから…。 「俺…智のこと、信じてる」 ギュッと抱き返してそう言われたとき、智雪は午後の授業なんかフケて直をこのままマンションに連れて帰ってしまおうかと、優等生にあるまじきことを本気で考えてしまったのだった。 |
つ・づ・く