第3回 まりちゃんの恋人
前編
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「は…話すって、何を…」 俺は、ミルクに視線を落としたまま、作り笑いを浮かべた。 「なん、にも…ない…よ」 ……俺って、ポーカーフェイス、ダメな人だったんだな…。 こんなんじゃ、『何かあります』って白状してるようなもんじゃねぇか…。 「直…」 智は、俺の手からマグカップを取り上げると、ソファーに沈み込む俺の隣に移動してきた。 智の体温を、身近に感じる…。 やだーっ、頼むからっ、近づかないでくれっ…。 俺は、知らず、身を固くしていた。 「あんな直、初めて見た。昨日も変だなと思ったんだ…。そしたら、あんなふうに泣いて…、一人で泣いて…」 智は、俺の心の願いも虚しく、さらに身体を密着させて………肩を…抱いてきた…。 だめだ…。心臓が破裂するぅ……。触らないでくれよぉ。 「たまらなかった…。なぁ、直。一人で泣くなよ。俺がいるじゃないか。話、聞かせてくれよ」 赤ん坊をあやすような口調で言われ、俺は身体の震えが止められなくなってきた。 それに気づいた智が、俺をギュッと…抱きしめる。 「俺たち、親友じゃないか」 …その一言は、俺を完全にノックアウトした。 そうだ、な、智、俺たち『親友』だよな…。 あんなに震えていた身体もおとなしくなり、破裂しそうだった心臓も正体をなくすほど縮こまり、沸騰していた血液は一気に氷点下になった。 けれど…ついに、涙が出てしまった。 一度流れてしまうと、もう止められなかった。 これが最後。 これで終わりにするから、智、今だけしがみついて、いいよな…。 俺は、力一杯、智にしがみついた。 智は同じくらい…ううん、それ以上の力で俺を抱き返してくれたけど。 声を上げて泣きたかったのに、声は出なかった。 止まることなく、涙が溢れ出るばかりで…。 「直、今夜泊まっていけよ」 涙がおさまった頃、智が背中をさすりながら言った。 「明日、ここから学校に行けばいい」 ふと、この広い部屋に、智がひとりぼっちでいるところが思い起こされて、考える間なく、俺は頷いていた。 昼頃ここへきて、泣いて宥められて…な〜んてやってるうちに、いつの間にか秋の空は夕暮れの気配になっていた。 智が夕飯の支度を始めた。 慣れた手つきが、智が一人だってことを否応なくわからせる。 俺は甘やかされて育ったから、自分のことだってろくにできないのに…。 「直、家に電話入れとけよ」 「うん」 言われて俺は携帯を取った。 「あ…俺…」 電話をとったお袋の様子からすると、どうやらさぼったことはバレてないようだ。 「うん…。智雪んち。泊めてもらうから…。え?違うよ…。大丈夫だってば。……何言ってんだよっ!…俺は逃げたりしないっ!」 悔しさが身体の中を渦巻いて、俺は通話ボタンだけでなく、乱暴に電源も切った。 昨日の今日だ。お袋は心配して、帰ってこいと言った。 逃げないで、話をしようって…。 誰が逃げるって言ったよ。 たった一日、落ち込むことすら許さないってのかよっ。 お袋の鬼っ、悪魔っ、人でなしっ。 「直…?」 俺の怒鳴り声に驚いて、キッチンから智が顔を出した。 くっそう、むかつく〜、ハンサムなヤツってエプロンすら似合うじゃねぇか…。 俺がエプロンなんかした日には…。 やめとこ…虚しくなる…。 「やっぱりダメだ。夜まで待とうと思ったけど、我慢できない。直、話してごらん」 瞳を見据えてそう言われたら、もう、俺は逆らえなくなった。 それに、自覚したての俺の初恋は、あっという間に失恋の憂き目だ。 もう、何にも怖いものなんかあるもんか。 結婚でも何でもしてやらぁ! 俺は大きく一つ、息をする。 「俺…結婚する事になった」 『ぐしゃ』 へ…?ぐしゃ…? 見上げると、智が固まっている。 足元には、無惨に砕け散った卵…。 「な…お…。け…結婚って…」 おおっ、智が自分を失ってる…。こ…こんな智は初めて見るぞ。 「な…に、言ってんだよ…。なお…まだ高校生だ…ぞ」 …おっしゃるとおりでございます。ばかげた話でございます。 そう、俺たち、まだ高校生さまだ。 「うん…。だからさ、大学の推薦決まったら即、結納で、卒業したら結婚だって…」 なんだか、もう、どうでも良くなって、言葉が嘘みたいにスラスラ出てくる。 「……直っ!お前っ、いつの間にそんなこと…っ。い…いつ…いつ生まれるんだよっ」 はぁっ? 「智…何言ってんだぁ?」 「だからっ!子供だよっ。くっそう…いつの間にそんな女作って…子供まで…。お前がまだまだ子供だってのに!」 激高する智。こんな智も初めてだな。うん。 それにしても、『お前がまだまだ子供だってのに』ていうフレーズにはカチンときたけど、どうも、大きな誤解があるようだから、それはこっちへ置いておくとして…。 「あのな、智。落ち着いて聞けよ」 相談者の俺が、カウンセラーをなだめてどうすんだよ…。 「お前、もしかして『できちゃった婚』とか思ってるワケ?」 「当たり前じゃないか!そうでなかったら、なんで高校生が結婚なんてするんだよっ」 …まぁ、常識的なラインではあるな…。って、感心してる場合じゃない。 「ご期待に添えなくて申し訳ないけど、俺、今まで『彼女いない歴18年と1日』だ」 きっちり言い返した俺に、智の反応ときたら…。 「まさか…行きずりの女…とか…」 うっそー、信じらんないー。 俺ってそんなに『タラシ』に見える?…って、見えっこねぇよな…。 「悪いけど、俺、女に触ったことない」 あう…。口に出してみると、これってむちゃくちゃ情けなくねーか? ま、しょうがねぇな。彼女作るよりも、智や悪友どもとつるんでる方が楽しかったんだから。 「…じゃ…子供ができた訳じゃ…」 とも〜、ハンサム台無しだぜ〜、その間抜けなツラ…。 「んなワケねーだろっ!相手の顔だって見たことねーし…」 そうだ…そういえば…。 「名前も…知らない…し」 俺は昨日からの話を智に聞いてもらった。 智は、唖然とするばかりだったが…。 「直…それで、お前、結婚する気なのか?」 頼むから、そんな怖い顔で睨まないでくれ。 普段柔和なヤツほど、こういう顔ってコワイ…。 「仕方ないじゃないか…」 「仕方ないのか…?」 速攻言い返されて、俺はムッとした。 何で俺が責められなきゃなんないんだっ。 「だれが好きこのんで結婚なんかするかよっ」 …えっ? 怒鳴った瞬間、俺の身体はきつく拘束されてソファーに押し倒されていた。 「結婚なんかさせないっ!絶対にさせないっ」 と…智…? 「直は俺のものだっ、誰にも渡さないっ」 な…何言って…。 俺たち、『親友だ』って言ったじゃないか…。 さっき、そう言ったばっかりじゃないか…。 俺の脳みそは、情報処理能力を超えた事態にパニックを起こしかけてる…。 呆然とする俺の首筋に、智の熱い息がかかった。 それを感じたとたん、封じ込めていた気持ちが、勝手に蓋を開けて溢れ出てくる。 「と、も…」 顔が見たいのに、抱きしめられていて叶わない。 「直が好きだ。ずっとずっと好きだった。誰かに盗られてしまうなんて、絶対イヤだ!」 俺、智が『イヤだ』なんて言うの初めて聞いたよ…。 だって、智はいつでも大人で、聞き分けが良くて…。 それに…。 ん…?ええっ!?…今、好きだって、言った…? 言葉で確かめる前に、俺は、智の身体をきつく抱き返してみた。 それに応えるように、智の腕にはさらに力がこもる。 そして…。 「とも…俺も…智が好きだ…」 うおぉっ、俺ってこんな声が出せるんだ、って自分でも驚くくらい、甘ったるい声で告白してしまった…。 うぅ、恥ずかしーよぉ…。 「な…お…」 顔を上げた智が、驚いた顔で俺を見おろす。 智の顔を見ることが出来て、俺の中の想いはこれでもかっていうくらい大きく育ち始めた。 もう、誰にも止められないくらいに。 「俺も…智のことが…大好きだ…って気づいた…」 もう一度告げた俺に、智はとろけそうな微笑みを見せてくれた。 「いつ?」 「…今朝…ううん、昨夜…かな?」 正直に告白した俺に、智は嬉しそうに教えてくれた。 「俺は…もうずっと前…。直に初めてあった日から…だ」 それって、…中学1年の時じゃないか。 おまえ、ませたヤツだなぁ〜。 「黙っていようと思ってた。…だって、ずっと一緒にいられる予定だったから」 そう、俺たちは大学も同じ学部へ行く予定なんだ。 だから、これからも当たり前のように一緒にいるはずだったんだ。 「でも…」 ゆっくりと近づいてくる、智の綺麗な顔…。 何かを思う間もなく、ほんの少し、唇が触れた。 初めての感覚に、知らず身体が揺らいでしまった俺を、智がぎゅうっと抱きしめる。 なんだか、不安が溶けていきそうだ…。 もう一度、今度は『ちゅっ』と言う音をたてて、唇が触れた。 何度か軽く触れあって、俺の身体から力が抜け始めた頃、今度は深く長く、智の想いが伝えられてきた。 息が上がってしまうほど、キスされて…。 「直、既成事実を作ろう」 智は、これ以上ないというくらいまじめな顔で、俺に言う。 「既成事実…?」 なんのことだ…? 「先に俺と結婚するんだ」 …は?…なんですってぇぇ? 「と…智…何を…」 智が何を考えてるのかわかんなくって、俺は酷くうろたえてしまった。 「好きだよ…直」 え…、ちょっと待った…。 智…その手は何…?…と、あああっ、どこ触って…う、わっ…。 「とも…っ、智っ…!」 怖くなって、俺は何度も智の名を呼ぶ。 「し…っ」 智は長い人差し指を、俺の唇に当てた。 「静かに…、な・お…」 そっと触れてきた智の唇に、そのまま言葉を奪われて、俺は目眩を起こす。 そして、身体は何かの呪文にかかったように意志をなくし、俺は俺のすべてを智に…預けた…。 今日の智は『初めて』なことばかり…。 自分を失った智、激高する智、イヤだって言った智…。 そして…今…。 今まで俺が知らなかった、情熱的な智の姿が目の前にある…。 「直は何も心配しなくていい」 「でも…っ」 日付が変わろうとしている頃。 俺と智は、ベッドの中。 恥ずかしいけど、何にも着てない。 でも、何にも邪魔されずに智の温もりを感じられて、すっごく気持ちがいい。 いきなりの展開にうろたえる間もなく、どうやら『既成事実』とやらが作られてしまったようだ。 ちょっと…ううん、かなり怖くて苦しくて、途中何度も意識が遠くなったけど、智…優しかったし…。 昨日までの俺には考えもつかない事態…そう…さっきまでの、あ〜んなことや、こ〜んなことに、俺は一人で赤くなっていた。 そんな俺をずっと抱きしめたまま、智は髪や背中を撫でてくれる。 そして…。 「絶対誰にも渡さないから」 もう一度、はっきりと宣言された。 「でも…俺が逃げたら会社のみんなは…」 俺は、思わず智の胸に顔をすりつけてしまう。 こうしていると、本当に心配しなくてもいいような気になってしまうんだ…。 「俺が、心配いらないって言うのは、その事も含めて…だ」 そんな無茶な…。 俺たち、まだ高校生だってばぁ…。 こんな俺たちに、何が出来るって言うんだよぉ…。 「ともぉ…」 情けない声を出した俺に、智は不敵に笑って見せた。 「大丈夫。大丈夫だから、俺にすべて任せて…」 俺はまた、きつく抱きしめられる。 「だから…、ね、もう一回…」 しよう…、と耳元で呟かれてしまったのは、空耳ではなさそうだ…。 こ…こいつってば、こんなヤツだったっけ…? 身体は壊れそうだったけど、それでも俺はシアワセだった。 |
つ・づ・く